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女房修行
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マチューの家は漁村の一角にあった。決して大きな屋敷では無いがそれほど粗末というわけでもない。同じような家屋が数軒立ち並ぶ集落の一軒である。屋内は男の一人暮らしらしく、やや雑然としているがひどく散らかっているというほどでもない。
「チルー、着いて早々で悪いが漁師は朝が早いのでな。晩飯の支度をせねばならん。俺は飯炊きをするがその間にチルー、お前は風呂の用意をしてくれ。水は共同の井戸が外にある。薪が足らなければ割ってくれ。出来るか」
「はい、先生」
「おいおい、俺はただの漁師だぜ。先生はよしてくれ」
「じゃあマチューさん、まかせてください」
チルーは風呂の水を汲むために、大きめの水桶を選んで外に出た。共同の井戸の周りには近所の漁師の女房たち、三人ほどがお喋りしながら水仕事をしていた。赤子をおぶっている者も居る。チルーは水桶を持って女房たちに挨拶をする。
「こんにちは。お風呂の水をいただきたいのですが」
声を掛けると、女房たちは一斉にチルーの方を向いて、ジロジロと舐め回すような目をした。そのうちのひとり、三十半ばくらいの年長者の女が明るい笑顔で話しかけてきた。
「はいはい・・あんたが噂のマチューのところに来た嫁だね。来るの待ってたんだよう」
狭い村ゆえ、あっという間に噂になっているようである。
「あ、いえ私そういうのではないです」
「そっか。祝言がまだだだから、嫁見習いってとこだね。しっかり修行しなよ。それにしてもまあこの村にはもったいない垢ぬけた良い娘だねえ。みんな見ておくれ、このキレイな顔。まるでお人形みたいだ。マチューもぼーっとしているようで、なかなかやるじゃないか。こんな若くて綺麗な娘っ子貰ってくるなんてねえ・・あんた名前は」
「はい、チルーです」
「チルーね。あたしはナビー。あんた、こんな漁村になんか住むの初めてだろ?なんでも困ったことがあったらあたしに言いな」
どうやらナビーは今でいうところのボスママのような存在らしい。しかし人は良さそうである。
「ああそうだチルー、お風呂の水だって?ほら、ちょっとチルーに井戸使わせてあげて」
他の女房衆も特に嫌がるわけではなく、にこやかに場所を譲ってくれた。
「ありがとうございます」皆に礼を述べて井戸のつるべを取らせてもらう。
・・・礼儀正しい子だねえ
・・・町の娘さんだね
・・・マチュー、いい子貰ったねえ
完全に誤解されてはいるが、意外に歓迎されているようである。
チルーは手早くつるべを使って水をくみ上げて、あっという間に大きな水桶を水で満たした。それを見たナビーが呆れたように言う。
「はあ、やっぱり町の子だね。風呂の水汲みをやったことがないのかい?そんな大きな水桶にいっぱい汲んだら、風呂場まで持っていけないだろう」
チルーは女性でも思わずときめくほどかわいらしい笑顔を見せてから、水桶を両手で抱えて軽々と持ちあげた。
「すみません、あと何往復かしますので、よろしくお願いします」
「まあまあ・・なんて力持ち。漁師の嫁には最高だよ、チルー」
このようにして風呂に水を張り、薪を割った。風呂の用意が出来たところで家に上がると、とても良い料理の匂いがする。
「おおチルー、ご苦労だったな。ちょうど飯も炊けたし煮魚を作ったから一緒に飯にしよう」
「はい、ご馳走になります」
「そんな他人行儀は止めろ。しばらく一緒に暮らすんだから、普通にいただきますだ」
「はい、いただきます」
ふっくらと炊きあがった飯と、赤い魚を醤油と琉球特産の黒糖で煮込んだ料理は、驚くほど美味しかった。
「マチューさん、お料理上手なんですね」
「まあ、一人暮らしが長いからな。こうやって誰かと晩飯食うなんて久しぶりだ」
