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第2章 魔界幻想
残滓 3
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「それじゃあな、貴美子。明日、会えるのを楽しみにしてるぞ」
愛想の良い、好々爺の笑みを浮かべながら、勇人はディスプレイの中で、軽く手を振っていた。
「ええ、気をつけていらしてくださいね」
貴美子は挨拶を返すも、藤川は、無言のまま微動だにしない。
「コウ……おい、コウ!」
「……ん?」「よろしく頼むぞ」
「あ……ああ」真顔で念を押す勇人に、藤川は、心ここに在らずと言わんばかりの生返事で返す。勇人は、旧友が既にこの一件に片脚を突っ込んだ事を確信する。
「もう、コウ!」貴美子は、夫の非礼を詫びるように勇人に二、三度頭を下げる。
「いい、いい。それじゃあな」気にする風もなく、勇人はディスプレイから姿を消した。
娘と孫娘の変わらぬ笑顔が、画面に再び現れる。勇人の消えたディスプレイを、ずっと凝視し続ける藤川。決して、娘らの笑顔に見入っているわけではない。
「……『神隠し』……か……」
「コウ……」夫の呻くような呟きに、かける言葉は無い。
『神隠し』
この言葉は、藤川、貴美子、勇人にとって、未だに重石のように残っている、過去のある事件を想起させる……貴美子は、その事を噛み締めたまま、静かに昼食の後片付けに取りかかった。
****
入り口を抜け、間接照明の灯る、薄暗い四畳ほどの部屋に足を踏み入れる。ヒーリングミュージックと、イングリッシュガーデンを想わせる庭園風のホログラム映像が、直人とサニを迎え入れた。ホログラムは、オモトワの受付時の心理チェックにより決まり、数パターンあるようなことを、サニが解説した。
部屋の中央に目を向けると、ちょうど二人で腰掛けられるベンチ(部屋のグラフィック、利用人数に合わせて選択される)が薄明るく照らし出されている。
『直人さん、サニさん、どうぞこちらへ』
低く落ち着いた、紳士風の音声案内に従って、直人とサニは、ベンチへ並んで腰掛けた。
『……ようこそ直人さん。サニさん。直人さんは初めてのご利用ですね?』「は……はい」
自律思考型AIでコントロールされた音声は、対話形式で利用説明に続き、直人の生い立ちや近況などを話題に出し、コミュニケーションを深めていく。サニとの関係を訊かれると、しどろもどろになる直人に対し、サニは平然と二人の"秘密の関係"まで暴露。
「どーせ相手はAIよ」と、あっけらかんとしているサニ。顔を赤らめて俯く直人に、『大丈夫、秘密は守りますよ』とAIの音声は、優しく宥めてくる。
どうやらこの流れは、いわゆる『ラポール』の形成過程のようだと、直人は理解していた。また同時に誘導催眠も施されている。職業柄、こうした心理操作に対して、知見と防衛訓練を積んでいる直人は、反射的に警戒体制をとっていた。
「センパイ、そんなにガード固めてるとうまくいかないよ。大丈夫、アタシが付いているから」同業者のサニには、直人の反応はよくわかる。直人が固く握り締めている手に、サニはそっと手を乗せ、宥めるように「大丈夫……」と何度か囁く。
……そうだな、サニが一緒だし……
サニの声に、直人は、次第に心のガードを解いていく。
『……では、直人さん。参りましょう。……目を軽く閉じ、貴方が今逢いたいその人を、思い描いてください……』
AIの声が、だんだんと遠退いていく。
『……貴方の、無意識の中に息づくその人……』
意識のまどろみを感じ始める。
『……心の底に沈んでいた記憶……いま……それが、貴方の目の前に現れます……』
身体の感覚が、一瞬途切れたかと思うと、次の瞬間、足元からグッと引き寄せる引力が、全身を包み込む。
地に足がつく感覚を覚えると、いっとき奪われた五感が、急激に回復していくのを感じる。
『さあ……眼を開けて……』消え入るようなAIの音声に従い、直人は静かに目を開ける。
開けた視界に飛び込んで来たのは、直人にも朧気に記憶のある場所……
