春燈に咲く

naomikoryo

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番外編:⑨春の夜は、ふたりで灯る

それは、ほんの些細なことだった。

「言わなきゃ分からないことだって、あるんだよ!」

「……俺は、分かってるつもりだった」

うららの声が、少しだけ震えていた。

忙しい日々。
奉公人たちの入れ替えや、仕入れのことで慌ただしい一週間。
お互いに余裕がなく、すれ違いが続いていた。

◆◇◆

ある日、些細な事――

「今日、義母様が来られてたって……なんで言ってくれなかったの?」

「……別に、話すようなこともなかったし」

それが、火種になった。

夕餉の席も、箸が進まなかった。

うららはどこかぎこちなく、
慶次郎はいつもの軽口を封印して、静かに湯呑を傾けていた。

部屋の明かりが、少しだけ寒々しく感じる。

「……ごめん」

ぽつりと、うららが言った。

「そんなつもりじゃなかったんだけど……でも、なんか、ちょっと寂しかったの」

「……俺のほうこそ、悪かった」

慶次郎は手を止めたまま、目を伏せて続ける。

「忙しくなると、俺……お前がいてくれることが“当たり前”だと思ってしまう」

「俺の中で、お前が“いない未来”って、どうにも想像ができなくてさ」

「……その言い方、ずるいよ」

「うん、ずるい。でも、本音」

沈黙が降りた。

しかし、ふたりの間の距離は――
ほんの少しだけ、近づいていた。

◆◇◆

その夜、
ふたりは背中合わせに布団に入った。

灯りは落としたけれど、眠気は訪れない。

「……慶次郎さん」

「ん」

「ほんとはね、うれしかったの」

「え?」

「“話すこともない”って、そう言えるくらい……お義母様とも、きっと穏やかに話せたんだろうなって」

「でも、あたし……その中に自分が入ってないような気がして、少し……拗ねちゃった」

「……あー、なるほど」

「うん」

「そりゃ、俺がバカだったな」

「うん。ちょっとだけ、バカだった」

ふふっと笑い合う。

「じゃあ、これでどうだ」

くるりと布団の中で身を返して、
慶次郎がうららの背中を、そっと抱き寄せた。

「……今から、ちゃんと話す」

「今日のことも、これまでのことも、これからのことも。
 言葉にするよ。言葉にしないと、伝わらないことがあるって、分かったから」

「うん……」

「だから……ちゃんと聞いてくれ、うらら」

「……はい」

「お前がいると、俺は強くなれる」

「でも、お前がいないと、俺は弱い」

「嬉しい時も、苦しい時も、真っ先に顔が浮かぶのは、いつもお前だ」

「……うらら、お前がいてくれて、本当に良かった」

息がかかるほど近く、
まっすぐな眼差しでそう言われて、
うららは目尻を拭った。

「ずるい人……ほんと、ずるい」

「ずるくても、嫌いになれねぇだろ?」

「……うん」

「お前もずるくなれ。甘えていい。拗ねていい。怒っていい」

「それでも俺は、お前を手放さないから」

その言葉に、またひと雫、涙がこぼれた。

慶次郎がそれを唇でそっと拭ったあと、
ぎゅっと腕を強めて、耳元にささやく。

「なぁ……仲直りの、印」

「……なに?」

「接吻、してもいいか?」

「……ばか」

「うん、ばかだ」

そして静かに、ふたりの唇が触れた。

ぬくもりとともに、
もう二度とすれ違いたくない、という想いが重なる。

春燈の下、
ふたりの灯りは、またひとつ、深く結ばれたのだった。
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