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お笑い芸人ランキング Sランク+編 ダウンタウン 松本人志

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松本人志 Sランク+

ボケ 100 Sランク+
ツッコミ 95 Sランク
トーク 100 Sランク+
漫才 100 Sランク+
コント 100 Sランク+
ピン芸 100 Sランク+
大喜利 95 Sランク

【解説】
お笑い芸人ランキングに於いて唯一となる、Sランク+の天才芸人である。

後の採点に響くため、あまり初めから持ち上げすぎたくはないのだが(ツッコミ、大喜利以外全ての能力が最高評価)、松本の笑いの才能は全芸人の中で極めて飛び抜けているため、この評価も致し方ないところだろう。

逆に言うと、この松本の点数が後の採点の基準点となるため、比較して楽しんで頂けると幸いである。

ガキの使いの全盛期フリートークをリアルタイムで観ていた者にとっては、ボケ力最高評価は言わずもがなであろう。

ツッコミに関しては評価が難しいが、松本のツッコミは純粋なツッコミと言うよりボケの成分を含んだボケツッコミであるため、相方浜田のツッコミと比較すると、Sランク評価が妥当だろう(それでも充分高ランクなのだが)。

余談だが、以前ガキの使いで、浜田と松本がボケとツッコミを入れ替わって漫才をしたことがあり、その時松本のツッコミはキレがなく、全くのダメダメだった(さすがに転んでもタダでは起きない実力、逆にそのダメさ加減を逆手に取って笑いに変えていたが)。

これは松本にツッコミの能力がないということではなく、普段やり慣れていない役割であることと、松本がSとMで言うM型(サドとマゾのあれ)の芸人であることが関係している。

実は芸人にはその性質によりボケ向きかツッコミ向きかが予め決まっており、向いていない方の役割はどんなに才能があっても、あまり上手くは嵌まらないものなのである(この辺、松本自身も語っているお笑い芸人のSM論として、後に記事としてまとめてみようと思う)。

浜田はドS型なので、正にツッコミが天職の芸人と言えるが、M型の松本がツッコミをしても、いまいち上手く嵌まらないというのは、これは最早才能どうこうではなく、笑いの神が定めたジレンマのようなもので、全てに於いて完璧な人間というのは、やはり存在しえないのであろう。

天才松本の異次元レベルのボケを、ドS浜田が強烈なツッコミで突き放すからこそ、ダウンタウンという不世出の最強コンビは成立しているのである(余談だったはずが長くなってしまった。まだまだ書くことは尽きないが、あまり書くと浜田の解説で書くことがなくなるのでこの辺にしておこう)。

トーク力最高評価はガキのフリートークやすべらない話、放送室(松本と放送作家高須のラジオ。目茶苦茶面白いので、興味のある方は是非)で既に証明済み。

漫才力も素晴らしいものがあり、島田紳助がNSC(吉本の養成所)時代の、当時高卒、素人同然で全くの無名だったダウンタウンの漫才を観て、漫才ではダウンタウンに勝てないとコンビ解散を決意したエピソードが示す通り、最高点以外は考えられない(このエピソードについては紳助の解説に譲る)。

ダウンタウンの初期の漫才を観ていた方には分かると思うが、笑いのレベルというものは時代と共に変わり行くもので、当時まだまだレベルの低かった時代に於いて、ダウンタウンが示した笑いのレベルの高さは、正に衝撃的だった。

そのため、そのレベルの高さについていけない者には、当初ダウンタウンの笑いは受け入れられず、売れるまでに時間を要し、トミーズなどレベルの低い芸人達の後塵を拝すことになってしまった。

誰よりも面白いことをやっているのに、そのレベルが高すぎる故に観客に理解されない。

当時のダウンタウンの心境は想像に難くないが、どんな苦境にあっても、自分達が面白いと信じる笑いを貫き、折れずにそれをやり続けたところにダウンタウンの凄さがあるし、だからこそ、時を経てようやく時代がダウンタウンに追いついたのだと思う。

話を戻そう。コント評価である。今の3~40代男性でごっつええ感じの笑いの洗礼を受けていない者はごくごく少数派だろう。

それまでひょうきん族やドリフ的な笑いがコントの王道とされていた時代に、松本が示したコントの笑いは正に革新的な笑いだった。

それまでのコントがいわゆるベタな笑いを主流にしていたのに対し、松本が見せたまったく新しい笑いの型は『おかんとマー君』や『カッパの親子』に代表されるように、それまでの笑いがターゲットとしていなかった、人の哀愁やかっこ悪さを描いて笑いを取るという、非常に高レベルで革新的なものだった。

『おかんとマー君』は誰でも子供時代経験のある、子供に干渉しすぎる親と、それを恥ずかしく感じる子供の微妙な関係性を描いたコントである。

今でこそこういったコントは氾濫しているが、これを当時まだ笑いのレベルの低かった時代に目を付け、面白いコントにしてしまう松本の先見性とセンスの良さに脱帽した。またも最高評価である。

