幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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またもリッチな夜でした

その19

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 半ばまで開かれた窓から暖かな風が入り込み、ミルクのように真っ白なカーテンを端から波打たせた。
 まばゆい光の満ちる小さな部屋で、二つの小さな人影が部屋の内と外の輝きに照らし出されていた。

『クラムボンは笑ったよ』
『クラムボンはかぷかぷ笑ったよ』
『クラムボンは跳ねて笑ったよ』
『クラムボンはかぷかぷ笑ったよ』

 明るい空間の中で、その声は弾かれた紙風船のように軽やかに宙へと舞い上がる。

『クラムボンは笑っていたよ』
『クラムボンはかぷかぷ笑ったよ』
『それならなぜクラムボンは笑ったの』
『知らない』

 一瞬の空白の後、朗読者とは別の声が問い掛ける。

『……クラムボンて何?』
『さあ……』
 問われた一方はおもむろに言葉を濁した。
『はっきりとは書かれてないんだ。アメンボだとかゲンゴロウだとか、蟹の兄弟が吐いた泡だとか水面の光だとか、色々と解説は載ってるんだけど明らかにはされてないんだよ』
『そうなの』
『はっきりしないから良いんだ、って意見もある。クラムボンはクラムボン。アリスの話に出て来るジャバウォックみたいなものなのかも知れない。あっち程恐ろしいイメージは無いけどね』
『クラムボンは……』
 訊ねた声は、わずかな間を置いてから自らの想いを口にする。
『きっとクラムボンは、他の誰でもないからクラムボンなのね』
『そうだね。クラムボンて言う何かなんだよ』
 優しげな同意の声が、光の差し込むまにまに漂った。

『つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らも、ぽっぽっぽっと続けて五六粒泡を吐きました』
『それは、揺れながら水銀のように光って、斜めに上の方へ昇って行きました』
『つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋いっぴきの魚が頭の上を過ぎて行きました』

 数秒の沈黙が間を満たした。

『クラムボンは死んだよ』
『クラムボンは殺されたよ』
『クラムボンは死んでしまったよ………』
『殺されたよ』
『それなら、何故殺された』
『兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いいました』
『判らない』

 気まずさを語尾ににじませた朗読者へ、別の声が再び訊ねる。

『クラムボンは死んじゃったの?』
『……ああ』
『どうして死んじゃったの? どうして突然死んじゃうの?』
『判らない……』
『死ぬって、ある時突然起こる事なの? 誰でもいきなり、ぷっつりと死んでしまうものなの?』

 答えは返って来なかった。

『魚がまた、ツウと戻って下流の方へ行きました』
『クラムボンは笑ったよ』
『笑った』

『何だ、クラムボンは笑ったんだ』
『そうだよ。死んだ訳じゃなかったんだ』
『そうなんだ……』
『だから、クラムボンの事を泡だとか光だとか言う説も出て来る。泡や光なら、搔き乱されてもすぐにまた現れるからね。きっと、この作者も……』
『きっと、死ぬ事も笑う事も、良く似た出来事なのね』

 明るい、何の憂いも帯びてはいない、それは朗らかな声であった。

『死ぬのも笑うのも、自分ではどうしようもない、突然湧いて来る事なんだもの。そうでしょ? ある時突然起こる事なんだもの』
 返って来る答えは無かった。
 ただ朗らかな声だけが、まばゆい小部屋に弾むように広がる。
『ああ、でも、死ぬ時には笑って死ねたらいいなぁ。そうすれば笑うみたいに、つぼみが開くみたいに、クラムボンみたいに何処かにまた生まれて来られて、そうしたら……』

『……どうしたの?』

『……何を泣いてるの?』

『兄さん……?』

 風がまた窓の隙間から吹き込んだ。
 まばゆい小部屋は更にきらきらと輝き、水底から望む川面の光彩陸離こうさいりくりのように絶え間無く揺らめいたのであった。
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