「こ……ここは……」先程まで座っていたベンチは、クッションのついた、背もたれのない長椅子に変わっている。待合室のような場所だ。
「きゃ、やだ! センパイ可愛い~!」隣に腰掛けていたサニの声が、やや上の方から聞こえ、反射的に顔を上げる。
「サ……サニ? あれ?」こんなに身長差があったろうか? いや、むしろ自分の方が、背丈はあったはず……慌てて自分の身体を見回す直人。
すぐに、自分の身体がずいぶん縮んでいる事に気づく。
「ナオくん? どうしたの?」
サニの反対側から声がする。聞き慣れた声だ。
「か……母さん?」
「母さん?」ずいぶんと若返ってはいるが、紛れもなく、自分の母親に違いない。直人が思わず発した「母さん」という呼びかけに、その女性は、幾分困惑した表情を浮かべた。
「ねぇ……ナオくん。今、誰かとお話ししてた?」
「ハロー! サニです!」サニが愛想よく挨拶するものの、母親は、直人の方をまじまじと見つめるのみ。「……って、あれ?」困惑するサニは、直人の後ろで、大振りのジェスチャーを交えながら何度か、呼びかけるが、まるで気付かれない。
『サニさん……今は、直人さんの記憶を再構成しています。ここにいなかった貴女は、直人さん以外には、基本的に認識されませんよ……。幽霊みたいなものです』AIのガイド音声が、見兼ねかたように説明する。「えー、そうなの……」サニは、不満げに呟いた。
「オレの……記憶……?」なるほど、身体が縮んだ、いや幼い頃の自分が、アバターとなっているのだ、直人はそう理解した。
直人は母に、首を横に振って、素知らぬ顔をしてみせた。「そう……」母が直人から視線を外したその時、胸元の抱っこ紐の中から、泣き出す赤ん坊の声が漏れてきた。「沙耶?」
「沙耶! あぁ……よしよし……ナオくん、ママ、ちょっとオムツ変えてくるから。ここでパパ待ってて」「う……うん……」
直人の返事を待つまでもなく、母は生まれて間もない妹を連れ、化粧室へと駆けて行った。
若い母親に、幼い妹……待合室……
「そうか……これは、あの日の……」
「あの日? ……もしかして、ここは?」
サニは、昨晩聴いた話を思い返していた。直人は頷いて応える。
「ああ……震災のあった、あの日……JPSIO……」
その事を、直人が認識した瞬間、風景が目まぐるしく入れ替わっていく。どうやら、直人の無意識の記憶をスキャンして、直人の一番強い、父親との記憶を捜索しているかのようだ。
風景は飛び飛びで、表層記憶には残っていない、たわいもない、幼い日の父親と遊んだ事、悪戯して叱られ泣いた事、妹が産まれる前、家族で旅行に行ったらしい思い出、妹が産まれる瞬間に、父親に抱っこされながら立ち会った事……その時の感情まで呼び起こされながら走馬灯のように流れていく。
しばらくすると、再びJPSIOの待合室の風景に戻ってきた。自然と流れ落ちる涙が、頬を伝う。
「幸せ家族じゃん……」瞳を潤して、声を震わせるサニ。直人は、声も無く頷く。
『……意識の奥底に埋もれてしまった、お父さんとの記憶……だいぶ想い出してきたかな?』
どこからともなくAIが語りかけてくる。
『……さて、ここまではほんの入り口。直人さん……ここからは、お父さんとの、本当に想い出したかった記憶を、呼び起こしていくよ……場合によっては、辛い想い出に直面するかもしれない……それでもここから進みますか?』
AIは声のトーンを落とし、問いかけてくる。直人は、目を閉じ、昂ぶった感情を鎮める。
「センパイ……?」心配そうに、覗き込むサニ。
「……大丈夫。行こう。それを知るために来たんだから」直人は、涙を拭って目を開くと、覚悟を決めて顔を上げた。
「付き合うよ、センパイ」「ありがとう……サニ」正直、不安は感じている。今となっては、サニが一緒に居てくれるのは心強かった。
『……では、直人さん、サニさん。ゆっくり立ち上がって』
二人が長椅子から腰を上げると、深いトンネルのような口が、ポッカリと口を開ける。その中で、二人を導くように、小さな灯りが微かに灯った。
『……その灯りが、あなた方を導きます……さあ、どうぞお進みください』
