怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

文字の大きさ
136 / 147

136)『ゆびさき回廊』

静かな雨の午後。
 その美術館は、ひっそりと街の裏通りに佇んでいた。

 蔦の絡まる古い洋館。看板はなく、
 入り口の上にはただ「静観室」とだけ刻まれていた。

 中に入ると、湿った木の匂いと、絵の具と石膏の混ざったような香りが漂っている。

 展示室には、誰もいない。

 ただ、壁に沿って並ぶ彫刻と絵画が、音もなくそこに在るだけだった。

 そして、全ての作品の傍らには、同じ札が掲げられていた。

 > 「展示品には、お手を触れぬようお願いいたします。
 >  指先から、記憶が移ってしまいます。」

 私はその注意書きを見て、くすりと笑った。

 少し凝った演出のつもりか、あるいはアートとしての皮肉か。
 何にせよ、洒落ていると思った。

 だが、その札の文字は――手書きで、妙に生々しかった。

 インクがにじみ、筆跡が歪んでいる。

 ふと、壁際の彫刻のひとつに目がとまった。

 人間の手の形をした石の彫刻。

 掌を上に向け、誰かを待っているように。

 私は、ふらふらとその彫刻に引き寄せられた。

 そして、つい――指先で触れてしまった。

 滑らかで冷たい石の感触。

 その瞬間、視界の端に“別の景色”が滲んだ。

 川沿いのベンチ。夕暮れの光。
  本を読む手の上に、誰かの指が重なる感覚。

 ……これは、誰の記憶だ?

 私は慌てて手を引いた。

 だが、それからというもの、自分の右手が“自分のものではない”ような感覚に囚われていった。

 ・文字を書くと、知らない漢字がスラスラと出てくる
 ・スマホのパスコードが、無意識に違う数字に変わる
 ・触れたものから、断片的な記憶が流れ込んでくる

 そのたびに、自分の記憶が――わずかに、薄れていく。

 やがて、夢を見るようになった。

 異国の街角。赤いワイン。白いカーテン。

 目覚めたとき、自分が知らない外国語のフレーズを口ずさんでいた。

 手のひらには、小さく“ある女性の名前”がペンで書かれていた。

 > 「Amélie」

 私は再び、静観室へ向かった。

 館内には、相変わらず誰もいない。

 ただ、展示品が少し増えている気がした。

 あの“手”の彫刻の隣には、新たな札が立てられていた。

 > 「記憶を渡した者の手を、ここに封じます。
 >  手を返すには、別の記憶を置いてください。」

 奥の部屋には、“椅子に座る石像”があった。

 目を閉じ、穏やかに笑う顔。

 その指先には、私の癖と同じ指の曲がり方があった。

 それを見た瞬間、私は理解した。

 **この回廊にある彫刻は、かつてここに迷い込んだ人々の“抜け殻”**なのだ。

 記憶を渡し、形を残し、そして消えていった者たち。

 私は、自分の指に触れた。

 皮膚の感触が薄い。
 石のように、固く、冷たい。

 このままでは、完全に“他人の手”になる。

 助けを求めようとしたが、すでに“私”の記憶も曖昧になり始めていた。

 ・家族の顔が思い出せない
 ・自分の誕生日が言えない
 ・何の仕事をしていたのか、思い出せない

 最後に、私は“誰かの手の彫刻”に、左手で触れた。

 すると、二人分の記憶が混ざり合った。

 ・モロッコの朝焼け
 ・初恋の人の香水
 ・事故の瞬間の痛み
 ・出産のときの泣き声
 ・図書館の匂い
 ・雨の中でのプロポーズ

 そして――私が初めて描いたスケッチブックの中の猫の絵

 “私”が戻ってきた。

 今、私は美術館の奥に勤めている。

 静観室は、もう“誰にも見えない”場所になった。

 けれど時折、ふらりと入ってくる人がいる。

 そのとき、私はこう告げる。

 > 「どうぞ、展示品にはお手を触れぬよう……」

 そして心の中で呟く。

 「……触れてしまえば、あなたもここに残るのです」

◆エピローグ
 美術館で、妙に手のリアルな彫刻を見たことはありませんか?

 それ、**誰かが記憶を残していった“身体のかけら”**かもしれません。

 そして、あなたの手も……もう他人の記憶で動き始めていませんか?

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
【累計55万PV突破‼】 話題作「アンケートに答えたら、人生が終わった話」が10万PVを記録。 日常に潜む“逃げ場のない恐怖”を集めた、戦慄の短編集。 その違和感は、もう始まっている。 帰り道、誰もいないはずの部屋、何気ない会話。 どこにでもある日常が、ある瞬間、取り返しのつかない異常へと変わる。 意味が分かると凍りつく話。 理由もなく、ただ追い詰められていく話。 そして、最後の一行で現実がひっくり返る話。 1話1000〜2000文字。隙間時間で読める短編ながら、 読み終えたあと、ふとした静寂が怖くなる。 これはすべて、どこかで起きていてもおかしくない話。 ――あなたのすぐ隣でも。 洒落にならない実話風・創作ホラー。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。