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大人の事情(1)
しおりを挟む「……だから今、仕事中だから」
授業の空き時間、俺は屋上にいた。
「……だから、まだそういうことは考えてないって。今いろいろ忙しいし…や、だからそういうの勝手に決められても困るって」
とにかくまた今度連絡するからと言って電話を切ると、フェンス越しの空を見上げて溜息を吐く。
……あー、もう…
「見合いすんの?」
「?!」
突然降ってきた声にぎょっとして振り返ると、そこにはなぜか神野がいた。
どうやら電話の内容を聞かれていたらしい。
「いや、まだ決まったわけじゃ…っておまえ、授業は?」
「あんたなら迷わず断りそうなのにね」
「そりゃ、できるならそうしたいけど…っていうか先生に向かってあんたとはなんだ!あと煙草は没収!」
「相手が男だから?」
「……え」
一瞬なんのことだかわからなかった。
「先のことを考えたら不安になったわけ?」
にやりと笑った神野の言葉の意味に気づいてぎょっとした。
……てゆうか、なんで知ってるんだ?!
「かなり前から噂になってっけど。あんたと筧がデキてるって」
「ええええ?!」
いちいちうるせぇ、と神野が顔をしかめる。
「ちょ…それってどういう、」
「てか問題って、それだけだろ」
「え?いやそれだけって…」
まあ確かに、単純に考えればそういう事なのかもしれないけど。
「……大人になればいろいろ事情がでてくるんだよ」
「じゃあその為に、今大事なもん捨てんのかよ」
一瞬、言葉を失った。
「それで結局、あんたは幸せになれるわけ?」
「………」
「てかそんなんで捨てられるんだったら、所詮その程度だったってことじゃん」
冷ややかな表情でそう言い捨てると、神野は屋上を出ていった。
……その程度って、
「……そんなわけないだろ…」
ぎゅっと携帯を握りしめる。
……でもじゃあ、どうすればいいんだよ
これまでもそういう話は何度かあったけど、色々と理由をつけて断ってきた。
だけど両親だってもう歳だし、きっと孫の顔を見るのを楽しみにしてる。
俺は一人息子だし、出来るだけ心配はかけたくないっていう気持ちもある。
それにやっぱり不安なんだ。
これから先、俺と筧先生の関係がどうなるのか。
結婚という制約がない以上、気持ち一つでこの関係は成り立っていくのだ。
その覚悟が、お互いにあるのかどうか。
その日の帰り、筧先生の部屋に寄った。
「橘先生?!」
途中で雨に降られてずぶ濡れだった俺を見て、先生は驚いていた。
「どうしたんですか?急に」
風呂の準備をしてくれながら、先生は言う。
「連絡してくれれば、迎えに行ったのに」
「………」
なんだか堪らない気持ちになって、その広い背中に抱きついた。
「……先生?」
筧先生は優しい。
生徒のことで悩んで空回りばかりしている俺を励ましてくれて、話を聞いてくれて。
恋愛に関しては奥手で積極的になれない俺を、いつもリードしてくれて。
普段は冗談ばかり言ってるけど、先生がくれる気持ちはいつだって真剣だった。
俺は大切にされてるんだと思う。
「筧先生、俺…っ」
信じてないわけじゃない。
ずっと一緒にいたいと思う、自分の気持ちも嘘じゃない。
だけど怖い。
「……とにかく落ち着いて」
筧先生はそう言うと、いつの間にか泣いていた俺の手を優しく握った。
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