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138)『紙燈の夜』
その村では、年に一度だけ、「紙燈(しとう)」という儀式が行われていた。
川沿いの細道に、住民たちが一人一灯ずつ――
小さな紙の灯籠を流す。
灯籠の中には、墨で書かれた「送り名」。
つまり、この世を去った者の名を一文字だけ記すのが習わしだった。
流された灯籠の火は、川面を漂いながら闇に溶けていく。
それが、死者たちを“来世へ送り返す”という、古い風習だった。
私は七年ぶりに、祖母の家があるその村を訪れた。
都会での暮らしに疲れ、逃げるようにして戻ってきたのだ。
祖母はもういない。
母も、その十年前に事故で亡くなっていた。
家だけが、ぽつんと残っていた。
灯籠流しの夜、私は誰に言われるでもなく、一つの灯籠を作った。
形は覚えていた。
折り紙のように畳まれた薄紙を四角く立て、蝋燭を仕込み、
中に小さく――**「佐」**という文字を書いた。
母の名前、“佐和子”の頭文字。
流し場へ行くと、村人たちが並び、
ぽつりぽつりと灯籠を川に流していた。
私はその列に混ざり、静かに紙燈を水面へと押し出した。
だが、翌朝。
玄関の前に、濡れた紙燈が置かれていた。
紙は湿ってふやけていたが、中央に書かれた「佐」の字は、まだ残っていた。
まるで、誰かがそれを**“持ち帰ってきた”**かのように。
私は気味が悪くなって、それを川へ投げ捨てた。
けれど、次の日も――同じ場所に、それは戻ってきていた。
その夜から、家の中に人の気配を感じるようになった。
・鏡に、一瞬“背後の女”が映る
・畳の上に、濡れた足跡が残る
・台所に立つと、もう一人分のお箸が出されている
耳元で、誰かがこう囁いた。
> 「ただいま」
> 「あなたが呼んだのでしょう」
私は思い出した。
本来、「紙燈」は死者を送るために流す。
だが、灯を消さずに戻された場合――それは“迎え火”になる。
つまり私は、母を見送るどころか、この世に呼び戻してしまったのだ。
次の日、村の古老に話を聞いた。
彼女は怯えたようにこう言った。
「“紙燈の灯が戻る”のは、たましいが“そこにいたい”と思っている証拠だよ」
「でもね、それはもう“死者のままじゃない”。
**“思い出された形をしているだけのもの”**なんだ」
「……じゃあ、私の母は?」
「もう、そのままではいられないよ。
生きてたときの記憶と、死んでいた時間が混ざって……変わってしまう」
その夜、夢を見た。
母が縁側に立っていた。
にこにこ笑っている。
だけど、その顔の一部が、溶けた紙のように崩れていた。
> 「忘れないでくれて、うれしい」
> 「わたし、まだここにいられる」
> 「……でも、すこし、思い出とズレてきちゃったの。
> ほら、あなたが忘れてる部分は、わたしが勝手に作ったの」
> 「だから――ちゃんと、最後まで思い出して?」
目を覚ますと、部屋の天井に、小さな火の玉のような灯が浮かんでいた。
それは、ふわりと宙を漂い、廊下へ、玄関へ、そして外へ――
まるで「導かれるように」、再び川へ向かっていった。
私はその後を追った。
川辺に着くと、流れの真ん中に、あの紙燈が浮かんでいた。
そしてその後ろに、母が立っていた。
顔はぼやけ、輪郭が水に溶けるようだった。
> 「いってくるね」
> 「今度こそ、送ってくれるよね」
私は、そっと手を合わせた。
風が吹き、灯りがふっと消えた。
その瞬間――母の姿も、ゆらりと揺れて、消えた。
朝。
玄関の前には、もう何も置かれていなかった。
私は静かに台所へ向かい、食卓に並んだ二膳のお箸を片付けた。
ひとつは、使われた跡のまま。
もうひとつは、まったくの未使用。
◆エピローグ
送り火と迎え火は、紙一重です。
ほんの少しの記憶のゆがみ、忘れ物、思い出違い――
それだけで、“あの世”と“この世”の道がねじれてしまうのです。
紙燈を流すときは、どうか正しく。
思い出すなら、最後まで正確に。
でなければ――“誰か”が、あなたを探しに来てしまいます。
