INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜

SunYoh

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第2章 魔界幻想

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 ポットの中で、ゆっくりと舞っていた茶葉もすっかり水気を吸って、茶越しの底で息を潜めている。赤黒い水面は、深く皺の刻み込まれた貴美子の顔を、くっきりと浮かび上がらせていた。
 
 ……恵(けい)ちゃん……わたし、すっかりおばあちゃんよ……。でも、あなたは……
 
 彼女は、あの頃のまま、今も夫の胸の中に生き続けている。
 
「おばあちゃん」
 
「……」
 
「おばあちゃん!」
 
 孫の呼ぶ声に、はっとなり、顔を上げる貴美子。
 
「真世……」
 
「ねぇ……いくら風間さんが濃いめが好き……って言っても……これ、出し過ぎじゃ……」
 
 昔、恵から聞かされていた勇人の好み——ちょっと渋いくらいが、彼の好みだと、彼女が笑いながら貴美子に語っていたのを思い出し、その再現を試みていたが、飲み頃は、とうに過ぎてしまったようだ……。
 
 赤黒く染め上がったティーポットが、恨めしそうにアピールしている。
 
「……しまった……」「どうしたの? ぼっとしちゃって?」
 
「……昔のことを色々、思い出しちゃって……」貴美子は、いそいそと出し過ぎの紅茶を処分し、淹れなおしの準備を始める。
 
「だから、茶葉抜かないで出せば良いのに」
 
「……いいでしょ、私がやりたいの……」
 
 呆れたため息を漏らす真世には、その時、祖母の笑顔に、一抹の淋しさが滲んだように見えた。
 
「おばあちゃん達、大学時代からの友達なんだよね。……ねっ、おばあちゃん。おばあちゃんは、おじいちゃんとその頃から付き合ってたの? ……もしかして、おじいちゃんと風間さん、恋のライバル同士だったりして⁉︎」
 
 真世は、純真無垢な目をキラキラと輝かせて、祖母の言葉を期待する。
 
「もぅ。真世ったら。わたし達は、そんなんじゃないわよ」貴美子は、片付けた茶葉をもう一度、戸棚から取り出している。
 
「そう言う貴女こそどうなの?」「えっ? ……あたし?」思わぬ祖母の切り返しに、キョトンとなる真世。
 
「聞いたわよ。この間、直人くん、実世のお見舞いに来てくれたそうじゃない? 貴女、ずいぶん嬉しそうにしてたって、実世が話してたわ」
 
「そ……そんな事……もぅ……ママったら!」真世は、頰を赤らめる。
 
「風間くんは……小さい頃からのお友達だし……久しぶりにお話できたから……それだけよ」
 
「ふ~ん。"お友達"ねぇ……。直人くんの方は、どうなのかしらね……」茶葉をポットに仕掛ける祖母の優しい視線が、真世を包み込む。真世は、見透かすような祖母の視線から、逃げるように視線を逸らす。
 
「も……もぅ! おばあちゃん」危うく、祖母のペースに乗せられるところだった。
 
「そ……それこそ、風間くん、じゃなくてお……お爺さんの方! 風間さんは、おばあちゃんのこと、好きなんじゃないかなぁ?? なんか、そんな感じしたよ」無理矢理、話を戻す真世。
 
「風間さん? ふふふ、あの人は、気が多いから。誰にもあんな感じよ」
 
「た……確かに……」真世の脳裏に、彼の孫と同年齢の自分にまで愛想を振りまいていた、先程の勇人の笑顔が浮かぶ。
 
「風間さんかぁ……私にとっては……そうねぇ……そう、お兄さんのような感じ……大学時代からずっとね。コウもあの頃は、私のことなんて、まるで意識してなかったわ……」「えぇ、そうなの?」期待したような話にならず、少々落胆する真世。
 
