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第一章 七川蒔
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東京大手町。九路線が絡み合う地下の交通網を利用してあらゆる人間が行きかっている。
うごめく群衆の中に埋もれた一人である七川蒔も首都の中枢で働くキャリアウーマンだ。
エレベーターで八階に着くと蒔にペコリと頭を下げる。自分の机のPCを立ち上げて、メールを確認する。各支店から送られてきた店舗の売上高の実績と見込みの相違に目を疑っていた。
今日は月初め。いろいろ課題が山積している。細い指先がワックスがかかった木製の机を叩いていた。蒔は眉間に寄せ険しい。
「部長。今お時間よろしいですか?」
「後にして。支店長たちとミーティングしなきゃ」
六階のミーティングルームには先に一人の同年代の女性が待っていた。
「お待たせ」
「おはようございます」
「椎名さん。皆とつながっている?」
「はい、今からつなぎます」
世界を震撼させたウィルスの影響で二年前からオンラインでやり取りがメインになった。スクリーンに七人の女性が映し出される。
「あなたたち。分かっているの? 弛んでいるのよ」
自然と手がテーブルを叩いていた。
「全く。そろいもそろって。がっかりだわ」
事情は仕方ない。誰もが予想しえない事態が起こったのだ。それは会社だけではない。世界中が同じ状況になった。蒔はあえて指摘する。そうするだけの権限を蒔は与えられている。
スクリーンに張り出された営業利益の棒グラフが支店長たちに突き付けられた。第一四半期の売上と営業利益が前年比25%減である。
由々しき事態だ。1年目は例の影響で客足は遠のいたのは致し方がない。だが対策がある程度取られているにも関わらず今年度の数字が下がっているのは大きな問題だ。
あまり当たり散らしてもみっともない。
「とにかく第二四半期はもっと真剣に考えること。各自改善プランを提出しなさい」
プツンと画面は切れた。
多分、誰も彼も付き焼き刃な案しか出さないだろう。これ以上レベルの低い成績を出していたら上から責任を問われる。
「今話した通り、事業部の売上は最悪。唯一、あなたの支店だけがまともだった」
目の前に座っているのは椎名夕といって同じ年の自分の部下だ。元商社で働いていて新店舗の契約などにおいて抜群の成績をたたき出す事業部のエースだ。
夕に突き付ける課題は新店舗の設営。店は八重洲に配置する。ライバル企業も進出を同じビルディングに考えているため、小難しい状況である。
机に広げられた資料を夕は静かに見つめていた。
「契約は九月中までにまとめること。これは部署だけでなく、綾さん、いや社内の命運がかかっているから。わかった?」
蒔はじっと夕に圧をかける。失敗は許さない。強く念を押す。
「承知いたしました。ではすぐに取り掛かります」
「わかったなら行っていいわ」
これで夕は必死に結果を出すために仕事に取り組まなければいけない。夕を暇にさせないのは妙な気を起こさせないためだ。
成功すれば文字通り莫大な売上が会社に入り、蒔の手柄は果てしないものだ。
部長職も下から上がってくる書類などの確認で多忙を極める。自身の裁定が会社の売上に直結する重い仕事だ。
さて次か。
「好美ちゃん。ちょっといい?」
蒔は入社7年目の槙島好美を部長室に呼びつける。化粧気のない子だが、愛嬌があるのでそろそろ上にあげようと思っている蒔のお気に入りだ。
「ほら、経理に出す報告書の金額は間違っているわよ」
「え? 野々村様から頂いた領収書の金額通りですよ?」
なるほどわかっていないか……
蒔はわざとらしいため息をついた。
「もう冗談はよしてよ。報告書には500万と書きなさい。どうしてだかわかるわよね?」
客先から受領した金額は800万。その差、300万はすでにどうなっているか語るまでもない。
半年後の次期役員選挙に選出するのは2名。営業第一部の蒔と営業第二部の宮内恵。このうち一名が営業部役員になる。選挙は言ってしまえば金である。
蒔は部下に鞭をうち売上を上げさせる。一部を上層部に献金していた。すべては社長の椅子に就くため。鮫島エステハウスは欲に駆られた連中がしのぎを削る場所だ。蒔も今の地位に就くためにあらゆる手を尽くしてきた。
「あの……」
「あなたはまだ異動してきて1年も経っていないから状況を理解していないようだけど。これは大事なことなの。私が役員に選ばれるためには必要な投資なのよ」
好美は迷っているようだ。不正に加担してしまっている状況に良心が痛んでいる。
「あなた、もう入って7年目よね。そろそろ昇進とか考えたことないの?」
迷った相手を押し通すのではなく揺さぶる。好美は蒔の派閥にも反対派にも属さなかった。文字通り真面目なことで誰とも当たり障りなくやり取りができる。
「固くならなくていいのよ。決めるのはあなたの判断。でも周囲のニーズに合わせることも、組織で生きる上では必要よ」
しらずと蒔は好美の肩に手を置き、答えを迫る。
うつむく好美を黒い瞳が静かにのぞき込む。
「かしこまりました。すぐに訂正いたします」
「そう。いい決断をしたわ。今度、一緒に飲み会に参加しましょうよ。皆、あなたと仲良くしたいみたいよ」
