幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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去年のリッチな夜でした

その1

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 まだ、やり直せる……
 また、やり直せるよな……?
 きっと……


























 教壇に立った『その男』は、それまでと何ら変わらぬ朗らかな口調で居並ぶ生徒達に挨拶を遣したのだった。
「では、本日はここまでとなります。明日から本格的に授業が始まるので、今の内に休みボケをしっかり直しておきましょう。これまで昼夜逆転の生活を送っていた人なんかは特に要注意」
 黒板を背に、月影つきかげつかさがそう締め括ると、日差し差し込む教室に号令の声が掛かった。
 それから間も無く教室には生徒達の発するざわめきが満ちあふれ、廊下を伝いに付近の教室からも同質の話し声が流れて来るようになったのであった。
 そうした中で、青柳あおやぎ美香みかは机の前で一人、何とはなしに視線を泳がせていた。始業式もつつがなく終了し、見知った顔の誰が欠けるでもなく始まった新学期の初日は、しかし、美香の心に何とも言えぬ奇妙なむずがゆさをもたらさなかったのであった。
 周囲の席では、久し振りの再会を果たしたクラスメイトが銘々に話に花を咲かせている。その輪の中に加わるでもなく、美香は一人、退屈をいささか持て余したような面持ちで前方を見つめていた。
 別に、年に一度しかない休みが終わってしまった事が、耐え難い憂鬱ゆううつを招いているという訳ではない。そうではなく、夏休み中のる出来事が、今この場にいていくらかのぎこちなさを少女に与えていたのであった。
 教室の前方、黒板の辺りに視線を泳がせていた美香の前方を、ホームルームを終えた司が悠然と歩き去って行く。
 くまでも、そして何処までも自然体で。
 長身の姿はそれだけでも自ずと人目をきそうだが、最後まで毅然として、姿勢を全く崩さぬ相手の振舞いを目の当たりにする内、美香は疎外感にも似た妙な心細さを抱くに至ったのだった。
 夏の浜辺での『出来事』。
 ほんの一瞬だけ、異なる『相貌そうぼう』を覗かせた相手。
 だがしかし、当の『本人』は何事も無かったかのように、新学期にいて自分の『役目』を果たして見せたのである。
 一介の『教師』としての『側面』を威張るでもなく見せ付けて。
 その事実が、眼前の広がる有様が、少女に若干の違和感と孤立感を与えていたのであった。
 いっそ今から後を追って、二人きりで話し掛けてみようか。
 くまでも親しげに、そして朗らかに。
 しかるに、そこで少女は首を小さく横に振った。
 夏休みの一件で図らずも距離が縮まったような気はしたが、それはくまで、間に『あの男』を挟んでの話であった。依然として『彼』が謎めいた相手である事実に変わりは無いのだし、さらに細かい所を探ろうとしても、そもそもの『接点』が見当たらない。こうして学校でいつも通り、『教師』と『生徒』の役を演じていれば尚更なおさらである。
 知らず知らずの内に机に頬杖を付いて、美香は鼻息をいた。
 もっとも、そうした中途半端な状況が、互いにとって何の損失を生む訳でもない事も一つの事実である。畢竟ひっきょうするに、休み明けによく表れる困惑、すなわち周囲の環境に適合すべく、その『切っ掛け』を無意識に模索しようとするもどかしさが、今回は少々複雑にもつれているだけなのかも知れない。
 しかるにそうした心配も、それこそ『いつも通りに』日々を送れば自然と雲散霧消して行く事だろう。
 元通りの『教師』と『生徒』の関係に戻って。
 そう、表向きの関係を続ける事自体は、して難しい話ではないはずなのだ。
 そうして、美香は気持ちと一緒に荷物をまとめ、友人達と共に教室を後にする。
 廊下にはすでに、今正に下校しようとする多くの生徒達が雑然とした列を形作っていた。
 人の流れに流れ流され、これもまた懐かしい有様だと思い返した美香の隣で、眼鏡を掛けた少女が溜息を漏らした。
「……まーったく、高々休み明けの挨拶の為に登下校させるってのも、今時どうかなーって思うんだよね。折角来たんだから、このまま普通に授業を受けさせてくれりゃいいものを」
