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第十四話:町の噂と、正式な祝言のはなし
「蓬莱屋の若、奉公人とできてたらしいぜ」
それは最初、魚屋の朝市で、
小声で交わされた一言から始まった。
「ええ? あの愛想の良い娘さんでしょ。けど……奉公人でしょ?」
「なに言ってんの、あの子、田舎出の百姓の娘だってさ」
「まあまあ、親御さんも苦労してるとか……」
「でもさ、あの蓬莱屋よ? 若旦那の嫁って、普通、問屋筋の娘じゃないの?」
「私ゃてっきり、嶋屋のあのお嬢さんと決まると思ってたのに――」
いつしか話は“恋”から“店の格”へとすり替わっていった。
そして、それは店先にも届く。
客の来店は変わらぬものの、
いつもより反物を見ずに、うららを眺める目が増えた。
(……噂って、こうして広がるんだな)
帳場の奥で、慶次郎が苦い顔をしていた。
町に言い返すことはできない。
けれど、逃げるつもりもなかった。
むしろ――
(今こそ、堂々と“うららは俺の嫁だ”って見せてやる)
そのために、まず必要なのは――祝言。
◆◇◆
「……祝言、ですか?」
うららが目を丸くしたのは、その夜。
女将・たえからの話だった。
「ええ。いずれは、と思っていたけれど……こんなに町が騒ぐとはね」
たえは肩をすくめたが、目は真剣だった。
「伊兵衛さんが言っていたの。“人の口に戸は立てられぬ”と。
だったら、こちらが先に“本物の夫婦”として堂々と示せばいい。そうすれば、黙る者も増える」
「でも……本当にいいんですか。うちはただの百姓の娘で……」
「だからこそ、いいのよ」
「……え?」
「この店に嫁いでくるのは、“格”じゃない。“覚悟”よ」
(覚悟……)
胸の中で、その言葉が深く沁みる。
それなら――
あたしにだって、できるはずだ。
「はい。……ありがとうございます。精一杯、務めます」
うららは、深く頭を下げた。
祝言の話が出た翌日。
蓬莱屋では、店の者たちを集めて正式な発表がされた。
「このたび、若と、うららが祝言を挙げることとなった」
女将の言葉に、場が一瞬静まり返った。
けれど、その直後。
「おめでとうございます!」
「うらら、すげえや! 若さまと……!」
「……ほんと、よかったね」
次々と祝福の声が上がった。
おふじが、そっと手を握ってくれる。
「うららなら、きっと立派な若女将になれるよ」
目頭が熱くなるのを、ぐっとこらえて笑った。
(……この場所が、あたしの“家”なんだ)
ところが、すべてが順調だったわけではない。
◆◇◆
その日の夕方、女将の元に一本の書状が届く。
「嶋屋、ね……」
伊兵衛が開封し、中身を読んで顔をしかめた。
内容は、礼儀をわきまえた文面だったが、
そこには明らかな皮肉が込められていた。
『このたびは、ご子息の祝言のご通知、誠におめでとうございます。
さぞかし、町も賑わうことでしょう。
旧知の縁から申し上げますが、世間の目は厳しゅうございますゆえ、
くれぐれも暖簾に泥がつかぬよう、祈念申し上げます』
(ふざけやがって……)
慶次郎はその場で書状を叩きつけた。
「泥を塗ってんのは、どっちだよ……!」
「落ち着け」
伊兵衛が一言だけ静かに言うと、
その目には珍しく怒気が宿っていた。
「言いたいやつには言わせておけ。だが、こっちはな――祝言の日取りを決めた。
町に見せてやれ。お前たちの覚悟をな」
◆◇◆
数日後、蓬莱屋の店先に立てられた木札。
『祝 若 慶次郎様 うらら様 御祝言 来る七月吉日』
それを見た町人たちは、息をのんだ。
「あの娘……本当に嫁になるんだな」
「もう文句は言えないね。親方が認めたんだし」
「しかしまあ……時代も変わったもんだよ」
それは、否応なしに町が変わっていく合図でもあった。
夕刻、誰もいなくなった帳場で。
慶次郎が、うららの手を取り、ぽつりと呟いた。
「町の奴らにどう言われようと、俺は後悔してねぇ」
「……はい」
「うららを選んだことが、俺の誇りだ」
うららは、何も言わずに手を握り返す。
もう、迷いも、恐れもなかった。
たとえ町が何を囁こうとも――
