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第4章 燔祭

二人の神子 2

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「……ええと……あとは……あ、歯磨き粉も……」

母、幸乃は、先程からずっとこの調子だ。掌に形成された光ディスプレイに向かって、オンラインショップで、長期療養棟への入居に必要なものを物色している。

「かぁ様。お風呂、行かないの?大っきいお風呂だったよ!温泉引いてるんだって!」

「うん、聞いたわよ~~。あ、そうだ。ネェ、サク。パジャマはどっちがいい?」幸乃は、選んでいた二点の子供用パジャマを表示しながら咲間に問う。

「えぇ?これでいいよぉ」咲磨は、身に付けている入居者用室内着を指して言う。

長期療養棟には、入居者の生活に困らないよう、十分な衣類やアメニティーグッズを揃えている。着の身着のまま入所した幸乃と咲磨にしても、特に改めて生活用品を買い揃える必要はなかったのだが……

「経過観察だから、寝る時は自由でいいって、先生おっしゃってたわ。暑いし、涼しいのがいいでしょ?……青のが良いかしらね。うん、良さそう。これで良い?」「う、うん……」

オンラインショッピングで購入したものは、長期療養棟に隣接する共用次元転送サービス、あるいはドローン配送受領エリアで受け取ることができる。棟内への持ち込みにチェックはあるものの、日用品であれば、自由に購入して構わないと、貴美子の許可を得ていた。

山奥の郷で暮らす母にとって、オンラインショッピングは、趣味みたいなものだ。今日一日、気持ちが塞いでいた母が、水を得た魚のように生き生きしている。ベッドに腰掛けた咲磨は、呆れながらも、微笑ましく母を見詰めていた。

「あのお姉さん……不思議な感じだったね?」

「ん?ああ、あのお誕生会の?……そうだったかしら……あ、そうだ。わたしもパジャマ買っちゃおうっと。サクとお揃いの色にしちゃおうかなぁ~~」

「……僕と……”同じ感じ”がした……」

ショッピングに夢中なる母に、咲磨の呟きは聴こえていない。普段は父から余計なものは買うなと言われているので、ここぞとばかり羽を伸ばしたいのだろうと、咲磨は思った。

窓の外を見やれば、南の空に、星が瞬き始めていた。諏訪は、郷は彼方の方だろうか……

「ねぇ、かぁ様……とぉ様は?」幸乃の手が止まった。

「……言ったでしょ。郷のお仕事があるの。しばらくかぁさんと、サクだけでここで過ごすのよ」

「どうしてるかなぁ……」空を見上げながら咲磨は呟く。寂しげな声だった。

「サク……」幸乃は、咲磨の横に立つと、同じように夕闇が降りた空を見上げながら、口を開いた。

「病気がちゃんと治ったら……きっと帰れるから……ね?」そう言いながら、咲磨の頭を撫でていた。

「うん……」咲磨は静かに頷き、口を噤んだ。



一夜明けた諏訪は、昨日の状況が嘘のように清々しい朝を迎えていた。

IN-PSIDから諏訪入りした特殊結界構築チームによる作業は、やや困難を見せたが、夜間のうちに完了し、未明から新型結界の稼働を始めていた。稼働開始から間も無く、諏訪湖一体に醸成されていた不可思議な雲が消滅し、住民らの精神にも徐々に安定が戻る。

彼らが持ち込んだ新方式の超次元局地波動障壁は、波動収束フィールドの応用で、インナースペース内に波動収束によるPSI情報子過密場を生成し、パラメーター制御によって対象を囲い込む。パラメーターは、IMSが予め構築した電磁結界をベースにしており、有り体に言えば、この電磁結界をインナースペース深部にまで拡張したようなものである。さらに、エネルギー源は、基本的にインナースペースの無尽蔵なPSIを直接変換するため、長時間稼働も実現していた。

各避難所も、ようやく落ち着きを見せ始め、神取もローテーションどおり、休息時間に入ることができていた。その時間を利用して、神取は、再び森ノ部の郷へと忍び込んでいる。

境内へと続く階段は、祭りの準備で人の往来も多い。昨日と同じく境内の横手、崖のような斜面を神取は造作もなく登っていく。

境内に出たところで、教団信者らの話し声が聞こえてきた。茂みに身を隠し、神取は会話を伺う。どうやら、須賀の一家が姿を見せない事を不審がっているようだ。

「御子神様も、てんで見ないねぇ」「そういや、須賀さんのお宅、車も無かったわ」「もう、この祭の準備で忙しいって時に……」「御子神様のお宅だからって、手伝いにも来ないなんて、ねぇ~~」

神取が聞き耳を立てていると、社務所の方から森部が付き人を従えて姿を表した。

「須賀一家は今、御子神様に付いて、山に籠っている。今度の大祭、御子神様には、大切なお役目があるのだ。祭迄のあいだ、御子神様は、山腹の社殿にて、神と対話なされておる」

森部は、背後の山手の方を仰ぎ見ながら続けた。

「案ずる事はない。必ず大祭の日に、神のお声を携えた御子神様が戻り、祭りをお導きくださるであろう」

信者らは彼の言葉にすっかりと納得し、山腹の方へ向かって手を合わせる。

「さあ、今日もしっかりと進めてくれ」森部が促すと、信者らは、各々の仕事へとむかっていった。

「ふん!」信者が去ると、森部は両眼を釣り上げながら、鼻を鳴らす。

「須賀親子の行方は、まだわからんか?」

森部は、本殿の方へと移動しながら従者に問う。

「は……はい……御子神様と、母御が、諏訪の方へ向かった様子は、駐在所の監視カメラが捉えていたとの事です。ですが、その後の行方は……」「慎吾は?」

「はあ、昨日は家を閉め切ったまま一歩も外へ出た様子はなかったのですが……夜中のうちにどこかへ」神官服を纏った付き人は、困惑気に報告した。

「ふうむ……まぁ良い。あやつらは決してこの郷からは逃れられぬ……じきに戻るであろう」

……あの父親も姿を消したか?……

聞き耳を立てながら、神取は茂みを移動し、森部が出てきた社務所へと近づく。

……んっ?……

神取は、何者かの視線に気付くが、社務所への侵入の機会は今しかない。構わずに社務所の開け放たれた玄関へ、身を滑り込ませる。

集会場では、女達が飾りの作業に夢中だ。神取に気付く者はいない。

一番奥にある部屋の上に「執務室」と表記がある。その扉は簡単に開いた。

この郷で、誰も立ち入る事はない……そう考えての無警戒さである。逆を言えば、それだけ絶対的な権威者、つまり森部の個室である事は、容易にわかった。

「あ、皆子さん!ちょうどよかった。これ運ぶの手伝って」「え?あ、はぁい」集会場の方から、声がする。

神取は、用心の為、警戒を任務とする低級の式神を配し、素早く部屋の中へと滑り込んだ。
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