初めから最高評価を出しすぎの感はあるが、松本人志は日本の笑いの歴史を変えた。この芸人には、それだけの価値がある。

今の時代の日本の笑いのレベルは、相当に高い。

そのレベルは確実に松本人志が創り出したものであるし、今の時代のコント、そのほとんどがごっつの二番煎じであり、松本のフォロワーの域を脱しきれていない。

芸人にとって松本人志は憧れの存在であり、また、超えることのできないあまりにも高すぎる壁なのである。

ピン芸の最高評価は一人ごっつの内容より採点した。

マネキンとたった一人で演じるコントは、笑いを通り越してある種狂気じみている。

松本がテレビではできなかったコントの集大成、ビジュアルバムでもこの傾向は見受けられるが、本来松本が表現したかったのは、こういったある種狂気じみた、観る者を選ぶシュールレアリスム的な笑いだったのだろう。一人ごっつではリミッターを外したフルスロットルの松本人志を観ることができる。

一見しただけでは理解できないほどの、あまりにも濃ゆすぎる、しかし、噛めば噛むほど味が出る内容。ピン芸としては最高評価を付けるほかない。

大喜利能力はガキの使い、リンカーン、一人ごっつ、一本グランプリからの査定である。

大喜利で100点満点の答えというのは実は存在せず、『良いお題』『悪いお題』といった風に、お題によって回答のレベルも左右されるため、能力の査定も難しいのだが、そのお題によって得られる笑いの最大値付近の回答を常に出し、確実に笑いを回収する松本の実力として、基準点95のSランクを付けた。この95を基準として、今後大喜利系の芸人は評価されることになる。

さて、解説としてはこんなところだが、いかがだったろうか。

短い間だけでもお楽しみ頂けたのであれば、これに勝る幸福はない。

昔松本人志のファンだった一人としては、今の若い世代が松本のことを、なんか少し偉そうな日曜の朝から眉間にシワ寄せてたまに映画とかも作ってる子煩悩でジムに通ってるバカまじめのオッサンとしか思っていないことが、本当に残念でならない。

松本人志は本来そういったレベルの芸人ではないのだ。もう一度声を大にして言いたいが、全盛期の松本人志は天才だった。本当に天才だったのである。

映画で失敗してから全ての歯車が狂ってしまったとしか思えないが、今の松本は若い頃自身が語っていた、『なりたくない大人』に自らなってしまっているとしか言いようがない。

ある時期から映画を作り出し、髪を金髪に染め、ワイドショー系のご意見番になる。この流れは完全にビートたけしの流れそのものであり、諸処の言動から推察すると、松本はビートたけしになりたかった節がある。というか、なりたかったのである。なりたかったがなりきれていないために、自らの思い描く自分と、世間の松本像との間に乖離が生じ、結果、ややスベり気味のオッサンとして若い世代に広く認知されている。そういうことだと思う。

では、何故松本はたけしになれなかったのか。確かにたけしくんとひとしくんで語感は似ているし、松本はビートひとしになれば良かったのか。いや、事はそう単純な話ではない。

たけしにあって松本にないもの。それは『教養』である。

この『教養』、つまり『学』だけは松本の圧倒的なセンスを持ってもけして埋めきれない穴であるから、松本はたけしになりたいのであれば、東国原英夫のように、まずは必死に勉学に励むべきだった。

プライドが邪魔をしてそれはできないというのであれば、初めからたけしの通った道など目指すべきではなかったのである。松本のような天才芸人が、何故人と同じ道を辿ろうとしてしまったのか。『人と同じ』それは若かりし頃の松本が、一番嫌っていた言葉だったはずだ。

テレビでやれることはやりつくした。かつて松本はそう語っていた。そこに閉塞感を感じたのはわかるが、その先に松本だけが通れたはずの、自分だけの道はなかったのだろうか。

過ぎた時を取り戻すことはできないが、今の凋落した松本王朝を見る度に、かつての目も眩むほどの栄華を知っている筆者としては、そう感じてしまうのである。

既に全盛期の力は残っていないように思えるが、最近ではガキのフリートークが復活するなど、往年のファンを喜ばせる出来事もあっただけに、まだまだ老け込むような歳ではないのだから、守りに入らずとことん笑いを追求してほしいというのが、かつてファンの一人だった者としての、切なる願いである。

最後に、偉大な天才芸人松本人志に、この場を借りて贈りたい言葉がある。

松本人志さんがこの小さなブログを目にすることはないと思いますが、子供時代何度も何度もあなたのコントや漫才を観て、日常の嫌なことやダメだったことを忘れるくらい、腹の底から笑い転げ、元気になることができました。

松本さんと一緒の時代を生き、その笑いをリアルタイムで観ることができたのは、偶然に生まれ、必然に消えていく人生の中で、数少ない幸運の一つです。

私は、あなたの笑いが大好きです。

たくさんの幸せをありがとう。
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