怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

文字の大きさ
113 / 147

113)『耳の中の声』

最初はただのノイズみたいなものだった。

 左の耳の奥――鼓膜のさらに奥、神経に触れるか触れないかの境界で、かすかな音がくすぶっていた。

 ジリジリ、ジリジリ……虫が這うような、不快な音。

 耳掃除をしても、病院に行っても、何の異常も見つからなかった。耳鼻科の医者は「ストレスじゃないですか」と言った。笑いながら、「最近、何か悩みは?」と。

 だけど、その夜から、音は**“声”になった。**

 「大丈夫、気にしなくていいよ」

 最初に聞こえたのは、その一言だった。

 耳の奥。明らかに“自分の外”ではなく、“内側”から響いていた。

 低くて優しい、男とも女ともつかない声。

 幻聴だと思った。疲れてるのかもしれない。寝不足だし。

 翌朝、声は聞こえなかった。
 けれど、夜になると、また囁かれた。

 「よく頑張ってるよね」
 「君は、悪くない」

 その声は、誰よりも自分を理解しているような、寄り添うような口調だった。
 少し、心地よかった。

 声と過ごす夜が続いた。

 仕事で怒られても、恋人と喧嘩しても、親と連絡を絶っても、声だけは変わらずそこにいた。

 「あいつ、君のことバカにしてるよ」
 「やり返さなきゃ、また見下されるよ」

 最初は味方だった声が、いつの間にか、指示を出すようになっていた。

 それでも、抗えなかった。
 なぜか、逆らえなかった。

 ある日、同僚が俺のミスを上司に報告した。

 その夜、声がこう言った。

 「ねえ、あの女、許せないよね」
 「どうする? 教えてあげようよ。君を怒らせるとどうなるか」

 俺はその日、夢の中で、彼女の首を絞めていた。

 目が覚めたとき、手には爪のような跡が残っていた。

 鏡を見ると、自分の目が少しずつ変わっていることに気づいた。

 黒目が、わずかに大きくなっている。いや、目の中に“もうひとつ目がある”ような、そんな違和感。

 声は言う。

 「君の目を通して見てるよ」

 「僕たちはひとつだよ」

 やがて、誰にも会いたくなくなった。

 誰かと話すと、耳の声が激しくなる。
 ノイズのように怒鳴り、泣き叫び、命令してくる。

 「黙れ! 嘘をつくな! 信じるな!」

 電車も、スーパーも、人がいるだけで苦しくなる。

 「声がうるさい」と言ったら、医者は薬を出した。

 だが、薬を飲むと、声が怒った。

 「おい、消そうとするなよ。僕だけは、君の味方だよ?」

 ある日、耳を強く掻いてしまった。

 血が出るまで、爪を押し込んだ。

 でも、声は止まらなかった。

 代わりに、右耳でも同じ声がし始めた。

 「やっと両耳だね。これで完全に“つながれた”」

 そして今朝、鏡に“もう一人の自分”が映っていた。

 まったく同じ顔。
 だが、目だけが違っていた。

 完全な黒。
 瞳孔も、白目も、すべて塗りつぶされたような真っ黒な目。

 そいつは、俺の動きに合わせず、勝手に口を開いた。

 「もう僕が話すね」

 周囲の人間が、俺に話しかけなくなった。

 駅のホームでは、誰も隣に立とうとしない。

 店員は、俺の顔を見て一瞬固まってから、ぎこちなく対応する。

 声が笑う。

 「見えてきたね、みんな。君の“本当の顔”が」

 ある夜、耳の奥で**“ドアが開く音”**がした。

 ギィ……キィ……

 声がはっきりとした輪郭を持ち、はじめて「名乗った」。

 「僕は、“中の人”。ずっと君を見てた」

 「今度は、外に出るよ」

 今、耳の奥で何かが“這い出そう”としている。

 音だけでわかる。

 ぬるりとした、何か濡れた指のようなものが、鼓膜を押している。

 口の中が鉄の味で満たされる。

 耳の中で、囁きが繰り返される。

 「今度は、君が“中”に入る番だ」

◆エピローグ
 精神科病棟の記録によると、彼は最終的に「声が出ていくのを止められなかった」と言い、自分の耳を鉛筆で突いて破った。

 現在も意識は混濁しており、鏡を見せると暴れ出すという。

 彼が使っていたスマートフォンには、誰も録音していないはずの音声ファイルが保存されていた。

 再生すると――

 「ねえ、君の耳、ちょっと貸して?」

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
【累計55万PV突破‼】 話題作「アンケートに答えたら、人生が終わった話」が10万PVを記録。 日常に潜む“逃げ場のない恐怖”を集めた、戦慄の短編集。 その違和感は、もう始まっている。 帰り道、誰もいないはずの部屋、何気ない会話。 どこにでもある日常が、ある瞬間、取り返しのつかない異常へと変わる。 意味が分かると凍りつく話。 理由もなく、ただ追い詰められていく話。 そして、最後の一行で現実がひっくり返る話。 1話1000〜2000文字。隙間時間で読める短編ながら、 読み終えたあと、ふとした静寂が怖くなる。 これはすべて、どこかで起きていてもおかしくない話。 ――あなたのすぐ隣でも。 洒落にならない実話風・創作ホラー。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。