マチューは少し遠い目をした。そして我に帰ったように話しを続ける。
「それはそうとだ、お前に短期間で百姓手を仕込むのだから、今から日常いついかなる時も修行中だと心得てくれ。こうして飯を食っている最中でもお前に隙が見えたら打ち込むぜ。そのかわり俺に隙が見えたらチルーが打ち込んでもいい。わかったか」
「はい、心がけます」
「よし、じゃあ堅い話はこれくらいにして、早速手土産の古酒(クースー)を開けようか。チルー、お前も飲むか?」
「いいえ、私は・・」
マチューは台所に立つと、酒瓶と柄杓とぐい吞みをふたつ持って来た。
「まあそう言わずに飲め。飲めないわけじゃないだろう」
飲めないわけではないのだが、酔って隙を見せるのが嫌なのだ。
マチューは柄杓で酒をすくって、ぐい吞みに注ぎ込む。
「百姓手というのは日常の生活道具をなんでも武器にするのが特徴なんだ。たとえばこの柄杓で酒をすくうとき、この酒を目潰しに使うこともできる。そのまま柄杓で頭を叩き割ったりするわけだ。今はやらねえよ、こんないい酒もったいないからな」
マチューは古酒を口に含むと、舌で転がすように味わう。本当に酒好きのようだ。
「旨い!これは上等な古酒だ。長い年月で角が取れて豊潤さを増している。ありがとうな、チルー。こんないい酒は久しぶりだ」
こうやってマチューが酒を飲む間も、チルーは隙を伺っているのだが、まったく打ち込む隙がないのが流石である。
「マチューさん、ところで私、こちらに泊る予定じゃなかったので、着替えを取りに戻らなきゃいけません」
「ああ、それなら心配するな。女物の着物なら死に別れた女房の物がある」
「奥様、亡くなられたのですか」
「ああ、もう十年にもなるかな。漁師の嫁というのは重労働だからな、あれには苦労ばかりかけた」
また遠い目をしている。チルーは今なら打ち込めるかもしれないと一瞬思ったが、それはやめることにした。
「大島クルウ先生とはどういうお知り合いなんですか」
「俺の親父がね、真壁チャーンと何度もやり合っていたのを聞いて、大島クルウが訪ねて来たのさ。真壁攻略の手がかりを得ようとしていたんだろうね。それで結局親父ともやり合ってた。困った親父どもだったよ。なんでも殴り合いで解決できると思ってたんだからな。俺はそんなのを見て育ったんだから、いい迷惑だぜ」
マチューは何杯目かの古酒を開けて言った。
「朝が早いからそろそろお開きにするか。チルー、先に風呂を使ってくれ。寝間着はそこの箪笥から適当に選べばいい。ああそうだ、隙あらばって言ってたが、風呂と厠は別にしよう。お互いにな。いいか?」
「はい、そうしていただければ助かります」
チルーは遠慮なく風呂を先に使わせてもらうことにした。
着物を脱いで浴室に入るが、すぐ手の届くところに置いておくことを怠りはしない。
三年前の教訓である。
今日はたくさん歩いたので、湯舟につかると生き返った気分だ。
(ああ気持ちいい。でも、私ほんとうに何しに来たのかしら。女房修行?なんだかおかしい。でも、悪くないかもね)
チルーは久しぶりにとても和やかな気分だ。案外、自分は漁師の嫁に向いているのかもしれないなどと、うっかり思ってしまった。旦那は朴訥な働き者だ。ご近所とも上手くやって行けそうだし。
(ああ、だめだめ。何を考えているチルー。相手は隙あらば犯すって宣言している男だよ。これは修行なんだ)
チルーは無理やりに闘士を奮い立たせようとしていた。
-----------------------------
次回予告
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家事と漁師の仕事の手伝いの合間に、マチューはチルーに漁師の武術であるウェーク術を教える。
天性の才能でウェーク術を吸収するチルーに、マチューは百姓手の極意を伝える。
マチューとの生活で、どうやらチルーは漁師の嫁も悪くないと思い始めているようだ。
このまま糸満の漁師の女房になってしまうのか?
