84 / 136
第83話『狙われた姫』【陰謀と真実の序曲編③】
しおりを挟む
夕刻の街は、焼き物の匂いと人いきれで温く、屋台の灯がぽつぽつと点っていった。
クロス組の面々は実地演習を終え、学園への坂道に向かう準備をしている。
リリシアは護衛団の先頭に立ち、買い物籠を片手に、もう片方の手で髪を耳にかけた。
「先生、今日はここまでにしましょう。」
「せやな。腹も減ったし、夕餉前に戻るで。」
カイは屋台の親父と軽く会釈を交わし、財布を閉じる。
「兄者、今なら“あと一串オマケや”って言わせられる気がする。」
「弟よ。先生の前でその発想はアカン。」
「せやな!」
双子の小声の相談を、メリルの真面目な声が打ち消した。
「先生、帰り道に“甘いもの補給所”を挟むのは学習効率的に有利では?」
「お前なぁ、甘味所を“補給所”言うのやめぇ。」
「……補給所(仮)。」
「仮でもアカン。」
皆が笑った。
その笑いの輪から半歩だけ離れた位置で、リリシアはふと足を止めた。
(……風が、引っかかる。)
さっきまで市場を撫でていた風が、急に“角”を持った気がした。撫でるのではなく、突く風。
屋根の棟、路地の影、石橋の下。視線が散っている。けれど、中心が自分に集束している。
「ルーティア。」
「分かってますわ。」
紅いリボンが小さく揺れ、ルーティアは自然な動作で一歩前へ。
護衛団が何も言わずに配置を変えた。ツェイルは尾、カサは壁、双子は左右、メリルは“補給”を諦めて袖の内へ瓶を滑らせる。
ゴルムは……アメちゃんの袋をカイに託し、両手を空にした。
「先生、持ってて。」
「預かったけどな、なんで作戦前にアメちゃん託されとるんやワイ。」
「戦闘で砕けるともったいない。」
「理由が主婦や。」
◆◇◆
最初の一撃は、鐘の音に紛れて落ちた。
尖塔の半時を告げる清澄な音が三つ鳴り――四つ目の途中で、金属の泣き声が混じる。
屋根から滑ってきた影が、リリシアの背中を“押す”角度で触れた。刃ではない。押し。転ばせ、袋に詰めるための力。
リリシアは、踏み替えの半歩を“減らした”。
踵を半分だけ、石の目に噛ませ、押しの角度をずらす。
影の手は肩を外れ、空を掴んだ。
「遅い。」
ルーティアの紅剣が花弁のように開き、影の手首をはたく。
金属音が火花になって弾け、仮面の男が壁際へ跳んだ。
路地の奥、別の影が二つ飛び出す。
背後からもう二つ。
合計五。
さっきの市場での“試し”より牙が長い。
「姫、失礼。」
ツェイルが足元の影に解け、次の瞬間は屋根の端で仮面と刃を交える。
「幻膜、薄く張る。一般人に見えない、音だけ和らげる。」
カサの声は落ち着いていて、瞳だけが鋭い。
ゴルムは前に立った。
巨大な盾のように。
「……通行止め。」
低い声が地面に潜り、石畳がほんの少し軋んだ気がした。
仮面の一人が手にした短槍を投げる。
風切り音が耳に不快な線を引く。
けれど、槍はゴルムの前で“沈んだ”。
見えない“面”がそこにあり、角が撫で落とされて、地に、柔らかく刺さった。
「先生の面、借りた。」
「ええよ。家賃いらん。」
「ありがとうございます。」
「礼は三文以内で済んどるな。えらい。」
メリルがいつの間にか敵の袖に小瓶の霧を振りかける。
「“むずむず粉”。痒い。戦意を削る。」
仮面の男が「むずむずむず……」と無言で身を捩り、ルーティアの柄打ちで路地の隅に転がった。
◆◇◆
だが、敵の狙いは“押し”だけでは終わらない。
屋根の棟から、符札が三枚、ひらひらと舞い落ちる。
地に触れた瞬間、黒い格子のような魔法陣が広がった。
“縫い”だ。足首から膝へ、膝から腰へ、見えない糸が人の動きを縫い止める。
「動き封じ……!」
リリシアの足首に冷たい糸が触れ、びくりと力が止まる。
