怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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133)『ほおずき堂』

明治二十四年、秋。
 その店は、夕暮れの城下町の一角、裏通りの奥にだけ現れるという。

 ほおずき堂。

 赤ちょうちんのように揺れる看板に、墨で描かれた「鬼灯(ほおずき)」の文字。

 決まって陽が傾き始めると、ひっそりと暖簾が下ろされ、
 風に乗って、カラカラと風鈴のような音が鳴る。

 店に入れるのは、「なにか大切なものを忘れた者」だけ――そう言われていた。

 私は十二の頃、その店を見つけた。

 姉が死んだ次の年のことだった。

 姉・千代は、やさしく、明るく、私の半分の命だった。

 病で亡くなってから、私はほとんど喋らなくなった。

 母は悲しみを押し殺し、父は仕事に逃げた。

 私だけが、あの人の声を忘れていくのが怖かった。

 だから、どうしても、もう一度だけ――“姉の声”を聞きたかった。

 その願いが、私を「ほおずき堂」へと導いた。

 小雨の降る夕暮れ、裏路地の突き当たりに、小さな赤い灯りがともっていた。

 カラカラ、と。
 風もないのに、涼しげな鈴の音。

 暖簾をくぐると、そこには不思議な空間が広がっていた。

 天井から吊るされた無数の“ほおずき”。

 それぞれが、微かに揺れ、わずかに音を鳴らしている。

 奥から、店主が現れた。

 白い着物に面をつけた人物。

 その声は、男か女かもわからぬほど静かだった。

 > 「なにか、お忘れ物を?」

 私は答えた。

 「姉の声を、忘れたくないのです」

 店主は頷いた。

 > 「では、“声のほおずき”をお求めですね。
 >  ただし、代価が必要です。あなたの中の――“言葉”を、ひとついただきます」

 「……ことば?」

 > 「そう。もう二度と、その言葉を口にできなくなります」

 私は迷わず、頷いた。

 店主は棚の上から、ひとつのほおずきを手に取った。

 それは、うっすらと光を帯び、中から“誰かの声”が響いていた。

 帰宅後、私はこっそりそのほおずきを耳元に当てた。

 ――「よしこ、おはよう。きょうも、いっしょに遊ぼうね」

 姉の声だった。

 泣きながら、私は何度も何度もそれを聴いた。

 声は、小さく、優しく、変わらぬままだった。

 けれど、翌朝になって、私は**「姉」という言葉を言えなくなっていた。**

 喉が詰まる。舌が動かない。

 「ち、ち……ちょ……」まで言えて、そこから先がどうしても出なかった。

 その日から、私は毎日「ほおずき堂」を訪れた。

 姉の歌、姉の笑い声、姉の怒った声、姉のくしゃみ――

 そのたびに、私は“ひとつの言葉”を差し出した。

 ・「ありがとう」
 ・「うれしい」
 ・「遊ぼう」
 ・「会いたい」

 喋れなくなった言葉が増えるたびに、姉の声はくっきりとしていった。

 季節が冬に変わる頃。

 私は、とうとう「話す」という行為そのものが、できなくなっていた。

 口が動いても、音が出ない。
 それでも私は、笑っていた。

 毎晩、姉の声に包まれていたから。

 ほおずきの音は、いつも姉のぬくもりだった。

 ある晩、店主がこう言った。

 > 「よしこ様。これ以上は、おやめなさい。
 >  これ以上は、“あなた”の音が、戻らなくなります」

 私は、首を振った。

 声は出せない。

 でも、どうしても、最後の声が聞きたかった。

 姉が亡くなる前の、“さようなら”の声を。

 最後のほおずきを手に入れると、
 私は、自分の中から――“名前”を差し出した。

 名前を失った瞬間、私は、自分が誰だったのかもわからなくなった。

 けれど、ほおずきの中から、姉の最後の言葉が響いた。

 > 「――ありがとう。ずっと、わたしを忘れなかったんだね」

 > 「こんどは、わたしが“あなたの声”になるよ」

 次の朝、私は“無言の娘”として、町の人々の記憶から消えていった。

 誰も私の名を呼ばない。
 誰も私の存在を覚えていない。

 でも、夜になると――
 町のどこかで、“姉の声”がほおずきに乗って風に揺れる。

◆エピローグ
 もし、夕暮れの裏通りで、赤いちょうちんのような実がゆれていたら。

 その中には、**忘れられた“誰かの声”**が、まだ眠っているかもしれません。

 けれど――耳を当てる前に、思い出してください。

 **「何かを取り戻すには、何かを差し出さねばならない」**のです。

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