次回「ウェーク術と百姓手の極意」ご期待ください!
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「チルー、着いて早々で悪いが漁師は朝が早いのでな。晩飯の支度をせねばならん。俺は飯炊きをするがその間にチルー、お前は風呂の用意をしてくれ。水は共同の井戸が外にある。薪が足らなければ割ってくれ。出来るか」
「はい、先生」
「おいおい、俺はただの漁師だぜ。先生はよしてくれ」
「じゃあマチューさん、まかせてください」
チルーは風呂の水を汲むために、大きめの水桶を選んで外に出た。共同の井戸の周りには近所の漁師の女房たち、三人ほどがお喋りしながら水仕事をしていた。赤子をおぶっている者も居る。チルーは水桶を持って女房たちに挨拶をする。
「こんにちは。お風呂の水をいただきたいのですが」
声を掛けると、女房たちは一斉にチルーの方を向いて、ジロジロと舐め回すような目をした。そのうちのひとり、三十半ばくらいの年長者の女が明るい笑顔で話しかけてきた。
「はいはい・・あんたが噂のマチューのところに来た嫁だね。来るの待ってたんだよう」
狭い村ゆえ、あっという間に噂になっているようである。
「あ、いえ私そういうのではないです」
「そっか。祝言がまだだだから、嫁見習いってとこだね。しっかり修行しなよ。それにしてもまあこの村にはもったいない垢ぬけた良い娘だねえ。みんな見ておくれ、このキレイな顔。まるでお人形みたいだ。マチューもぼーっとしているようで、なかなかやるじゃないか。こんな若くて綺麗な娘っ子貰ってくるなんてねえ・・あんた名前は」
「はい、チルーです」
「チルーね。あたしはナビー。あんた、こんな漁村になんか住むの初めてだろ?なんでも困ったことがあったらあたしに言いな」
どうやらナビーは今でいうところのボスママのような存在らしい。しかし人は良さそうである。
「ああそうだチルー、お風呂の水だって?ほら、ちょっとチルーに井戸使わせてあげて」
他の女房衆も特に嫌がるわけではなく、にこやかに場所を譲ってくれた。
「ありがとうございます」皆に礼を述べて井戸のつるべを取らせてもらう。
・・・礼儀正しい子だねえ
・・・町の娘さんだね
・・・マチュー、いい子貰ったねえ
完全に誤解されてはいるが、意外に歓迎されているようである。
チルーは手早くつるべを使って水をくみ上げて、あっという間に大きな水桶を水で満たした。それを見たナビーが呆れたように言う。
「はあ、やっぱり町の子だね。風呂の水汲みをやったことがないのかい?そんな大きな水桶にいっぱい汲んだら、風呂場まで持っていけないだろう」
チルーは女性でも思わずときめくほどかわいらしい笑顔を見せてから、水桶を両手で抱えて軽々と持ちあげた。
「すみません、あと何往復かしますので、よろしくお願いします」
「まあまあ・・なんて力持ち。漁師の嫁には最高だよ、チルー」
このようにして風呂に水を張り、薪を割った。風呂の用意が出来たところで家に上がると、とても良い料理の匂いがする。
「おおチルー、ご苦労だったな。ちょうど飯も炊けたし煮魚を作ったから一緒に飯にしよう」
「はい、ご馳走になります」
「そんな他人行儀は止めろ。しばらく一緒に暮らすんだから、普通にいただきますだ」
「はい、いただきます」
ふっくらと炊きあがった飯と、赤い魚を醤油と琉球特産の黒糖で煮込んだ料理は、驚くほど美味しかった。
「マチューさん、お料理上手なんですね」
「まあ、一人暮らしが長いからな。こうやって誰かと晩飯食うなんて久しぶりだ」
マチューは少し遠い目をした。そして我に帰ったように話しを続ける。
「それはそうとだ、お前に短期間で百姓手を仕込むのだから、今から日常いついかなる時も修行中だと心得てくれ。こうして飯を食っている最中でもお前に隙が見えたら打ち込むぜ。そのかわり俺に隙が見えたらチルーが打ち込んでもいい。わかったか」
