幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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渚のリッチな夜でした

その20

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 それから一時間後、美香は駅前のオープンカフェのテラス席で一人浮かない面持ちを浮かべていたのであった。
 遠方より来たる客人が帰って間も無く、リウドルフとアレグラはそれぞれに遠征の準備を始め、当然の流れとして今一人の客人だけが取り残される運びとなった。
『と言う事だから、お前は家に帰って課題に打ち込んでいろ』
 と、リウドルフは簡潔ながらも無情な指示を遣し、アレグラもまた、
『泊まり掛けとなると面倒だよねぇ~……まあ、事の顛末は後でちゃんと伝えるからさ』
 と、一応の励ましを遣すのみであった。
 先方の遣した判断が妥当なものであっても、美香としては如意ならぬ我が身をこれ程恨んだ事は無かった。
 と同時に、少女の胸の奥には別の懸念も湧いて出て来たのであった。
 テラス席のテーブルに頬杖を付いて、美香は溜息を漏らす。
 そんな彼女の周囲では、人の波が流動を絶えず繰り返していた。平日であれば下校途中の学生の姿が目立ち始める時刻の駅前は、今は仕事や買い物の途中と思われる大人達ばかりで占められており、美香と同世代の少年少女の姿は疎らにしか認められなかった。雑踏の放つ喧騒そのものに大した違いは無かったが、目の前で揺れ動く人波が、この時の美香には間に厚いガラスを隔てているように感じられたのであった。
 そもそも、『あの人』にとって『自分』は一体何なのだろうか。
 数多くの足音を前にして、美香はぼんやりと思い悩んだ。
 その気になれば他人に全く頼らず行動出来る人物なのである。餓死する心配すら無い手前、他者に依存する必要が一切生じない。裏を返せば、これ程付き合いづらい相手も無いであろう。
 こちらが何を訴えようと、自分などわざわざ意識を向ける意義も生まれない、ちょっとうるさいおまけ程度の認識なのだろうか。
 もっとも、それも仕方無いのかも知れない。
 過去の出来事を思い起こしても結局は巡り合わせの妙と言おうか、極論すればその場の勢いがあるだけなのである。
 そこまで考えて、美香は急に胸焼けでも起こしたような憂鬱な表情を浮かべた。
 振り返れば遠ざかる三日前、臨海学校が無事に終了し、校舎にて各自解散となった後に、美香は宮沢亮一と話す機会を得たのであった。
 それぞれの荷物を担いで生徒達が校庭を後にする中、美香は亮一に胸の内を一応は打ち明けた。
『その……言いたい事は判るし、伝わっては来るんだけどさ……』
 少々歯切れ悪く、少女はこちらへ好意を寄せる少年へと告げる。
『でも、その、何て言うか……勢いだけで、話をどんどん進めるのはめようよ……』
 いつしかこちらの瞳をじっと見据えるようになった亮一の前で、美香は思わず目を逸らした。
『そう言うのは、ちょっと、やだな、って……』
『判った……』
 うつむき加減で呟いた美香の隣で、亮一はただ静かにうなずいた。
 そして今、少女は一人、見慣れた誰かが通り掛かる事も無い駅前のカフェで、ぼんやりと時間を潰していたのであった。
 駅前に林立するビルの隙間に太陽が隠れてから、随分と時間が過ぎた。西の空は徐々に茜色に染まり、車道を行き来する車もヘッドライトを灯し始める。歩道を行き交う人の列は厚みを増して行くようであり、ネオンサインに誘われるようにして周囲の歓声も大きさを増して行った。
 そんな黄昏時の出来事であった。
 相変わらずテラス席で往来をぼんやりと眺めていた美香の顔に、その時、影が差した。
 彼女がふと顔を上げて見れば、かたわらにすらりとした人影が見える。今日は灰色のスーツに袖を通し、頭髪をいつも通り綺麗に撫で付けて、学者風の丸眼鏡を掛けた若い男が少女のかたわらにいつの間にかたたずんでいた。
「……先生……」
 ぽつりと呟いた美香の見上げた先で、月影司はおもむろに微笑んだ。
