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104)影送りの村
1
これは、私の祖父が昔体験したという話だ。
祖父の故郷は、山間にある小さな村だった。今ではもう地図にも載っていないが、戦前までは数十世帯ほどの人々が暮らしていたらしい。
その村には、夏の夕暮れ時に行われる**「影送り」**という風習があった。
影送り自体は全国的に知られる遊びで、夕日を背にして自分の影を見つめ、急に目をそらすと残像のように影が残る――というものだ。
だが、祖父の村で行われていた影送りは、それとは違っていた。
「影を見送らないと、影が取り憑く」
そう言われていたのだ。
2
祖父が十五歳の夏、いつものように村の子供たちは影送りをして遊んでいた。
村の外れにある広場で、みんなで夕日に向かって立ち、影が長く伸びるのをじっと見つめる。そして、「せーの」で目を閉じ、影を送り出す。
それだけの遊びだったが、村の大人たちは決してふざけ半分でやらせなかった。
「影送りをしたら、ちゃんと見送らないとダメだよ」
「もし途中で振り返ったら、影が戻ってくるからね」
村では、影送りの後に必ず、影の方向に向かって手を合わせ、「もう戻ってこないように」と願う習わしがあった。
しかし、その日、祖父の友人の一人――秀一という少年が、ふざけて影送りの最中に振り返ってしまった。
「なあ、本当に影がどっか行くのかよ?」
影を送り出した直後、彼はにやにや笑いながら、さっと後ろを向いた。
その瞬間――
彼の影が、動いた。
3
もちろん、風もなく、影が揺れるはずはない。
だが、祖父ははっきりと見た。
秀一の影が、まるで意志を持ったかのように、地面の上でわずかに蠢いたのを。
「おい、やめろって!」
誰かが叫んだ。
秀一はまだ笑っていたが、数秒後、急に顔をこわばらせた。
「……え?」
彼の足元の影が、自分とは違う動きをし始めたのだ。
まるで別の生き物のように、足をバタバタと動かし、腕を揺らしていた。
そして、次の瞬間――
秀一の影が、彼の足からスッと離れた。
4
「う、うわあああ!」
秀一は叫びながら後ずさった。
だが、影は彼を追うように、地面の上をすべるように動いた。
普通、影は人の動きに合わせてついてくるものだ。しかし、その影は、まるで秀一を捕まえようとするかのように勝手に動いていた。
「やめろ! やめてくれ!」
秀一は泣き叫びながら逃げた。
その場にいた子供たちは、恐怖で声も出せなかった。
「影送りに失敗すると、影が自分から離れる」
昔から言われていた言い伝えが、目の前で現実になったのだ。
5
その後、村の大人たちが駆けつけ、秀一の家に連れ帰った。
だが、その日から、秀一の様子はおかしくなった。
昼間でも異様に怯え、家から出ようとしなくなった。
そして、影を異常に気にするようになったという。
「俺の影が……俺の影がついてこない……」
そう言いながら、何度も何度も地面を覗き込む。
家の中でも、彼の影はときどき勝手に動いていたらしい。
影が、壁の端から覗いていた。
影が、寝ている彼の上に覆いかぶさるように揺れていた。
家族は気味悪がり、村の神主に相談した。
神主は、「すぐに影送りの儀式をし直さねばならない」と言った。
6
数日後、村の広場で、秀一の影を送り直す儀式が行われた。
村の長老たちが集まり、秀一を夕日の前に立たせる。
「もう戻ってくるな……」
みんなでそう念じながら、秀一の影を送り出す。
すると、影は再びゆっくりと蠢いた。
そして――
スッと、地面の奥に沈んでいった。
その瞬間、秀一は意識を失った。
村の人々は彼を家へ運び、祈り続けた。
翌日、秀一は目を覚ましたが、それまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
影のことも、影送りのことも、何も覚えていなかった。
そして――
それ以来、彼の影は、まるで新しく生えたかのように、以前とは違う形になっていたという。
7
祖父は、静かに語った。
「……あの時、秀一の影は、確かに“何か”になっていたんだと思う」
「それが何だったのかは、わからない。ただ、村ではそれ以来、影送りの最中に絶対に後ろを振り返ってはいけないという教えが、さらに厳しくなった」
その後、祖父の村は過疎化し、住人が減り、数十年前に完全に廃村になった。
今では影送りの風習も、誰も覚えていないかもしれない。
けれど――
祖父は最後に、こんな言葉を残した。
「……あれ以来、たまに夕暮れ時に奇妙な影を見ることがあるんだ」
