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第5章:火の聖都と銀の処刑人
第7話『あなたの声を探して』
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朝の聖都アグニス。
石畳を照らす陽は高く、澄んだ鐘の音が広場に響いていた。
供火祭壇近くにある孤児院では、今日も変わらぬ静寂が流れている。
子供たちは早朝の作業を終え、黙ってパンを分け合い、
床を掃き、陽に当たり、日々を繰り返していた。
「……おはようございます」
セシリアが院を訪れると、子供たちは一瞬、彼女の姿に気づく。
だがやはり声はなく、返事もない。
それでも、セシリアは微笑んで一人ひとりに挨拶をする。
「今日も元気でいてくれて、ありがとう」
声を返せない子供たちが、そっと視線を逸らす。
けれどその中の小さな男の子――あの“風の少年”が、
地面に木の枝で何かを描いているのを、セシリアは見逃さなかった。
「……これは?」
セシリアがしゃがみこみ、その描かれた絵を見る。
それは、炎のような形をした何か――そして、その中心に小さな人影。
「……君? これは……君の中の“火”?」
少年は、視線をセシリアに向け、微かに頷く。
その瞬間、セシリアの胸に、なにか小さなものが届いた気がした。
声ではない。
言葉でもない。
でも確かに、“祈る気持ち”だった。
(伝わった……)
セシリアはその子の手をそっと包み込み、静かに祈る。
「大丈夫。
君の中の火は、ちゃんと灯ってる。
誰にも消されてないよ」
その手の温もりが、子供の顔に微かに笑みを浮かべさせる。
*
午後――
日課を終えた後、セシリアは礼拝塔の一角にある中庭へと向かった。
そこには、マーヴィンとイレーヌがいた。
イレーヌは剣の稽古の最中だった。
細身の練習剣を軽やかに操り、風を切るように動いている。
マーヴィンは石段に腰を下ろし、腕を組みながら彼女の動きを見ていた。
「ほう、これはまた……惚れ惚れするような剣筋だな」
「任務の合間に動いておかねば、身体が鈍る」
イレーヌは息を切らさずに応える。
「それに――誰かが見てると思うと、つい張り切ってしまうから」
マーヴィンは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「誰か、ね。俺のことか?」
「さあ、どうでしょう」
「見ていてくださるなら、せいぜい目を奪われぬようご注意を」
その軽妙なやりとりに、セシリアの足が止まった。
――胸の奥が、少しだけ痛んだ。
(……なに、これ……)
イレーヌは、マーヴィンの近くで笑っていた。
マーヴィンも、それを嫌がっていない。むしろ、どこか楽しげで――
(どうして、わたし……見ていられないの……?)
自分でもわからない感情が、心の内側で暴れだしそうになる。
けれど、それを誰にも見せられず、
セシリアは静かに背を向け、その場を離れた。
*
夕刻。
教会の小さな礼拝室。
セシリアは、一人ひざまずいて祈っていた。
だが、心は揺れていた。
(……マーヴィン様は、悪くない)
(イレーヌ様も、素敵な人。強くて、綺麗で……)
(でも……でも……)
祈りの言葉が浮かばない。
今日まで、迷いなく捧げていた祈りが、霞のようにほどけていく。
(マーヴィン様が、誰かと笑っていると……わたしは……)
“悲しい”ではない。
“寂しい”でも、たぶんない。
もっと――ぐっと奥からくる、知らない感情。
(ねえ、神様。
これも“祈り”なんでしょうか……?)
目を閉じても、涙は止まらなかった。
*
夜。
マーヴィンは書斎で報告書を書き終え、
ふと気配に気づいた。
扉がノックもなく、静かに開く。
そこにいたのは――セシリアだった。
「……どうした?」
「いえ……ちょっとだけ、マーヴィン様のお顔を……見たくなって」
マーヴィンは驚くでもなく、静かに椅子から立ち上がる。
セシリアは、涙の痕が残るまま、マーヴィンの胸に顔をうずめた。
「マーヴィン様……」
「ん?」
「わたし、今日は……“祈れなかった”んです……」
「そうか」
「……はじめて、誰かの笑顔が、胸を痛くするってこと、知ったんです」
マーヴィンはそっと、彼女の背に手を回した。
そして――言った。
「それも、祈りさ。
“自分のために願う気持ち”も、ちゃんと神様に届く。
むしろ、それを知って、初めて“誰かのために祈れる”ようになるんだ」
セシリアは、小さく首を振る。
「でも、わたし、マーヴィン様を……」
言いかけた言葉を、自分で止めた。
マーヴィンは、静かにその手を取った。
「君はまだ、名前をつける必要はないさ。
想いってのは、最初はいつも“形のない炎”なんだ。
でも、いつかちゃんと、灯りになる」
セシリアは、ぎゅっとその手を握った。
「……ありがとう。
……もうちょっとだけ、こうしていてもいいですか?」
「好きなだけ」
今夜、彼女の祈りには言葉がなかった。
けれど、その沈黙には、
――あたたかな火が確かに揺れていた。
石畳を照らす陽は高く、澄んだ鐘の音が広場に響いていた。
供火祭壇近くにある孤児院では、今日も変わらぬ静寂が流れている。
子供たちは早朝の作業を終え、黙ってパンを分け合い、
床を掃き、陽に当たり、日々を繰り返していた。
「……おはようございます」
セシリアが院を訪れると、子供たちは一瞬、彼女の姿に気づく。
だがやはり声はなく、返事もない。
それでも、セシリアは微笑んで一人ひとりに挨拶をする。
「今日も元気でいてくれて、ありがとう」
声を返せない子供たちが、そっと視線を逸らす。
けれどその中の小さな男の子――あの“風の少年”が、
地面に木の枝で何かを描いているのを、セシリアは見逃さなかった。
「……これは?」
セシリアがしゃがみこみ、その描かれた絵を見る。
それは、炎のような形をした何か――そして、その中心に小さな人影。
「……君? これは……君の中の“火”?」
少年は、視線をセシリアに向け、微かに頷く。
その瞬間、セシリアの胸に、なにか小さなものが届いた気がした。
声ではない。
言葉でもない。
でも確かに、“祈る気持ち”だった。
(伝わった……)
セシリアはその子の手をそっと包み込み、静かに祈る。
「大丈夫。
君の中の火は、ちゃんと灯ってる。
誰にも消されてないよ」
その手の温もりが、子供の顔に微かに笑みを浮かべさせる。
*
午後――
日課を終えた後、セシリアは礼拝塔の一角にある中庭へと向かった。
そこには、マーヴィンとイレーヌがいた。
イレーヌは剣の稽古の最中だった。
細身の練習剣を軽やかに操り、風を切るように動いている。
マーヴィンは石段に腰を下ろし、腕を組みながら彼女の動きを見ていた。
「ほう、これはまた……惚れ惚れするような剣筋だな」
「任務の合間に動いておかねば、身体が鈍る」
イレーヌは息を切らさずに応える。
「それに――誰かが見てると思うと、つい張り切ってしまうから」
マーヴィンは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「誰か、ね。俺のことか?」
「さあ、どうでしょう」
「見ていてくださるなら、せいぜい目を奪われぬようご注意を」
その軽妙なやりとりに、セシリアの足が止まった。
――胸の奥が、少しだけ痛んだ。
(……なに、これ……)
イレーヌは、マーヴィンの近くで笑っていた。
マーヴィンも、それを嫌がっていない。むしろ、どこか楽しげで――
(どうして、わたし……見ていられないの……?)
自分でもわからない感情が、心の内側で暴れだしそうになる。
けれど、それを誰にも見せられず、
セシリアは静かに背を向け、その場を離れた。
*
夕刻。
教会の小さな礼拝室。
セシリアは、一人ひざまずいて祈っていた。
だが、心は揺れていた。
(……マーヴィン様は、悪くない)
(イレーヌ様も、素敵な人。強くて、綺麗で……)
(でも……でも……)
祈りの言葉が浮かばない。
今日まで、迷いなく捧げていた祈りが、霞のようにほどけていく。
(マーヴィン様が、誰かと笑っていると……わたしは……)
“悲しい”ではない。
“寂しい”でも、たぶんない。
もっと――ぐっと奥からくる、知らない感情。
(ねえ、神様。
これも“祈り”なんでしょうか……?)
目を閉じても、涙は止まらなかった。
*
夜。
マーヴィンは書斎で報告書を書き終え、
ふと気配に気づいた。
扉がノックもなく、静かに開く。
そこにいたのは――セシリアだった。
「……どうした?」
「いえ……ちょっとだけ、マーヴィン様のお顔を……見たくなって」
マーヴィンは驚くでもなく、静かに椅子から立ち上がる。
セシリアは、涙の痕が残るまま、マーヴィンの胸に顔をうずめた。
「マーヴィン様……」
「ん?」
「わたし、今日は……“祈れなかった”んです……」
「そうか」
「……はじめて、誰かの笑顔が、胸を痛くするってこと、知ったんです」
マーヴィンはそっと、彼女の背に手を回した。
そして――言った。
「それも、祈りさ。
“自分のために願う気持ち”も、ちゃんと神様に届く。
むしろ、それを知って、初めて“誰かのために祈れる”ようになるんだ」
セシリアは、小さく首を振る。
「でも、わたし、マーヴィン様を……」
言いかけた言葉を、自分で止めた。
マーヴィンは、静かにその手を取った。
「君はまだ、名前をつける必要はないさ。
想いってのは、最初はいつも“形のない炎”なんだ。
でも、いつかちゃんと、灯りになる」
セシリアは、ぎゅっとその手を握った。
「……ありがとう。
……もうちょっとだけ、こうしていてもいいですか?」
「好きなだけ」
今夜、彼女の祈りには言葉がなかった。
けれど、その沈黙には、
――あたたかな火が確かに揺れていた。
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