ルーティアが即座に斬り払うが、斬った箇所から糸が増殖する。
「増える糸か。ほな――」
カイがしゃがみ込み、格子の角にチョークで“丸”を描いた。
角が丸くなれば、糸は絡まらず、滑る。
縫い止めの魔法陣は「ぬるん」と嫌な音を立てて形を崩し、足首の拘束がほどける。
「助かった。」
「礼はアメちゃんでええ。」
「後で一袋。」
「交渉が豪快やな。」
敵の一人が舌打ちし、矢の先に符を巻いて放つ。
矢は途中で増え、三に、五に、七に。
リリシアの肩へ、腰へ、喉へ。
「アカン。」
ゴルムが一歩踏み出し、両手を広げた。
矢が面で摩擦を失い、肩口の上でくるんと跳ね、地にばらばらと落ちる。
その間に、ルーティアが紅剣を一閃。
屋根の端の“増やし”の符を持つ仮面を、柄で顎を打って昏倒させる。
「旦那様を狙うなら、まず私の許可を得なさい。」
「誰が許可するか。」
「許可しませんわ。」
噛み合っているのかいないのか分からない会話が、妙に頼もしい。
◆◇◆
戦況がわずかに傾いた時だった。
路地の奥――最初から誰もいないはずの暗がりが、ひとつ“深く”なった。
闇が“穴”として在る。
鋭く、乾いた匂い。
そこから、男が一人、すっと歩み出た。
他の仮面より衣が薄い。
身のこなしは軽く、足音は“軽すぎる”。
重さがない。
それは、一番厄介なタイプの斥候だった。
「――お迎えにあがりました、姫。」
仮面の奥の声は穏やかで、丁寧だった。
「手荒な真似は望みません。どうか、そのままおいでください。」
リリシアは一歩も動かない。
紫紺の瞳が、氷のように静まる。
「あなたたちは、誰。」
「影。」
短い答え。
「闇に在り、光を測る者。」
「謎かけは結構ですわ。」
ルーティアが前に出る。
「旦那様の生徒に、手を出さないで。」
「では――紅の令嬢。あなたを先に眠らせましょう。」
男が指先をひと振り。
糸の帯が空に走り、ルーティアの瞼にふわりと触れる。
睡眠の魔。
だが、その糸は“見えない面”で丸まって、ぼとりと落ちた。
「せやからアカン言うてるやろ。」
カイの声は柔らかかった。
しかし、彼の前の空気は、磨き上げた鏡よりも滑っていた。
眠りの糸はそこに角を失い、ただの“柔らかい風”になる。
「面白い。」
仮面の男が初めて感情を露わにした。
「あなたが教師、ですね。」
「割と真面目なほうのな。」
「では、真面目にこちらも――」
男の足元で、闇がまたひとつ“深く”なる。
小さな穴。
そこから、黒い“手”が無数に伸びた。
地の下の影が、地上の影へ。
踏みつけた足を、掴もうとする“手”。
リリシアの足首に、冷たい指が触れた。
(――まずい。)
彼女が力を集めるより早く、ゴルムの腕が伸びた。
大きな手がリリシアの腰を抱え上げ、ひょいと持ち上げる。
「持ち上げる。」
「わぁ!?」
リリシアの頬が一気に赤くなる。
「お、おろして!」
「掴まれない高さに退避。先生、どうぞ。」
「ナイス背伸び。」
カイは腰を落とし、地の“穴”にチョークで斜線を引いた。
斜線は“拒否”の印。
穴の縁が“角”を増やし、手は絡んで自滅する。
黒い指が互いに絡み、ほどけなくなったところを、双子が左右から同時に刃で断つ。
「兄者!」
「弟よ!」
「せやな!」
「せやな!」
「“せやな”は今いらん!」
カイのツッコミが飛ぶ。
◆◇◆
仮面の男は一歩だけ下がった。
撤退の合図。
屋根の上の残りの影が、ひゅ、と音を残して消える。
路地の奥の“穴”も、ゆっくりと塞がっていく。
「今日は“試し”だけ。」
男が帽子を取る代わりに、仮面の縁へ指を触れた。
「姫。いずれ、お迎えします。」
そして、煙のように、風のように、輪郭を溶かして消えた。
