怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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63)うどん喰らいの翁(香川県)

香川県といえば、うどんの名産地として知られる。
 だが、この地には、古くから語り継がれる奇妙な噂がある。

 「深夜、うどん屋で“それ”に出会ったら、絶対に一緒に食べてはいけない」
 「さもなければ、二度と家に帰れなくなる」

 これは、ある男が実際に体験した出来事である。

***********************************

 Sさん(40代・男性)は、香川県内を転々とする営業マンだった。

 その日も仕事が長引き、帰りが夜遅くなった。

 腹が減ったSさんは、深夜でも開いているうどん屋を探した。

 国道沿いを走っていると、一軒の古びたうどん屋が見えた。

 暖簾(のれん)が揺れ、ぽつんと灯る赤提灯が、暗闇の中で異様に映えていた。

 「こんな遅くにやってるとはラッキーだな」

 Sさんは、軽い気持ちで店に入った。

 店内はがらんとしていた。

 カウンターに座ると、無愛想な店主が出てきた。

 「いらっしゃい」

 メニューはなく、Sさんは適当にかけうどんを注文した。

 うどんが出てくるのを待っていると——

 店の奥の席に、奇妙な客が座っているのに気がついた。

 それは、異様に背の高い老人だった。

 痩せこけた体、白髪の長い髪、深い皺(しわ)だらけの顔。

 そして——

 異常なほど長い箸を持ち、黙々とうどんを啜(すす)っていた。

「一緒に、どうじゃ?」
 Sさんは、その老人と目が合った。

 次の瞬間——

 老人が、不気味に笑った。

 「うどんを、一緒にどうじゃ?」

 Sさんは、思わずぞくっとした。

 老人の声は、人間のものとは思えないほど低く、濁っていた。

 「い、いや、遠慮しときます……」

 Sさんは、咄嗟に目を逸らした。

 その時、店主がひそかに首を振ったのを見逃さなかった。

 熱いうどんが目の前に置かれた。

 「いただきます」

 Sさんは、一口食べた。

 コシのある麺、だしの効いたスープ。

 だが——

 何かがおかしい。

 妙な違和感を感じ、ふと奥の席を見た。

 すると——

 老人の丼は、空だった。

 それどころか——

 彼のうどんは、一本も残っていなかった。

「おかわりを、もらうぞ」
 老人は、異様に長い箸をカウンターに叩きつけた。

 「おかわりを、もらうぞ」

 店主は、無言で新たなうどんを差し出した。

 そして、また異常な速さで啜(すす)り始めた。

 ズズ……ズズズ……

 Sさんは、背筋が凍った。

 この老人、人間じゃない。

 その瞬間、店主が口の動きだけで「逃げろ」と言った。

 Sさんは、勘を頼りに、急いで店を出た。

 「ごちそうさま!」

 外は、いつの間にか異常なほどの静寂に包まれていた。

 まるで、時間が止まったようだった。

 その時——

 背後で、**「ズズズ……ズズズ……」**という音が聞こえた。

 Sさんは、恐る恐る振り返った。

 老人が、いなかった。

 丼も、椅子も、すべて消えていた。

 まるで、最初から存在しなかったかのように——。

 後日、Sさんはどうしても気になり、あの店に行ってみた。

 だが——

 店は、跡形もなく消えていた。

 Sさんは、地元の古老に話を聞いた。

 すると、老人は深く頷いた。

 「それは、“うどん喰らいの翁”じゃ」

 「……うどん喰らい?」

 「昔、深夜のうどん屋に現れては、うどんを喰らい尽くし、人を引きずり込む妖怪じゃ」

 「……引きずり込む?」

 老人は、静かに言った。

 「もし、あの老人と一緒にうどんを食べたら——次は、お前が“喰らう側”になるんじゃよ」

***********************************

 もし、あなたが香川県で深夜にうどんを食べるなら——

 決して、異様に長い箸を持った老人と一緒に食べてはいけない。

 そして、もし——

 「一緒に、どうじゃ?」と声をかけられたら。

 絶対に、目を合わせてはいけない。

 なぜなら、その瞬間——

 あなたは、次の“うどん喰らい”になってしまうのだから。

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