上 下
23 / 30
不思議なお話しNo31

時間がゆったりと流れる瞬間

しおりを挟む
 今日のテーマの表題は、ちょうっと妙な表現になってしまいました。「瞬間」は一瞬のことですし、「ゆったり」はその正反対の状態を意味する言葉です。とはいえ、それを体験した人ならば、この表現がぴったりとくるとはずです。一瞬の出来事なのに、それを体験している本人にとっては、その時間がゆったりと流れているとしか感じないのですから。
 このような特殊な経験をした人はそう多くはないと思いますが、誰でも、こんな経験はお持ちではないでしょうか。それは、楽しい時は一瞬にして過ぎてしまうのに、苦しい時は永遠に続くのでは、と思うほど長く感じるという経験です。
 気のあった仲間と酒を酌み交わしながらお喋りしている時は、あっと思う間に時間が過ぎてしまのに、くだらない実りのない会議にうんざりしている時は、決められた終了時間までが長いこと、長いこと。時計を見るたびに、嘘だろ、まだ5分もたっていない、なんて思うこともしばしばです。

 では、さっそく時間がゆったりと流れた僕の一瞬の体験談をお話ししたいと思います。あれは小学校低学年の頃のことで、農家の友人の家に遊びに行った時の出来事です。
 僕の住んでいた町の農家と言えば、母屋の裏は雑木林になっているのが普通で、その友人の家の広い雑木林は僕たちのかっこうの遊び場でした。とにかく、昆虫を捕まえたり、秘密基地を作ったり、木登りしたり、遊びの種は尽きません。その日、僕は友人たちと木登りに興じていました。
  その時は、随分と高く上ったものだと思っていましたが、今から思うと恐らく2~3メートルくらいだったのかもしれません。僕は得意になって下にいる友人に声を掛けていたのですが、その時、つかんだ枝が折れてしまったのです。あっと思う間もなく、僕の体は空中に投げ出されました。その時、それが起こったのです。
 最初に、僕の目に飛び込んできたのは、万華鏡と見まごうばかりに光りく輝く木漏れ日です。夏の強い日差しが、緑の折り重なる枝葉を透過し、心なしか揺れるその緑の濃淡の隙間を縫ってきらきらと輝いていました。
 落下しているという恐怖感はありませんでした。それよりその幻想的な美しさに見惚れていたのです。僕の口から思わず「わー、綺麗」という声が漏れました。僕は目を瞠り、その光景を見続けていたのです。実際には1秒もなかったはずですが、僕には時間が止まっているようにしか思えませんでした。
 そして衝撃が背中を直撃しました。その瞬間、僕は木から落ちたことを思い出したのです。幸い下は柔らかな腐葉土ですから頭は打っていません。苦しかったのは胸で、背中を強く打ったために息が出来ません。本当に死ぬかと思いました。そして、ふと、視線がそれを捉えたとき、僕は背筋の凍る思いに襲われたのです。
 すぐ隣に切り株がありました。半分鉈で切り、半分は無理に折ったたため、鋭く尖った木の幹の残骸が突き出ていたのです。ここに落ちたらイチコロでした。僕は今でも、と言っても、だいぶ靄がかかってきてはいますが、その光りと緑の織りなす幻想的な光景と、その尖った切り株を思い出すことが出来ます。それほど衝撃的な光景だったということです。
 次に紹介するのは、僕の三社目の勤め先で部下だった男の話です。酒のついでに、僕がこの体験談を披露すると、「実は…」と、彼の仲間の誰もが信じようとしなかったという、彼の経験談を話し始めました。
 彼は当時もライダーでしたが、若い頃はそれこそ無茶をやった口で、地元箱根の山道をバイクでぶっ飛ばすのが趣味だったそうです。その日、いつものように急カーブが続く山道を相当のスピードで登っていた時のことです。カーブにさしかかり、車体を傾けかけた時、前方にいきなりトラックが現れたのです。それもかなりのスピードです。
 彼は一気に減速しましたが、既にトラックは目の前です。一瞬トラックの車体に吸い込まれるような感覚に襲われた彼は、咄嗟に、左足のブーツを地面につけ、思い切り車体を山側に傾けます。
 その、すれ違う一瞬でした。トラックの車体に書かれた社名「弥生京極運輸(株)」の一文字一文字が目にとまり、ゆっくりとそれが読めたというのです。互いに猛スピードですれ違ったのですから、百分の数秒の世界です。本来であれば字など読めるはずはありません。
 この話はいかにもありそうに思え、僕の小説「無明のささやき」の中で主人公のエピソードに使わせてもらいました。そして、主人公が寝込みを襲われ拳銃で撃たれるシーンがあるのですが、その時、同じように時間がゆっくり流れ始め、襲ってきた暴漢の動きがスローモーションのように見えるわけです。しかし、主人公は普通に動くことが出来たため、難を逃れるという設定です。はたして、こんなことが本当に可能なのでしょうか? 書いた僕本人が疑問を抱き続けました。

