幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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去年のリッチな夜でした

その20

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                   *

 秋晴れの澄み切った空が、頭上一杯を覆っている。
 ひんやりとした涼しい空気が、辺りを埋め尽くしていた。
 蝉の声も絶えて久しく、辺りに響くのは人の放つ歓声のみである。
 その歓声の寄せる中心に、康介は立っていた。
 マウンドから見渡す景色は今日も変わらず、直線上に打者の姿が見えるばかりであった。
 そう、『いつも』と何も変わりはしない。
 キャッチャーのサインにうなずいた後、康介はゆっくりと振り被った。
 『いつも』と変わらず、これまでずっと繰り返して来た通りに。
 指先から、白球が飛び出して行った。
 ホームベースへ向けて、その奥に構えられたミットに向けて、放たれたボールは真っ直ぐに突き進む。
 空気を唸らせて、バットがそこへ食らい付いた。
 周囲から、一際大きな歓声が上がった。
 金属バットが白球をね返すあの甲高い音は、ついに上がらなかった。
 代わって、アウトとチェンジを告げた審判の声がマウンドにまで届いた。
 深く、そして緩やかに息を吐くと、康介は三塁側のダグアウトへと戻って行く。野手も次々と駆けて来る中、康介も小走りになって己の陣地へと帰ったのだった。
 攻守所を変え、野手達はグローブをバットに持ち替えて打席へと向かう。
 その中で一人、奥のベンチにて身を休める康介の下へ、ふと影が差した。顔を上げてみれば、壮年の監督がいつしか目の前に立っていた。
「今の投球は良かったぞ」
「どうも……」
「中継ぎも板に付いて来たな」
 照れと恐縮から思わず目を逸らした康介の前で、壮年の監督は笑顔を浮かべた。
 康介はただ、自分の手先を見つめた。
 つい先程まで白球を握り締めていたその手を、彼は見ていたのである。
 ロジンバッグの白い粉がこびり付いた、誰のものでもない己の手を。
 そうだ。
 これが、この有様こそが本来の自分の姿なのだ。
 そう在るべきなのだ。
 『いつも』通りに振る舞えれば何も問題は無い。
 この腕が、この指先が十全に動けば、結果は必ず付いて来る。
 きっと大丈夫だ。
 きっと。
「いいピッチングだった」
 壮年の監督がそう讃えた時、その背後から快音が届いた。
 康介が顔を上げてみれば、打席を飛び出した打者が一塁を回った所であった。内野の頭上を飛び越えた打球が返って来るまでの間に、走者へと変わった彼は二塁にまで進む。
 康介の周囲は、にわかに盛り上がった。
 壮年の監督も挑戦的な笑みを唇端に湛え、二塁に立つ選手を見遣る。
「いい音したなぁ……」
 日陰の中でも、ベンチは俄然がぜん盛り上がりを見せた。
 その陰の奥から、康介は今も眩い日差しの満ちるグラウンドへ目を向ける。
 輝く光の中に、『あいつ』の姿が浮かび上がっていた。
 二塁を踏み締め、誇るでもなく毅然と構えながら、真っ直ぐにホームベースを見据える透の姿が。
「野手転向は正解だったかな。投げるより打つ方が性に合ってんじゃないか、あいつ」
 壮年の監督が喜色を露わにした。
 その背後で、康介の眼差しが静かに下降して行く。
 康介はただ、己の手を見つめた。
 大丈夫だ。
 このままでも、俺は行ける。
 前へと進める。
 でも……
 日陰の中で、その双眸そうぼうが弱いきらめきを発した。
 その先で、俺はどうする積もりなんだ?
 俺は、『あいつ』を追い越したいのか。
 それとも……
 そこで、康介はむっくりと顔を上げた。
 燦々と降り注ぐ日差しの中に、尚も『あいつ』は立っていた。
 まるで一枚の写真のように、金子透は光の中に立っていたのだった。
 ……『あいつ』に置いて行かれたくないだけなのか。
 ベンチに腰掛けたまま、康介はわずかに肩を落としたのだった。
 試合の白熱した空気とは別に、乾いた風がダグアウトに吹き込んで来た。
 木枯らしの気配を乗せた、冷たい風であった。
 冬が、間近に迫りつつあった。
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