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回想8
しおりを挟む自分はタイプ的に、今の仕事に向いてないと思う。
無愛想で、作り笑いは下手くそだし、先輩曰くそもそも物を売ろうという積極性がないらしい。
「……あのな、売れるもんを売ったってしょうがねーだろ。もっと他の商品も売り込みかけてけよ」
「はぁ、」
「はぁ、って…やる気あんのかよ」
「……はい」
「……もういい、戻れ」
そう言うと、教育係の先輩はこれみよがしに大きな溜め息を吐いた。
――いいのかよ、
――いいよ。課長の甥だかなんだか知らねーけど、特別待遇とかする気ねぇし
背を向けた途端、聞こえてくる声。
悪いのは結果を出せない自分だし、嫌味を言われるのは仕方がないと思うけど。
あのひとの名前を出されると、居たたまれない気持ちになった。
「どうかしたのか」
「……え、」
彼の声に反応して、顔をあげた。
「あ、すみません…ぼーっとして」
「いや、」
「お茶、淹れますね」
慌てて立ち上がりながら言う。
学生の頃から住んでいる古いアパートは、沿線添いとはいえ駅からちょっと離れている。
おかげで家賃は安いけど、狭いし日当たりも悪い。
そろそろ引っ越したらどうかと彼は言うけど、住み慣れた街を離れたくないという理由で断った。
もっとも、本当の理由は別にある。
至るところに彼の記憶が残るこの部屋を、手放したくないのだ。
「……仕事はどうだ、少しは慣れたか?」
台所でお湯を沸かす俺に、彼は言った。
暗くて出来の悪い、コネ入社の新人…今の部署に配属されて数ヶ月が経つし、きっともう彼の耳にも入ってるだろう。
辛くないと言えば嘘になる…けど。
大丈夫です、と俺は言った。
「心配かけてすみません」
「………」
彼の表情を見て、本当に申し訳なく思った。
学生の頃から生活の援助をしてもらい、そのうえ仕事の世話までして貰って。
もうこれ以上、心配も迷惑も掛けたくないのに。
「葵、」
このひとが俺を呼ぶ声が好きだ。
優しくて、あたたかくて。
「あんまり無理はするなよ」
どうしようもなくいとおしくて、泣きたくなる。
先程淹れたお茶は、誰に口をつけられる事もなく冷めていく。
畳に押し倒された俺は、テーブルの上の湯呑みをぼんやりと眺めていた。
それに気づいた彼は、掠れた声で言った。
「何を考えてる、」
「……あなたのこと、」
どちらからともなく重ねられる唇。
そのくちづけが深くなるにつれ、もう何も考えられなくなる。
「……あ、っ」
性急な愛撫に体を震わせ、堪えきれずに声を漏らした。
そして与えられ、生まれゆく熱に浮かされながらただ願った。
ここにいる時は、全部忘れて。
今だけでいいから、俺を、俺だけを見て。
「どうしたん、暗い顔して―」
昼休み。
屋上でぼーっとしている俺に、中沢さんが話しかけてきた。
「……いえ、別に…」
「あー、もしかしてフラれたん?」
「………」
どうしてこの人は…。
いつもの軽口だってわかっててもつい反応してしまったのは、それだけ余裕がなかったからだろう。
「中沢さん、無神経って言われません?」
「言われるな―、よく」
「……そういうとこ、直そうとは思わないんですか」
「ん―、あんまり」
嫌みをあっさりとかわされて、ますます苛々した。
……何にも知らないくせに、
このひとはいつもそうだ。
悪気のない顔で、遠慮なくずかずかと人の事情に踏み込んできて。
「……神崎くんは、いろいろ考えすぎちゃう?」
無言になった俺を見て、中沢さんは言う。
「しんどくない?たまには吐き出した方がええよ?」
俺で良かったら話聞くで、と言って彼は煙草に火をつける。
「あ、勿論無理にとは言わんけど」
「………」
薄い煙がよく晴れた空に吸い込まれてゆくのを眺めながら、俺はぽつりと言った。
「……亡霊なんですよ、俺」
「ぼうれい?」
ええっと…と中沢さんは頭を掻く。
「だ、誰かに憑りついたり?」
「……、傍にいたくて」
こんなこと、誰かに話す気なんかなかった。
「それだけでいいって、思ってたのに」
だけど、溢れだした言葉は止まらなかった。
「だんだん、わかんなくなって」
どんなに願ったところで叶わないとわかっていても、想いは募る一方で。
だけど何も伝えられないまま、幾度となく肌を重ねて。
流されることでずっと考えないようにしてきたことを、考えてしまった。
「あのひとにとって、俺はなんなんだろうって」
そして自分の浅ましさに気がついた。
今だけでいいなんて、そんなわけない。
あのひとに対する気持ちは、そんなふうに割りきれるようなものじゃない。
……本当は、ずっと
「ずっと、俺だけを見てくれたらいいのにって」
「それの何が悪いん?」
「………」
「だってその人のこと、ほんまに好きなんやろ?なら当然やん」
そんな中沢さんの言葉を、俺はうわの空で聞いていた。
――誠二(セイジ)さん、
昨日、帰る支度をするあのひとに俺は言った。
望んだらいけないって、わかってたのに。
そしてそれは、絶対に言ってはいけないことだって。
――俺ってそんなに、母さんに似てるの
わかってたのに。
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