川沿いの細道に、住民たちが一人一灯ずつ――
小さな紙の灯籠を流す。
灯籠の中には、墨で書かれた「送り名」。
つまり、この世を去った者の名を一文字だけ記すのが習わしだった。
流された灯籠の火は、川面を漂いながら闇に溶けていく。
それが、死者たちを“来世へ送り返す”という、古い風習だった。
私は七年ぶりに、祖母の家があるその村を訪れた。
都会での暮らしに疲れ、逃げるようにして戻ってきたのだ。
祖母はもういない。
母も、その十年前に事故で亡くなっていた。
家だけが、ぽつんと残っていた。
灯籠流しの夜、私は誰に言われるでもなく、一つの灯籠を作った。
形は覚えていた。
折り紙のように畳まれた薄紙を四角く立て、蝋燭を仕込み、
中に小さく――**「佐」**という文字を書いた。
母の名前、“佐和子”の頭文字。
流し場へ行くと、村人たちが並び、
ぽつりぽつりと灯籠を川に流していた。
私はその列に混ざり、静かに紙燈を水面へと押し出した。
だが、翌朝。
玄関の前に、濡れた紙燈が置かれていた。
紙は湿ってふやけていたが、中央に書かれた「佐」の字は、まだ残っていた。
まるで、誰かがそれを**“持ち帰ってきた”**かのように。
私は気味が悪くなって、それを川へ投げ捨てた。
けれど、次の日も――同じ場所に、それは戻ってきていた。
その夜から、家の中に人の気配を感じるようになった。
・鏡に、一瞬“背後の女”が映る
・畳の上に、濡れた足跡が残る
・台所に立つと、もう一人分のお箸が出されている
耳元で、誰かがこう囁いた。
> 「ただいま」
> 「あなたが呼んだのでしょう」
私は思い出した。
本来、「紙燈」は死者を送るために流す。
だが、灯を消さずに戻された場合――それは“迎え火”になる。
つまり私は、母を見送るどころか、この世に呼び戻してしまったのだ。
次の日、村の古老に話を聞いた。
彼女は怯えたようにこう言った。
「“紙燈の灯が戻る”のは、たましいが“そこにいたい”と思っている証拠だよ」
「でもね、それはもう“死者のままじゃない”。
**“思い出された形をしているだけのもの”**なんだ」
「……じゃあ、私の母は?」
「もう、そのままではいられないよ。
生きてたときの記憶と、死んでいた時間が混ざって……変わってしまう」
その夜、夢を見た。
母が縁側に立っていた。
にこにこ笑っている。
だけど、その顔の一部が、溶けた紙のように崩れていた。
> 「忘れないでくれて、うれしい」
> 「わたし、まだここにいられる」
> 「……でも、すこし、思い出とズレてきちゃったの。
> ほら、あなたが忘れてる部分は、わたしが勝手に作ったの」
> 「だから――ちゃんと、最後まで思い出して?」
目を覚ますと、部屋の天井に、小さな火の玉のような灯が浮かんでいた。
それは、ふわりと宙を漂い、廊下へ、玄関へ、そして外へ――
まるで「導かれるように」、再び川へ向かっていった。
私はその後を追った。
川辺に着くと、流れの真ん中に、あの紙燈が浮かんでいた。
そしてその後ろに、母が立っていた。
顔はぼやけ、輪郭が水に溶けるようだった。
> 「いってくるね」
> 「今度こそ、送ってくれるよね」
私は、そっと手を合わせた。
風が吹き、灯りがふっと消えた。
その瞬間――母の姿も、ゆらりと揺れて、消えた。
朝。
玄関の前には、もう何も置かれていなかった。
私は静かに台所へ向かい、食卓に並んだ二膳のお箸を片付けた。
ひとつは、使われた跡のまま。
もうひとつは、まったくの未使用。
◆エピローグ
送り火と迎え火は、紙一重です。
ほんの少しの記憶のゆがみ、忘れ物、思い出違い――
それだけで、“あの世”と“この世”の道がねじれてしまうのです。
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でなければ――“誰か”が、あなたを探しに来てしまいます。
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