直人は、サニの手をとり、トンネルの中へと足を踏み入れていった。
愛想の良い、好々爺の笑みを浮かべながら、勇人はディスプレイの中で、軽く手を振っていた。
「ええ、気をつけていらしてくださいね」
貴美子は挨拶を返すも、藤川は、無言のまま微動だにしない。
「コウ……おい、コウ!」
「……ん?」「よろしく頼むぞ」
「あ……ああ」真顔で念を押す勇人に、藤川は、心ここに在らずと言わんばかりの生返事で返す。勇人は、旧友が既にこの一件に片脚を突っ込んだ事を確信する。
「もう、コウ!」貴美子は、夫の非礼を詫びるように勇人に二、三度頭を下げる。
「いい、いい。それじゃあな」気にする風もなく、勇人はディスプレイから姿を消した。
娘と孫娘の変わらぬ笑顔が、画面に再び現れる。勇人の消えたディスプレイを、ずっと凝視し続ける藤川。決して、娘らの笑顔に見入っているわけではない。
「……『神隠し』……か……」
「コウ……」夫の呻くような呟きに、かける言葉は無い。
『神隠し』
この言葉は、藤川、貴美子、勇人にとって、未だに重石のように残っている、過去のある事件を想起させる……貴美子は、その事を噛み締めたまま、静かに昼食の後片付けに取りかかった。
****
入り口を抜け、間接照明の灯る、薄暗い四畳ほどの部屋に足を踏み入れる。ヒーリングミュージックと、イングリッシュガーデンを想わせる庭園風のホログラム映像が、直人とサニを迎え入れた。ホログラムは、オモトワの受付時の心理チェックにより決まり、数パターンあるようなことを、サニが解説した。
部屋の中央に目を向けると、ちょうど二人で腰掛けられるベンチ(部屋のグラフィック、利用人数に合わせて選択される)が薄明るく照らし出されている。
『直人さん、サニさん、どうぞこちらへ』
低く落ち着いた、紳士風の音声案内に従って、直人とサニは、ベンチへ並んで腰掛けた。
『……ようこそ直人さん。サニさん。直人さんは初めてのご利用ですね?』「は……はい」
自律思考型AIでコントロールされた音声は、対話形式で利用説明に続き、直人の生い立ちや近況などを話題に出し、コミュニケーションを深めていく。サニとの関係を訊かれると、しどろもどろになる直人に対し、サニは平然と二人の"秘密の関係"まで暴露。
「どーせ相手はAIよ」と、あっけらかんとしているサニ。顔を赤らめて俯く直人に、『大丈夫、秘密は守りますよ』とAIの音声は、優しく宥めてくる。
どうやらこの流れは、いわゆる『ラポール』の形成過程のようだと、直人は理解していた。また同時に誘導催眠も施されている。職業柄、こうした心理操作に対して、知見と防衛訓練を積んでいる直人は、反射的に警戒体制をとっていた。
「センパイ、そんなにガード固めてるとうまくいかないよ。大丈夫、アタシが付いているから」同業者のサニには、直人の反応はよくわかる。直人が固く握り締めている手に、サニはそっと手を乗せ、宥めるように「大丈夫……」と何度か囁く。
……そうだな、サニが一緒だし……
サニの声に、直人は、次第に心のガードを解いていく。
『……では、直人さん。参りましょう。……目を軽く閉じ、貴方が今逢いたいその人を、思い描いてください……』
AIの声が、だんだんと遠退いていく。
『……貴方の、無意識の中に息づくその人……』
意識のまどろみを感じ始める。
『……心の底に沈んでいた記憶……いま……それが、貴方の目の前に現れます……』
身体の感覚が、一瞬途切れたかと思うと、次の瞬間、足元からグッと引き寄せる引力が、全身を包み込む。
地に足がつく感覚を覚えると、いっとき奪われた五感が、急激に回復していくのを感じる。
『さあ……眼を開けて……』消え入るようなAIの音声に従い、直人は静かに目を開ける。
開けた視界に飛び込んで来たのは、直人にも朧気に記憶のある場所……
「こ……ここは……」先程まで座っていたベンチは、クッションのついた、背もたれのない長椅子に変わっている。待合室のような場所だ。
「きゃ、やだ! センパイ可愛い~!」隣に腰掛けていたサニの声が、やや上の方から聞こえ、反射的に顔を上げる。