残されたのは、かすかな墨の匂いと、石畳の上の黒い焼け跡。
「……ちょっと。」
まだゴルムに抱えられていたリリシアが、真っ赤なまま拳でゴルムの肩をこづく。
「おろして。」
「了解。」
そっと降ろす。
リリシアは地面に足を置き、深呼吸して気持ちを戻した。
「助かった。ありがとう。」
「どういたしまして。」
「三文で収めたの、偉いわ。」
「がんばった。」
ルーティアが剣の鞘を軽く叩く。
「旦那様。追います?」
「いや、ええ。」
カイは焼け跡の縁にしゃがみ込み、指で黒い粉をつまんだ。
「足場がある。次は、もう少し広い場所、法の薄いところを狙ってくる。」
「学園の外縁?」
「境の向こうやな。」
リリシアは拳を握った。
指先が白くなる。
「私、足を引っ張らない。」
「誰もそんなこと言うてへん。」
カイは微笑み、飴玉をひとつ取り出して、手のひらに乗せた。
「はい。甘いもん、食べてから考えよ。」
「……はい。」
リリシアは受け取り、飴玉を舌にのせる。
甘さが喉を降りて、胸のざわめきが少しだけ静まった。
◆◇◆
夜。
闇の間。
“声”が、乾いた石に爪を立てるような音とともに落ちてきた。
「姫は容易ではない。守りが良い。教師は“理”で戦う。紅剣は“熱”で断つ。盾は“面”を立てる。」
影たちがひざまずく。
「はい。人の街での攫取は難航するかと。」
「ならば、揺らせ。」
声は平坦で、冷たい。
「火をつけ、声を上げさせ、民を泣かせろ。救いを求める声ほど、守りを脆くするものはない。」
「王は……?」
「必ず来る。娘の涙に、王が耳を塞ぐことはない。」
暗闇で、細い笑いが広がっていく。
「戦わせろ。王と人を。
そして、疲れた双方を――我らが討つ。」
石の天井が低く唸り、闇がさらに濃くなった。
◆◇◆
学園の寮に戻る坂を、クロス組は肩を並べて歩いた。
いつもの喧噪は戻っている。
双子は「せやな」を封印しようとして失敗し、メリルは「補給所(仮)」の開店時間を確認し、ツェイルは影の長さで時刻を測り、カサは眼鏡の角度を一度直し、二度直し、三度直した。
ゴルムは――カイから返してもらったアメちゃんの袋を、大切そうに胸にしまった。
リリシアはふと、ルーティアの袖を軽く引いた。
「……さっき、ありがとう。」
「当たり前ですわ。」
ルーティアは少しだけ顎を上げ、横目で笑う。
「旦那様の生徒は、私の――」
「競争相手?」
「……それも、ある。」
ふたりは同時に小さく笑って、それ以上何も言わなかった。
尖塔に灯がともる。
その灯の数だけ、守りたい顔が増えた。
そのぶん、敵の影も濃くなる。
カイは空を見上げ、心の中で式をひとつ組んだ。
丸めるべき角、立てるべき面、増やすべき光。
全部、黒板に乗せられるといい。
そう思いながら、歩幅を皆に合わせた。
明日も授業。
けれど、明日は――少し、鋭い。
クロス組の面々は実地演習を終え、学園への坂道に向かう準備をしている。
リリシアは護衛団の先頭に立ち、買い物籠を片手に、もう片方の手で髪を耳にかけた。
「先生、今日はここまでにしましょう。」
「せやな。腹も減ったし、夕餉前に戻るで。」
カイは屋台の親父と軽く会釈を交わし、財布を閉じる。
「兄者、今なら“あと一串オマケや”って言わせられる気がする。」
「弟よ。先生の前でその発想はアカン。」
「せやな!」
双子の小声の相談を、メリルの真面目な声が打ち消した。
「先生、帰り道に“甘いもの補給所”を挟むのは学習効率的に有利では?」
「お前なぁ、甘味所を“補給所”言うのやめぇ。」
「……補給所(仮)。」
「仮でもアカン。」
皆が笑った。
その笑いの輪から半歩だけ離れた位置で、リリシアはふと足を止めた。
(……風が、引っかかる。)