 貴美子は真世に背を向け、ティーポットに入れ替えた茶葉に、静かに湯を注ぎ始めた。
 
「あの二人には、あの頃から、かけがえのない人がいる……今でも変わらずに……」俯き加減に呟く貴美子。
 
「えっ?」貴美子の小さく、独り言のような呟きを、聞き返すも束の間、真世の頭の中に、電話のコールが鳴り響く。
 
 真世は、貴美子の言葉が気になりながらも、左手に形成した光ディスプレイに母の姿を認めると、すぐに電話に応答する。
 
「あ、おはようママ。今起きた? ……うん、おばあちゃんのとこ……うん、ごめんね、すぐ戻るよ」
 
 真世は左手を軽く閉じて、ディスプレイを消す。
 
「実世?」「うん……ママが起きる前に部屋出てきたから……心配になったみたい。朝ご飯、一緒に食べる約束してたんだ……」
 
「こっちはいいわよ。ありがとう。実世のところに行ってあげて」「大丈夫? もう、淹れすぎないでね」
 
「はいはい、早く行きなさい」
 
 慌ただしく給湯室を出て行く孫の背を、静かに見守る貴美子。
 
 ……ちょうど今の真世と、同じくらいだったわね……わたし……
 
 ふと、あの頃の自分を、孫に重ねてしまう。
 
「……あっ、いけない、いけない」はっと我にかえり、貴美子は、ポットの中で舞い上がる茶葉に、視線を戻した。
 
 
 ****
  
 瓦を打ちつける雨垂れの音は、早朝から少しずつ勢いを増している。晴れやかな日本海側とは裏腹に、紀伊半島の一帯は、太平洋上を北上する、温帯低気圧の雨雲に覆われていた。
 
 老翁は、御所の南東側にあしらわれた自室で座禅を組み、雨風の音に身を委ねている。
 
「長……」締め切った障子戸の外から呼びかける部下の声に、老翁は、そっと目を開けた。
 
「……いかがした?」
 
「例の刈り場……IN-PSIDも乗り出してきたようです。警察が、調査協力を依頼したらしく」
 
「ほう……」
 
「警察はともかく……我々も、あの機関の機密情報は殆ど掴めておりません……このまま放置しては……」
 
「"かの国"からの報せは?」「今回の件では、何とも……」
 
「……そうか……」老翁は立ち上がると、部下の控えている障子戸を静かに開け放つ。黒づくめの部下は、頭を垂れたまま、微動だにせず、主人の次の言葉を待つ。
 
「首尾は如何程か?」「はっ……現状で、三割程度かと」
 
「三割か……ふん、まあ良い。それでも、夢見供の言う、『草』の存在を確認できた……。して、次の手は?」
 
「は、今回得られたデータで、大幅に進捗できそうです」
 
「うむ……潮時じゃな」
 
「はい……ですが、IN-PSIDは如何致しますか?」
 
 IN-PSIDの関与は、彼らの情報網をもってしても察知出来なかった。これに対するシナリオは無い。
 
「……ふむ……」老翁は雨樋から溢れ、滴り落ちる水滴を見上げながら、しばし思索に耽る。
 
「構うことはない。……むしろ好機ぞ」「好機?」
 
「うむ。彼らの……"例の船"だ……」
 
「……"かの国"からの報告にあった?」
 
「左様」
 
 ——『現世うつしよ(この世)』と『常世とこよ(あの世。霊界、非物質界)』を自在に往き来できる船——
 
 黒づくめの老翁の部下は、その船についてそう聞いている。
 
 古来より、『常世(とこよ)』は、彼らの抱えるシャーマンや霊能者、陰陽師のようなごく限られた者達が、精神のみを肉体より離脱させる事で垣間見ることができる、ある意味、彼らにとって、太古の昔より独占してきた聖域であったのだ。
 
 その世界を独占する為に、為政者と、それに連なる霊能者らは、ありとあらゆる情報操作を巧みに行い、『常世(とこよ)』に関することは有耶無耶にして、大衆には、そのような世界は存在しない事を信じ込ませることに、成功してきたはずであった。
 
 しかし、昨今のPSI科学の目覚ましい発展は、彼らの聖域をも次第に侵しつつある。もちろん、彼らとて、PSI科学とそのテクノロジーを利用もする。だが、よもや『現世(うつしよ)』と『常世(とこよ)』を自在に往来する技術までもが、実現しているとは……
 
 彼らの有する『常世(とこよ)』に関する、数千年の伝統と、豊富な知識の優位性など、あと数十年のうちにPSI科学に覆されるであろう……
 
 この『御所』の歯車に過ぎない、黒づくめの若者は、漠然とではあるが、PSI科学の発展に危惧を覚えずにはいられなかった。
 
 ……その時が来れば、我らは……ふっ……気の回しすぎか……
 
「おそらく、彼らは"例の船"を持ち出してくるであろう。この機に、その実態を把握するのだ」
 
「はっ……。されど、いかように? システムで収集できるクライアント情報は、限られています」
 
「神取を使う」「神取様……ですか?」
 
 黒服の彼らにとって、上位格にあたる神取とは、彼らも何度か行動を共にしたこともある。だが、神取が今現在、何の任務に従事しているのか、彼らは知る由も無い。
 
「うむ……ちょうど別命で、IN-PSIDに潜伏させている。やつに彼らの動向を探らせる」
 
 老翁は、腕を組み、軽く目を閉じると、一分ほど口を閉ざした。
 
 黒服の男は、『密書(テレパスメール)』の受信を、脳内で感知する。
 
「……これを特級回線でやつに転送してくれ」
 
 神取への親展メールとなっており、彼も内容は知り得ない。
 
「かしこまりました」黒服の男は、老翁に一礼すると、その場から音もなく退いた。
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