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第1章 誘い
幻惑 4
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直人と真世は、渡り廊下を抜けたあたりで、しばらく話し込んでいた。
「ごめんね、結局ここまで送ってもらって……」
倒れた亜夢を見送った後、実世も落ち着いたということで、真世は直人に付き添ってきた。
「いいの。私も久しぶりに風間くんと話せて、楽しかったし」「そ……そう。なら良かった……」
何事もなかったら、直人にとっては夢のような時間だった。しかし……
「気になる……? よね、やっぱり……」
後ろ髪を引かれるように、直人は閉ざされた療養棟への扉を見つめていた。
「うん……あの子……まさか俺のせいで……」
「風間くん、霊感みたいなの、あるでしょ。そのせいで変なの見ただけだよ」
真世は、ここまで送りながら、亜夢が現れ、幻覚を見た事を直人から聞いていた。
「そうだね……」
「大丈夫よ。おばあちゃんも来てくれたんだし」
貴美子とは、今しがたすれ違ったばかりだ。
「私も、もう少しママのところにいるから。何か状況わかったら連絡するよ。それじゃ……」
真世が、療養棟の方へ戻ろうとしたその時、直人はまた、あの妙な感覚に襲われる。思わず周囲を見回す直人。
「……? どうしたの?」
「……まただ……さっきから何かに見られているような変な感じがして……」「えっ、何それ……怖いこと言わないでよ……」
先程の幻覚の話もあったせいか、真世は怯えたようにあたりを見渡す。霊魂に関して知見が増した時代ではあっても、怖いものは怖い……。真世は、その手の類は苦手なのだ。
「ご……ごめん! 気のせいだよ、気のせい」慌てて取り繕う直人。
「もう! それじゃ、またね」「うん……じゃ、また」
セキュリティカメラが、真世を再度捉えようとしたその刹那。
直人は、焚き染めた香のような香りを感じる。
真世は何も感じていない様子で、セキュリティチェックも、何も感知せずに扉を開き、真世を招き入れた。
……なんと! ……どういうことだ……
……ふふふ……この娘だからさ……
……なに? ……
……妾はしばらくこの娘に憑く……旦那様にもそう伝えておくれ……
……わ、わかった……
何も気づかない真世は、閉まる扉の向こうで直人に手を振り続けた。
直人は、何者かの気配を怪訝に思いながらも、真世に軽く手振りを返し、扉の奥に真世の姿が見えなくなると、その場を後にした。
すっかり夜の闇に包まれた、エントランスホールの無機質な空気が、直人を包み込むように降りてくる。
……世界が蠢いている……いつも、わからないところで……
直人は、何かを予感せずにはいられなかった。
PSIシンドローム長期療養棟に隣接する、精密検査施設も兼ね備えた集中治療室。亜夢はここに運び込まれている。昼、ここから出された亜夢は、再びこの部屋に戻ってきた。
亜夢は、半透明な半球ドーム状の保護結界カプセルに収容され、精密検査にかけられている。集中治療室のコントロールルームでは、数名の医師らと貴美子が、検査の状況を見守っていた。
テレパス通信コールが、貴美子の頭の中で鳴り響く。手のひらを広げると、夫の姿が映し出された。
「知らせは聞いた。どういうことだ?」
貴美子は、無言で首を横に振る。返答できるような回答を持ち合わせてはいなかった。
「まさか……また深層無意識からの……」「いいえ、あの時の症状とは違う……」
貴美子はコントロールルームからカプセルの中に入れられた亜夢を見つめながら呟く。
「バイタルが、徐々に下降している。再び眠ろうとしているかのよう……」「例の昏睡か?」
「ええ……けれど、今度の眠りは、永遠の眠り」「!」
「あのインナーチャイルドには、生命力を感じたわ……でも今は、ただ死を受け入れている……そんな感じがするの……」
「……"タナトス"……か」
ギリシア神話の、死を神格化した神にして、死に向かう欲動を表すその言葉が、不意に藤川の脳裏をよぎる。
「あの時点では、インナーチャイルドを抑制するしかなかった……けど、もしかしたら……」
「激しい生への渇望と、死への欲動……その葛藤が、その子の魂の本質だと?」
貴美子は、沈黙で答える。
