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とんでもない訪問者
しおりを挟む翌日、周囲にとっては案の定というか、つまり、私は風邪を引いた。
ケホケホと朝から咳をしている私にミュンゼ夫人は大慌てだった。
「まあ奥様!ほら、言ったことじゃありませんか!」
「大げさですよ。ちょっと……へっくしょん!」
「ほら、まぁまぁ奥様。こういうのは引き始めが肝心なんですよ。きちんと毛布にしっかりくるまって。ほら、肩が出ていらっしゃるじゃありませんか」
夫人は私をなんだと思っているのだろうか?幼女にでも見えているのだろうか。これでもう立派な人妻だというのに。
それよりも公爵様だ。あの方は私の所為で入る必要もない泉に入ることになったわけで、しかも私はすぐに暖かいお風呂に入れていただけたけれど、公爵様は私の後だ。
あの方こそ風邪をひいていないだろうか。
「ねえ、ミュンゼ夫人。公爵様は?大丈夫かしら」
「お優しい奥様。えぇ、公爵様はいつも通りですよ。朝起きられて新聞を確認されて、朝からお茶を飲んでいます。 いつものことです。変わりません。あの方はずっとそうです」
「そう……」
それはよかった。
私はホッとする。
安心してしまってから、いやいや、それはだめでしょう、私、と自分を窘める。
いっそお風邪を拗らせてお亡くなりになられて頂きたかったと、私は残念に思うべきなのだ。悪女なのだから。夫の死を願って仕方ない女なのだから。
けれど、私は嬉しい。とても嬉しい。公爵様がお風邪をひかなくてよかった。そう思う、私がいる。
くしょん、とまたくしゃみをする。ミュンゼ夫人が慌てる。その度に私にどっさりと毛布を載せてきて、暖炉の火を強くする。
「今日は1日布団の中で大人しくしているように」
私が朝食に行けないということをミュンゼ夫人から聞いた公爵様が、わざわざ寝室にいらっしゃった。これまでいくら私が「夫婦なのですよ」とお誘いしても寝室に足を踏み入れることもしなかったくせに。
「ただの風邪です」
「分かっている。よく食べ、よく眠りよく飲みなさい」
「風邪に大げさです。私は大人なのですから、風邪くらい……」
またくしゅん、とくしゃみをする。コホコホと咳をする。
その様子を公爵様は黙って見ている。何か言いたいことがあるようなお顔をしている気がして「何か御用があってのことではないのですか」と訪問の意図を問う。
「……用。そうか。用があって然るべきだな」
「?」
まさかただ病人の顔を見に来たという無駄なことを公爵様がなさるはずもない。私が首をかしげていると、公爵様は少し考えるように沈黙して、三十秒ほどしてから口を開いた。
「何か欲しいものは」
「欲しいもの?」
言われても特に思い浮かばない。
私が何か必要かと思えば、口に出す前にミュンゼ夫人やボルドさんがすぐに用意してくれる。無口な主人に仕えて長い彼らからすれば、私の考えは顔に出やすくわかりやすいとか。
そういう環境にいさせてもらっている私に不自由はなく、今のところ欲しいと思うものはない。
「病の際には何か果物を送るべきか。それとも花がよいか」
「お花なら庭にいっぱい咲いています」
「それはそうだ。だが、花というのは、ただ庭にあるだけではなく、切って花瓶におさめられることにも意味がある」
「まあ、公爵様」
「何かね」
「そういうお心がおありだったのですか」
コホコホ咳をしながら、私は驚いて声を上げる。
てっきり花鳥風月を愛するような心はないと思っていたお方だ。
「君は私を何だと思っているのか」
「旦那様だと思っています」
真面目に答えると、公爵様は目を細めた。もしかして笑っていらっしゃるのだろうか。
表情筋が死滅しすぎて笑うという表情が作れないのではないだろうか。
私が風邪をひいているので公爵様がここで飲食をされることはない。