 織部おりべ昭乃あきのがそう愚痴をこぼした横で、美香は苦笑を浮かべる。
「何? 新学期のしょぱなから堅苦しく勉強始めたい訳、あんた?」
「あたし、合理主義者なんだもん。何事も時間は有効に活用した方がいいじゃん」
 事も無げに言い切った相手の横顔を、美香はいささか引きった笑顔で捉える。
「……『合理主義者』……?」
 まさか、他ならぬこいつの口からそんな言葉が出て来ようとは考えてもみなかった。
 自らをそう評した昭乃は、臨海学校の時と比べて明らかに日に焼けていた。教室で顔を合わせた際、何処か旅行に出ていたのかと問うた美香へ、昭乃は至極平然と答えたのであった。
『やあ、あちこちの心霊スポット巡りしてたから』
 全く、怪談や都市伝説を日々追い掛ける嗜好しこうの何処に、わずかたりとも『合理性』が含まれているというのだろうか。
 内心で呆れる美香の右隣で、うなじの辺りで刈り揃えた髪をポニーテールに結ったもう一人の少女が口を挟む。
「ええー? でも初日から勉強ってのもダルくない? ツッキーの話じゃないけどさ、まずは時差ボケを直すワンクッションみたいなのがあった方がいいんじゃない?」
 そう意見を差し挟んだ友人、三田みた顕子あきこの方へ美香は首を巡らせた。
 こちらは臨海学校の後に髪型を変えたらしい。休み明けに見事イメージチェンジを成し遂げて見せた友人へ、美香もうなずいて見せる。
「やっぱそうだよねー。や、別にこっちもそこまで酷い生活送ってた訳じゃないけど……」
「そんな事言って、案外毎晩のようにクラブに通い詰めてたりしてなかった? 一部じゃ夜の女王みたいに言われてたりして」
「いやあ、流石にそこまでの背伸びは……」
 顕子の言葉に苦笑を返した美香の左隣から、その時、昭乃が冷めた指摘を不意に差し挟む。
「そもそも、極度のビビりのあんたが夜遊びなんか出来るとも思えないけど」
「……悪かったな」
 一転して表情を固まらせて、美香は短く呟いた。
 そんな美香の横で、顕子がふと眼差しを宙に持ち上げる。
「でもさぁ、夜外出する以外にも、休みンなると夜更かしってついついしちゃうもんだからねぇ。夜通しゲームやったり配信眺めたり……」
「まあ、あたしも『調べ物』が沼にまって夜更かしした時はあったかな」
 顕子の言葉に、昭乃もおもむろに首肯した後付け加える。
「言うて今の世の中、つい何となくでも時間潰せたりするからねぇ、実際。自分でも意識しない内に、ズレた生活が染み付いちゃう場合もあるかも知んない」
「ふーん……」
 美香は相槌を打つと、自分の周りで緩やかな流動を続ける生徒達の人波を見遣った。
「……んじゃ、今もこん中で必死にまぶた持ち上げてる人もいたりすんのかね?」
「かもねぇ」
 美香の言葉に、顕子が鼻息交じりの相槌を打った。
 と、そこで昭乃が不意に声を上げる。
「あっ、年中寝てそうな人だ」
 かたわらの美香と顕子がその言葉に首を巡らせてみれば、昇降口の手前で何やら生徒達に言葉を掛けている痩身の人影が人込みの向こうにのぞけたのであった。
 遠目からでも見るからに不健康そうな、実に貧相な体躯の男であった。乱れ放題の金髪に汚れの目立つ白衣を着た『あの男』は、廊下から流れて来る生徒達へ言葉を掛けている最中であった。
「あーはいはい、休み明けでお互い積もる話もあるだろうけどね、明日からまた顔を合わせられるんだから追々おいおい打ち解けるようにしなさいねー。友情は一日にして成らずなんだから、変に寄り道なんかせずに真っ直ぐ帰るように」
 一応の筋が通っているような、全く通っていないようなおかしな説教が、昇降口の手前で列を作る生徒達に投げ掛けられていた。貧相な容姿に相違せぬ、当の自身に対しても説得力をまるで持たせていないような何とも気の抜けた声を上げているのは、外国籍と人目で判る面立ちの男性教諭であった。
 見知ったその姿を視界に収めるなり、美香もまた何とも間の抜けた表情を咄嗟とっさに浮かべていた。
 『その男』、稀代の魔術師にして錬金術師にして医学者にして、今は一介の化学教師としての側面をさらしているリウドルフ・クリスタラーは、夏休みを隔てても何一つ代わり映えせぬ力の抜けた空気を華奢な体躯からにじみ出させていた。


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