さっきまで市場を撫でていた風が、急に“角”を持った気がした。撫でるのではなく、突く風。
屋根の棟、路地の影、石橋の下。視線が散っている。けれど、中心が自分に集束している。
「ルーティア。」
「分かってますわ。」
紅いリボンが小さく揺れ、ルーティアは自然な動作で一歩前へ。
護衛団が何も言わずに配置を変えた。ツェイルは尾、カサは壁、双子は左右、メリルは“補給”を諦めて袖の内へ瓶を滑らせる。
ゴルムは……アメちゃんの袋をカイに託し、両手を空にした。
「先生、持ってて。」
「預かったけどな、なんで作戦前にアメちゃん託されとるんやワイ。」
「戦闘で砕けるともったいない。」
「理由が主婦や。」
◆◇◆
最初の一撃は、鐘の音に紛れて落ちた。
尖塔の半時を告げる清澄な音が三つ鳴り――四つ目の途中で、金属の泣き声が混じる。
屋根から滑ってきた影が、リリシアの背中を“押す”角度で触れた。刃ではない。押し。転ばせ、袋に詰めるための力。
リリシアは、踏み替えの半歩を“減らした”。
踵を半分だけ、石の目に噛ませ、押しの角度をずらす。
影の手は肩を外れ、空を掴んだ。
「遅い。」
ルーティアの紅剣が花弁のように開き、影の手首をはたく。
金属音が火花になって弾け、仮面の男が壁際へ跳んだ。
路地の奥、別の影が二つ飛び出す。
背後からもう二つ。
合計五。
さっきの市場での“試し”より牙が長い。
「姫、失礼。」
ツェイルが足元の影に解け、次の瞬間は屋根の端で仮面と刃を交える。
「幻膜、薄く張る。一般人に見えない、音だけ和らげる。」
カサの声は落ち着いていて、瞳だけが鋭い。
ゴルムは前に立った。
巨大な盾のように。
「……通行止め。」
低い声が地面に潜り、石畳がほんの少し軋んだ気がした。
仮面の一人が手にした短槍を投げる。
風切り音が耳に不快な線を引く。
けれど、槍はゴルムの前で“沈んだ”。
見えない“面”がそこにあり、角が撫で落とされて、地に、柔らかく刺さった。
「先生の面、借りた。」
「ええよ。家賃いらん。」
「ありがとうございます。」
「礼は三文以内で済んどるな。えらい。」
メリルがいつの間にか敵の袖に小瓶の霧を振りかける。
「“むずむず粉”。痒い。戦意を削る。」
仮面の男が「むずむずむず……」と無言で身を捩り、ルーティアの柄打ちで路地の隅に転がった。
◆◇◆
だが、敵の狙いは“押し”だけでは終わらない。
屋根の棟から、符札が三枚、ひらひらと舞い落ちる。
地に触れた瞬間、黒い格子のような魔法陣が広がった。
“縫い”だ。足首から膝へ、膝から腰へ、見えない糸が人の動きを縫い止める。
「動き封じ……!」
リリシアの足首に冷たい糸が触れ、びくりと力が止まる。
ルーティアが即座に斬り払うが、斬った箇所から糸が増殖する。
「増える糸か。ほな――」
カイがしゃがみ込み、格子の角にチョークで“丸”を描いた。
角が丸くなれば、糸は絡まらず、滑る。
縫い止めの魔法陣は「ぬるん」と嫌な音を立てて形を崩し、足首の拘束がほどける。
「助かった。」
「礼はアメちゃんでええ。」
「後で一袋。」
「交渉が豪快やな。」
敵の一人が舌打ちし、矢の先に符を巻いて放つ。
矢は途中で増え、三に、五に、七に。
リリシアの肩へ、腰へ、喉へ。
「アカン。」
ゴルムが一歩踏み出し、両手を広げた。
矢が面で摩擦を失い、肩口の上でくるんと跳ね、地にばらばらと落ちる。
その間に、ルーティアが紅剣を一閃。
屋根の端の“増やし”の符を持つ仮面を、柄で顎を打って昏倒させる。
「旦那様を狙うなら、まず私の許可を得なさい。」
「誰が許可するか。」
「許可しませんわ。」
噛み合っているのかいないのか分からない会話が、妙に頼もしい。
◆◇◆
戦況がわずかに傾いた時だった。
