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第二章:襲撃
約束
しおりを挟む翌日は良い天気だった。
アナスタシアはお忍びのため商家の令嬢に近い格好をする。膝下丈のデイドレスに編み上げブーツ、目深に帽子を被る。髪は背中に流していた。
アンジェロも商家の息子のような服装だ。華美ではないが仕立てはいい。またそれが似合っていてアナスタシアは内心うっとりしていた。
玄関ホールに現れたアナスタシアにアンジェロは困ったように目を細めた。
「とてもよくお似合いです。ですがちょっと目立ってしまいますね。」
「そうでしょうか?お忍びに見えませんか?」
「いえ、それは別の意味なのですが。滲み出てしまうものですね。」
「はぁ‥‥?」
アナスタシアは首を傾げる。よくわからない。もっと地味めの方が良かっただろうか。
アンジェロが笑顔で軽やかにエスコートの手を差し伸べる。
「今日は天気も良いので湖をご案内しようと思っています。少し馬車に乗りますがあちらでゆっくりできます。」
「それは楽しみですね。」
「護衛に何人か連れて参ります。どうぞご安心ください。」
アンジェロの背後に立つナベルズが黙礼する。すでに馬車の周りには数人の警護が控えていた。侍女も従うので馬車は二台用意されていた。アナスタシアは困惑げだ。
「お忍びなのに警護が必要なのですか?」
「はい。城とは違います。警護はどうぞご容赦ください。商家でも昨今では護衛をつけていますので目立ちません。」
城ではリゼットが近くにいたが、二人だけの空間が多かったように思う。警護の為だが二人の距離が離れたようで少し寂しい。
リゼットと共に馬車に乗れば、指示を出していたアンジェロも最後に乗り込んできた。車中から移動中の外の様子を説明される。
今は夏。青い麦帆が風になぜる様子が美しかった。城からは見られない田園風景だ。
しばらく移動すれば湖の湖面が遠くに見えてきた。水平線が遠くに見えるほどだ。
「すごいわ、あれが湖?大きいのね。」
「そうですね。我が領地内で一番大きいです。」
「海もあのような感じなのでしょうか?」
「海はもっと大きいですね。殿下は海をご覧になったことは?」
アナスタシアは無言で頭を振る。そこまで城から離れたことはない。
「そうですか。浜辺は無理ですが領地内で海を望む場所があります。今度ご案内いたしましょう。」
「本当ですか!嬉しいです!」
アンジェロとの約束がたくさん出来ていく。未来を約束されたようでそれがとても嬉しい。
湖畔に到着し、リゼットと侍女たちが大木の木陰に休憩の準備を始める。辺りに人はいない。こんないい天気なのに誰もいないのだろうか。
「今日は我々だけですね。今は農作業が忙しい時期ですので。この湖は人気があるので来月には夕涼みで混み合う場所です。」
そして視線を遠くに投げている。
まただ。視線が鋭い。
アナスタシアもアンジェロの視線の先に目を凝らすも何もない。ただ湖と湖畔が広がるだけだ。
「殿下、準備ができたようです。参りましょう。」
その声に現実に引き戻され、はっと我に返る。アンジェロに手を差し出されていた。
その手を取り背を向けたため、湖の虚空にあの水面の波紋がいくつも広がっていたのをアナスタシアは見逃していた。
アナスタシアは毎日のように領地を案内された。
初日は湖、その後アンジェロ自慢の直営茶葉園や海を望む丘にも出かけた。
当主の仕事もあるだろうに、アナスタシアに一日の大部分の時間をかける。家令に仕事を分担しているから大丈夫だとにこやかに言う。
出かける時はアンジェロと必ず二人。アンジェロは寄り添うようにアナスタシアの側に控える。
護衛は相変わらずだったが観光したことがないこともありアナスタシアは存分に楽しんでいた。
出かけることも楽しかったが、アンジェロと共に過ごす時間が愛おしかった。お忍びでのお泊まりだったが、城から出てきてよかったと思っていた。
「アンジェロ様の夢はなんでしょうか?」
マウワー家の庭園を一緒に散歩中にアンジェロに問いかけてみた。
「夢‥ですか?」
虚を突かれたようにアンジェロが繰り返す。まだ十六なのだから夢を描くこともあるだろうと聞いてみたのだが。
アナスタシアの夢はアンジェロの元に嫁ぐこと。それはアナスタシアの中ではごく近い未来図となっていた。
その問いにアンジェロの反応は思いの外悪かった。少し思案して頭を振る。
「ありません。」
「ないのですか?全然?」
驚いて問い返せば、アンジェロは表情を失くして遠い目をする。
「将来とかあまりそういうことは考えません。先のことを憂うことで今日を台無しにしたくありませんので。」
虚とも言える視線を虚空にやる。
「今日を大事になさっているということですね?」
「そう‥‥なのでしょうか。」
躊躇うような口調が気になる。そうではないのか?
「刹那主義というそうですよ。今日を大事にすることで未来も輝くそうです。」
「それは‥今だけ良ければいい、ではなく?」
「そのような思想もありますが、どうせなら今日も未来も良くなればいいですよね?」
「なるほど、確かにそうですね。」
ごくたまにアンジェロはこの翳りのある表情をする。
全てを悟り争わず諦める。
そのような表情をさせるものは何なのだろうか。
こういう時に彼と自分の間に距離を感じる。
自分では彼をそれから守ることはできないのだろうか。
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