「はい、心がけます」
「よし、じゃあ堅い話はこれくらいにして、早速手土産の古酒(クースー)を開けようか。チルー、お前も飲むか?」
「いいえ、私は・・」
マチューは台所に立つと、酒瓶と柄杓とぐい吞みをふたつ持って来た。
「まあそう言わずに飲め。飲めないわけじゃないだろう」
飲めないわけではないのだが、酔って隙を見せるのが嫌なのだ。
マチューは柄杓で酒をすくって、ぐい吞みに注ぎ込む。
「百姓手というのは日常の生活道具をなんでも武器にするのが特徴なんだ。たとえばこの柄杓で酒をすくうとき、この酒を目潰しに使うこともできる。そのまま柄杓で頭を叩き割ったりするわけだ。今はやらねえよ、こんないい酒もったいないからな」
マチューは古酒を口に含むと、舌で転がすように味わう。本当に酒好きのようだ。
「旨い!これは上等な古酒だ。長い年月で角が取れて豊潤さを増している。ありがとうな、チルー。こんないい酒は久しぶりだ」
こうやってマチューが酒を飲む間も、チルーは隙を伺っているのだが、まったく打ち込む隙がないのが流石である。
「マチューさん、ところで私、こちらに泊る予定じゃなかったので、着替えを取りに戻らなきゃいけません」
「ああ、それなら心配するな。女物の着物なら死に別れた女房の物がある」
「奥様、亡くなられたのですか」
「ああ、もう十年にもなるかな。漁師の嫁というのは重労働だからな、あれには苦労ばかりかけた」
また遠い目をしている。チルーは今なら打ち込めるかもしれないと一瞬思ったが、それはやめることにした。
「大島クルウ先生とはどういうお知り合いなんですか」
「俺の親父がね、真壁チャーンと何度もやり合っていたのを聞いて、大島クルウが訪ねて来たのさ。真壁攻略の手がかりを得ようとしていたんだろうね。それで結局親父ともやり合ってた。困った親父どもだったよ。なんでも殴り合いで解決できると思ってたんだからな。俺はそんなのを見て育ったんだから、いい迷惑だぜ」
マチューは何杯目かの古酒を開けて言った。
「朝が早いからそろそろお開きにするか。チルー、先に風呂を使ってくれ。寝間着はそこの箪笥から適当に選べばいい。ああそうだ、隙あらばって言ってたが、風呂と厠は別にしよう。お互いにな。いいか?」
「はい、そうしていただければ助かります」
チルーは遠慮なく風呂を先に使わせてもらうことにした。
着物を脱いで浴室に入るが、すぐ手の届くところに置いておくことを怠りはしない。
三年前の教訓である。
今日はたくさん歩いたので、湯舟につかると生き返った気分だ。
(ああ気持ちいい。でも、私ほんとうに何しに来たのかしら。女房修行?なんだかおかしい。でも、悪くないかもね)
チルーは久しぶりにとても和やかな気分だ。案外、自分は漁師の嫁に向いているのかもしれないなどと、うっかり思ってしまった。旦那は朴訥な働き者だ。ご近所とも上手くやって行けそうだし。
(ああ、だめだめ。何を考えているチルー。相手は隙あらば犯すって宣言している男だよ。これは修行なんだ)
チルーは無理やりに闘士を奮い立たせようとしていた。
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家事と漁師の仕事の手伝いの合間に、マチューはチルーに漁師の武術であるウェーク術を教える。
天性の才能でウェーク術を吸収するチルーに、マチューは百姓手の極意を伝える。
マチューとの生活で、どうやらチルーは漁師の嫁も悪くないと思い始めているようだ。
このまま糸満の漁師の女房になってしまうのか?
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