「今晩は」
 程無くして、二人はテラス席のテーブルに向かい合って座った。
 先程までの無防備な姿を見られた反動から、美香は含羞がんしゅうの色を浮かべて余所余所しく訊ねる。
「……今晩は。奇遇ですね、どうも……」
「そうでもないけどね。学校の近くだし」
 椅子に腰を下ろした司は、柔らかな声で指摘した。
「私は偶々たまたま出勤日だったから駅前に足を運ぶのは自然な流れだけれど、君の方は何かこの近くに用でもあったのかい?」
「用って言うか……」
 相手から目を逸らしたまま美香は言葉を濁した。
 そんな生徒の向かいで、司は椅子の背凭せもたれに寄り掛かると長い足を組んだ。
「まあ夏休みの真っ最中だから、外で羽を伸ばすなとは言わないけれど、用も無いのにふらふら出歩くのは感心しないよ。そうした学生を鴨にしようと狙っている連中だって残念ながらいる訳だからね。特にこうした繁華街では」
「はい……」
 益々ますます恐縮した様子で、美香はうなずいた。
 その後、美香は思い出したように、あるいは思い詰めたように、面前に座る担任を上目遣いに見つめた。
「あの、月影先生って、クリス先生と仲が良いんですよね?」
 車道から伝わる車の駆動音が、両者の間に一瞬差し込まれた。
 出し抜けに遣された質問に、さしもの司も思わず目を丸くしたようであった。
 しかるに、彼はすぐさま柔和な笑顔で一時の動揺を包み隠す。
「うん……まあ、仲が良いと言うか、互いに係わる時間が多いと言うか」
「じゃあ、じゃあ付き合いが結構長いんですよね?」
 こんな事を訊ねてどうするのだろう、と自分でも呆れながら、それでも美香は目の前の相手へ問い掛けたのであった。
 すがり付くような、しくは先が霞む程の果てし無い石段を前にして躊躇しているような少女の様子を見て、司はふと首の角度を変えた。
「……ああ、今日はテオさんの部屋へお邪魔しに行ったと……」
「ええ、まあ……」
 美香は再び目を逸らして小さく答えたが、相手のそんな反応を眺める内、司は丸眼鏡の奥でやおら目を細めたのだった。
 いい機会かも知れないな、と彼は思った。
 その瞳の更に奥、虹彩の裏側に研ぎ澄まされた刃のような冷たい光を過ぎらせながら、彼はいくつかの算段に考えを巡らせて行く。
 西の空を、沈み行く斜陽を追い掛けるようにして烏の群が飛んで行った。
 それから司は飽くまでもにこやかに、眼前の少女へと問い掛ける。
「その様子だと何か悶着の一つでも起こして来たみたいだね。何かあったのかな?」
 美香は一瞬だけ戸惑った。自分にとってもリウドルフにとっても、色々と伏せて置いた方が良い事柄が混じった問題だからである。目の前の相手を信用出来るか否かの前に、そもそもおおやけにすべき事ではないのではなかろうかと少女は不安げに案じた。
 だが、結局は他に話を持ち込む相手もいないと言うどうしようもない事実が、彼女の口を内側から開かせたのである。
 美香が事の次第を話している間、司は静かに耳を傾けているようだった。
 家路に付く客を乗せたバスが車窓から光を放ちながら車道を遠ざかって行く。
 その重々しくも小気味良い駆動音が小さくなった頃、司は視線を下げてやおら息を吐いた。
「……成程なるほど、知らない間に随分と話が進んだものだ……」
「え……?」
「いや……」
 不思議そうにこちらを見遣った美香へと、司はかぶりを振って見せた。
 しかる後、彼はテーブルの上で両手を組み、眼前の少女を穏やかに見据える。
「詰まる所、君は自分一人だけが置いてきぼりを食らって面白くない、と……」
「そうなんですよ。何かもう、徹頭徹尾蚊帳かやの外って感じで」
 特に疑念を差し挟むでもなく、偏りのある眼差しを寄せるでもなく、静かにこちらの話を聞き入れてくれた相手に対して、美香は安堵にも似た表情をのぞかせた。その事実が呼び水となったのか、彼女は淀み無く言葉を紡いで行く。
「あたしだって多少は何かの力になりたいと思ってるのに、こっちの事なんかガン無視ですいすい話進めちゃって、挙句の果てに『お前、どうしてここにいるんだ』みたいな感じで人を見て、そんで……」
