水曜日の夜、お姫さまがコンビニへ入った

枝豆ずんだ

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水曜日の夜、お姫さまがコンビニへ入った

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「ねぇ、魔法使いさん。こういう風に、してくださいな」

 お姫さまが手の甲を見せてきた。性格には指先。桜貝のようにぴかぴかしていている爪を見せて、大きな目に期待の光をいっぱいに浮かべている。壊れてワタルは躊躇った。お姫さまが「こういう風」というのは、コンビニで買った女性向けの雑誌に掲載されている、ネイルアートとかいうものだ。

 手先は不器用だし、女性のこういうものに触れたことのない三十代の男に頼むようなことじゃない。けれど金の巻き毛に青い目の、フランス人形のようなお姫さまはワタルのことを「魔法使いさん」と信じて疑わず、彼女の望むことをなんでも叶えてくれると思っているらしかった。

 ワタルは死のうと思っていた。何が辛いとか、そういうんじゃない。仕事は辛かった。毎朝五時に起きて、日付が変わって家に帰る。けれど仕事が辛いなら転職すればよかった。辞める、と言って辞められない職場ではなかった。一人が寂しかったとか、そういうことでもない。誰かに関わる方が辛かった。

 ただぼんやりと、もう死のうと思った。それで死に方を探していた。アパートで死んだら、事故物件になる。一度全て処分して、どこかで死ぬ、のは面倒くさかった。電車もよくない。あれはよくない。選ぶくらいの気力はあった。というより、どれが駄目か、という心があった。

 それで、スーツ姿のままうろうろしていると、ちょこん、と、コンビニの前にお姫さまが座っていた。女の子がひらひらした、いわゆるお姫さま風、な服とかではない。マリーアントワネットという映画で見たような、裾の長い、レースとかリボンとか、男のワタルにはなんと表現したらいいのかわからないいろいろ、複雑なものがたくさんついた、ドレスを着ている女の子がちょこん、と座っていた。

 姉が日曜日に王様を拾ったというLINEをしてきたので、そういうこともあるんだろうかと思っていたが、あるらしい。ワタルはお姫さまがコンビニに入りたい、というので一緒に入って、姉がそうしたというように、いろいろ買った。

 生きていれば色々あるんだな、とワタルが思い出していると、お姫さまが「ねぇ。早くしてくださいな」と小首を傾げた。女の子を部屋に連れ込むのはよくないと思って、一番近い妹のマンションに行ったが、金曜日じゃないので残業をしているらしかった。姉の家は遠いので、仕方ないので、ワタルは自分のアパートにお姫さまを連れていく。

 妹のLINEが既読にならないので、姉に「お姫さまにネイルアートをするのはどうしたらいいか」と聞くと、動画サイトのURLが帰って来た。コンビニで買ったマニキュアを出して、テーブルの上に並べる。「まぁ!」と嬉しそうにお姫さまが笑った。笑うと、花でも咲くようだった。

 お姫さまの名前は、なんとか、かんとか、と言うらしい。ホラ貝、違うな。カタカナ名は苦手だったし、初対面の男がいきなり名前で呼んだりするのは、お姫さまにとってはあんまりよろしくないことのような気がしたので、お姫さま、と呼んだ。

「わたくしね。ずっと、可愛いままでいたいの」

 ワタルが爪に、見様見真似でマニキュアを塗っていくと、お姫さまが微笑んだ。

「毎日楽しく過ごしたいの。可愛くして、わたくしが微笑んでいると、皆幸せだって言ってくれるの。お城の中で、わたくしの笑い声が聞こえると、春が来たみたいに暖かくなるって。魔法使いさんも、そう思うでしょう?」

 ね?と、肯定しか帰ってこないと思っているお姫さまはワタルを見つめる。ので、ワタルも頷いた。誰かが嬉しそうに、楽しそうに笑う声を聞くのは確かに、暖かい気持ちになる。

 ネイルアート、というほど大層なものはできなかった。テープを使って、なんとか二色、三色を、一つの爪に乗せるくらい。雑誌の女の子の指先とは明らかに違う。

「あら、そうだわ!ねぇ、魔法使いさん、これを使ってくださいな」

 お姫さまは襟とか、袖に散らすようについている宝石をぷちっと、取った。大小さまざま、大きなものだと5.6センチくらいはあるだろうダイヤモンド。小さなものだとミリ単位のものもある。

「え、いや。え?」

「わたくし、ダイヤが好きなんですのよ。綺麗ですものね」

 コロコロと、鈴を転がすように笑う。

 ワタルはびっくり、と硬直した。ダイヤモンド、宝石なんぞ買ったことはない。けれど、お姫さまが無造作に千切って渡してきた一番小さなダイヤだって、姉が「ボーナスで買った」というダイヤのネックレスより大きい。

