元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

wanna

文字の大きさ
20 / 28
第一章

5-6.運命の日

しおりを挟む
 酒場の前の通りに、重い沈黙が落ちた。

 ロアンと近衛騎士が無言で視線を交わす。
 やがて、先ほどまで先頭で立っていた騎士が、悔しさを押し殺したような顔で言った。

「……今回の件、王宮に報告させていただきます。竜騎士団長殿」
「好きにしろ」

 ロアンは興味のなさそうな顔で、ため息混じりに答える。

「ただし、王の耳に入る前に脚色したら……そのときは、こっちの番ってことで」

 人好きのする笑みのはずなのに、その浅葱色の瞳は鋭い光を携えていた。
 近衛騎士はそれ以上何も言えず、踵を返す。

「撤収だ。戻るぞ!」

 号令と共に、近衛騎士団は足並みをそろえて引いて行く。
 鎧の擦れる音が遠ざかり、やがて夜のざわめきと混ざって、完全に消えた。

 静寂が落ちる。

 酒場の灯りが、開け放たれた扉越しに夜気へと滲み出ている。
 エギルバルドが鼻先から熱い息を吐き、ゆっくりと首をもたげた。

 取り残されたアマネは、地に足がつかないような現実感のない中で、ロアンと向き合っていた。
 腕には近衛騎士に掴まれていた痕が、くっきりと赤色になって絡みついている。

 ロアンは、そんなアマネから目を離さなかった。

「……怖い思いを、させたな」

 柔らかく、どこか甘さを感じさせる掠れた声は、さっきまで近衛騎士に向けていた声とはまるで違う音色だった。

 竜騎士団長としての鋭さが、すっと消える。
 代わりに浮かんだのは、優しくて、人懐こい笑みだった。

「痛むか?」
「いえ。だいじょうぶ、です」

 反射的にそう答えると、ロアンは小さく首を傾げる。

「本当に?」

 そう言って、アマネの腕にそっと手を伸ばす。
 近衛騎士に掴まれていた部分から少し外れたところに、指先が触れた。

 びくり、とアマネの肩が跳ねる。
 反射的に身を引こうとしたところを、ロアンの手が、逃げ道を塞ぐみたいに優しく包んだ。

「っ」

 掴まれるのは怖い。
 けれど、この手は、さっきの騎士のそれとは違う。
 骨を軋ませるような力ではなく、壊れ物に触れるみたいな、慎重さと温もりがあった。

「……君のことを、探していた」

 ぽつり、とこぼすようにロアンが言った。

「ずっと。……ずっと、前から」

(ずっと?)

 アマネの呼吸が、そこでふっと止まる。

 約一ヶ月前のあの日。
 迷いの森と血の匂い。毒矢に侵され、木々を薙ぎ倒して崩れ落ちていた竜の巨体。
 あの時も、確かに目の前の青年はそこにいた。

 けれど──こんな目で、自分を見ていただろうか。

 ロアンの浅葱色の瞳には、明らかに情があった。
 竜騎士団長としての評価でも、治癒師としての能力でもなく、アマネ個人に向けられた熱が。

「あの、竜の……」

 言いかけたところで、背後から影が覆い被さる。

 巨大な頭部。
 白銀の鱗が、店先のランタンの灯を細かく弾いて、夜の空気にきらきらと煌めく。

「っ、あ!?」

 エギルバルドだった。
 アマネのすぐそばまで首を伸ばし、鼻先を近づける。
 大きなエメラルドの瞳が、ほとんど至近距離でアマネを覗き込んだ。

「あ、ちょ、ちか……っ」

 思わずたじろげば、エギルバルドがくん、と鼻先で服をつつく。
 まるで『無事か?』とでも問うような、控えめな動き。

 次の瞬間、喉の奥からうれしそうな鳴き声が漏れた。
 ごろ、ごろ、と岩の転がるような重低音。きゅう、と細められた瞳。
 
 竜族特有の喉鳴らし……エギルバルドが、全身で喜んでいるのがわかる。

「エギ、やめろ。押すな、アマネが倒れる」

 ロアンが慌てて制止するが、竜は聞く耳を持たず、つん、つん、と何度も鼻先でアマネの胸元を確かめてくる。
 そのたびに、代償によりまだ足元がおぼつかないアマネの身体がぐらつく。