 日頃、友人や家族に対してすら吐き出せない愚痴をこぼす相手をようやく見付けられた所為せいもあって、美香は随分と感情的になって不平を漏らしたのであった。
「そうだね。そういう所があるからね、彼には」
 そんな少女の発奮振りを、司は適度に合の手を入れながら面白そうに眺めていた。
 やがて美香が文句を一くさり吐露した頃、司はおもむろに鼻息をついた。
 本格的な帰宅時間に差し掛かったのか、カフェのテラス席の傍を通り過ぎる人の数は以前よりも増していた。車のライトが車道を交錯する頻度もまた同じく増加傾向にあった。
「……しかし、そういう事情であれば私も同じく後を追わなければならない」
 何処からか吹き込む夜の涼しげな風と同じく司が不意に発した一言に、美香もテーブルの向こうへと目を向けた。
 司はややうつむき加減で、テーブルの表面に視線を落としたまま穏やかな口調で説明する。
「君も薄々感付いているだろうが、私はあの人を監視する役目を負っている。仕事と言うか、そういう契約を偉い人達と結んでいるんだよ」
「そうなんですか……」
 己の立場を矢庭に解説し出した司へと美香は咄嗟とっさに驚いた様子をのぞかせたが、考えてみればして意外な事情でもない。学校の内外でのぞかせる二人の奇妙な距離の近さを思い返せば、る意味当然の背景である。
 遅ればせながら得心した様子をのぞかせる美香へ、司はちらと視線を向けた。
「だから彼があの村へ向かったと言うなら、こちらもすぐに追い掛けねばならない。そこでだ……」
 そこで一度言葉を区切ると、司はテーブルを挟んで向かい合う美香へと、少し身を乗り出した。
「……どうだろう? 君も付いて来る気は無いか? 無論そちらが望むのであればだが」
「え……?」
 突然の提案に、美香も困惑の色をのぞかせた。
 対する司の眼差しは飽くまでも真摯なものであり、同時に曖昧な回答を許さない頑健さもにじませていた。
「え……でも……」
 視線も体も固まらせた美香へと、司はふと微笑み掛ける。
「……と言って、泊まり掛けで外出するとなると御家族にも説明がし辛いだろうから、こういう言い訳はどうだろう? 臨海学校開催中にける我が校の態度が評価され、町から感謝状を贈呈される運びとなった。ついては、その受け取りと式典への参加の為、当校の生徒を代表して例の部洲一ぶすいち町へ招かれる事となった、とまあ、そんな所で……」
「や、でも……」
 尚も戸惑いをのぞかせる美香へと、司は柔和な笑顔に少し悪戯じみた彩を載せる。
「感謝状云々うんぬんの話は本当だよ。まあ、あちらからすれば営業活動の一環だろうが、そうした通知は実際来ている。だから全く不自然であるとは誰にも気取られないし、御家族に後で何か訊ねられたら、式典の日にちを間違えたとか何とか、言い訳はいくらでも述べられる。何なら私の方からも口添えさせて貰う」
 一度開き掛けた口を美香は閉ざしていた。
 これが実際には『提案』などではなく『誘惑』である事を、この時の彼女が気付く由も無かった。この時の美香はただ、司の発した言葉を頭の中で幾度も反響させるのに夢中になっていたのである。
 自分はここでどう答えるべきか。
 これからどうすべきなのか。
 つい先程まで己の不自由さ加減を嘆いたにもかかわらず、選択の自由が与えられた途端に酷い混乱に襲われてしまう。我ながら滑稽なまでに矛盾している。
 いつ何時なんどきも、真に意のままにならぬのは己自身の心なのである。
 意識も体も固まり掛けている少女へと向けて、月夜にわだかまる闇のような陰を持つ仙術者は飽くまでも柔らかに促すのだった。
「もし同行したいと言うのであれば、明日の早朝、支度を整えてこの駅まで来てくれればいい。勿論もちろん、職務と己の誇りに誓って妙な所へ連れ出したりはしない。そこは保証する」
 柔らかに、しかし明確に司は宣言した。
 対する美香は未だ返答に窮していた。
 ビルの隙間にのぞく西の空はいつしか真っ赤に染まっていた。
 通りを行き交う車が苛立たしげにクラクションを鳴らした。
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