ふたりは、互いの誇りでいられる。
それは最初、魚屋の朝市で、
小声で交わされた一言から始まった。
「ええ? あの愛想の良い娘さんでしょ。けど……奉公人でしょ?」
「なに言ってんの、あの子、田舎出の百姓の娘だってさ」
「まあまあ、親御さんも苦労してるとか……」
「でもさ、あの蓬莱屋よ? 若旦那の嫁って、普通、問屋筋の娘じゃないの?」
「私ゃてっきり、嶋屋のあのお嬢さんと決まると思ってたのに――」
いつしか話は“恋”から“店の格”へとすり替わっていった。
そして、それは店先にも届く。
客の来店は変わらぬものの、
いつもより反物を見ずに、うららを眺める目が増えた。
(……噂って、こうして広がるんだな)
帳場の奥で、慶次郎が苦い顔をしていた。
町に言い返すことはできない。
けれど、逃げるつもりもなかった。
むしろ――
(今こそ、堂々と“うららは俺の嫁だ”って見せてやる)
そのために、まず必要なのは――祝言。
◆◇◆
「……祝言、ですか?」
うららが目を丸くしたのは、その夜。
女将・たえからの話だった。
「ええ。いずれは、と思っていたけれど……こんなに町が騒ぐとはね」
たえは肩をすくめたが、目は真剣だった。
「伊兵衛さんが言っていたの。“人の口に戸は立てられぬ”と。
だったら、こちらが先に“本物の夫婦”として堂々と示せばいい。そうすれば、黙る者も増える」
「でも……本当にいいんですか。うちはただの百姓の娘で……」
「だからこそ、いいのよ」
「……え?」
「この店に嫁いでくるのは、“格”じゃない。“覚悟”よ」
(覚悟……)
胸の中で、その言葉が深く沁みる。
それなら――
あたしにだって、できるはずだ。
「はい。……ありがとうございます。精一杯、務めます」
うららは、深く頭を下げた。
祝言の話が出た翌日。
蓬莱屋では、店の者たちを集めて正式な発表がされた。
「このたび、若と、うららが祝言を挙げることとなった」
女将の言葉に、場が一瞬静まり返った。
けれど、その直後。
「おめでとうございます!」
「うらら、すげえや! 若さまと……!」
「……ほんと、よかったね」
次々と祝福の声が上がった。
おふじが、そっと手を握ってくれる。
「うららなら、きっと立派な若女将になれるよ」
目頭が熱くなるのを、ぐっとこらえて笑った。
(……この場所が、あたしの“家”なんだ)
ところが、すべてが順調だったわけではない。
◆◇◆
その日の夕方、女将の元に一本の書状が届く。
「嶋屋、ね……」
伊兵衛が開封し、中身を読んで顔をしかめた。
内容は、礼儀をわきまえた文面だったが、
そこには明らかな皮肉が込められていた。
『このたびは、ご子息の祝言のご通知、誠におめでとうございます。
さぞかし、町も賑わうことでしょう。
旧知の縁から申し上げますが、世間の目は厳しゅうございますゆえ、
くれぐれも暖簾に泥がつかぬよう、祈念申し上げます』
(ふざけやがって……)
慶次郎はその場で書状を叩きつけた。
「泥を塗ってんのは、どっちだよ……!」
「落ち着け」
伊兵衛が一言だけ静かに言うと、
その目には珍しく怒気が宿っていた。
「言いたいやつには言わせておけ。だが、こっちはな――祝言の日取りを決めた。
町に見せてやれ。お前たちの覚悟をな」
◆◇◆
数日後、蓬莱屋の店先に立てられた木札。
『祝 若 慶次郎様 うらら様 御祝言 来る七月吉日』
それを見た町人たちは、息をのんだ。
「あの娘……本当に嫁になるんだな」
「もう文句は言えないね。親方が認めたんだし」
「しかしまあ……時代も変わったもんだよ」
それは、否応なしに町が変わっていく合図でもあった。
夕刻、誰もいなくなった帳場で。
慶次郎が、うららの手を取り、ぽつりと呟いた。
「町の奴らにどう言われようと、俺は後悔してねぇ」
「……はい」
「うららを選んだことが、俺の誇りだ」
うららは、何も言わずに手を握り返す。
もう、迷いも、恐れもなかった。
たとえ町が何を囁こうとも――
ふたりは、互いの誇りでいられる。
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