「わ、ちょっと」

 足がもつれかけたところで、ロアンの腕がぐっと背中を支えた。
 腰を引き寄せられる形で、アマネの身体がロアンの胸元に収まる。
 近衛騎士のような鎧はないが、制服の下にある鍛えられた硬い胸板に、アマネの頭がぽすんとぶつかった。
 喧騒の熱を一気に覚ますような夜風の冷たさの中でも、そこにはしっかりとした温もりがある。

「……無茶をするな、君も」

 耳元で、低く苦笑混じりの声がした。

 鼻先をくすぐるのは、夜の外の匂いと、爽やかな柑橘の香り。
 自分より少し高い体温が、背中越しにじんわりと伝わる。

「ご、ごめんなさい」

 条件反射で謝ると、ロアンがふっと息を漏らした。

「謝るのは俺の方だろ」

 そう言って、ゆっくりと腕の力を緩める。
 アマネが自分の足で立ち直ったのを確かめると、ふいにロアンはその右手を取った。

「え」

 指を絡められるのではなく、そっと恭しく掬い上げるような仕草。
 手の甲を上向きに持ち上げられた瞬間、アマネの心臓が、代償の負担とは違う小さな跳ね方をする。

 ロアンは、ほんの短い間だけその指先を眺めた。
 治癒魔法を行使した直後で、まだほのかに熱を帯びている手。そこに、近衛騎士に掴まれてできた赤みと、うっすらと浮かぶ古い傷跡。

 見せてはいけないものを見られたような気がして、アマネは反射的に手を引こうとする。

 けれどその前に。

 ロアンの唇が、ちゅ、と手の甲に触れた。

「っ!?」

 じわっと耳まで一気に熱さが立ち昇る感覚に、肩が震える。

 頬ではなく、指先でもなく、手の甲に。

 貴族や騎士たちが、敬意や忠誠を示すために使う仕草。
 それを、竜騎士団長が、酒場の前で、一介の酒場の受付にむけている。

「や、やめっ」

 アマネが慌てて手を引こうとしても、ロアンはきちんと線を守るように、強くは掴まない。ただ、逃げる前にそっと柔らかな仕草で唇を離すだけだ。

「今は、礼だけ」

 熱を湛えた浅葱色の瞳をゆるりと甘く細めて、ロアンが言う。

「エギを助けてくれて、ありがとう。……二度も」
「……二度?」

 その言葉に、アマネは眉をわずかに寄せた。
 エギルバルドと出会ったのは約一ヶ月前の迷いの森、あのときが初めてのはずだ。
 問い返そうとした時──

「おい団長さん、その辺にしとけ」

 乾いた声が割って入ってきた──ギルバートだ。

 いつの間にか酒場の入り口まで来ていて、壁にもたれながら、血の混じった酒をタオルで雑に拭っている。
 さっきの一撃など、たいしたことはないと言わんばかりの飄々とした顔つきだ。

