1 / 1
水曜日の夜、お姫さまがコンビニへ入った
しおりを挟む「ねぇ、魔法使いさん。こういう風に、してくださいな」
お姫さまが手の甲を見せてきた。性格には指先。桜貝のようにぴかぴかしていている爪を見せて、大きな目に期待の光をいっぱいに浮かべている。壊れてワタルは躊躇った。お姫さまが「こういう風」というのは、コンビニで買った女性向けの雑誌に掲載されている、ネイルアートとかいうものだ。
手先は不器用だし、女性のこういうものに触れたことのない三十代の男に頼むようなことじゃない。けれど金の巻き毛に青い目の、フランス人形のようなお姫さまはワタルのことを「魔法使いさん」と信じて疑わず、彼女の望むことをなんでも叶えてくれると思っているらしかった。
ワタルは死のうと思っていた。何が辛いとか、そういうんじゃない。仕事は辛かった。毎朝五時に起きて、日付が変わって家に帰る。けれど仕事が辛いなら転職すればよかった。辞める、と言って辞められない職場ではなかった。一人が寂しかったとか、そういうことでもない。誰かに関わる方が辛かった。
ただぼんやりと、もう死のうと思った。それで死に方を探していた。アパートで死んだら、事故物件になる。一度全て処分して、どこかで死ぬ、のは面倒くさかった。電車もよくない。あれはよくない。選ぶくらいの気力はあった。というより、どれが駄目か、という心があった。
それで、スーツ姿のままうろうろしていると、ちょこん、と、コンビニの前にお姫さまが座っていた。女の子がひらひらした、いわゆるお姫さま風、な服とかではない。マリーアントワネットという映画で見たような、裾の長い、レースとかリボンとか、男のワタルにはなんと表現したらいいのかわからないいろいろ、複雑なものがたくさんついた、ドレスを着ている女の子がちょこん、と座っていた。
姉が日曜日に王様を拾ったというLINEをしてきたので、そういうこともあるんだろうかと思っていたが、あるらしい。ワタルはお姫さまがコンビニに入りたい、というので一緒に入って、姉がそうしたというように、いろいろ買った。
生きていれば色々あるんだな、とワタルが思い出していると、お姫さまが「ねぇ。早くしてくださいな」と小首を傾げた。女の子を部屋に連れ込むのはよくないと思って、一番近い妹のマンションに行ったが、金曜日じゃないので残業をしているらしかった。姉の家は遠いので、仕方ないので、ワタルは自分のアパートにお姫さまを連れていく。
妹のLINEが既読にならないので、姉に「お姫さまにネイルアートをするのはどうしたらいいか」と聞くと、動画サイトのURLが帰って来た。コンビニで買ったマニキュアを出して、テーブルの上に並べる。「まぁ!」と嬉しそうにお姫さまが笑った。笑うと、花でも咲くようだった。
お姫さまの名前は、なんとか、かんとか、と言うらしい。ホラ貝、違うな。カタカナ名は苦手だったし、初対面の男がいきなり名前で呼んだりするのは、お姫さまにとってはあんまりよろしくないことのような気がしたので、お姫さま、と呼んだ。
「わたくしね。ずっと、可愛いままでいたいの」
ワタルが爪に、見様見真似でマニキュアを塗っていくと、お姫さまが微笑んだ。
「毎日楽しく過ごしたいの。可愛くして、わたくしが微笑んでいると、皆幸せだって言ってくれるの。お城の中で、わたくしの笑い声が聞こえると、春が来たみたいに暖かくなるって。魔法使いさんも、そう思うでしょう?」
ね?と、肯定しか帰ってこないと思っているお姫さまはワタルを見つめる。ので、ワタルも頷いた。誰かが嬉しそうに、楽しそうに笑う声を聞くのは確かに、暖かい気持ちになる。
ネイルアート、というほど大層なものはできなかった。テープを使って、なんとか二色、三色を、一つの爪に乗せるくらい。雑誌の女の子の指先とは明らかに違う。
「あら、そうだわ!ねぇ、魔法使いさん、これを使ってくださいな」
お姫さまは襟とか、袖に散らすようについている宝石をぷちっと、取った。大小さまざま、大きなものだと5.6センチくらいはあるだろうダイヤモンド。小さなものだとミリ単位のものもある。
「え、いや。え?」
「わたくし、ダイヤが好きなんですのよ。綺麗ですものね」
コロコロと、鈴を転がすように笑う。
ワタルはびっくり、と硬直した。ダイヤモンド、宝石なんぞ買ったことはない。けれど、お姫さまが無造作に千切って渡してきた一番小さなダイヤだって、姉が「ボーナスで買った」というダイヤのネックレスより大きい。
いや、だめだろう。爪にダイヤとか、駄目だろうとワタルは思ったが、お姫さまはにこにことしている。
「ダ、ダイヤモンドネイルっていうのも、あるみたいだな」
「まぁ!素敵ですわね」
興味を他に持ってもらおうと、動画サイトの検索結果をお姫さまに見せる。ダイヤそのものを使うのではなくて、なんかこう、ワタルにはよくわからないアルミフォイルのようなものを爪の形にしてくっつけるようだ。女の子は色んなことを考える。
