幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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またもリッチな夜でした

その10

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 美香が友人達と共に校門をくぐった頃には、空は一面が灰色の雲に覆われていた。
 心なしか風も冷たさを帯びて来たようで、校舎から駅へと進む学生達の足取りはいつもより早いようであった。
 人波の中で雑談を続けながら足を動かす友人達の中にあって、美香は頭上の空と同様の面持ちを一人浮かべていた。
 そんな友人へと、かたわらから顕子が声を掛ける。
「おーい、どうした、悩める女子高生? テストが間近に迫って、いよいよ余裕が無くなって来てんのかー?」
「んー……」
 訊ねられ、美香は緩々ゆるゆると顔を持ち上げてみれば、共に歩く友人達がこぞってこちらを眺めていた。
 美香はかばんを握り直すのと一緒に彼女らへと説明する。
「まあ、それもあるけどね。うちはほら、弟が今入院してるから、それがちょっと気になって……」
「ああ……でも、怪我自体は大した事無いんでしょ?」
 不安をいくらかにじませた相手の言葉に、顕子も少し調子を合わせて問い掛けた。
 美香は首を縦に振る。
「うん。まあ、そうなんだけどね……」
 そう言って、美香は再び黙して歩き続けた。前を行く友人達も気を遣ってか、それ以上は無理に話を振ろうとはせず、一行は人波に流されるまま駅前の繁華街を伸びる道を歩き続けたのであった。
 足元に敷かれた褐色のタイルに、美香は目を落としていた。
 周囲を包む足音や車の駆動音は途絶える事を知らず、道路と言う血管に沿って街を息づかせるべく刻々と脈動を繰り返す。
 明滅するネオンサイン。
 それぞれに色合いを変える信号機。
 煌々こうこうと光を掲げる街灯。
 その狭間を歩く人々もまた、街と言う途方も無く巨大な生物を生かす為の細胞組織の一片に過ぎない。
 それぞれがてんでばらばらに、しかし定められた各々の役割を果たす事で、自身を含めた全てが機能する。各自が野放図に振る舞っているように見えて、一つ一つのものが辿る道筋はすでに立てられているのである。
 うつむき加減で足を動かす美香の耳元に、家電量販店から流れ出すCMソングが漂って来た。
「……嫌われたく……」
「えっ?」
 ぽつりと漏れ出た呟きに、美香のかたわらを歩く顕子が首を巡らせた。
 その顕子の見つめる先で、美香は言葉を続ける。
「……嫌われたくないって思ったら、誰でも自分らしくない振る舞いをしちゃうもんなのかな、意識しなくても……」
 不意に上がった神妙な声に、美香の周囲を歩く友人達は発言者を見遣った。
「や、やだなぁ、どうしたの、急に?」
 顕子が少し焦ったように訊き返すと、美香はむっくりと顔を上げた。
「いや、何かちょっと気になって……」
 咄嗟とっさの反応に苦慮する友人達の中で、美香の左前を行く昭乃が眼鏡を直しつつ答える。
「そりゃま、何を以って『自分らしい』とするかだろうねぇ」
 事務的に言って、昭乃は視線を上へと向けた。
「あたしは別に変に気負ったり飾ったりはしてない積もりだから、こうして皆と喋くってる時も自分らしいって思うし、家で一人で都市伝説漁ってる時も自分らしいって思えるし、それをあんたに吹き込んで狼狽うろたえ振りを間近で観察してる時も凄い自分らしいって思えるし」
 最後のくだりに掛けて、周囲の少女達も銘々に苦笑を浮かべた。
 美香も顔を引きらせながら、不遜な友人へと答える。
「まあ、あんたの場合はそうかも知んないけど……」
「でも、ぶっちゃけ、人間なんて置かれた環境や向かい立つ相手によって対応変えるのが当たり前なんだし、『自分らしさ』なんて求め始めたら、それこそ直面する状況や他人の数だけ種類があるんじゃない? 哲学ではこれを『外的側面ペルソナ』と言うんだけども」
 最後は勿体付けた口調で、昭乃は持論をまとめたのだった。
 美香は何処か胡散臭そうにそんな友人を眺めていたが、ややあって一つ息をつく。
「『仮面ペルソナ』ねぇ……」
「大体、誰でも周りの人には嫌われないように振る舞うのが普通なんじゃないのォ? んな、嫌われた人の数だけどっかから歩合給が出るってんならいざ知らず」
 顕子が右の眉を持ち上げて口を挟んだ。
「それに、人に嫌われてもいいって見做せるような状況ってな、一体どんなもんな訳よ?」
「さあー……?」
