或いは、そんな事件(きっかけ)

冴季栄瑠

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三章

三節 徳村芽衣のモテ期

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 矢澤家は、少し「親子」の触れ合いの時間を増やしたいとのことで、悠馬はしばらくCOCORONをお休みすることになった。

 やんちゃな悪ガキと思っていた時期もあったが、リーダー格で群れを引っ張っていた悠馬がいないと、教室が途端に静かになったように感じる。
 夕方になると妙な存在感でもって迎えに現れた矢澤氏の姿も見えず。
 どうしてか寂しいような、ぽっかりと穴があいたような気持ちになった。

 そうこうしているうちに、季節は本格的な夏へと移り変わり――。
 なにかというと「暑い」という単語が頭の大部分を占めて、そればかりになる。
 学校も夏休みに入り、子どもたちが朝からこちらに押し寄せて、仕事量は実に三倍増し。
 同時にプライベートの方も忙しくなったため、余計なことに思いをめぐらす暇がなくなった。

『芽衣ちゃん、明日の映画だけど、何時の回にする? ご飯はどうする?』
『光一さん、こんばんは。映画は一時からの回にして、その前にランチしませんか』
『了解。じゃあいつもの場所に十一時集合で』

 メールのやりとりも、すべての履歴を遡りきれないほど増えた。

 私・徳村芽衣は婚活パーティーで知り合った有川光一氏と、お付き合いをはじめている。
 人生がトントンと回り出した……のだろうか?
 二回目のデートで交際を申し込まれ、週末などに会う約束をするようになった。

 有川氏は若干きどっているところがあるが、フェミニストで荷物を持ってくれたり、ご飯もほとんど奢ってくれるので、悪い気はしない。

「女の子って、最初はつつましくていいんだけど、だんだん欲張りになるじゃない? 前の彼女は、それはワガママなんじゃないかなって思うことがよくあって。その点、芽衣ちゃんはサバサバしてるし、一緒にいて楽だな」

 こちらからしたら、十分に女の子扱いしてくれることが新鮮だ。
 割り勘上等、疲れてるから荷物持ってくれって頼んでくるような男とお付き合いしていた過去を、黒歴史に感じてしまう。

 彼氏ができたことは、正直嬉しい。けれど、そんなに男女の機微に長けているほうではないので(そもそも、きちんとお付き合いした相手は、有川氏で二人目だ)、相方にのめり込むには至らず、むしろ若干戸惑いながら、友達の延長線のように軽く考えてしまっていた。

 ある日、何度目かのデートのあと、ビアレストランでの食事中。
 有川氏から「結婚を前提に考えても、いいよね?」と言われて、きょとんとする。
 この年齢での付き合いだから、当然その可能性を視野に入れてはいたが、まだ知り合ってから一カ月ほどしか経っていない。

「結婚……本当にわたしでいいの?」

「芽衣ちゃんだから、いいんだよ。ごめんね、急に」

「いや……でも、光一さんもどっちかいったら、結婚なんてまだ先だねってタイプかと」

「うん、少し前まではそう思ってたんだけど……実は、母の病状がよくなくて。入院が長引いて不安になってるみたいでさ。ちょっとでも安心させてあげたい気持ちがあって……」

 有川氏もまた、母ひとり子ひとりらしく、お母様は入院中とのこと。
 もちろん、わが徳村家としても結婚話は悪いことではなく、嫁の貰い手が見つかったとなれば母は喜び勇んで親戚に電話をかけまくるに違いない。

 それでもこういったことは、人生の一大事。すぐには即答できなくて、家に持ち帰った。

   *  *  *

 母に話をすると、意外にも、飛びつく風を見せない。
 目を泳がせながら「年齢を考えたらそうなるでしょうね」と頷いた。

 「どんな人? 今度会わせてちょうだい」と言った声は上ずっていたから、母にしても青天の霹靂だったのだろう。照れくさくて、今までの経緯を詳しく話していなかったせいもある。

 婚活パーティーに誘ってくれた朋美にも相談してみたが、携帯を耳から離してしまうほど大声で興奮しだし、背中を押された。

「これを逃したら、もう次はないよ! 世の中には、お見合いで結婚する人だっているわけだしさ。お互いの良いところはこれから探していくのでいいんだよ。もちろん悪いところも見えてくるけど、そこは妥協。夫婦なんてそんなもの!」

 そうかなあ。

「嬉しくないの? 普通はガッツポーズで喜ぶところだよ。もちろん彼の前では、信じられない! 幸せ! って顔で、キラキラ~っと目を潤ませてね」

 いや、嬉しくないわけではないのだが……。
 お互い好きあっていて、一緒にいたいから結婚する。そんな恋愛結婚に憧れていたし、「この人だ」と判断するには時間が必要だと思っていた。
 じっくり時間をかけて、歩んでいきたかった。スピード婚みたいな展開は不安でしかない。

 だが今が最大のチャンスであることはわかる。
 迷いに迷ったが、最終的には、母親の一言、

「駄目だと思ったら、そのときに別れてもいいのよ? わたしを見なさいよ。先のことを恐れていたら何もつかめないわよ」

 などと言われて、心を決めた。
 本当にこんなんでいいのか自分。そして離婚という経験を積んだせいで、ざっくばらんになった母。

 翌日、有川氏に承諾の返事を伝えると、彼は「嬉しいよ」と爽やかな笑顔をみせた。
 その時ばかりはこちらもほんわかとした気持ちになり、あぁわたしなんかが相手で喜んでくれるのか、いい返事をして良かったと、満足する。

 けれど、胸の片隅にチクリと引っかかるものを感じたのはなぜだろう。
 本当にこれでよかったのかな。
 人生ゲームのボードの上に、わたしは初めて立ったのだ。
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