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第3.0章 真実 – シンジツ
幕間 闇の中
しおりを挟む毒を吐き出させ、力尽き意識を失ったセレスティアをカールはベッドに寝かせる。目の包帯は投げ捨てていた。まだ幼さの残る体では大人の女性を一人で運ぶのは大変だったがなんとかやり遂げた。
早く軽々と運べる体になりたい。心底そう思った。
「飲み込まれたのは一口、解毒が効けば意識が戻られましょう。」
闇がひっそりと答える。
毒はティポットに仕込まれていた。
カールが毒の香りに気がつき、飲むなと叫びセレスティアの持っていたカップを弾き飛ばした。だが口に含んだ分はセレスティアは飲み込んでしまった。
「‥‥のんじゃった‥」
セレスティアの震える声がする。
セレスティアが毒を飲んだ。カールは頭が真っ白になった。
賢者と、魔法使いとまで呼ばれ戦場でも常に冷静な判断ができたのに。真っ白になるなど生まれて初めての経験だった。だから余計にそのこと自体に狼狽した。
そこに闇が現れ適切な処置を施す。カールはセレスティアにひたすら水を飲ませ毒を吐き出させた。闇はその間飲んだ紅茶から毒を判じ手持ちの解毒薬を施したのだ。
わずかに独特な香りのある毒は猛毒だったが幸い茶で薄まっていたこと、経口摂取で一口だったこと、初動の適切な処置が命拾いにつながった。
だがカールは無言だった。
ベッドで青ざめて眠るセレスティアをじっと見下ろす。
異物を口に含んだら速やかに吐き出す。毒対策の常識だが辺境伯爵令嬢は毒への対応は身につけていなかった。そのような境遇になかった証拠だ。それはとても幸せなことだ。だが。
命を狙われていたのにその点の警告が抜けていた。
何が賢者だ?なぜ予期できなかった?毒なと暗殺の常套手段だろ。どこまで愚かなんだ?
ひたすらに自らを責め罵り悔やんでいた。もう少しで大切な人を失ったかもしれなかった。ただその可能性を考えただけでひどい震えが少年を襲う。
それは少年が初めてその身に感じたもの。
恐怖。絶望。空虚。極寒の世界。
ただ震えるしかできない。
そしてその震えが転じた怒りが向かう先は——
少年は震えながら腹の底から凍えた声を吐き出す。暖炉には火が焚べられているにも関わらず凍てつく部屋で息が白くなる。
「——— 僕の影を全て呼べ。」
「全て‥でございますか?」
「今後お前を含め控える影は僕の指揮に下れ。狼犬はスノウ下に。殲滅する。」
闇がこくりと喉を鳴らした。
敵も愚かなことをしたものだ。
怒らせてはいけない方を怒らせた。
魔法使いには誰も敵わないのだから。
澱む闇は静かに頭を下げた。
暗殺ギルドから派遣された暗殺者衆は上級だった。人数も多い。依頼者の殺意が明確だ。
だが相手が悪かった。
対するは賢者の名を冠する魔法使い。
苛烈なる魔法使いが本気になった。
暗闇の部屋の天井がカタリと開く。そこから闇がひらりと音もなく飛び降りた。
今回の暗殺対象は辺境伯爵令嬢。家出をし身分を隠して現在この屋敷に滞在中との情報だ。探りを入れれば確かにそのような令嬢が滞在していた。身体特徴も一致する。
屋敷の警戒レベルは中の上。自らの配下を三分割し陽動の騒ぎを同時に起こせば警戒は散り散りとなった。その隙に屋敷に忍び込む。
部屋はあらかじめ調べてあった。そしてあっさりと潜入し枕元まで辿り着いた。寝息が聞こえる。付き添いもいない。
毒を盛ったはずだが対処された。あの猛毒だ、昏睡だろうがまだ生きている。おかげで直接手を下す羽目になった。余計な手間だ。毒で死んでいれば苦しまずに済んだろうに。さっさと終わらせよう。
静かに眠るその首に手を伸ばし‥‥
その手が、寝具からのびた華奢な手に掴まれた。先程まで確かに寝息を立てていたその令嬢に。
抵抗するがぐぐぐと抑え込まれる。力ではなくそういう技だと男は理解し動揺する。
「来たな。待っていた。」
声変わりする前の少年の声。寝具の中から少年が姿を現した。
立ち上がった少年が掴んだ手首をこともなげに捻る。手首の関節を捻じ切られ激痛が走る。子供がそれを成しているという事実が信じられない。
もがいたところを手を離され床に倒れ込む。
そこに男の首元にナイフを当てられさらに慌てる。背後に黒い仮面が闇から現れる。
ありえない。いつの間に背後を取られた?