 顕子が切り返した問いに、美香は首をかしげたのであった。
「判んないけど、例えば何か意地を通したい時とか……?」
 その後、美香を含めた少女達の一団は下校する生徒達の流れから逸れて、アーケード商店街へと進路を変えた。仲間の一人が化粧品を買いに行くと言うのに付き合って、美香達はアーケード商店街の中程にある薬局に揃って入店したのであった。
 それからおよそ四十分後、談笑しながら彼女達は店の外へと出た。
 夕時のアーケード街は往来する人の数も増え始め、暗くなった空と反比例するように辺りのざわめきは増しているようだった。駅までの通学路からは少し逸れたとあって、学生の姿は数を減らしていたが、その穴を埋めるように一般の買い物客や営業途中らしきサラリーマンの姿が目立つようになっていた。
 ドラッグストアの出入口の脇に立って、美香は辺りを見回した。
 つい一月ひとつき前、ここで屈強な男達と逃走劇を演じた事が、今では随分と昔の事のように感じられる。街並みに目立った変化は無く、何事かが起きた形跡も残ってはいない。そんな些事には一々構っていられないのだと言う傲慢な風情すら漂わせて、一切はただ目の前に在った。
 再び駅へと歩きながら、曇天をめ込んだ天蓋の下で美香達は談笑を続ける。その最中、美香はアーケード商店街の横手を伸びる細い脇道へふと目を向けた。
 そう言えば少し前にはこんな場所を必死に駆け回ったっけな、と思い返すのと一緒に、美香は他所へと繋がる薄暗い細道を眺め遣った。
 街の毛細血管に当たる細い路地には行き交う人の姿は元々疎らであり、夕時の半端な時刻も手伝って、現に美香の見遣る先では外回りの途中らしいワイシャツ姿の男性が脇道の奥へと一人進むのみであった。
 目立った変化など、そう容易たやすく生じるものではない。
 何の気無しに街の横顔を眺めた末、美香は顔を前に戻した。
 否、戻そうとした。
 彼女が顔を前に向けようとした刹那、視界の正に片隅で、それは生じた。
 夕時の暗い細道を一人歩いていた男性。通りすがりの名も知れぬ誰かではあるが、その誰かが前触れも無く倒れたのである。路面の凹凸に足を取られたと言うよりは、さながら空から吊り下がっていた糸を残らず断ち切られたかのように、全身の力を突然ゼロにして男性はその場に崩れ落ちたのであった。
 まともな体の動きでない事は遠目にも判別が付いた。
「え……?」
 にわかに目を見張った美香が、裏路地へと弾かれたように再び顔を向けた。
 他方、不意に上がった声に促されて、周囲の友人達もそれぞれに足を止めた。
「何? 何か言った?」
「どしたの、美香? 急に?」
 銘々に怪訝けげんな顔をする友人達へ、美香は横手の道を及び腰に指し示す。
「あ、あれ……」
 そう呟いた美香は、そこでまたも目を見張ったのであった。
 その刹那、少女達は皆顔を強張らせた。
 彼女らから十メートル程先、裏路地に倒れた男性のかたわらから不意に影が盛り上がり、間も無くそれは人の形を成したのである。
 いや、『それ』を人と呼んで良いものかどうかは美香にも判別が付かなかった。
 薄暗い裏路地に現れたもの。それは全身を闇色の衣で覆い、人の背丈を遥かに超えた体躯を持つ影の塊であった。
「何あれ……?」
 美香のかたわらで、誰かが上擦った声を漏らした。
 実体を得た宵闇。
 全き闇の凝縮体。
 まるで自身に接する周囲の暗がりを吸い上げて更に己の闇を深めて行くかのような、それは限り無く深いながらも何処までも虚ろなかげりの集合体であった。
 それでも、月の無い宵闇の切れ端のような闇色の体の中で只一つ、たった一箇所だけ異彩を放っている部位が遠目に認められる。黒衣の先端、頭部に位置するだろう箇所に鮮やかな色彩が見て取れる。
 あれは何かの仮面だろうか。
 しかし居並ぶ少女達が詳細を見定めるより早く、闇色の衣をまとった何者かは薄暗い路面を蹴って飛び上がった。
 尋常の跳躍力ではなかった。
 わずか一瞬で黒衣の異形は横丁に建ち並ぶ家々の屋根を飛び越え、そのまま暗灰色の空へと吸い込まれるように消えて行ったのであった。
 美香達数名を除いてアーケード商店街を行き来する人々の誰も気付く間も無い、ほんの数秒の出来事であった。
「『怪人ファントム』……?」
 美香の左手で、昭乃がぽつりと呟いた。
 後にはただ、裏路地で今もうつぶせに倒れる男性だけが残された。
 美香達の周囲で、足音とざわめきとがネオンサインの輝きにいく重にも折り重なる。
 人波を含めた緩やかかつ大きな流れは委細構わずうねり続けた。
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