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土曜日の風景
01
しおりを挟む「ああ、……動けない。ちくしょう、くそ、なんでこうなった砂和ァ!」
「知りませんよ、元はと言えば青海先生が酔っ払って階段から落ちるから、こんなことになるんじゃないですか」
「そんなこと覚えてないし、足が痛てぇ」
「私だって連絡いただいて驚いたんですから。そんなに元気なら一瞬でも動揺してしまった私の心を返してください」
金曜日の夜、いつものように向島砂和と飲んだ帰りだった。終電間際で混雑した駅の階段から、駆け下りてきたスーツのサラリーマンとぶつかってともに階段から落下した。泥酔していた俺は気がついたら病院にいて、ひどく足を捻挫している。ぶつかってきたサラリーマンには逃げられて、結果俺はただ一人階段から落下しただけの運のない男。もう散々。しかし足が痛くて一人で帰る自信が無く誰を呼ぶかと考えたら、最近一番近い関係だったのが砂和だった。
終電はもう行ってしまったが、電話連絡をしたらすぐに砂和は病院まで駆けつけてきて来てくれて、まだ酒臭さの抜けない自覚のある俺はそこから砂和とともに帰宅した。
長い夜だった……そこからひと眠りして、朝を迎える。
「それにしても先生、洗濯物ためすぎですよ。こんなにためてしまってはそのうちキノコでも生えるんじゃないですか?」
「洗濯して干す一連の動作が俺には向いていない」
「小難しく言っても結局のところ単に家事が面倒なんでしょう? 朝から洗濯、夕方に取り込む乾いた服は気持ち良いですよ」
その言葉、昔誰かが言っていた気がする。俺が寝ている間に家事をする音、布団のなかでまどろんでいるうちにいつの間にか食事が用意されていて、そしてやがておはようと囁く。
「……お前は俺の母ちゃんか」
「なんです? 私は青海先生のお母様になったつもりは……」
「朝飯はなんだ?」
「お米勝手に炊きました。それに味噌汁と玉子焼きと……他に何か食べたいものありますか」
その言い方。やっぱり砂和は母ちゃんじゃねえか。三年前に亡くなった母が昔同じようなこと言っていたぞ。そう言えば別れた嫁もそんな時期があったな。離婚間際はもうお互いにいないものとして接していたから、飯を食う食わないの問題では無かったが。
「玉子焼きは甘いのが良い」
「砂糖が余っていたようなので甘いものにしました。少し焦がしてしまいましたが……」
「起こしてくれ、腹が減ったが起き上がれない!」
「知りません、頑張ってください」
必死の思いで痛む足を動かさないように起き上がれば、ちゃぶ台の上には美しい朝食が。冷蔵庫の余り物だけでよくここまで作ったな。しかし玉子は少し賞味期限が切れていた気もするが。
「ここだけの話、玉子は多少期限が切れたものの方が美味しいんですよ」
「マジかよ、これで腹が痛くなったら今週末は帰さない」
「青海先生そんなこと言って、あわよくば私を家政婦さん代わりにしようと思ってますね? 申し訳ありませんが無垢も家で待っているし、それに……」
「それに?」
「先日購入したぬか床の手入れをしないといたまないかが心配です」
砂和のやつ怪我人の俺より漬物をとりやがった。しかしここ最近の向島砂和二十六歳の生活は家事に傾きすぎている気がする。こうして文句を言いながらも、俺のために朝からなにやらと世話をするあたりからして。
俺が食事を始めると砂和は終わった洗濯物を干し出した。自宅のベランダなんて最近出ていなかったせいで、久々に換気された部屋の中が気持ち良い。
「今日は良い天気ですねえ、青海先生」
「ああ、夏も終わったなあ……」
夏の終わりの秋の朝は、なんてこんなに穏やかなのか。たまにはこんな朝も悪くない。
「今日は部活も行けないな、とりあえず歩けない」
「数日たったら良くなるものなのですか?」
「多少はマシになるらしいけど、時間はかかるって言われたな」
全くもってついてない目に遭ってしまった。休みの日なのに思うように休めない、ゴロゴロしているのも良いが、美味いものを食いに行ったり映画でも見に行ったり……。
しかしこの家はテレビすら最近調子が悪い。結局のところ娯楽がないのだ、この古いアパートの部屋には。
「砂和、なんか面白い話でもしろよ」
「面白いってのは人それぞれですからね……本でも読みます?」
「いい、どうせお前が読むのなんか文学だの哲学だのかったるいやつだろ?」
「ほら、だから言ったでしょう。面白いなんて人それぞれじゃないですか」
砂和はそう言いながら今度は掃除をし始めている。床に落ちているものを拾って片付けて。
「青海先生ちょっと避けて、邪魔なのでその辺で小さくなっていてください。掃除機使いますよ」
ここ最近俺自身存在すら忘れていた掃除機をどこからか持ち出して、俺の周辺を避けるように掃除で辺りを吸い出した。時たま先端で突かれる、これじゃあまるで俺が本当に邪魔物のようなものではないか。
「あ、砂和、そこの荷物崩すなよ! 読みかけの……」
「アダルトグラビア本ですか」
「ちげーよ、授業の資料だよ。その発想男子高校生の見過ぎだろ」
「職業病ですかね」
掃除機をしまい終えた砂和は今度は洗った食器をふきんで拭いて食器棚にしまいだした。よくもまあそんなにやることを思いつくと、一人暮らしは長くとも家事なんて滅多にやらない俺は、感心するしかない。
「お前はそんなに親に厳しく育てられたのか? 休みの日に家事ばっかりやって疲れるだろう」
「両親はそこまで口うるさくはなかったんですよ。でも共働きだし、無垢がいましたから。何かと散らかしたのを片付けたり世話をしているうちにこうなりました。意外と楽しいんですけどね、家事」
「俺はそんな二十六歳じゃなかった」
「……でしょうね」
テレビ棚の上にはテディベアが飾ってある。先日留守の玄関の前に置いてあった、かつて別れた娘の麻理にあげたものだった。
「くまさん、洗ってあげたほうがいいんでしょうかね」
「まあ……放っておけ。下手に触ると壊れるぞ」
「大切にしていたんでしょうね。ずっとそばに置いてあった、じゃなきゃあそこまでくたくたになりませんよ」
「だと良いんだけどなあ」
麻理は何を思ってこの家に来たのか。その理由が何か不幸なことでないことを祈るばかりだ。もう成長して顔もすっかり変わっただろう、それに対していまだに酒でこうして人生を狂わされている俺は……。
「全く、情けない父親で困るな」
***
ついうとうととしてしまった。ふと、目を覚ましたら砂和が見当たらない。
「おーい」
返事もない、もう帰ってしまったのか?
