怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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116)『お迎えのバス』

そのバスは、10年に一度だけ村にやってくる。

 夜明け前の静かな時刻に、誰にも知られず、亡くなった者を乗せて走る“お迎えのバス”。

 誰が乗るかは、前日の夜にならないとわからない。
 誰が運転しているかも、どこへ向かっているのかも、わからない。

 そして一度乗れば、二度と戻っては来られない――。

 村ではそう言い伝えられていた。

 僕がその“バス”を初めて見たのは、小学生のときだった。

 真冬の夜、布団から出てトイレに向かう途中、何気なく窓の外を見た。
 そのとき、村の狭い坂道を、青白いライトを点けた古びたバスが音もなく登っていくのを見た。

 乗客はいなかった。車体の側面には、会社名もロゴもなく、ただ窓に沿って、白い紙に手書きの文字が貼られていた。

 > 「迎車」

 その文字が、やけに生々しくて、いまだに忘れられない。

 それから10年後、僕は村を出て、都会の大学へ進学し、そのまま就職した。

 両親は健在だったが、祖父母はすでに他界していて、僕の生家は空き家同然だった。

 帰省のたびに、村の人口は減っていき、空き家が目立つようになった。

 友人の葬式に参加したのは、そんなある冬の日だった。

 千早(ちはや)。高校時代の同級生で、どこかつかみどころのない性格をしていた彼女。

 都会の事故で急死したという知らせを聞いて、久しぶりに村へ戻ってきた。

 夜。葬式からの帰り道。

 人気のないバス停に、白い車体のバスが停まっていた。

 “あのバス”だった。

 10年前とまったく同じ、錆びた古いボディ、白いライト。
 そして、窓に貼られた**「迎車」**の文字。

 誰もいないはずの車内に、人影が揺れていた。

 バスの入口が、**ぷしゅう……**という静かな音を立てて開いた。

 乗るつもりはなかった。

 けれど、窓からこちらをじっと見つめる“千早”の目と合った気がした。

 僕は、吸い寄せられるように一歩、バスへと足を踏み入れた。

 中は、異様なほど静かだった。

 座席には何人もの人が座っていたが、全員が顔を伏せており、誰ひとり動かない。

 運転手の姿は見えなかった。

 千早は、最後部の席に座っていた。
 ただ、彼女は生前の千早とは少し違って見えた。

 髪は濡れており、服もヨレていた。何より、肌が異様に青白く、目に光がなかった。

 それでも、彼女は笑った。

 「よかった、来てくれたんだね」

 「……ここは、どこに行くの?」

 僕がそう尋ねると、彼女は首を傾げて答えた。

 「帰るんだよ。元いた場所に」

 「でも、君は……もう……」

 千早は少し寂しそうに笑った。

 「私はね、ひとりじゃ行けなかったの。……だから、誰かが必要だったの」

 気がつくと、バスは山道をぐんぐんと登っていた。

 村の道ではない。舗装されていない、獣道のような細い坂を、轍の音ひとつ立てずに走っていた。

 窓の外は、何もない空白のような景色。黒い木々、霧、そしてときおり何かが遠くで蠢く影。

 千早がぽつりとつぶやく。

 「こっち側はね、“覚えてくれる人”がいないと、消えちゃうの。
  私、もう誰の記憶にも残ってないから。
  でも、直樹(なおき)だけは、覚えててくれたでしょう?」

 僕は言葉を失った。

 やがて、バスは暗闇の奥に吸い込まれていくように止まった。

 ドアが開く。そこには、どこまでも続く黒い水面が広がっていた。

 乗客たちが、ひとり、またひとりとバスを降り、音も立てず水の中へと歩いていく。

 千早もまた、立ち上がり、こちらに手を差し出して言った。

 「ねえ、いっしょに帰ろ?」

 そのとき、僕のスマホに通知が届いた。

 画面には見覚えのある言葉が浮かんでいた。

 > 「このまま乗っていきますか? Y / N」

 手が、震える。

 千早が、優しく言う。

 「ここにいたら、全部忘れられるよ。痛みも、悲しみも、時間も。
  全部、ゼロになるの」

 僕はその声に、心の底から惹かれた。

 だけど――

 「また来るよ。10年後に、もし僕が覚えてたら」

 そう言って、手を振った。

 千早の表情は、ほんの一瞬、悲しそうに揺れて――

 でも、すぐに笑った。

 「そっか。……じゃあ、またね」

 次の瞬間、バスは霧の中へと消えた。

 そこには、白いタイヤ痕すら残っていなかった。

 ただ静かに、風が吹いていた。

◆エピローグ
 それから10年後。

 誰にも言わずに村へ戻った夜。
 バス停には、古びたバスが停まっていた。

 窓に貼られた紙には、こう書かれていた。

 > 「迎車(2名)」

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