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130)『筆塚の村』
大正十五年の春、私は代用教員として山奥の小さな村に赴任した。
峠を越えて半日かかる、地図にも載っていないような小さな集落。
名前は**筆山村(ふでやまむら)**という。
人口は五十にも満たず、小学校にはたったの十三人の生徒がいた。
校舎は古い木造で、教室には黒板、机、そして神棚。
今にも壊れそうな造りだが、不思議と落ち着く空間だった。
ただ、一つだけ、奇妙なものがあった。
校庭の隅に、ぼろぼろの鳥居と、石の塚がある。
村の子らはそれを「筆塚(ふでづか)」と呼び、決して近づこうとしなかった。
ある日、授業中に生徒の一人が質問した。
「せんせい、“悪い字”ってあるの?」
「悪い字?」
「うん。まちがって書くと、“あれ”がくるって、おばあちゃんが言ってた」
私は苦笑しながら、「書き間違いは誰にでもある」と答えた。
だが、子どもたちは顔を見合わせ、真剣な顔で言った。
「でも、**本当に“あれ”がくるんだよ。筆のかたちしてるの」
「夜のあいだに、くびをなぞるの」
気になって、宿の老婆に訊いてみた。
「あの筆塚は、なんのためのものですか?」
老婆は、火鉢に灰をかき混ぜながら、ぽつりと答えた。
「**言の刃(ことのは)**を収めるところさ」
「言の刃?」
「筆でついた嘘、悪口、呪い言葉……そういうもんは、道具ごと封じなきゃならん。
昔は筆で人を殺す時代があった。書くだけで、呪える時代がな」
「……まさか」
老婆は、私の目を見て笑った。
「センセ、黒板に書くとき、気をつけるこったな。筆の神さま、見てるよ」
それでも、私はその言い伝えを迷信としか思っていなかった。
だが――ある授業の日、生徒のノートを何気なく覗き込んで、凍りついた。
そこには、震えた文字でこう書かれていた。
> 「せんせいが、死にますように」
> 「せんせいのくびを、筆でなぞる」
その生徒――政夫は、目を見開いたまま、震えていた。
「ちがう……ちがうんだ……
勝手に、手が、書いちゃうんだよ……!」
その夜、私は妙な気配で目を覚ました。
寝床のすぐそばに、墨の匂いが漂っていた。
ゆっくりと目を開ける。
薄暗い部屋の天井――そこに、巨大な“筆のような影”が垂れていた。
黒く、長く、ゆらゆらと揺れていた。
そして、それがすう……っと降りてきて、喉元をなぞった。
すっと冷たい感触。呼吸が止まったような数秒。
私は叫び声もあげられず、そのまま朝を迎えた。
翌日、政夫が学校を休んだ。
様子を見に行くと、彼は部屋の隅でぶつぶつと呟いていた。
「筆が……まだ、くびのまわりにいる……」
「書いちゃだめなのに……誰かに、書かされるんだ……」
机の上には、彼の筆と、びっしりと文字で埋められた紙があった。
すべて、同じ言葉。
> 「かえして。かえして。かえして。かえして」
夜。
私は意を決して、筆塚に足を運んだ。
松明の灯りで照らしながら、近づいていく。
塚の上には、無数の筆が差し込まれていた。
どれも折れている、焦げている、または、血のような黒い染みがついていた。
そして中央には、ひときわ太く、長い、黒漆の筆が突き立てられていた。
風もないのに、筆先が震えていた。
墨を吸い込むように、震えていた。
その翌朝、私は黒板に“ある文字”を書いた。
「鎮」――しずめる、という文字だった。
子どもたちは一様に息を呑み、口々に「せんせい、だめだよ!」と叫んだ。
私は静かに首を振った。
「もう、終わらせる」
するとその瞬間、教室中に、墨の臭いがぶわっと立ち込めた。
黒板に書いた文字が、にじんで揺れ、やがて“黒い手”に変わった。
その日の夜、私は夢を見た。
筆塚の前、黒漆の筆が浮かび上がり、私の前に立っていた。
> 「かえしたのは、あなた」
> 「なら、かわりに、あなたをいただきます」
筆がぐるりと宙を描く。
そして、私の喉元に――やわらかく触れた。
◆エピローグ
数日後、学校に新しい代用教員が赴任した。
前任者は「急な事情」で村を離れたという。
筆塚の前では、風もないのに、ひとつだけ筆がふるふると震えていた。
その筆の根元には、小さく名前が刻まれていた。