「陽動で仕掛けてくるだろうと思った。驕りすぎたな。今頃全て潰し終わっている頃だろう。」
馬鹿な。上位の暗殺集団相手に。
無言ですくんでいれば少年が冷え冷えと見据えてきた。
「こちらは質も量も上なんだよ。暗殺ギルドごときがどうこうできると思うなよ。」
仮面の闇に引き倒され押さえ込まれ、口を開いた状態で轡で固定される。さらに現れた複数の影に両手両足を拘束される。奥歯の毒が取り除かれた。隠し持った毒や暗器も取り除かれた。
全く動けない。自由になる目のみで正面の少年を見上げた。
「どうせ依頼主は知らないだろう?だから無駄な尋問はしない。無駄は嫌いだ。」
笑みさえ浮かべない少年が表情を消して男を見下ろす。
今まで何十人と暗殺してきた男が十代前半と思しき少年に殺気で圧倒されていた。絶対零度の眼差しに見据えられただただ震える。この男が初めて経験する恐怖であった。
少年は寒さで凍えるような震える声を絞り出す。
それは壮絶な憤怒だ。
「さあてどうしてくれようか。毒を盛ったのはお前だろう?自意識過剰な奴ほど自分で殺りたがるからな。それに足を掬われたな。」
仰向けに倒された男の上に跨り背後に手を回し短剣を抜いた。それを見えるように晒し、ひやりと鼻の下に当てた。
「最初に鼻を削ぎ落とす。次は耳、そして目。その後指を一本ずつ刃こぼれした短剣で切り落とす。いつまで正気を保っていられるかな?取引はしない。散々殺してきて今さら命乞いもないだろう?踠き苦しみながら地獄に堕ちろ。」
少年の紡ぐ言葉は冷気を孕んだ呪詛。温情も救済もない。男に死の呪いをかける。
身動きができない。声も出せない。目からは涙。男はただ押さえつけられ刑の執行を待つ。
そして———
短剣に力が込められる。そこに躊躇いはない。鼻の下から血が噴き出した。轡をはめられた男は咆哮のような悲鳴をあげる。
そこで少年の耳元で仮面の闇が囁いた。
「お目覚めになりました。」
その手がぴたりと止まる。邪魔をされ腹立たしげに目を細める。
「どうぞお側に。あとは我々にお任せを。」
「これは私怨だ。僕がやらねば意味がない。」
「お呼びです。お急ぎください。」
少年は忌々しげに背後を振り返る。
「止めるな。」
「これ以上は血の匂いが残ります。寄り添われるのでしたら障りがございましょう。」
静かに語る澱んだ闇に少年はさらに顔を歪め睨みつける。血塗れの短剣を持つ手に力が入りカタカタと震える。
ここで止めるのか。
もう十分だと?手も汚させないつもりか?この身はとうに汚れているというのに。今更何を。
そこまで配慮するこいつの気遣いがむしろ癪に触る。
静かに呼吸を整えたのち、少年は長く息を吐き出す。腹の中の冷気を全て吐き出すような長い吐息。そして短剣を引いた。震える血塗れの男の上から立ち退いた。
「法に則り処理しろ。」
少年は背を向けて一顧だにすることなく部屋を出た。
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