時刻は午前十時過ぎ、昼くらいまでいたら良かったのに。部屋はいつもよりも大分綺麗に片付いていて、窓からゆったりとした日差しが差している。こんな朝には誰かと共に居たかった。起き上がるとやはり足が痛む、まいったなこの週末で歩くくらいまでは回復しないと。月曜からは授業もあるしそう簡単に仕事を休めない。
ちゃぶ台の上にはおにぎりが二個ラップに包まれ置いてあった。これは朝の米の残りだろうか、昼飯にするには少ないが小腹が空いたこの時間にはちょうど良い。おにぎりの具は梅干しだった、これは先日砂和が家で漬けたからと言って持ってきたものだ。梅干しの漬け方とかどうしてあの年代の男が知ってるんだよ……母ちゃんどころか婆ちゃんだな。そんなことを考えながら食べるおにぎりは店で売っているものよりも美味かった。
玄関の方で音がする、来客があっても応対出来ないんだよな、このまま居留守を決め込むかと思ったものの部屋に入ってきたのは砂和だった。
「ああ、青海先生。食べました? おにぎり」
「お前、帰ったのかと……」
「食材の買い物です。冷蔵庫の中におかずを作り置きしておきますね、レンジでチンくらいは頑張ってください」
その表情は、柔らかく優しい。大きな袋を二つ抱えて、中からは玉ねぎやにんじんが覗いている。
「肉じゃがか?」
「あ、よくわかりましたね。青海先生、好きかと思って。私の弁当でいつも一番最初に肉じゃが食べるじゃないですか」
「まあ、好きなものから食べるからな」
「私も最近好きなものから食べますよ、残しておくと先生食べちゃうから」
帰ってしまったものだとばかり思っていた砂和が戻ってきた。俺のためにと、買い物をして。自分以外に誰もいないはずの部屋に、誰かがいる風景。離婚してからは特に積極的に女と付き合うこともなかった。同じことを繰り返したら、また俺は誰かを不幸にしてしまう。もう会えない麻理、きっと大きくなったのだろう。
「青海先生?」
「少し寝ておく、帰り際に起こしてくれ」
砂和に背を向けて顔を見られないように……ちくしょう、情けない、酔ってもいないのに泣くわけには。
台所ではごそごそと音を立てて砂和が何やら作業を始めている。
***
少し寝て昼過ぎに砂和に起こされた。昼食だと言って、塩ラーメンを。それはいつも俺の食べているカップ麺じゃあなくて、野菜は新鮮なものがたっぷりで生の玉子が落としてある。買ってきたばかりの期限切れでない玉子ですよ、そう言って砂和は笑っていた。同じような土曜日の昼下がりを、かつてやっぱり俺は送っていた。砂和といるともういなくなってしまった家族の風景を思い出す。もういちいち感傷を誘う、砂和のくせに、生意気だ。
「冷蔵庫の中に肉じゃがと今夜の炒飯が入っています。どちらも温めてから食べてください。野菜も食べてくださいよ、タッパの中には生野菜サラダがありますからね。適当に皿にとってドレッシングでもかけて……。台所の鍋の中には豚汁も作ってあります。あとは、お米を炊くことくらいは出来ますよね?」
「ああ、わかった、その……」
「どうしました、炊飯器は洗っておきましたけど」
「違う、そうじゃなくて……その、面倒かけて悪かったな、砂和」
この言葉がどこか気恥かしい。いつも砂和の家ではあいつの作ったおかずを食べてはいたものの、こうやって俺のために色々と世話を掛けてもらうと言うのは……。
砂和はそんな俺の心に気がついたのかどうだか、しかし少し間をおいて答えた。
「いいえ。青海先生こそ、お大事に」
ああ、こうやってまた誰か家族を得ることも、案外悪くはないのかもしれない。砂和を独り占めして暮らすあの生意気な無垢が、俺は少し羨ましくなった。
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