空手バックパッカー・リターンズ

冨井春義

文字の大きさ
48 / 61
チェンマイ(タイ)

心の中の野獣

しおりを挟む
「オーム。あなたトミーちゃんと結婚する?」

 静子さんはオームの手を掴んだまま、こんどはオームにタイ語で言います。
 オームも一瞬驚いた顔をしますが、しばらくするとうつむき加減に首を縦に振ります。。

「ちょ!ちょっと待ってください、静子さん。そりゃいくらなんでも急すぎますよ!」

 静子さんは険しい顔で私を睨みつけます。

「アナタ、まさか断るつもり?お嫁さんが欲しいって言ったのはトミーちゃんでしょう?それともオームじゃ不服だというの?言っときますけどね、オームは本当にいい娘よ。トミーちゃんにはもったいないくらい。なのに何が不満?アナタ、まさか日本に帰ってオームよりいい娘と付き合えるとでも思ってるわけじゃないでしょうね?」

 あまりの急な話の展開に、私もかなりあわてております。
 静子さんという人は、すごく激しいところがありまして、しかも思い立ったら即行動に移します。この人のペースに巻き込まれたら、本当にここで所帯を持つことになってしまう。。

「いや、そういうことじゃなくてですね、僕はまず自分の生活を安定させたいんです。日本に帰ってちゃんと働いて・・・家庭を持つのはそれからの話です。いまここでオームと一緒になったって、ろくな稼ぎもなきゃ、彼女を幸せにもできんでしょうが」 

 静子さんが何か言おうとしていますが、ここで口を挟ませたら彼女のペースです。私は話を続けます。

「タカもいます。タカも僕の弟子ということで、いろいろ人生回り道しちゃっていますから、彼もちゃんとやっていけるようにしたいんです。何かそう・・ビジネスを興します」

 静子さんは、ちょっと一瞬考える表情をします。それからゆっくり口を開きました。

「トミーちゃんの言わんとすることは分かったわ。でも、まず身を固めてから本腰を入れたらどう?アナタが今まで放浪していたのは結局、一人身だからじゃないの?」

「それは静子さんの言う通りかもしれませんが・・しかしオームって僕が初めて会ったときは子供だったけど・・・一体今いくつなんです?」 

 静子さんはまたちょっと考えて・・・

「・・・今年16になるわ。十分結婚できる」

「そりゃ、いくらなんでも若すぎますって!!16やそこらで将来どうなるかも分からない30面さげた男と一緒にさせられたんじゃ、オームがかわいそうすぎる。彼女だって今が楽しい盛りじゃないですか」

 静子さんの険しい表情がなぜか少し寂しげに見えます。

「アタシはね、オームが娘のようにかわいいの。トミーちゃんも知っての通り、アタシには娘がいるんだけど、もう何年も会ってないのよ。オームはね、このあたりの貧農の娘なんだけど、このへんの女の子は大きくなるとすぐに、親がバンコクに稼ぎに行かせるのよ。オームのように器量のいい娘は特にね。どうやって稼ぐかは想像つくでしょう?」 

 もちろん私にも、そのへんの事情は十分理解できます。

「この娘の姉もバンコクに行っているわ。オームも稼ぎに行かされるところだったのを、私のところで働かせるということで預かったのよ。だから私はこの娘をちゃんとした人に嫁がせたいのよ。わかる?」

「それはわかりますけど・・・僕は全然ちゃんとしてませんよ。なにしろ無職なんだから。静子さん親代わりなら、もう少しですね、娘の嫁入り先は慎重に選んだ方がいいんじゃないですか?」