けれど、私にはジャムがたっぷり入った紅茶とか、温めたリンゴとかそういうものを食べなさいと言ってくる。
「欲しいものは、特にないのですが」
りんごを2つほど食べてから、私はふとを思いつきを口にしてみる。
「風邪が治ったら、また外に出て、一緒にバドミントンをしてくれませんか?」
「バドミントン」
「はい、バドミントンです。羽根つきですね。もちろん公爵様はこれっぽっちもアウトドアスポーツに興味ないが思うのですけれど、付き合っていただきたくて」
「私が興味ないと分かっているものに、なぜ付き合わせようとするのか?」
「確認しようと思いまして」
「確認」
「公爵様が私のことを好きならきっと付き合ってくださるでしょう」
I LOVE YOUが言えない人もバドミントンを付き合うことぐらいできるだろう。
バドミントンはもちろん、この世界にはない。羽根つき、テニスのようなものならある。少し説明をすると、公爵様はどういうスポーツか分かってくださった。
気難しい顔をなさっている。
バドミントンすること自体は吝かではないけれど、つまりこれがI LOVE YOUになるという。それが分かっていてさあどういう反応したものかというお顔。いっそ理由まで言わなければよかったような気もする。 けれど知った上で、この方がバドミントンをしてくださるというのなら、それはそれでいいことだろう。
執事のボルトさんが呼びに来た。
公爵様がもう出なければそういう時間。
ギリギリまでいてくださったらしい。私は布団から出てお見送りをしようとするのだけれど、公爵様がそれを手でとどめた。
「今日は1日部屋から出ないように」
二度目なので、私は大人しく頷いた。
*
熱が上がってきたわけでもなく、咳もだんだんおさまってきた。公爵様が朝から呼びつけたお医者さんが調合してくれたお薬だ。
「こんな風邪ごときでお呼び立てして申し訳ありません」と私はお医者さんに謝ったけれど、お医者様はニコニコしていた。
「これが私のお仕事ですからね。それに今回はとても驚きました。あの公爵様がわざわざ我が家にいらっしゃったんですからね。妻が病になった、急いでみて欲しいと。あのお方が。これはなかなかに素晴らしいことです。もちろんあの方にはあの方なりの理由あってのことでしょう」
公爵家お抱え医師だというそのおじいさんはいつも通り朝の支度をしていたら、単身馬を走らせた公爵様がやってきて、髪が乱れていたり息が切れている姿を初めて見たと面白そうにお話される。
「あの方がおっしゃるには、メイドやミュンゼ夫人はあなたの看病をしなければならないし、執事のボルドを屋敷からそうそう出すわけにもいかないからだと」
お医者さんは静かなおじいさんで眉毛がフサフサとしていて目元が見えない。それでも優しい人だということはわかる。
「ご自分のことでは、私を呼ぼうなんてことを滅多になさらないお方が。えぇ、公爵家は良い方に来ていただけたようですね」
お医者さんゆっくり頷いて、そうおっしゃった。
1人で待っているのも暇なので、誰か話し相手になってほしいけれど、風邪をひいてるのでうつしてしまうかもしれない。天井にシミなどないので数えることもできない。
確かにこうなると薔薇の花でも眺めてみたい。庭師に言えば、きっと持ってきてくれるだろう。
「奥様、奥様……」
それでも横になっていると眠気が襲ってくる。うっつらうっつらしていると、ミュンゼ夫人が控えめな声でやってきた。
私には安静させるようにと公爵様のご命令がお屋敷の中にしみわたっている。なので私が呼ぶかお薬の時間でない限り夫人がやってくることはない、はず。
入室したミュンゼ夫人はどうしたものか、と眉をハの字にさせている。
「どうかしたのですか?」
問いかけるとミュンゼ夫人は困ったような、けれど、私が気にしたことで安心したようなお顔をなさった。
「いえ……あの。どうしたことでしょう……」
いつもハキハキとしているミュンゼ夫人が困っていらっしゃる。これは珍しいことだ。
どうかされたのですか?私はもう一度聞いた。
ペットから起き上がって背筋を伸ばして口元には静かな笑みを浮かべてみる。
伯爵家で窓から顔を出す時にそうしていると言われた姿勢だ。
こうすると私はしっかり王族に見えるらしい。
ハリボテだけれど、ミュンゼ夫人はハッとしたような顔をした。自分がお世話をしている人間がまだあどけない、世間知らずの女の子ではなくて、しっかりと教育を受けた王族であると気づいたようなお顔だ。
「ああ、奥様どうしましょう。その……ホランド公爵様がいらっしゃって、あ、いえ、まだ公爵様ではないのですよね……ミルゲ・ホランド公子がいらっしゃいました」
おずおずとミュンゼ夫人が私に告げた。
「なぜホランド公子が?」
突然の訪問だ。お約束も、せめて事前のお伺いもない。それが許されるのが公爵家の人間。こちらも公爵家だけれど。
無礼といえば無礼極まりない。新婚の家に、主人の留守中にやってくる。
皇帝陛下の側近であるミルゲ・ホランド公子は多少の無理が許されるのだろう。
「急ぎの用というわけではないそうですが、その……公爵家の人間として新しい公爵夫人にご挨拶申し上げたいと、そのようにおっしゃっております。もちろん、私は奥様の体調がすぐれないと……ご案内することはできないとお伝えしたのですが……」
相手は引き下がらなかったそうだ。まあ、なんて失礼な人と怒るには怒れない立場のミュンゼ夫人。 死神公爵様には小言を言えるけれど、それは昔からの親しみがあってこそ。
世間で皇帝ステラの側近、光り輝く貴公子と名高いミルゲ・ホランド相手にはどうしていいかわからないようだ。
ミルゲ・ホランド。
原作小説ではかなり人気のある人物だ。
容姿端麗頭脳明晰。
ある悪癖を除けば、性格だって悪くない。
二次創作では彼の姿がよく描かれ、舞台でも彼個人をテーマにしたものだって演じられた。
その美しい容姿の影響もあるのだろうけれど、原作では皇帝ステラと人気を二分にしている。
残念ながら死神公爵様はどちらかといえば……まあ、腹黒というか悪党というか。最後に反逆しているので……残念ながら、犯行動機以外、掘り下げられることはあまりない。
まあ今はそれはどうでもいい。
さて、私は突然やってきた無礼な公子にどう対処するべきか?
もちろん追い返したい。
用などない。
私には。
けれどうーん。あちらにはあるようだ。
イドラ・ギュンターに、ではなくて、私にルーナにある。
その心を考える。例えば私がただの世間知らずな。まあ、原作通りの悪女ならここで彼をどうしただろうか。
ルーナ皇女は顔の良い男に弱かった。皇帝ステラに懸想してしまったこともある。愛してもらえるかもしれないと思っていたらしい描写もあった。
個人的な興味、好奇心の話をすれば、私はミルゲ・ホランドの人間性に興味はなかったけれど、ミルゲという男を目で見てみたかった。
原作小説に挿絵はない。古いタイプのファンタジー小説で、表紙にステラが描かれていることはあった。コミカライズやアニメ化した際に登場人物たちの姿が描かれはしなけれど、結局それは創作なのだ。原作者がイメージした姿とはまた違う。
漫画家イラストレーターのあくまで解釈された姿。
作中で絶世の美男子と称された人が一体どんな容姿をしているのか、それは興味があることだった。
「寝室に招くわけにはいきません。では、支度をしましょう。どれぐらい待っていただけるのか、試してみたい気持ちもありますが、それは意地が悪いというもの。さあ、ミュンゼ夫人急いで着替えを手伝ってくださいね」
私はベッドから出て、クローゼットを目でさした。
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