「サ……サニ? あれ?」こんなに身長差があったろうか? いや、むしろ自分の方が、背丈はあったはず……慌てて自分の身体を見回す直人。
すぐに、自分の身体がずいぶん縮んでいる事に気づく。
「ナオくん? どうしたの?」
サニの反対側から声がする。聞き慣れた声だ。
「か……母さん?」
「母さん?」ずいぶんと若返ってはいるが、紛れもなく、自分の母親に違いない。直人が思わず発した「母さん」という呼びかけに、その女性は、幾分困惑した表情を浮かべた。
「ねぇ……ナオくん。今、誰かとお話ししてた?」
「ハロー! サニです!」サニが愛想よく挨拶するものの、母親は、直人の方をまじまじと見つめるのみ。「……って、あれ?」困惑するサニは、直人の後ろで、大振りのジェスチャーを交えながら何度か、呼びかけるが、まるで気付かれない。
『サニさん……今は、直人さんの記憶を再構成しています。ここにいなかった貴女は、直人さん以外には、基本的に認識されませんよ……。幽霊みたいなものです』AIのガイド音声が、見兼ねかたように説明する。「えー、そうなの……」サニは、不満げに呟いた。
「オレの……記憶……?」なるほど、身体が縮んだ、いや幼い頃の自分が、アバターとなっているのだ、直人はそう理解した。
直人は母に、首を横に振って、素知らぬ顔をしてみせた。「そう……」母が直人から視線を外したその時、胸元の抱っこ紐の中から、泣き出す赤ん坊の声が漏れてきた。「沙耶?」
「沙耶! あぁ……よしよし……ナオくん、ママ、ちょっとオムツ変えてくるから。ここでパパ待ってて」「う……うん……」
直人の返事を待つまでもなく、母は生まれて間もない妹を連れ、化粧室へと駆けて行った。
若い母親に、幼い妹……待合室……
「そうか……これは、あの日の……」
「あの日? ……もしかして、ここは?」
サニは、昨晩聴いた話を思い返していた。直人は頷いて応える。
「ああ……震災のあった、あの日……JPSIO……」
その事を、直人が認識した瞬間、風景が目まぐるしく入れ替わっていく。どうやら、直人の無意識の記憶をスキャンして、直人の一番強い、父親との記憶を捜索しているかのようだ。
風景は飛び飛びで、表層記憶には残っていない、たわいもない、幼い日の父親と遊んだ事、悪戯して叱られ泣いた事、妹が産まれる前、家族で旅行に行ったらしい思い出、妹が産まれる瞬間に、父親に抱っこされながら立ち会った事……その時の感情まで呼び起こされながら走馬灯のように流れていく。
しばらくすると、再びJPSIOの待合室の風景に戻ってきた。自然と流れ落ちる涙が、頬を伝う。
「幸せ家族じゃん……」瞳を潤して、声を震わせるサニ。直人は、声も無く頷く。
『……意識の奥底に埋もれてしまった、お父さんとの記憶……だいぶ想い出してきたかな?』
どこからともなくAIが語りかけてくる。
『……さて、ここまではほんの入り口。直人さん……ここからは、お父さんとの、本当に想い出したかった記憶を、呼び起こしていくよ……場合によっては、辛い想い出に直面するかもしれない……それでもここから進みますか?』
AIは声のトーンを落とし、問いかけてくる。直人は、目を閉じ、昂ぶった感情を鎮める。
「センパイ……?」心配そうに、覗き込むサニ。
「……大丈夫。行こう。それを知るために来たんだから」直人は、涙を拭って目を開くと、覚悟を決めて顔を上げた。
「付き合うよ、センパイ」「ありがとう……サニ」正直、不安は感じている。今となっては、サニが一緒に居てくれるのは心強かった。
『……では、直人さん、サニさん。ゆっくり立ち上がって』
二人が長椅子から腰を上げると、深いトンネルのような口が、ポッカリと口を開ける。その中で、二人を導くように、小さな灯りが微かに灯った。
『……その灯りが、あなた方を導きます……さあ、どうぞお進みください』
直人は、サニの手をとり、トンネルの中へと足を踏み入れていった。
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