怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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124)『13階の来訪者』

このビルには、13階がない。

 正確には、“ないことになっている”。

 エレベーターのボタンは1階から12階まで、次が14階。

 建築時の迷信か、風水か、それとも単なるデザイン上の問題か。

 だけど、昔からこのビルにまつわる噂があった。

 「特定の手順で操作すると、13階にたどり着く」

 都市伝説だと思っていた。

 つい、昨日までは。

 事の始まりは、同僚・西條(さいじょう)の異変だった。

 無口で温厚な彼が、ここ数日、やけに話しかけてくるようになった。

 声のトーンも、笑い方も、微妙に変わった気がする。

 だが、何より気味が悪かったのは――彼の目線が、どこか常にずれていることだった。

 まるでこちらの「顔の右半分」しか見ていないような、ぎこちない視線。

 あるとき冗談で言ってみた。

 「おい西條、なんか変だぞ? 13階にでも行ったんじゃないのか?」

 すると彼は――笑わなかった。

 ただ、静かに答えた。

 「知ってるんですね。もう、見つけたんですか」

 それから数日後。

 夜、残業を終えたあと、無意識にエレベーターのボタンを押していた。

 6階、9階、2階、10階――

 いつの間にか、都市伝説で語られていた操作順を入力していた。

 そして、最後に「閉」ボタンを3回。

 沈黙。

 エレベーターは、一瞬だけ震え、静かに上昇を始めた。

 フロア表示が「12」を越えて――

 「13」になった。

 扉が開いた。

 そこには、誰もいない灰色の廊下があった。

 照明はついている。非常灯も光っている。

 けれど空気が、異常に重い。静かすぎる。

 足音も、壁の反響も、すべてが妙にくぐもって聞こえる。

 「……何もないか」

 そう思って戻ろうとした瞬間。

 廊下の突き当たりに、誰かが立っていた。

 それは――自分だった。

 髪型も、スーツも、背丈もまったく同じ。

 ただ、こちらを見て“少しだけ笑っている”。

 鏡ではない。窓でもない。

 確実に“自分”が、そこに立っていた。

 俺は咄嗟にエレベーターに駆け戻り、閉ボタンを連打した。

 扉が閉まり、エレベーターは降りていった。

 翌朝、鏡を見ると、顔がほんのわずかに“違っていた”。

 目の位置、頬骨の高さ、口角の角度――すべてが“微妙にズレていた”。

 家族は気づかない。
 同僚も気づかない。

 けれど自分ではわかる。

 鏡の中の自分は、もう“完全な自分”じゃなかった。

 会社に行くと、西條が声をかけてきた。

 「行ったんですね、13階。……あなたも、選ばれた」

 「何を、言ってる?」

 「“向こうのあなた”が、こっちに来るんですよ。
  あとは、どこでバトンタッチするかだけです」

 その日から、自分が“誰かに見られている”感覚が続いた。

 鏡、ガラス、パソコン画面、スマホのインカメラ。
 あらゆる反射面に、一瞬だけ“ズレた自分”が現れる。

 それは、笑っている。

 ある夜。

 ベッドに横たわる自分を、天井の照明の金属部分が映していた。

 そこに映る“俺”が、瞬きのタイミングを合わせてこなかった。

 0.2秒ほど遅れて、にやりと口元を動かした。

 声が聞こえた。

 > 「ねえ、代わってよ。そろそろ、疲れたでしょう」

 耳元で、誰かが囁く。

 数日後。

 社内で「お前、なんか変わったな」と言われるようになった。

 明るくなった、よく喋るようになった――
 ポジティブな意味で受け取られていた。

 でも、自分では気づいていた。

 少しずつ、“本当の自分”が引っ込んでいく感覚。

 “誰か”が、こちらを生きている。

 ある朝、目が覚めると、体が動かなかった。

 手も足も声も出ない。

 その代わり、視界だけが――天井に向いていた。

 視界の端に、洗面台の鏡があった。

 そこに、完璧に“自分”を演じる誰かが立っていた。

 にこり、と笑う。

 > 「交代、完了だよ」

◆エピローグ
 あなたのオフィスビルにも、“13階”はありませんか?

 でも、特定のボタン操作で、
 あなた自身がもうひとり、生まれてしまうかもしれません。

 そして――そちらの“あなた”の方が、今よりうまく生きてしまうかもしれない。

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