 ふー・・・と静子さんは大きくため息をつきます。

「わかったわ。アナタの言う通りかもね。OK、トミーちゃんは早くビジネスを成功させなさい。そしたら必ずここに戻ってきて。オームのことは考えておいてよね。いい?」

「はい、考えておきます」とりあえずはこう言うしかない。。

「トミーちゃん、タカちゃん、今日は泊まって行くんでしょ?」

「あ、いや、一応ホテル取ってるんですよ」

「なに?ナマイキにホテルですって?そんなことだから太るのよ。すぐにキャンセルなさい。宿代が無駄。ここのほうがずっと快適よ。タカちゃんもいいでしょ?」 

 急に話を振られてタカも動揺気味。。

「お・・押忍。。あの、師匠・・どうします?」

 どうすると言われても、これ以上静子さんの誘いは断れまい。。

「分かりました。とりあえずホテルに荷物を取りに行きます。夕方までにはこちらに戻りますので、お世話になります」 

 ようやく静子さんはニッコリとして

「よかった。本当はホテルまで送って行きたいんだけど、今から急ぎの仕事があるのよ。近所の人に送らせるわ。オーム!今夜はトミーちゃんたちが泊まっていくわよ。シャモを一羽潰しなさい。アナタの未来の旦那様にご馳走してあげるのよ」 

 オームはちょっと照れくさそうに微笑みながら、「チャーウ(はい)」と答えて私のほうをチラリと見ます。・・・ちょっとドキっとした。

 静子さんが手配したクルマで、私たちはチェンマイ市街の私たちのホテルに向かいました。
 車内でタカが話しかけます。

「ねえ師匠。あれ、静子さんの言ってた話、いい話なんじゃ?オームちゃんて静子さんの言うと通り、すごくいい娘みたいだしさ。師匠だってそろそろ身を固めてもいいトシなんだし。なんで断ったのさ?」

 ・・・それは・・つまり。。

「実はね・・静子さんに”オームと結婚しなさい”って言われたときにさ・・一瞬、アタマに絵が浮かんできたんだよ。オームとあのちゃぶ台に差し向かいに座ってさ、飯食ってるんだ。オームの横にはちっちゃな子供が座っていて、オームがスプーンで子供に飯を食わせているの」

「・・・?それの何が問題なんです?」

 ・・・何なんだろう? 

「いや、その絵が浮かんできた直後に、アタマの中で誰かが叫ぶんだ。ダメだ!まだお前は落ち着いちゃダメだぞ!って・・・それで急に怖くなってきてさ・・・タカ、あれは一体何なんだろうね?」

 んーー。。タカは少し考え込んで

「師匠の中にいるもうひとりの師匠が・・・心の中の野獣が師匠の平和を許さないんですよ。まだ安住するなって・・荒野を行けって・・そう言ってるんだな」

「そんな・・・タカ、僕は安住の地が欲しいのに・・自分の中にそれを拒否している野獣がいると?」

「押忍。結局は師匠自身が本当は荒野を求めているんですよ。若いころに身に染み付いた自由を捨てたくないんだ」

 タカはときどきすごく的を射たことを言いますが、それは私にとってはおそろしい分析です。

「じゃあ、タカ・・僕はいつまでたっても落ち着けないってことか?ずっとこんなことやって生きていくわけか?」

 すごく不安になってきました。
 しかしタカはこのとき非常に明るい笑顔を見せて、こう言いました。

「師匠。心配ないですよ。これから心の中にいる野獣を飼いならしていけばいいんです。それが師匠にとっても、オレにとっても、今後の課題じゃないですか」

「タカ・・・僕にできるかな?」

「押忍。できます!」

 ・・・いつのまにか慰められている。。これじゃどっちが師匠やら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/16:『よってくる』の章を追加。2025/12/23の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/15:『ちいさなむし』の章を追加。2025/12/22の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/14:『さむいしゃわー』の章を追加。2025/12/21の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/13:『ものおと』の章を追加。2025/12/20の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/12:『つえ』の章を追加。2025/12/19の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/11:『にく』の章を追加。2025/12/18の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/10:『うでどけい』の章を追加。2025/12/17の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

処理中です...