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118)『0号室』
勤務している精神科病棟は、鉄格子の扉が幾重にも続く閉鎖病棟だった。
通称・第六病棟。都内の総合病院の裏手にある古い棟で、築50年は経っている。
私は看護師として働いていたが、赴任初日から第六病棟の“空気”には、どこか異様な重たさを感じていた。
病棟の廊下は常にしんとしていて、患者の発する声や音が、やけに響いた。
何より、夜勤のたびに聞こえる“誰もいない廊下を歩く足音”が、耳から離れなかった。
ある夜勤の日。
古い資料室で、患者記録のファイル整理をしていたときのこと。
カルテの山の中に、奇妙なファイルが混じっていた。
**「患者No.000」**とだけ書かれた封筒。
名前欄は空白。性別:不明。年齢:不明。
記録場所:0号室
そんな部屋、この病棟には存在しない。設計図にも、部屋割りにもない。
しかしカルテの記載には、複数回の看護記録と、診察ログが詳細に残っていた。
そこに書かれていた記述が、忘れられない。
> 「午前3時、0号室のドアの隙間から視線を感じる。
> 患者は喋らず、こちらの口の動きだけを真似する。
> 確認後、記録を破棄するよう指示あり」
読みながら、背中に冷たいものが走った。
誰がこんな記録を残したのか。
なぜ“破棄されず”にこの封筒がここにあるのか。
封筒の中に、1枚だけ写真があった。
白黒写真。
扉の隙間から、白く濁った目だけが覗いている。
その目が、まっすぐにこちらを見ていた。
日勤明けの先輩に尋ねてみた。
「0号室って……知ってますか?」
先輩は、すっと表情を曇らせた。
「その名前、どこで聞いたの?」
「古いファイルの中に……記録があって。写真も……」
先輩はしばらく黙った後、ぽつりと漏らした。
「それ、本当に見たの?」
「……ええ」
「だったら、今夜は注意した方がいい」
「どうしてですか?」
「“見た人”のところには、あの人が来るから」
その夜の夜勤は、特に静かだった。
見回りを終えて、ナースステーションで記録を書いていたとき。
ふと、廊下の突き当たりにあるはずの空き室の扉が、開いていた。
開けた覚えはない。
中を覗くと――
いつの間にか、プレートがついていた。
> 「0号室」
思わず心臓が跳ねた。
電灯がちらつく中、部屋の奥にはベッドが一台。
その上に、誰かが座っていた。
顔は見えない。ただ、真っ白な病衣と、首を傾けたまま微動だにしない人影。
その“誰か”が、口をパクパクと開閉していた。
声はない。
けれど、はっきりと“口の形”がわかった。
「わたしを かんごして」
翌朝、0号室のプレートは消えていた。
同じ場所を見ても、空き室があるだけだった。
先輩に話すと、ただ一言だけこう言われた。
「“あの部屋”は、看護されるのを待ってるのよ。
ちゃんと見てくれる人が現れるまで、ずっと。」
それからというもの、私は夜勤に入るたびに看護日誌に“0号室”の記録を書く癖がついた。
最初は冗談のつもりだった。
でも、記録を書き続けるうちに、ある変化が起きた。
患者名簿に、「No.000」の名前が加わっていた。
誰が書いたのかわからない。
でも、確かにそこには、
> 「氏名:不明 性別:不明 部屋:0号室」
と印字されていた。
ある日、院内の定期巡回で、“誰もいないはずの部屋”にナースコールが入った。
表示された部屋番号は――「000」。
無言のナースコール。
ただ、受話器から聞こえてきたのは、誰かが静かに息をしている音だけだった。
◆エピローグ
あなたが次、病院に入院したとき。
もしも自分のカルテの部屋番号が**「000」**と書かれていたら。
それは――もう帰って来られない部屋かもしれません。
通称・第六病棟。都内の総合病院の裏手にある古い棟で、築50年は経っている。
私は看護師として働いていたが、赴任初日から第六病棟の“空気”には、どこか異様な重たさを感じていた。
病棟の廊下は常にしんとしていて、患者の発する声や音が、やけに響いた。
何より、夜勤のたびに聞こえる“誰もいない廊下を歩く足音”が、耳から離れなかった。
ある夜勤の日。
古い資料室で、患者記録のファイル整理をしていたときのこと。
カルテの山の中に、奇妙なファイルが混じっていた。
**「患者No.000」**とだけ書かれた封筒。
名前欄は空白。性別:不明。年齢:不明。
記録場所:0号室
そんな部屋、この病棟には存在しない。設計図にも、部屋割りにもない。
しかしカルテの記載には、複数回の看護記録と、診察ログが詳細に残っていた。
そこに書かれていた記述が、忘れられない。
> 「午前3時、0号室のドアの隙間から視線を感じる。
> 患者は喋らず、こちらの口の動きだけを真似する。
> 確認後、記録を破棄するよう指示あり」
読みながら、背中に冷たいものが走った。
誰がこんな記録を残したのか。
なぜ“破棄されず”にこの封筒がここにあるのか。
封筒の中に、1枚だけ写真があった。
白黒写真。
扉の隙間から、白く濁った目だけが覗いている。
その目が、まっすぐにこちらを見ていた。
日勤明けの先輩に尋ねてみた。
「0号室って……知ってますか?」
先輩は、すっと表情を曇らせた。
「その名前、どこで聞いたの?」
「古いファイルの中に……記録があって。写真も……」
先輩はしばらく黙った後、ぽつりと漏らした。
「それ、本当に見たの?」
「……ええ」
「だったら、今夜は注意した方がいい」
「どうしてですか?」
「“見た人”のところには、あの人が来るから」
その夜の夜勤は、特に静かだった。
見回りを終えて、ナースステーションで記録を書いていたとき。
ふと、廊下の突き当たりにあるはずの空き室の扉が、開いていた。
開けた覚えはない。
中を覗くと――
いつの間にか、プレートがついていた。
> 「0号室」
思わず心臓が跳ねた。
電灯がちらつく中、部屋の奥にはベッドが一台。
その上に、誰かが座っていた。
顔は見えない。ただ、真っ白な病衣と、首を傾けたまま微動だにしない人影。
その“誰か”が、口をパクパクと開閉していた。
声はない。
けれど、はっきりと“口の形”がわかった。
「わたしを かんごして」
翌朝、0号室のプレートは消えていた。
同じ場所を見ても、空き室があるだけだった。
先輩に話すと、ただ一言だけこう言われた。
「“あの部屋”は、看護されるのを待ってるのよ。
ちゃんと見てくれる人が現れるまで、ずっと。」
それからというもの、私は夜勤に入るたびに看護日誌に“0号室”の記録を書く癖がついた。
最初は冗談のつもりだった。
でも、記録を書き続けるうちに、ある変化が起きた。
患者名簿に、「No.000」の名前が加わっていた。
誰が書いたのかわからない。
でも、確かにそこには、
> 「氏名:不明 性別:不明 部屋:0号室」
と印字されていた。
ある日、院内の定期巡回で、“誰もいないはずの部屋”にナースコールが入った。
表示された部屋番号は――「000」。
無言のナースコール。
ただ、受話器から聞こえてきたのは、誰かが静かに息をしている音だけだった。
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あなたが次、病院に入院したとき。
もしも自分のカルテの部屋番号が**「000」**と書かれていたら。
それは――もう帰って来られない部屋かもしれません。
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