唐紅の風 ~平安の女流歌人の一生

naomikoryo

文字の大きさ
18 / 31

第十八話「月の詠み手」

しおりを挟む
その夜の月は、濁りなき銀であった。

白河院主催による「月を題とする詠歌の宴」が、御所の南庭で催されると決まったのは、火の事件のわずか十日後のことだった。

夜風はようやく暑さを和らげ、庭の樹々は露を含んで柔らかく揺れ、灯籠の光が池に浮かんでいた。
御簾の内には院を中心に、女房や公卿たち、文人、そして――一人の新参歌人が控えていた。

その男の名は――藤原顕仲(ふじわらのあきなか)。

二十代半ば、若くして内裏の和歌所に推挙され、「式部の再来」と噂されていた才子だった。
白皙(はくせき)の肌に切れ長の目、物静かな物腰と澄んだ声。
何よりも彼の和歌には、どこか人の情を拒むような“清冷”があった。

高子は、その佇まいを一目見て、ただならぬものを感じ取っていた。

(この人は、“人を詠まない”)

それは、和歌という形式を借りながら、人を――女を――その感情ごと、排除するような姿勢だった。

 

御簾の向こうで、白河院が静かに口を開いた。

「今宵の月は、風が少なく、美しく照らしておる。
されば、照らす月と、照らされぬもの――
そのあわいを詠んでみせよ」

高子は息を呑んだ。

それは、ただの風雅な主題ではない。
まぎれもなく、“今の立場”を問う主題だった。

照らす者と、照らされぬ者。
つまり――誰が寵を受け、誰が忘れられるか。

そうした“序列”の象徴を、月という題で詠めというのだ。

静かな緊張が庭に満ちる。

まず、藤原顕仲が一首を詠んだ。

 

月の辺に しるしをおかず てらすらむ
よもすがら見し あかき花陰

 

(“あかき花陰”――それは紅のこと?)

高子の心に冷たい棘が走った。

あからさまではない。だが、そう受け取らせる余地を含んだ一首だった。

紅をまとい、照らされた存在――それが“夜に置かれたまま”であると詠むならば、
それは、名を与えられながら、月には届いていない者、という暗示になる。

高子は、ほんの一瞬だけ口を結び、そして立ち上がった。

彼女の声は静かでありながら、明確だった。

 

さやけしや うつろふ影を まとふとも
月はわがこゝ うらより照らす

 

御簾の奥で、白河院がわずかに息を止めた。

高子の一首は、明確な“返歌”だった。

顕仲の歌が「表の紅」を照らさない月を詠んだなら、
高子の歌は「裏から照らす」月を詠んだ――それは、“影すら抱く覚悟”を詠んだのだ。

照らされるのではない。
照らされなくても、己の言葉は、己の心は“光”を知っている――そう歌う者の矜持。

庭に風が吹いた。

笛の音が静かに入り、院がゆっくりと口を開く。

「――まこと、よき一夜となった。
月もまた、詠む者を選んでおるようだ」

その言葉に、顕仲の眉がわずかに動いた。
だが、彼は何も言わず、ただ一礼して席に戻った。

高子もまた、ゆるりと頭を垂れた。

 

夜半、宴が終わったあと、控えの間でいとが小さく声をかけてきた。

「姫様……顕仲殿の歌は、少し意図がありましたね」

「ええ。わたしの“紅”を“咎”に見せようとした」

「でも、それを“影ごと光に変える”歌で返された。……お見事でした」

高子はふと笑った。

「いと、月はどこにあっても月でしょう?」

「はい?」

「正面から照らされなくても、裏側から、あるいは影から――
わたしは、わたしの言葉で光を知っていれば、それでいいのよ」

そして、その夜の余韻の中、高子はもう一首を詠んだ。

 

あらはれぬ 月のひかりを またひとつ
こゝろにともす 夜を知るゆゑ

 

照らされることより、照らされない夜を知っていること。
それが、詠う者にとって最も強い“ひかり”になるのかもしれない。

 

顕仲はその後、何も言わず御所を去った。
だが、彼の歌に込められていたものと、高子の返歌は、御所中の女房たちの間で長く語り草となった。

“照らされぬ紅”の夜に、
高子は確かに――“自らの光”を抱いて立った。

 

(続く)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

 【最新版】  日月神示

蔵屋
歴史・時代
 最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。  何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」 「今に生きよ!」  「善一筋で生きよ!」  「身魂磨きをせよ!」  「人間の正しい生き方」  「人間の正しい食生活」  「人間の正しい夫婦のあり方」  「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」  たったのこれだけを守れば良いということだ。  根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。  日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。  これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」 という言葉に注目して欲しい。  今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。  どうか、最後までお読み下さい。  日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。    

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...