> 「○○○(←私の名前)」
峠を越えて半日かかる、地図にも載っていないような小さな集落。
名前は**筆山村(ふでやまむら)**という。
人口は五十にも満たず、小学校にはたったの十三人の生徒がいた。
校舎は古い木造で、教室には黒板、机、そして神棚。
今にも壊れそうな造りだが、不思議と落ち着く空間だった。
ただ、一つだけ、奇妙なものがあった。
校庭の隅に、ぼろぼろの鳥居と、石の塚がある。
村の子らはそれを「筆塚(ふでづか)」と呼び、決して近づこうとしなかった。
ある日、授業中に生徒の一人が質問した。
「せんせい、“悪い字”ってあるの?」
「悪い字?」
「うん。まちがって書くと、“あれ”がくるって、おばあちゃんが言ってた」
私は苦笑しながら、「書き間違いは誰にでもある」と答えた。
だが、子どもたちは顔を見合わせ、真剣な顔で言った。
「でも、**本当に“あれ”がくるんだよ。筆のかたちしてるの」
「夜のあいだに、くびをなぞるの」
気になって、宿の老婆に訊いてみた。
「あの筆塚は、なんのためのものですか?」
老婆は、火鉢に灰をかき混ぜながら、ぽつりと答えた。
「**言の刃(ことのは)**を収めるところさ」
「言の刃?」
「筆でついた嘘、悪口、呪い言葉……そういうもんは、道具ごと封じなきゃならん。
昔は筆で人を殺す時代があった。書くだけで、呪える時代がな」
「……まさか」
老婆は、私の目を見て笑った。
「センセ、黒板に書くとき、気をつけるこったな。筆の神さま、見てるよ」
それでも、私はその言い伝えを迷信としか思っていなかった。
だが――ある授業の日、生徒のノートを何気なく覗き込んで、凍りついた。
そこには、震えた文字でこう書かれていた。
> 「せんせいが、死にますように」
> 「せんせいのくびを、筆でなぞる」
その生徒――政夫は、目を見開いたまま、震えていた。
「ちがう……ちがうんだ……
勝手に、手が、書いちゃうんだよ……!」
その夜、私は妙な気配で目を覚ました。
寝床のすぐそばに、墨の匂いが漂っていた。
ゆっくりと目を開ける。
薄暗い部屋の天井――そこに、巨大な“筆のような影”が垂れていた。
黒く、長く、ゆらゆらと揺れていた。
そして、それがすう……っと降りてきて、喉元をなぞった。
すっと冷たい感触。呼吸が止まったような数秒。
私は叫び声もあげられず、そのまま朝を迎えた。
翌日、政夫が学校を休んだ。
様子を見に行くと、彼は部屋の隅でぶつぶつと呟いていた。
「筆が……まだ、くびのまわりにいる……」
「書いちゃだめなのに……誰かに、書かされるんだ……」
机の上には、彼の筆と、びっしりと文字で埋められた紙があった。
すべて、同じ言葉。
> 「かえして。かえして。かえして。かえして」
夜。
私は意を決して、筆塚に足を運んだ。
松明の灯りで照らしながら、近づいていく。
塚の上には、無数の筆が差し込まれていた。
どれも折れている、焦げている、または、血のような黒い染みがついていた。
そして中央には、ひときわ太く、長い、黒漆の筆が突き立てられていた。
風もないのに、筆先が震えていた。
墨を吸い込むように、震えていた。
その翌朝、私は黒板に“ある文字”を書いた。
「鎮」――しずめる、という文字だった。
子どもたちは一様に息を呑み、口々に「せんせい、だめだよ!」と叫んだ。
私は静かに首を振った。
「もう、終わらせる」
するとその瞬間、教室中に、墨の臭いがぶわっと立ち込めた。
黒板に書いた文字が、にじんで揺れ、やがて“黒い手”に変わった。
その日の夜、私は夢を見た。
筆塚の前、黒漆の筆が浮かび上がり、私の前に立っていた。
> 「かえしたのは、あなた」
> 「なら、かわりに、あなたをいただきます」
筆がぐるりと宙を描く。
そして、私の喉元に――やわらかく触れた。
◆エピローグ
数日後、学校に新しい代用教員が赴任した。
前任者は「急な事情」で村を離れたという。
筆塚の前では、風もないのに、ひとつだけ筆がふるふると震えていた。
その筆の根元には、小さく名前が刻まれていた。
> 「○○○(←私の名前)」
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