 いや、だめだろう。爪にダイヤとか、駄目だろうとワタルは思ったが、お姫さまはにこにことしている。

「ダ、ダイヤモンドネイルっていうのも、あるみたいだな」

「まぁ!素敵ですわね」

 興味を他に持ってもらおうと、動画サイトの検索結果をお姫さまに見せる。ダイヤそのものを使うのではなくて、なんかこう、ワタルにはよくわからないアルミフォイルのようなものを爪の形にしてくっつけるようだ。女の子は色んなことを考える。

 結局お姫さまはダイヤモンドを爪先につける事を忘れてはくれなくて。ワタルはお姫さまの言う通りの並び方でダイヤを爪に付けた。うっかり落としたりしないように、と言って、どんなことをしたら取れてしまうのかとお姫さまは首を傾げた。

「どんなって、洗い物をしたり……は、しないか。服を着替える時とか、食事の時とか、本を読むときとか……」

「まぁ、おかしなことを言うのですね。魔法使いさん。服を着替えるのも、食事もなにもかも、自分でやることじゃないじゃないですか」

 聞けば、お姫さまはただ立って、あるいは座っているだけでいいと言う。腕を動かして何かする、ということはない。全部召使がやることだ。

 コンビニでお姫さまが座っていたのは、そういうことだ。待っていれば誰かが何かする。そういう役割の人が自分の役目を果たしに来るので、お姫さまがすべきことは待つことなのだ。

「欲しいものがたくさんあるんですの」

「欲しいもの」

「たくさんあって、困るんですの」

 お姫さまが溜息をつく。何が困るんだろう、と聞くとお姫さまは微笑んだ。

「困るでしょう?」

 そうか。困るのか。それは困るね、と返すとお姫さまがまた微笑んだ。

 ワタルは自分が死のうとしていたことを思い出した。それで、スマフォのアプリで残高を確認する。残業代や、ボーナスやら、何やら。家賃と光熱費と食費を抜いた金額がずっと溜まり続けていた。

「困ることは少ない方がいいから、できるだけ、やってしまおうか」

「まぁ、素敵」

 お姫さまは今度、結婚することになるらしい。らしい、というのは自分はちゃんとは聞いていない。結婚するかどうか決めるのは兄だそうだ。兄。お兄さんがいるらしい。二人いて、ワタルは自分には姉と妹がいるよ、と返すとお姫さまは「羨ましいですわ」と微笑んだ。女きょうだいがいたら、よかったのに、とお姫さまは言った。

「だって、そうしたら、とてもよろしいでしょう?」

「妹が近くに住んでるんだ。帰ってきたら、紹介するよ」

 お姫さまは微笑んだ。別に望んでいないんだろうとわかった。

「欲しいものって?」

「可愛い靴とかドレス、新しい帽子が欲しいですわ」

 毎日違うものを使いたいとお姫さまは言う。毎日。同じ可愛い、ではなくて、毎日毎日、違う可愛いことをして過ごしたい。

 ワタルはAmazonを開いて、お姫さまにわかるように画像をテレビに映した。

 貴族、ドレス、と検索するとお姫さまが着ているようなドレスがたくさん出てきた。安いものなら一万円くらいで買えることに驚いた。

「まぁ、素敵」

「欲しいのがあったら、全部買おう」

 言うと、お姫さまは微笑んだ。ふわり、と笑うとワタルの心が温かくなる。

「いつ届くのかしら?」

「早いと、明日とか」

 まぁ!とお姫さまが驚いた。それはとても素晴らしい、といいながら、あら?と小首を傾げた。

「採寸はしていませんわよ?」

 既存のサイズがいくつかあって、そこから選ぶというと不思議そうな顔をした。そして不機嫌になる。

「わたくし、ひとつも欲しくありません」

「え?」

 他にも着ている人がいるのは嫌だという。自分のものだけじゃないと嫌だという。それは困った。そういうものだし、それに、お姫さまが一番似合うよ、と言ってもお姫さまは首を振る。それで、ワタルは全てキャンセルした。

「わたくしだけのものしか、欲しくないの。たくさん」

 だから、困るのかとワタルは合点がいった。けれど、そいうものは少ない。少ないから、さびしいとお姫さまは言う。欲しくないものばかりになるから寂しい。

 お姫さまが寂しそうな顔をすると、心が凍えるように寒くなった。ぶるり、と体を震わせると、お姫さまが微笑んでくれないかと、お姫さまを見つめた。笑ってさえくれれば、心がほぅっと暖かくなったので、凍死せずに済むだろう。

 体が倒れて、頭をテーブルの脚にぶつける。

 そういえば。

 昔。
 
 今はもう施設に入った祖母だか、大叔母だかが、そういえば昔、おとぎ話を話していなかったか。






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感想 1

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みんなの感想(1件)

涼翔
2020.08.04 涼翔

金曜日の騎士様から来ました。
厄災がこんなところにも。

因みに「妹のマンションまで行ったけど姉はまだ残業~」の下りは、「妹はまだ残業」ではないかと。

既読のつかない妹さんの時間軸も気になりますし、ワタル君がこの後、別作品にも出てくるのか気になります。

騎士様連載も益々楽しみになってきました。

解除

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