結局お姫さまはダイヤモンドを爪先につける事を忘れてはくれなくて。ワタルはお姫さまの言う通りの並び方でダイヤを爪に付けた。うっかり落としたりしないように、と言って、どんなことをしたら取れてしまうのかとお姫さまは首を傾げた。
「どんなって、洗い物をしたり……は、しないか。服を着替える時とか、食事の時とか、本を読むときとか……」
「まぁ、おかしなことを言うのですね。魔法使いさん。服を着替えるのも、食事もなにもかも、自分でやることじゃないじゃないですか」
聞けば、お姫さまはただ立って、あるいは座っているだけでいいと言う。腕を動かして何かする、ということはない。全部召使がやることだ。
コンビニでお姫さまが座っていたのは、そういうことだ。待っていれば誰かが何かする。そういう役割の人が自分の役目を果たしに来るので、お姫さまがすべきことは待つことなのだ。
「欲しいものがたくさんあるんですの」
「欲しいもの」
「たくさんあって、困るんですの」
お姫さまが溜息をつく。何が困るんだろう、と聞くとお姫さまは微笑んだ。
「困るでしょう?」
そうか。困るのか。それは困るね、と返すとお姫さまがまた微笑んだ。
ワタルは自分が死のうとしていたことを思い出した。それで、スマフォのアプリで残高を確認する。残業代や、ボーナスやら、何やら。家賃と光熱費と食費を抜いた金額がずっと溜まり続けていた。
「困ることは少ない方がいいから、できるだけ、やってしまおうか」
「まぁ、素敵」
お姫さまは今度、結婚することになるらしい。らしい、というのは自分はちゃんとは聞いていない。結婚するかどうか決めるのは兄だそうだ。兄。お兄さんがいるらしい。二人いて、ワタルは自分には姉と妹がいるよ、と返すとお姫さまは「羨ましいですわ」と微笑んだ。女きょうだいがいたら、よかったのに、とお姫さまは言った。
「だって、そうしたら、とてもよろしいでしょう?」
「妹が近くに住んでるんだ。帰ってきたら、紹介するよ」
お姫さまは微笑んだ。別に望んでいないんだろうとわかった。
「欲しいものって?」
「可愛い靴とかドレス、新しい帽子が欲しいですわ」
毎日違うものを使いたいとお姫さまは言う。毎日。同じ可愛い、ではなくて、毎日毎日、違う可愛いことをして過ごしたい。
ワタルはAmazonを開いて、お姫さまにわかるように画像をテレビに映した。
貴族、ドレス、と検索するとお姫さまが着ているようなドレスがたくさん出てきた。安いものなら一万円くらいで買えることに驚いた。
「まぁ、素敵」
「欲しいのがあったら、全部買おう」
言うと、お姫さまは微笑んだ。ふわり、と笑うとワタルの心が温かくなる。
「いつ届くのかしら?」
「早いと、明日とか」
まぁ!とお姫さまが驚いた。それはとても素晴らしい、といいながら、あら?と小首を傾げた。
「採寸はしていませんわよ?」
既存のサイズがいくつかあって、そこから選ぶというと不思議そうな顔をした。そして不機嫌になる。
「わたくし、ひとつも欲しくありません」
「え?」
他にも着ている人がいるのは嫌だという。自分のものだけじゃないと嫌だという。それは困った。そういうものだし、それに、お姫さまが一番似合うよ、と言ってもお姫さまは首を振る。それで、ワタルは全てキャンセルした。
「わたくしだけのものしか、欲しくないの。たくさん」
だから、困るのかとワタルは合点がいった。けれど、そいうものは少ない。少ないから、さびしいとお姫さまは言う。欲しくないものばかりになるから寂しい。
お姫さまが寂しそうな顔をすると、心が凍えるように寒くなった。ぶるり、と体を震わせると、お姫さまが微笑んでくれないかと、お姫さまを見つめた。笑ってさえくれれば、心がほぅっと暖かくなったので、凍死せずに済むだろう。
体が倒れて、頭をテーブルの脚にぶつける。
そういえば。
昔。
今はもう施設に入った祖母だか、大叔母だかが、そういえば昔、おとぎ話を話していなかったか。
了
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
義弟の婚約者が私の婚約者の番でした
五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」
金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。
自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。
視界の先には
私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
金曜日の騎士様から来ました。
厄災がこんなところにも。
因みに「妹のマンションまで行ったけど姉はまだ残業~」の下りは、「妹はまだ残業」ではないかと。
既読のつかない妹さんの時間軸も気になりますし、ワタル君がこの後、別作品にも出てくるのか気になります。
騎士様連載も益々楽しみになってきました。