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2019年7月

花城由紀恵の証言

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 花城レンズ工芸本社ビル二階の事務所で、山科警部の質問に応じて花城由紀恵は語り始めた。山科の傍らでは宮下真奈美が心を読み、言葉の真偽をチェックしている。

「社長は・・父は確かに天才的な技術者でした。名声は世界的でしたし、父の名前が国際ブランドといってよいほどでした。

 花城レンズ工芸には世界中から注文がありますし、私たちの作るレンズは高価なものですから、会社の規模に比して売り上げは大きいかもしれません。しかし、高精度のレンズを制作するための設備投資はそれ以上に莫大なものなんです。だから利益が大きいかといえばそうでもなくて、銀行からの多額の融資で資金繰りしていました。銀行は父の技術と名声にお金を貸してくれていたんですね。なので私たちの会社の内情はかなり苦しいものでしたが、それでもなんとか回っていたんです。

 あれは母が亡くなった直後でしたから十年ほど前だったと思いますが、ある日父はテレビの報道番組で、海外で開発されたメタマテリアルによる光学迷彩のニュースを見たんですね。私なんかは、まるでSFアニメみたいな話だなと思って見ていたのですが、父は『これなら俺にだって作れる』って言い出したんです。私が『ウチみたいな町工場で作れるわけないじゃない』と言ったらムキになって、その日の晩から三階のあの部屋に籠って制作を始めたんですね。もちろん、あのころはまだ、井土さんに本業のレンズをすべて任せることはできませんでしたから、あくまでも仕事の片手間、趣味みたいなものだったんです。

 しかしやはり、父は天才でした。五年ほどで本当に完成させちゃったんですよ。父が作った物はテレビで見たような大きなスクリーン状の物ではなく、アクリル素材を加工したA4サイズの小さな物でしたが、その効果はテレビで見た光学迷彩にそっくりでした。父はそれに”インビジブルシート”と名付けていましたが、父にとってはあくまで遊びに過ぎなかったことと、制作には父にしかできない微調整がひとつひとつに必要なため、量産が難しいので製品化しようとは考えなかったんですね。

 三年前に産業見本市に出展した時に、このインビジブルシートを使ったクリアファイルケースを数十枚制作して展示したんです。お得意先にギフトとして配ったりもしました。これは商品としてではなく、あくまでも花城レンズの技術力をアピールするための展示物だったのですが、思わぬ反響がありまして、これを量産できるように開発するのなら、研究費を出資するという大企業からのオファーが来たんです。

 さらにインビジブルシートに感動した若者たちが、花城レンズに就職したいと何人もやって来たんです。私たちの会社はこれ以上人を増やす予定はありませんでしたし、大卒の就職希望者がやって来るなんて初めての事でしたから私は戸惑ったのですが、父はT大を卒業予定で雇ってくれるのなら内定の決まっている大企業を蹴ると言ったこの松下君と、T理大に在学中で、中退しても入社したいと言った山口君を採用することにしたんです。特に松下君は父の技術を数値化して、量産を可能にできると言ったことを、父は大変気に入ったようです。

 この時から父は、光学迷彩にさらにのめり込みました。

 腕を上げ、父に次ぐ技術力を身に付けた井土さんを常務に据えて、メインのレンズの制作を完全に任せると、自分は三階の研究室に詰めて、日夜研究開発に没頭したのです。父はとても秘密主義なところがありましたから、どの程度研究が進んでいるのか分かりにくいのですが、研究の成果が出たと思われるときは、嬉々としてその成果を自慢しました。新人の二名を含めて、わが社の社員は皆、父をたいへん尊敬していました。これは間違いのないところです。最古参の三上さんなんかは本当に父を神様のように崇拝していましたし。

 だから父がある日、『間もなく”インビジブルスーツ”が完成する』と言ったときもみんな半信半疑でしたが、しかし同時に父なら出来るかもしれないと誰もが思ったはずです。実際に父はインビジブルスーツの企画を企業に持ち込み、多額の研究資金援助を受けることに成功しましたから、もしかしたらすでに試作品が完成していたのかもしれません。

 この頃の父はインビジブルスーツの製品化に成功したら、自分は引退して私と井土さんを結婚させ、以後の会社経営は私たちに任せる計画でした。井土さんは三上さんと共に我が家に同居していましたし、私も井土さんの事は嫌いではありませんでしたから、最初は結婚してもいいと思っていました。でも・・・その頃私は・・・」

 ここで花城由紀恵の思考と感情が大きく乱れたのを、真奈美は感じ取っていた。

「由紀恵さん、そこから先は僕が話すよ」
  花城由紀恵の隣に座っていた松下真一がそう言った。
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