亜夢は、倒れた際のショック症状は収まり、見た目は落ち着いた様子で、眠りについている。その表情を見つめながら、貴美子は決断する。
「……もう一度、あの子のインナースペースにアクセスできないかしら……今ならまだ……」
「貴美子?」妻の申し入れに、藤川は驚きの色を見せる。
「意外かしら? ……でも残念ながら、このままでは延命措置を施すくらいしか出来ない……」
「……実世のように」
「実世……」我が子の名を胸が詰まる思いで呟く藤川。
貴美子は、実世が倒れた時、何もしてやれなかった事を思い出し、亜夢にその姿を重ねていた。その時の悔いを藤川夫妻は抱えている。今となっては、実世の心身は衰弱しきっており、インナーミッションに耐え得る確証がなく、その対象者からは外されていた。
「わかった……検査データをこちらに回してくれ。ミッションプランを検討する」
「頼むわ、コウ」
通信を切る藤川。光ディスプレイの画面が切り変わる。その背景写真は、若き日の実世と生まれて間もない真世。
「実世……」口から溢れ出す娘の名。藤川の手は、ホログラムで形成されたディスプレイの中へと引き寄せられる。慈しむように、映像の娘にその手を添えた。
娘に残された時間がどのくらいあるのか、藤川にもわからない。
「そうだな……救える可能性があるならば……」その娘から、藤川は背中を押されたような気がした。
藤川は、机の引き出しからブランデーのボトルと小さなグラスを取り出し、グラスにブランデーを注いだ。
グラスを片手に、夜風に誘われるままバルコニーに出る。
晴れ渡った夜空に、星々の輝きが広がる。海は静かに、吐息のように波を繰り返す。
悠久の時を、幾度も、この生命の如き脈動を続けてきたのであろう……
人の生涯など、この時の中の、僅かな幻でしかない。その中で肉体を持ち、喜び、悲しみ、時に傷つき、傷つけ、人は生きようとする。
永遠に近い魂という存在について、PSI科学は、その実像を明らかにしつつある。だが、何故人は生まれてくるのか、その意味は何なのか……その問いに、答えはまだ見つかっていないのだ。
藤川は、グラスを静かに傾ける。
「だが……それを見つけるために生があるのだ……」
生きている限り、生をつなぐ。それが今この時を生きている者の使命なのだと、藤川は心に刻み込んでいた。
「ごめんね、結局ここまで送ってもらって……」
倒れた亜夢を見送った後、実世も落ち着いたということで、真世は直人に付き添ってきた。
「いいの。私も久しぶりに風間くんと話せて、楽しかったし」「そ……そう。なら良かった……」
何事もなかったら、直人にとっては夢のような時間だった。しかし……
「気になる……? よね、やっぱり……」
後ろ髪を引かれるように、直人は閉ざされた療養棟への扉を見つめていた。
「うん……あの子……まさか俺のせいで……」
「風間くん、霊感みたいなの、あるでしょ。そのせいで変なの見ただけだよ」
真世は、ここまで送りながら、亜夢が現れ、幻覚を見た事を直人から聞いていた。
「そうだね……」
「大丈夫よ。おばあちゃんも来てくれたんだし」
貴美子とは、今しがたすれ違ったばかりだ。
「私も、もう少しママのところにいるから。何か状況わかったら連絡するよ。それじゃ……」
真世が、療養棟の方へ戻ろうとしたその時、直人はまた、あの妙な感覚に襲われる。思わず周囲を見回す直人。
「……? どうしたの?」
「……まただ……さっきから何かに見られているような変な感じがして……」「えっ、何それ……怖いこと言わないでよ……」
先程の幻覚の話もあったせいか、真世は怯えたようにあたりを見渡す。霊魂に関して知見が増した時代ではあっても、怖いものは怖い……。真世は、その手の類は苦手なのだ。
「ご……ごめん! 気のせいだよ、気のせい」慌てて取り繕う直人。
「もう! それじゃ、またね」「うん……じゃ、また」
セキュリティカメラが、真世を再度捉えようとしたその刹那。
直人は、焚き染めた香のような香りを感じる。
真世は何も感じていない様子で、セキュリティチェックも、何も感知せずに扉を開き、真世を招き入れた。
……なんと! ……どういうことだ……
……ふふふ……この娘だからさ……
……なに? ……
……妾はしばらくこの娘に憑く……旦那様にもそう伝えておくれ……