「人が立っていないのに、地面に影だけが伸びているのをな」
これは、私の祖父が昔体験したという話だ。
祖父の故郷は、山間にある小さな村だった。今ではもう地図にも載っていないが、戦前までは数十世帯ほどの人々が暮らしていたらしい。
その村には、夏の夕暮れ時に行われる**「影送り」**という風習があった。
影送り自体は全国的に知られる遊びで、夕日を背にして自分の影を見つめ、急に目をそらすと残像のように影が残る――というものだ。
だが、祖父の村で行われていた影送りは、それとは違っていた。
「影を見送らないと、影が取り憑く」
そう言われていたのだ。
2
祖父が十五歳の夏、いつものように村の子供たちは影送りをして遊んでいた。
村の外れにある広場で、みんなで夕日に向かって立ち、影が長く伸びるのをじっと見つめる。そして、「せーの」で目を閉じ、影を送り出す。
それだけの遊びだったが、村の大人たちは決してふざけ半分でやらせなかった。
「影送りをしたら、ちゃんと見送らないとダメだよ」
「もし途中で振り返ったら、影が戻ってくるからね」
村では、影送りの後に必ず、影の方向に向かって手を合わせ、「もう戻ってこないように」と願う習わしがあった。
しかし、その日、祖父の友人の一人――秀一という少年が、ふざけて影送りの最中に振り返ってしまった。
「なあ、本当に影がどっか行くのかよ?」
影を送り出した直後、彼はにやにや笑いながら、さっと後ろを向いた。
その瞬間――
彼の影が、動いた。
3
もちろん、風もなく、影が揺れるはずはない。
だが、祖父ははっきりと見た。
秀一の影が、まるで意志を持ったかのように、地面の上でわずかに蠢いたのを。
「おい、やめろって!」
誰かが叫んだ。
秀一はまだ笑っていたが、数秒後、急に顔をこわばらせた。
「……え?」
彼の足元の影が、自分とは違う動きをし始めたのだ。
まるで別の生き物のように、足をバタバタと動かし、腕を揺らしていた。
そして、次の瞬間――
秀一の影が、彼の足からスッと離れた。
4
「う、うわあああ!」
秀一は叫びながら後ずさった。
だが、影は彼を追うように、地面の上をすべるように動いた。
普通、影は人の動きに合わせてついてくるものだ。しかし、その影は、まるで秀一を捕まえようとするかのように勝手に動いていた。
「やめろ! やめてくれ!」
秀一は泣き叫びながら逃げた。
その場にいた子供たちは、恐怖で声も出せなかった。
「影送りに失敗すると、影が自分から離れる」
昔から言われていた言い伝えが、目の前で現実になったのだ。
5
その後、村の大人たちが駆けつけ、秀一の家に連れ帰った。
だが、その日から、秀一の様子はおかしくなった。
昼間でも異様に怯え、家から出ようとしなくなった。
そして、影を異常に気にするようになったという。
「俺の影が……俺の影がついてこない……」
そう言いながら、何度も何度も地面を覗き込む。
家の中でも、彼の影はときどき勝手に動いていたらしい。
影が、壁の端から覗いていた。
影が、寝ている彼の上に覆いかぶさるように揺れていた。
家族は気味悪がり、村の神主に相談した。
神主は、「すぐに影送りの儀式をし直さねばならない」と言った。
6
数日後、村の広場で、秀一の影を送り直す儀式が行われた。
村の長老たちが集まり、秀一を夕日の前に立たせる。
「もう戻ってくるな……」
みんなでそう念じながら、秀一の影を送り出す。
すると、影は再びゆっくりと蠢いた。
そして――
スッと、地面の奥に沈んでいった。
その瞬間、秀一は意識を失った。
村の人々は彼を家へ運び、祈り続けた。
翌日、秀一は目を覚ましたが、それまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
影のことも、影送りのことも、何も覚えていなかった。
そして――
それ以来、彼の影は、まるで新しく生えたかのように、以前とは違う形になっていたという。
7
祖父は、静かに語った。
「……あの時、秀一の影は、確かに“何か”になっていたんだと思う」
「それが何だったのかは、わからない。ただ、村ではそれ以来、影送りの最中に絶対に後ろを振り返ってはいけないという教えが、さらに厳しくなった」
その後、祖父の村は過疎化し、住人が減り、数十年前に完全に廃村になった。
今では影送りの風習も、誰も覚えていないかもしれない。
けれど――
祖父は最後に、こんな言葉を残した。
「……あれ以来、たまに夕暮れ時に奇妙な影を見ることがあるんだ」
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