「うちの従業員、口説くなら中で飲んでからにしろ。表でやられると街の風紀が乱れんだろ」
「口説いてない……まだ」

 ロアンが、少しだけむっとしたような顔をする。

「敬意を示しただけだ」
「その敬意の出し方が、相変わらず分かりやす過ぎんだよ。昔から」

 ギルバートは鼻で笑い、アマネの腕をロアンの手から剥がすようにして引き寄せる。
 そのまま肩を抱いて、さりげなくロアンとの距離をとった。

「この通り、うちのは箱入りなんでな」
「随分大事に隠してくれたな」
「当たり前だろ。お前みてえな物騒なのに触らせるには、まだ早ぇんだよ」

 あまりにも気安い軽口の応酬。
 その馴染んだ調子に、アマネはぱちくりと目を瞬かせる。

「……知り合い?」

 思わず問いかけると、ギルバートとロアンが同時にこちらを見た。

「まあな。ちょっと因縁深い悪友ってとこだ」

 ギルバートが先に答える。

「うちの酒場にはしょっちゅう出入りしてるくらい」
「しょっちゅう、は盛り過ぎだろ」

 ロアンがため息混じりに苦笑する。

「数年前にも一度、君に会いに来たことがあった。だが、その時は……」

 そこで、ロアンは言葉を切った。
 柔らかな光を携えた瞳で微笑まれ、ぐっと喉が鳴る。それも束の間、ロアンはそのままギルバートへ目を細めて視線を移した。

「──うまいこと、隠されたみてえだ」
「うちの受付係、箱入りなんで」

 ギルバートは肩をすくめた。

「それにしては、随分あっさり見つかっちまったけどな、今回」

 その言い方は、近衛騎士ではなくロアンにむけたものだ。

 ロアンは、ほんの少しだけ視線を逸らした。
 エギルバルドのエメラルドの瞳と一瞬だけ目を合わせる。

「……探し方を、変えた」

 短く、それだけ。

 アマネにはその意味がわからない。
 けれど、その言葉に籠る感情の重さだけは、漠然と感じ取れてしまう。
 どう反応していいかわからず、視線を落としかけたその瞬間。

 空気が、震えた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

稀代の英雄に求婚された少年が、嫌われたくなくて逃げ出すけどすぐ捕まる話

こぶじ
BL
聡明な魔女だった祖母を亡くした後も、孤独な少年ハバトはひとり森の中で慎ましく暮らしていた。ある日、魔女を探し訪ねてきた美貌の青年セブの治療を、祖母に代わってハバトが引き受ける。優しさにあふれたセブにハバトは次第に心惹かれていくが、ハバトは“自分が男”だということをいつまでもセブに言えないままでいた。このままでも、セブのそばにいられるならばそれでいいと思っていたからだ。しかし、功を立て英雄と呼ばれるようになったセブに求婚され、ハバトは喜びからついその求婚を受け入れてしまう。冷静になったハバトは絶望した。 “きっと、求婚した相手が醜い男だとわかれば、自分はセブに酷く嫌われてしまうだろう” そう考えた臆病で世間知らずなハバトは、愛おしくて堪らない英雄から逃げることを決めた。 【堅物な美貌の英雄セブ×不憫で世間知らずな少年ハバト】 ※セブは普段堅物で実直攻めですが、本質は執着ヤンデレ攻めです。 ※受け攻め共に、徹頭徹尾一途です。 ※主要人物が死ぬことはありませんが、流血表現があります。 ※本番行為までは至りませんが、受けがモブに襲われる表現があります。

結婚することになったんだけど、相手が死人でした

河野彰
BL
俺、里見ヒカル。  この度、「死人」の花嫁になることになりました。

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

異世界転移してΩになった俺(アラフォーリーマン)、庇護欲高めα騎士に身も心も溶かされる

ヨドミ
BL
もし生まれ変わったら、俺は思う存分甘やかされたい――。 アラフォーリーマン(社畜)である福沢裕介は、通勤途中、事故により異世界へ転移してしまう。 異世界ローリア王国皇太子の花嫁として召喚されたが、転移して早々、【災厄のΩ】と告げられ殺されそうになる。 【災厄のΩ】、それは複数のαを番にすることができるΩのことだった――。 αがハーレムを築くのが常識とされる異世界では、【災厄のΩ】は忌むべき存在。 負の烙印を押された裕介は、間一髪、銀髪のα騎士ジェイドに助けられ、彼の庇護のもと、騎士団施設で居候することに。 「αがΩを守るのは当然だ」とジェイドは裕介の世話を焼くようになって――。 庇護欲高め騎士(α)と甘やかされたいけどプライドが邪魔をして素直になれない中年リーマン(Ω)のすれ違いラブファンタジー。 ※Rシーンには♡マークをつけます。

異世界転移して美形になったら危険な男とハジメテしちゃいました

ノルジャン
BL
俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。

明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。 新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。 しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…? 冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。

処理中です...