……わ、わかった……
何も気づかない真世は、閉まる扉の向こうで直人に手を振り続けた。
直人は、何者かの気配を怪訝に思いながらも、真世に軽く手振りを返し、扉の奥に真世の姿が見えなくなると、その場を後にした。
すっかり夜の闇に包まれた、エントランスホールの無機質な空気が、直人を包み込むように降りてくる。
……世界が蠢いている……いつも、わからないところで……
直人は、何かを予感せずにはいられなかった。
PSIシンドローム長期療養棟に隣接する、精密検査施設も兼ね備えた集中治療室。亜夢はここに運び込まれている。昼、ここから出された亜夢は、再びこの部屋に戻ってきた。
亜夢は、半透明な半球ドーム状の保護結界カプセルに収容され、精密検査にかけられている。集中治療室のコントロールルームでは、数名の医師らと貴美子が、検査の状況を見守っていた。
テレパス通信コールが、貴美子の頭の中で鳴り響く。手のひらを広げると、夫の姿が映し出された。
「知らせは聞いた。どういうことだ?」
貴美子は、無言で首を横に振る。返答できるような回答を持ち合わせてはいなかった。
「まさか……また深層無意識からの……」「いいえ、あの時の症状とは違う……」
貴美子はコントロールルームからカプセルの中に入れられた亜夢を見つめながら呟く。
「バイタルが、徐々に下降している。再び眠ろうとしているかのよう……」「例の昏睡か?」
「ええ……けれど、今度の眠りは、永遠の眠り」「!」
「あのインナーチャイルドには、生命力を感じたわ……でも今は、ただ死を受け入れている……そんな感じがするの……」
「……"タナトス"……か」
ギリシア神話の、死を神格化した神にして、死に向かう欲動を表すその言葉が、不意に藤川の脳裏をよぎる。
「あの時点では、インナーチャイルドを抑制するしかなかった……けど、もしかしたら……」
「激しい生への渇望と、死への欲動……その葛藤が、その子の魂の本質だと?」
貴美子は、沈黙で答える。
亜夢は、倒れた際のショック症状は収まり、見た目は落ち着いた様子で、眠りについている。その表情を見つめながら、貴美子は決断する。
「……もう一度、あの子のインナースペースにアクセスできないかしら……今ならまだ……」
「貴美子?」妻の申し入れに、藤川は驚きの色を見せる。
「意外かしら? ……でも残念ながら、このままでは延命措置を施すくらいしか出来ない……」
「……実世のように」
「実世……」我が子の名を胸が詰まる思いで呟く藤川。
貴美子は、実世が倒れた時、何もしてやれなかった事を思い出し、亜夢にその姿を重ねていた。その時の悔いを藤川夫妻は抱えている。今となっては、実世の心身は衰弱しきっており、インナーミッションに耐え得る確証がなく、その対象者からは外されていた。
「わかった……検査データをこちらに回してくれ。ミッションプランを検討する」
「頼むわ、コウ」
通信を切る藤川。光ディスプレイの画面が切り変わる。その背景写真は、若き日の実世と生まれて間もない真世。
「実世……」口から溢れ出す娘の名。藤川の手は、ホログラムで形成されたディスプレイの中へと引き寄せられる。慈しむように、映像の娘にその手を添えた。
娘に残された時間がどのくらいあるのか、藤川にもわからない。
「そうだな……救える可能性があるならば……」その娘から、藤川は背中を押されたような気がした。
藤川は、机の引き出しからブランデーのボトルと小さなグラスを取り出し、グラスにブランデーを注いだ。
グラスを片手に、夜風に誘われるままバルコニーに出る。
晴れ渡った夜空に、星々の輝きが広がる。海は静かに、吐息のように波を繰り返す。
悠久の時を、幾度も、この生命の如き脈動を続けてきたのであろう……
人の生涯など、この時の中の、僅かな幻でしかない。その中で肉体を持ち、喜び、悲しみ、時に傷つき、傷つけ、人は生きようとする。
永遠に近い魂という存在について、PSI科学は、その実像を明らかにしつつある。だが、何故人は生まれてくるのか、その意味は何なのか……その問いに、答えはまだ見つかっていないのだ。
藤川は、グラスを静かに傾ける。
「だが……それを見つけるために生があるのだ……」
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