 さて、これはよく耳にするのですが、転落事故に合った方はその時のことをスローモーションのように感じたと証言するそうです。この時、実際に意識だけは普通に働き、時間だけがゆっくりと流れたのか、それともそれは錯覚だったのか、というテーマで実験した方がおられます。その実験はこんな風な行われ、その結果も出ています。
 用意されたのは腕時計です。この腕時計には任意の数字が次々と現れますが、静止した状況でじっとそれを見詰めても、視覚の反応速度よりやや早めに表示されるため、数字を認識することはできません。
 被験者にそれを装着させ、50メートルの高さから後ろ向きに落とします。勿論下にはネットが張ってあって死ぬことはありません。この学者は、恐怖心が時間を遅らせると考えたようです。結果は、ネットに落ちるまでの間、被験者はまるでスローモーションのように感じたし、恐怖もひとしおでしたが、時計の数字を読めた人はいませんでした。
 この実験結果は、人は恐怖を感じると、時間がゆっくりと流れると認識されること、そして視覚の反応速度は静止していた時と全く変わらないこと、この二つの事実を確認できたことと併せて、よく知られた事実を追認することになりました。その事実とは、脳が高速で働くとき、時間がゆっくりと流れていると感じるということです。
 例えば、子供は常に学習しながら生きていますから脳は活動しっぱなしで休む暇もありません。従って、時間はゆっくりと流れます。これに対し、老人は全て学習済みですから脳は休みっぱなしで、時間はあっという間に流れます。 
 つまり、落下する人間はその恐怖を逃れるにはどうしたらいいのか、休みっぱなしだった脳が急に目覚め、活発に動き出すのです。そのために、時間がゆっくりと流れて、まるでスローモーションのように感じるというわけです。
 どうも、僕の小説で展開したワンシーンはありそうもないと言う結論のようですが、元々僕は頑固なところがあり、しかも屁理屈の徒ですから、この実験について疑問を感じていおり、僕なりの論を展開したいと思います。

 まず始めにこの実験では、僕と僕の元部下、そして落下事故を起こした人々が感じた危険に対する切迫感の度合いが低すぎることがあげられます。実験の被験者達は下にネットがあることにより死ぬ危険が全くないということは分かっており、僕たちのように、或いは死ぬかもしれないという危機意識はありません。僕の場合は「落下しているという恐怖感はありませんでした」と書きましたが、意識の深層にはそれがあったことは確かです。  
 次に、僕の元部下の証言と食い違うという点です。彼は「一文字一文字が目にとまり、ゆっくりとそれが読めた」と証言しています。これに対し、実験では全員が時計に表示された数字を読めませんでした。この、どちらかが正しいとするなら、僕は元部下の証言を採用します。
 もちろん、元部下が、僕に合わせて嘘の証言をした可能性も否定できません。しかし、僕は彼の人柄を信頼していますし、彼が言った一言で、真実を語っていると判断したのです。
 その一言とは、「その会社の名前は今でもはっきりと覚えているんです」と言って、変わった響きのある会社名を僕に告げました。その彼の言った会社名を、僕は覚えていませんでしたから、仮に「弥生京極運輸(株)」と、ちょっと変わった社名にしておきました。彼が、その風変わりな会社名をわざわざ創作したとは思えないのです。

 さて、以前に「僕の不思議なお話No5 奥様は超能力者」において「不思議な現象の謎を解く鍵は極度の集中力」にあると述べました。そして、僕は妄執とはいえ、極度の集中力によって未来に飛びましたが、(「不思議なお話No8 僕が時空を超えた瞬間」参照)実は、人が極度の集中力を発揮したり妄執に陥っている時、その人の脳は高速で活動しているのですから、時間は長くなっているはずです。
 ということは、極度の集中力を発揮し、時間を長く感じる状態を持続させれば、不思議の世界に近づけることになります。そして、スエデンボルグが現代の科学者を驚かせるほどの先進的な著作を遺していることから、18世紀最高の科学者と評されるようになったことを思うと、もしかしたら、彼の集中力は桁外れだったのかもしれません。その桁外れな集中力によって、霊界を探訪する能力を得たとも考えられます。
 そして、死の危機に瀕した場合にも、桁外れな集中力が働くことになります。つまり、死から逃れようと脳が信じられないスピードで活動し始めるのです。その結果として、不思議が顔を覗かせます。死から逃れられる術があるなら、何とか回避させようとする力が働き、時間を引き延ばしてくれる、という考え方は如何ででしょうか? 「不思議なお話NO27 お試しの原理」で述べた空に内在する力が働くというわけです。
 僕は思うのですが、自然の原理ってすごく人間に優しいのです。例えば、怪我をすれば脳内麻薬物質が大量に分泌されて痛みを和らげてくれたり、真理を欲して研究に没頭すれば、その手助けして真理を垣間見せたり、偶然を装ってヒントを与えたりしてくれます。ですから、人が危機に陥った時、時間を引き延ばしてくれるというのも、何となく頷けるというわけです。

 えっ、何ですって? 時間がゆったりと流れるとき、人は普通に動けるのか否かの問題はどうなったのか、ですって! うーん、やっぱり覚えていましたか? 
 今の僕が言えることは、僕は元部下の証言、時間がゆっくりと流れて、瞬時に交差したにも関わらず、トラックに書かれた社名を読めたという話を信じているということだけです。僕はこの伝聞情報、視覚だけはゆっくりと流れる時場(造語です)にあったことを信じましたが、皆さんに、それ以上のことを信じろというのは無理というものです。何故なら皆さんは彼を知らないのですから。
 でも、もし皆さんがそんな危機に陥ってときには、是非それを試してみてください。そして、その結果をご一報くださいますようお願い申し上げます。(僕はそんな危機など、ご免被りたいので、どうか、神様、これ以上の試練は、ご勘弁を…)
しおりを挟む

処理中です...