路地の奥――最初から誰もいないはずの暗がりが、ひとつ“深く”なった。
闇が“穴”として在る。
鋭く、乾いた匂い。
そこから、男が一人、すっと歩み出た。
他の仮面より衣が薄い。
身のこなしは軽く、足音は“軽すぎる”。
重さがない。
それは、一番厄介なタイプの斥候だった。
「――お迎えにあがりました、姫。」
仮面の奥の声は穏やかで、丁寧だった。
「手荒な真似は望みません。どうか、そのままおいでください。」
リリシアは一歩も動かない。
紫紺の瞳が、氷のように静まる。
「あなたたちは、誰。」
「影。」
短い答え。
「闇に在り、光を測る者。」
「謎かけは結構ですわ。」
ルーティアが前に出る。
「旦那様の生徒に、手を出さないで。」
「では――紅の令嬢。あなたを先に眠らせましょう。」
男が指先をひと振り。
糸の帯が空に走り、ルーティアの瞼にふわりと触れる。
睡眠の魔。
だが、その糸は“見えない面”で丸まって、ぼとりと落ちた。
「せやからアカン言うてるやろ。」
カイの声は柔らかかった。
しかし、彼の前の空気は、磨き上げた鏡よりも滑っていた。
眠りの糸はそこに角を失い、ただの“柔らかい風”になる。
「面白い。」
仮面の男が初めて感情を露わにした。
「あなたが教師、ですね。」
「割と真面目なほうのな。」
「では、真面目にこちらも――」
男の足元で、闇がまたひとつ“深く”なる。
小さな穴。
そこから、黒い“手”が無数に伸びた。
地の下の影が、地上の影へ。
踏みつけた足を、掴もうとする“手”。
リリシアの足首に、冷たい指が触れた。
(――まずい。)
彼女が力を集めるより早く、ゴルムの腕が伸びた。
大きな手がリリシアの腰を抱え上げ、ひょいと持ち上げる。
「持ち上げる。」
「わぁ!?」
リリシアの頬が一気に赤くなる。
「お、おろして!」
「掴まれない高さに退避。先生、どうぞ。」
「ナイス背伸び。」
カイは腰を落とし、地の“穴”にチョークで斜線を引いた。
斜線は“拒否”の印。
穴の縁が“角”を増やし、手は絡んで自滅する。
黒い指が互いに絡み、ほどけなくなったところを、双子が左右から同時に刃で断つ。
「兄者!」
「弟よ!」
「せやな!」
「せやな!」
「“せやな”は今いらん!」
カイのツッコミが飛ぶ。
◆◇◆
仮面の男は一歩だけ下がった。
撤退の合図。
屋根の上の残りの影が、ひゅ、と音を残して消える。
路地の奥の“穴”も、ゆっくりと塞がっていく。
「今日は“試し”だけ。」
男が帽子を取る代わりに、仮面の縁へ指を触れた。
「姫。いずれ、お迎えします。」
そして、煙のように、風のように、輪郭を溶かして消えた。
残されたのは、かすかな墨の匂いと、石畳の上の黒い焼け跡。
「……ちょっと。」
まだゴルムに抱えられていたリリシアが、真っ赤なまま拳でゴルムの肩をこづく。
「おろして。」
「了解。」
そっと降ろす。
リリシアは地面に足を置き、深呼吸して気持ちを戻した。
「助かった。ありがとう。」
「どういたしまして。」
「三文で収めたの、偉いわ。」
「がんばった。」
ルーティアが剣の鞘を軽く叩く。
「旦那様。追います?」
「いや、ええ。」
カイは焼け跡の縁にしゃがみ込み、指で黒い粉をつまんだ。
「足場がある。次は、もう少し広い場所、法の薄いところを狙ってくる。」
「学園の外縁?」
「境の向こうやな。」
リリシアは拳を握った。
指先が白くなる。
「私、足を引っ張らない。」
「誰もそんなこと言うてへん。」
カイは微笑み、飴玉をひとつ取り出して、手のひらに乗せた。
「はい。甘いもん、食べてから考えよ。」
「……はい。」
リリシアは受け取り、飴玉を舌にのせる。
甘さが喉を降りて、胸のざわめきが少しだけ静まった。
◆◇◆
夜。
闇の間。
