夏の終わりの下校時

千代田線サディスティック

文字の大きさ
1 / 1

夏の終わりの下校時

しおりを挟む

 夏の終わりは憂鬱になる。
 この気持ちはなぜ生まれるのだろう。気温の変化であろうか、日が暮れるのが早くなったからであろうか。何はともあれ、大学生になった今年から私はその寂しい気持ちになるようになったのだ。
 下校中、何者でもない、いや、何者かわからない微かな匂いがしてきた。今までに嗅いだことがあるのは確かではあるが、それが何から発せられているのかわからない。
「おい」
肩を叩かれた。振り向くと同じ経済学部の友達の彼がいた。
「元気ないな」
隣に来た彼は、少し微笑みながら呟いた。
「わかってたさ、こうなることぐらい」
「ならなんで告白したんや」
そう問われると、何も言えない。自分でもわからない。無意識的なものだったとしか言いようがない。何か、操り人形のように、気付いた時には全てを言った後だった。
「俺はいけると思ったんだけどな」
彼は、残念そうに、ため息混じりに言った。
 2度ほど二人でデートした。1回はボーリング。もう1回は水族館。
「水族館ってこんな素敵な場所なんだね」
 彼女から出された、この言葉が本心から出た言葉だったのか、あるいは上部だけのものだったのか、はたまた、そんな言葉は彼女の口から発せられてなかったのか。いやいや、よく考えて見れば、僕と一緒に水族館に行かなくても水族館とは素敵な場所である。
「彼女が僕のことを好きだと思っている」
その、なぜ湧いてくるのかわからない、そんな自信があった。しかし今思うと、そう自己暗示を施さないといけないほどに、精神的に追い込まれていたのだと思う。彼女のことを好きになる、2ヶ月前に付き合っていた彼女と別れたのだから。あの大きなジンベイザメは、僕のそんな心を読んだ上で、僕に顔を見せてくれなかったのか。
「明日の英語の予習やったか?」
「いや、やってないけど」
「振られたことを忘れられるぐらいの難しさだったぞ。あんな英文読めてたまるかって感じの」
「最悪だよ。だったら振られた方がマシだ」
 そんな冗談を言いながら、駅までの坂を下りる。午後6時、辺りはすっかり薄暗くなってきている。寒さに弱い僕の、心でさえ冷やしてしまう、そんな夏の終わり、秋の始まりの気温。周りの家から匂ってきたカレーの匂いを嗅ぐと、少し虚しくなる自分がいた。そう思う時が来るものなのか。
 実家暮らしの時は、この匂いは僕の心を躍らせてくれる存在だった。家庭的でそれでいて、それでいて美味しいものの定番。それがカレーの匂いだった。
 しかし、今あるカレーの匂いはその類いのものではない。虚しい匂いなのだ。一人暮らしを始め、カレーどころか家で夕食を摂ることのあまりない僕にとって、その匂いは温かみのある象徴に思われ、温かみを家で感じることのできない僕を嫉妬させた。
 独りで生きていく。そんな僕だからこそ、彼女に告白して付き合って、少しでも温かみを感じたいと思ったのではないか。
「まあ、女なんていくらでもいるぜ」
 そんな彼の言葉を聞くと、僕は本当に誰とでも女と付き合えさえすればいい気がしてきた。温かみがあれば良いのだから。自分の孤独を無くす、そんな人がいればいいのだから。そして、彼女を好きになった理由ももしかしたらそれが大きかったのではないかと考える。そして、私が振られたのは彼女が私のこの感情を理解したからではなかろうか。もしもそうであるならば、この恋はすぐにでも忘れなければならない。
「今日飲みに行かないか?奢るぜ、今日ぐらい」
「まじかよ。本当だろうな」
「振られた祝いだ」
「やめろよ」
そんなことを言いながら、僕はまた一つ考えた。振られても独りじゃないことをである。
 少しばかりの温かみを感じ、階段を降りる。
 そういえば、この匂いは金木犀だな、と思いながら。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

つかまえた 〜ヤンデレからは逃げられない〜

りん
恋愛
狩谷和兎には、三年前に別れた恋人がいる。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

処理中です...