忘れないのはそれとなく仲間に引き込むこと。
「検討させていただきます」
「いいわ。忙しいのにごめんなさい。仕事頑張ってね」
真面目過ぎて状況を読めないのが玉に瑕ではあるが、じっくり教育してあげればいい。
うごめく群衆の中に埋もれた一人である七川蒔も首都の中枢で働くキャリアウーマンだ。
エレベーターで八階に着くと蒔にペコリと頭を下げる。自分の机のPCを立ち上げて、メールを確認する。各支店から送られてきた店舗の売上高の実績と見込みの相違に目を疑っていた。
今日は月初め。いろいろ課題が山積している。細い指先がワックスがかかった木製の机を叩いていた。蒔は眉間に寄せ険しい。
「部長。今お時間よろしいですか?」
「後にして。支店長たちとミーティングしなきゃ」
六階のミーティングルームには先に一人の同年代の女性が待っていた。
「お待たせ」
「おはようございます」
「椎名さん。皆とつながっている?」
「はい、今からつなぎます」
世界を震撼させたウィルスの影響で二年前からオンラインでやり取りがメインになった。スクリーンに七人の女性が映し出される。
「あなたたち。分かっているの? 弛んでいるのよ」
自然と手がテーブルを叩いていた。
「全く。そろいもそろって。がっかりだわ」
事情は仕方ない。誰もが予想しえない事態が起こったのだ。それは会社だけではない。世界中が同じ状況になった。蒔はあえて指摘する。そうするだけの権限を蒔は与えられている。
スクリーンに張り出された営業利益の棒グラフが支店長たちに突き付けられた。第一四半期の売上と営業利益が前年比25%減である。
由々しき事態だ。1年目は例の影響で客足は遠のいたのは致し方がない。だが対策がある程度取られているにも関わらず今年度の数字が下がっているのは大きな問題だ。
あまり当たり散らしてもみっともない。
「とにかく第二四半期はもっと真剣に考えること。各自改善プランを提出しなさい」
プツンと画面は切れた。
多分、誰も彼も付き焼き刃な案しか出さないだろう。これ以上レベルの低い成績を出していたら上から責任を問われる。
「今話した通り、事業部の売上は最悪。唯一、あなたの支店だけがまともだった」
目の前に座っているのは椎名夕といって同じ年の自分の部下だ。元商社で働いていて新店舗の契約などにおいて抜群の成績をたたき出す事業部のエースだ。
夕に突き付ける課題は新店舗の設営。店は八重洲に配置する。ライバル企業も進出を同じビルディングに考えているため、小難しい状況である。
机に広げられた資料を夕は静かに見つめていた。
「契約は九月中までにまとめること。これは部署だけでなく、綾さん、いや社内の命運がかかっているから。わかった?」
蒔はじっと夕に圧をかける。失敗は許さない。強く念を押す。
「承知いたしました。ではすぐに取り掛かります」
「わかったなら行っていいわ」
これで夕は必死に結果を出すために仕事に取り組まなければいけない。夕を暇にさせないのは妙な気を起こさせないためだ。
成功すれば文字通り莫大な売上が会社に入り、蒔の手柄は果てしないものだ。
部長職も下から上がってくる書類などの確認で多忙を極める。自身の裁定が会社の売上に直結する重い仕事だ。
さて次か。
「好美ちゃん。ちょっといい?」
蒔は入社7年目の槙島好美を部長室に呼びつける。化粧気のない子だが、愛嬌があるのでそろそろ上にあげようと思っている蒔のお気に入りだ。
「ほら、経理に出す報告書の金額は間違っているわよ」
「え? 野々村様から頂いた領収書の金額通りですよ?」
なるほどわかっていないか……
蒔はわざとらしいため息をついた。
「もう冗談はよしてよ。報告書には500万と書きなさい。どうしてだかわかるわよね?」
客先から受領した金額は800万。その差、300万はすでにどうなっているか語るまでもない。
半年後の次期役員選挙に選出するのは2名。営業第一部の蒔と営業第二部の宮内恵。このうち一名が営業部役員になる。選挙は言ってしまえば金である。
蒔は部下に鞭をうち売上を上げさせる。一部を上層部に献金していた。すべては社長の椅子に就くため。鮫島エステハウスは欲に駆られた連中がしのぎを削る場所だ。蒔も今の地位に就くためにあらゆる手を尽くしてきた。
「あの……」
「あなたはまだ異動してきて1年も経っていないから状況を理解していないようだけど。これは大事なことなの。私が役員に選ばれるためには必要な投資なのよ」
好美は迷っているようだ。不正に加担してしまっている状況に良心が痛んでいる。
「あなた、もう入って7年目よね。そろそろ昇進とか考えたことないの?」
迷った相手を押し通すのではなく揺さぶる。好美は蒔の派閥にも反対派にも属さなかった。文字通り真面目なことで誰とも当たり障りなくやり取りができる。
「固くならなくていいのよ。決めるのはあなたの判断。でも周囲のニーズに合わせることも、組織で生きる上では必要よ」
しらずと蒔は好美の肩に手を置き、答えを迫る。
うつむく好美を黒い瞳が静かにのぞき込む。
「かしこまりました。すぐに訂正いたします」
「そう。いい決断をしたわ。今度、一緒に飲み会に参加しましょうよ。皆、あなたと仲良くしたいみたいよ」
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