“声”が、乾いた石に爪を立てるような音とともに落ちてきた。
「姫は容易ではない。守りが良い。教師は“理”で戦う。紅剣は“熱”で断つ。盾は“面”を立てる。」
影たちがひざまずく。
「はい。人の街での攫取は難航するかと。」
「ならば、揺らせ。」
声は平坦で、冷たい。
「火をつけ、声を上げさせ、民を泣かせろ。救いを求める声ほど、守りを脆くするものはない。」
「王は……?」
「必ず来る。娘の涙に、王が耳を塞ぐことはない。」
暗闇で、細い笑いが広がっていく。
「戦わせろ。王と人を。
そして、疲れた双方を――我らが討つ。」
石の天井が低く唸り、闇がさらに濃くなった。
◆◇◆
学園の寮に戻る坂を、クロス組は肩を並べて歩いた。
いつもの喧噪は戻っている。
双子は「せやな」を封印しようとして失敗し、メリルは「補給所(仮)」の開店時間を確認し、ツェイルは影の長さで時刻を測り、カサは眼鏡の角度を一度直し、二度直し、三度直した。
ゴルムは――カイから返してもらったアメちゃんの袋を、大切そうに胸にしまった。
リリシアはふと、ルーティアの袖を軽く引いた。
「……さっき、ありがとう。」
「当たり前ですわ。」
ルーティアは少しだけ顎を上げ、横目で笑う。
「旦那様の生徒は、私の――」
「競争相手?」
「……それも、ある。」
ふたりは同時に小さく笑って、それ以上何も言わなかった。
尖塔に灯がともる。
その灯の数だけ、守りたい顔が増えた。
そのぶん、敵の影も濃くなる。
カイは空を見上げ、心の中で式をひとつ組んだ。
丸めるべき角、立てるべき面、増やすべき光。
全部、黒板に乗せられるといい。
そう思いながら、歩幅を皆に合わせた。
明日も授業。
けれど、明日は――少し、鋭い。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
【完結】悪役に転生したのにメインヒロインにガチ恋されている件
エース皇命
ファンタジー
前世で大好きだったファンタジー大作『ロード・オブ・ザ・ヒーロー』の悪役、レッド・モルドロスに転生してしまった桐生英介。もっと努力して意義のある人生を送っておけばよかった、という後悔から、学院で他を圧倒する努力を積み重ねる。
しかし、その一生懸命な姿に、メインヒロインであるシャロットは惚れ、卒業式の日に告白してきて……。
悪役というより、むしろ真っ当に生きようと、ファンタジーの世界で生き抜いていく。
ヒロインとの恋、仲間との友情──あれ? 全然悪役じゃないんだけど! 気づけば主人公になっていた、悪役レッドの物語!
※小説家になろう、カクヨム、エブリスタにも投稿しています。
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく
かわさきはっく
ファンタジー
就職氷河期を生き抜き、数々の職を転々とした末に無職となった50代の俺。
ある日、病で倒れ、気づけば異世界のエルフの賢者に転生していた!?
俺が転生したのは、高位エルフの秘術の失敗によって魂が取り込まれた賢者の肉体。
第二の人生をやり直そうと思ったのも束の間、俺の周囲は大騒ぎだ。
「導き手の復活か!?」「賢者を語る偽物か!?」
信仰派と保守派が入り乱れ、エルフの社会はざわつき始める。
賢者の力を示すため、次々と課される困難な試練。
様々な事件に巻き込まれながらも、俺は異世界で無双する!
異世界ざわつき転生譚、ここに開幕!
※話数は多いですが、一話ごとのボリュームは少なめです。
※「小説家になろう」「カクヨム」「Caita」にも掲載しています。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる