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番外編SS
熱帯夜
レーナルトの執務室をリティシアの侍女が訪れたのは、一日の政務を終えようかという頃合いだった。リティシアが嫁いできた時に、彼がつけてやったリーザだ。
「今日の夕食はご一緒できないとのことです」
「何かあったか?」
最後の書類にサインしながらレーナルトはたずねる。レーナルトとの時間をリティシアが断ってくるというのは、珍しいことだ。
「お熱が少し……」
昨日リティシアは病院の視察に出かけたのだが、どうやらそこで風邪をもらってきたらしい。もうすぐ夏。季節はずれもいいところだ。
「そうか、わかった」
レーナルトはリーザをリティシアの部屋に帰してやる。
この分では今夜は夫婦の寝室ではなくそれぞれの寝室で、ということになりそうだ。
リティシアが一緒でないのならば、のんびり夕食をとる必要はない。パンに具材を挟んだ物を運ばせて、それをかじって夕食をすませることにする。
長引いた政務につき合わされた宰相にとっては気の毒なことではあるが。
そうしてレーナルトが夜半過ぎに自分の寝室へと入る。その奥にある扉を開けば夫婦の寝室。今夜はリティシアはここにはいない。
レーナルトは夫婦の寝室からリティシアの寝室へ続く扉の前に立ってしばらく考える。それから音をたてないように注意しながら扉を開いた。
リティシアが嫁いできたばかりの頃、同じように熱を出したことがある。その時、侍女たちはさがらせて彼女は一人で寝ていた。今夜もやはりリティシアには誰も付き添っていなかった。
ベッド側のテーブルには水差しとグラス。それと呼び鈴が置かれている。椅子を引き寄せてレーナルトはそこに腰かけた。
リティシアの額に手をあてて、彼は顔をしかめる。かなり高い。髪が濡れるほどに汗をかいて、髪がぺたりと額にはりついている。そのまま首筋に手を滑らせる。そこも汗でべとついていた。
「……陛……下……?」
うっすらとリティシアの目が開く。
「着替えなさい。汗をかいている」
レーナルトはリティシアの背とシーツの間に手を入れて抱き起こそうとした。
シーツに触れた手が不愉快な湿り気を感じ取る。シーツも変えてやった方がよさそうだ。
「……痛い……です……」
力なくリティシアはレーナルトの手を払おうとした。
「……背中」
背中が痛いとリティシアは続ける。高熱で関節が痛くなっているらしい。
「がまんしなさい。着替えないと、悪化する」
「……いや」
ふるふると首を横にふって、リティシアはレーナルトの言葉を阻む。
「いや、ではなくて。言うことをききなさい」
レーナルトは強引にリティシアを抱き上げた。
汗に濡れた夜着を肩から滑り落とす。
「……自分で、できます……」
かたかた震えているリティシアは、それでも彼の手を拒んで自分で汗を拭おうとする。その手をとめて、レーナルトは強引に彼女の汗をふき取ってすぐ側に用意されている夜着をまとわせた。
紐を結んでいる間も彼女は小声で寒い、痛いとつぶやいている。
リティシアを毛布にしっかりとくるみこんで、彼はリティシアを膝に抱き上げる。それからテーブルの上に置かれている呼び鈴を鳴らした。
「すまないがシーツを変えてやってくれないか」
入ってきた侍女にレーナルトは命令した。リティシアの母親ほどの年齢であるゲルダは、かしこまりましたと頭をさげててきぱきとシーツを新しい物へとかえ、濡れた夜着とシーツを抱えた。
「わたくしは隣に控えておりますので」
と、ゲルダはレーナルトに言い残して寝室を出ていく。
レーナルトは毛布にくるんだリティシアの髪をなでた。
「水は?」
問われてリティシアは、こくりと頷いた。膝の上にリティシアをのせたまま、レーナルトはテーブルの水差しからグラスに水を注いで彼女の口元へと持っていく。
二口ほど飲んで、リティシアはもういらないの意思表示に首を横にふった。
シーツをかえたベッドにゆっくりと彼女をおろす。
「……レーナルト、様……」
かすれた声で、彼女はレーナルトの名前を呼んだ。
「どうした?」
さらに小声で寒い、とリティシアは訴える。
レーナルトは呼び鈴を鳴らして、ゲルダを呼んだ。毛布を運ばせてさらに二枚かけてやる。
それからリティシアの居間の方へと戻っていくゲルダについて寝室を出ると、彼女にたずねた。
「医師はなんと言っている?」
「風邪です。たいしたことはないという話だったのですが……」
困惑した表情でゲルダは返す。夜に熱が上がるかもしれないという話だったが、まさかこれほどとは彼女も思っていなかった。
「先生をお呼びしましょうか?」
「薬は飲んだのか?」
「はい。お夕食は果物を少しだけ……ですが、その後にきちんとお飲みになりました」
「……そうか。しばらく様子をみてみようか。夜が明けてもさがっていなかったら呼ぶことにしよう」
熱が高いだけで急ぐ必要はないだろうとレーナルトは判断する。
「わたくしが付き添いましょう」
ゲルダの申し出をレーナルトは却下した。
「いや、いい。わたしが付き添っていよう」
レーナルトはゲルダをさがらせて、リティシアの寝室へと戻る。
「リティシア」
と、名を呼ぶと、リティシアは目を開く。
「……まだ……寒いのです……」
汗ばむほどに室内は暑いのに、リティシアは歯をかたかたと鳴らしている。
「……困ったな」
レーナルトはリティシアの隣に潜り込んだ。そしてリティシアを腕の中に抱え込む。
頬を寄せてきたリティシアは、彼の夜着の紐を引っ張った。解いた夜着の隙間から手を入れてぴったりとくっついてくる。
「……まだ寒い?」
彼の胸に押しつけられたリティシアの顔が左右に動く。少し寒気がやわらいだようだ。
小さく咳き込んで、リティシアは彼にもっと身体を寄せる。
レーナルトはリティシアの身体に両腕を回した。腕の中で小さく彼女は身動きして、一番落ち着く体勢を取る。
暑い。否定しようもない。
薄い上掛け一枚でも暑い時期だというのに毛布を三枚重ねている上に発熱しているリティシアが密着状態だ。
密着しているリティシアは、ようやく安堵したのか寝息をたて始めた。
しかたない。汗をだらだら流しながら、彼はひたすらリティシアに寄り添う。
一日二日眠らなかったところで、彼はさほどこたえない。もう少しリティシアが落ち着くまでこうしていよう。
夜明け前、レーナルトは目を開いていつの間にか毛布をはねのけてしまっていたことに気がついた。はねのけた毛布はリティシアの上に丸まっている。
リティシアの額に手をあてる。昨夜ほどではないが、まだ熱が残っている。
ベッドから抜け出て、レーナルトはテーブルの上の水差しを手に取った。生ぬるい水をグラスに注いで一気にあける。
いつの間にか、寝室に彼の分の着替えも用意されていた。新しい夜着に着替えてリティシアに声をかける。
「リティシア、起きなさい」
「……レーナルト様?」
ゆさぶられたリティシアは寝ぼけた声で彼に返す。
「もう一度着替えなさい」
今度はリティシアは自分で着替えた。昨夜よりだいぶ落ち着いているようだ。
ゲルダにかわって呼ばれたタミナがシーツをかえ、テーブルの水差しを冷たい水の入ったものと取り替えて退室する。
彼女を見送ってリティシアはベッドによじ登った。当然のような顔をして着いてくるレーナルトを追い返そうとする。
「……うつってしまいます」
「今更だ。昨夜はしがみついてきたくせに」
「……覚えてませんっ」
せめてもと背を向けたリティシアにレーナルトはおやすみ、と声をかけた。
リティシアは気にしていたのだが、頑丈な彼には風邪はうつらなかったという。
「今日の夕食はご一緒できないとのことです」
「何かあったか?」
最後の書類にサインしながらレーナルトはたずねる。レーナルトとの時間をリティシアが断ってくるというのは、珍しいことだ。
「お熱が少し……」
昨日リティシアは病院の視察に出かけたのだが、どうやらそこで風邪をもらってきたらしい。もうすぐ夏。季節はずれもいいところだ。
「そうか、わかった」
レーナルトはリーザをリティシアの部屋に帰してやる。
この分では今夜は夫婦の寝室ではなくそれぞれの寝室で、ということになりそうだ。
リティシアが一緒でないのならば、のんびり夕食をとる必要はない。パンに具材を挟んだ物を運ばせて、それをかじって夕食をすませることにする。
長引いた政務につき合わされた宰相にとっては気の毒なことではあるが。
そうしてレーナルトが夜半過ぎに自分の寝室へと入る。その奥にある扉を開けば夫婦の寝室。今夜はリティシアはここにはいない。
レーナルトは夫婦の寝室からリティシアの寝室へ続く扉の前に立ってしばらく考える。それから音をたてないように注意しながら扉を開いた。
リティシアが嫁いできたばかりの頃、同じように熱を出したことがある。その時、侍女たちはさがらせて彼女は一人で寝ていた。今夜もやはりリティシアには誰も付き添っていなかった。
ベッド側のテーブルには水差しとグラス。それと呼び鈴が置かれている。椅子を引き寄せてレーナルトはそこに腰かけた。
リティシアの額に手をあてて、彼は顔をしかめる。かなり高い。髪が濡れるほどに汗をかいて、髪がぺたりと額にはりついている。そのまま首筋に手を滑らせる。そこも汗でべとついていた。
「……陛……下……?」
うっすらとリティシアの目が開く。
「着替えなさい。汗をかいている」
レーナルトはリティシアの背とシーツの間に手を入れて抱き起こそうとした。
シーツに触れた手が不愉快な湿り気を感じ取る。シーツも変えてやった方がよさそうだ。
「……痛い……です……」
力なくリティシアはレーナルトの手を払おうとした。
「……背中」
背中が痛いとリティシアは続ける。高熱で関節が痛くなっているらしい。
「がまんしなさい。着替えないと、悪化する」
「……いや」
ふるふると首を横にふって、リティシアはレーナルトの言葉を阻む。
「いや、ではなくて。言うことをききなさい」
レーナルトは強引にリティシアを抱き上げた。
汗に濡れた夜着を肩から滑り落とす。
「……自分で、できます……」
かたかた震えているリティシアは、それでも彼の手を拒んで自分で汗を拭おうとする。その手をとめて、レーナルトは強引に彼女の汗をふき取ってすぐ側に用意されている夜着をまとわせた。
紐を結んでいる間も彼女は小声で寒い、痛いとつぶやいている。
リティシアを毛布にしっかりとくるみこんで、彼はリティシアを膝に抱き上げる。それからテーブルの上に置かれている呼び鈴を鳴らした。
「すまないがシーツを変えてやってくれないか」
入ってきた侍女にレーナルトは命令した。リティシアの母親ほどの年齢であるゲルダは、かしこまりましたと頭をさげててきぱきとシーツを新しい物へとかえ、濡れた夜着とシーツを抱えた。
「わたくしは隣に控えておりますので」
と、ゲルダはレーナルトに言い残して寝室を出ていく。
レーナルトは毛布にくるんだリティシアの髪をなでた。
「水は?」
問われてリティシアは、こくりと頷いた。膝の上にリティシアをのせたまま、レーナルトはテーブルの水差しからグラスに水を注いで彼女の口元へと持っていく。
二口ほど飲んで、リティシアはもういらないの意思表示に首を横にふった。
シーツをかえたベッドにゆっくりと彼女をおろす。
「……レーナルト、様……」
かすれた声で、彼女はレーナルトの名前を呼んだ。
「どうした?」
さらに小声で寒い、とリティシアは訴える。
レーナルトは呼び鈴を鳴らして、ゲルダを呼んだ。毛布を運ばせてさらに二枚かけてやる。
それからリティシアの居間の方へと戻っていくゲルダについて寝室を出ると、彼女にたずねた。
「医師はなんと言っている?」
「風邪です。たいしたことはないという話だったのですが……」
困惑した表情でゲルダは返す。夜に熱が上がるかもしれないという話だったが、まさかこれほどとは彼女も思っていなかった。
「先生をお呼びしましょうか?」
「薬は飲んだのか?」
「はい。お夕食は果物を少しだけ……ですが、その後にきちんとお飲みになりました」
「……そうか。しばらく様子をみてみようか。夜が明けてもさがっていなかったら呼ぶことにしよう」
熱が高いだけで急ぐ必要はないだろうとレーナルトは判断する。
「わたくしが付き添いましょう」
ゲルダの申し出をレーナルトは却下した。
「いや、いい。わたしが付き添っていよう」
レーナルトはゲルダをさがらせて、リティシアの寝室へと戻る。
「リティシア」
と、名を呼ぶと、リティシアは目を開く。
「……まだ……寒いのです……」
汗ばむほどに室内は暑いのに、リティシアは歯をかたかたと鳴らしている。
「……困ったな」
レーナルトはリティシアの隣に潜り込んだ。そしてリティシアを腕の中に抱え込む。
頬を寄せてきたリティシアは、彼の夜着の紐を引っ張った。解いた夜着の隙間から手を入れてぴったりとくっついてくる。
「……まだ寒い?」
彼の胸に押しつけられたリティシアの顔が左右に動く。少し寒気がやわらいだようだ。
小さく咳き込んで、リティシアは彼にもっと身体を寄せる。
レーナルトはリティシアの身体に両腕を回した。腕の中で小さく彼女は身動きして、一番落ち着く体勢を取る。
暑い。否定しようもない。
薄い上掛け一枚でも暑い時期だというのに毛布を三枚重ねている上に発熱しているリティシアが密着状態だ。
密着しているリティシアは、ようやく安堵したのか寝息をたて始めた。
しかたない。汗をだらだら流しながら、彼はひたすらリティシアに寄り添う。
一日二日眠らなかったところで、彼はさほどこたえない。もう少しリティシアが落ち着くまでこうしていよう。
夜明け前、レーナルトは目を開いていつの間にか毛布をはねのけてしまっていたことに気がついた。はねのけた毛布はリティシアの上に丸まっている。
リティシアの額に手をあてる。昨夜ほどではないが、まだ熱が残っている。
ベッドから抜け出て、レーナルトはテーブルの上の水差しを手に取った。生ぬるい水をグラスに注いで一気にあける。
いつの間にか、寝室に彼の分の着替えも用意されていた。新しい夜着に着替えてリティシアに声をかける。
「リティシア、起きなさい」
「……レーナルト様?」
ゆさぶられたリティシアは寝ぼけた声で彼に返す。
「もう一度着替えなさい」
今度はリティシアは自分で着替えた。昨夜よりだいぶ落ち着いているようだ。
ゲルダにかわって呼ばれたタミナがシーツをかえ、テーブルの水差しを冷たい水の入ったものと取り替えて退室する。
彼女を見送ってリティシアはベッドによじ登った。当然のような顔をして着いてくるレーナルトを追い返そうとする。
「……うつってしまいます」
「今更だ。昨夜はしがみついてきたくせに」
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リティシアは気にしていたのだが、頑丈な彼には風邪はうつらなかったという。
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