春燈に咲く

naomikoryo

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第十五話:祝言の夜、ふたりだけの夫婦の誓い

その日は、蓬莱屋のある町内がまるで祭りの日のようだった。

大きな老舗の暖簾に、紅白の布が張られ、
店の前には「祝 慶次郎様 うらら様 御祝言」の立札が堂々と掲げられている。

朝早くから町の者が集まり、道行く人々がそっと噂を交わしていた。

「ほんとうに、あの子が若旦那の嫁に?」

「奉公に来たときゃ、まだちんまい娘だったのに……」

「けどまぁ、蓬莱屋の若さまも筋を通したってことよ」

そんな空気のなか、
田舎からの一団が、蓬莱屋の門をくぐっていく。

「……あら、あれ、もしかして……?」

「うららの家族だそうよ。江戸の外れの百姓の家だって」

男は、日に焼けた顔のまま、きちんと粗末ながらも洗い立ての紋付を着ている。
女は、繕いを重ねた着物を清潔に着こなして、そわそわと落ち着かない様子。

その後ろに、年端もいかぬ兄弟たちと、しっかり者の長女らしい姉の姿が続く。

「す、すまねえ。蓬莱屋ってのは、こちらで――」

「はい。ご案内いたします。祝言のご親族でいらっしゃいますね」

店の者が頭を下げる。

「……ひゃあ、立派なお屋敷……!」

妹がぽつりと呟き、
「しっ、静かにせぇ」と母親が袖を引いた。

(うらら……本当に、ここで嫁になるんだな)

父は、胸の中でそっと呟く。
この日が来るなんて――あの春の日、13歳の娘を奉公に出したときには想像もしていなかった。

式は町内の社で行われた。

女将・たえが選んだ白無垢を身にまとったうららは、
普段見慣れた娘の姿とはまるで別人のようで、
家族たちはただただ、呆然と見守るばかりだった。

「……うららが」

母の目から、自然と涙が零れた。

「うちの、うららが……」

「おっかぁ……」

「なんて、綺麗に……なったもんだねぇ……」

妹や弟もぽかんと口を開けて、うららの姿を追っていた。

◆◇◆

一方、慶次郎はいつも通りの不器用な面持ちで、
けれどしっかりとうららの手を取り、誓いの酒を交わした。

その光景に、父の胸も詰まる。

(娘を百姓の家に閉じ込めておく器じゃなかったんだな……)

蓬莱屋に戻ってからは、座敷で控えめな祝言の宴が開かれた。

うららの家族は、少し端の席に控えていたが、
女将・たえがわざわざ声をかけてくれる。

「ようこそお越しくださいました。うららが、これまで本当によう働いてくれましたよ」

「……ありがとうございます。うららが、えらいご迷惑を……」

「とんでもない。蓬莱屋には、なくてはならぬ娘です」

その言葉に、母の目からまた涙が落ちた。

長女の姉も、黙って頷いていた。
(うらら……あんたは、本当に、えらい子だよ)

その夜の蓬莱屋は、どこか柔らかく温かい空気に包まれていた。

町の噂も、この日ばかりは静まり返る。

◆◇◆

夜更け。

宴も終わり、店が眠りについた頃。

うららは、若女将として与えられた新しい部屋で、
手のひらを見つめていた。

(夢みたいだな……)

自分の手が、あの慶次郎と並ぶ場所にあるなんて。

そのとき、そっ、と襖が開く音。

「……入るぞ」

「はい……」

入ってきたのは、慶次郎。
白い寝間着に、少し乱れた髪。

ふたりは静かに並んで座った。

何も言わずに、
ただ、ふたりで夜の空気を感じる。

「お前の親父さん……」

「はい」

「……泣いてたな」

「……見られてましたか」

「見てた。……ちょっと、羨ましかった」

「え?」

「俺の親父、あんまりそういうの出さねぇだろ。
 けど、お前の親父さんは、ずっとお前のこと目で追ってた」

うららは、ふふ、と微笑んだ。

「うちのおとっつぁん、ああ見えて、誰よりも泣き虫なんです」

「そうか」

「……だから、あたしも泣かないように頑張りました」

「偉いな」

「偉いって言うなら、褒美が欲しいです」

「なんだよ、それ」

「“夫婦”になったんだから……ちゃんと、そういうのください」

慶次郎は、少しだけ顔を赤らめた。

だが、すぐに真剣な目でうららを見つめた。

「うらら」

「はい」

「お前を、俺の女房に迎えたこと――
 蓬莱屋の嫁にしたこと、俺は一寸も間違ってねぇと思ってる」

「……」

「この先、どんなことがあっても、俺はお前を守る」

そう言って、慶次郎はゆっくりとうららの頬に手を添え、
そして――そっと唇を重ねた。

短く、しかし確かな口づけだった。

(この人が、あたしの夫なんだ)

(もう、どこにも行かない)

二人は、そのまま静かに布団へ入った。

ふすまの外では、夜が深く静まっていく。

それでも、ふたりの心は――
朝日よりもあたたかく、光に包まれていた。
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