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第4章 燔祭

蘇る神 4

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心電図が、微弱な波を打ち、生体情報モニターは危険値を示すアラームを鳴らす。

<イワクラ>へと急ぐ(※)IN-PSID救護ヘリの医療コンテナ内で、貴美子は伊藤、救命士を助手にして、重傷の慎吾の緊急手術に当たっていた。

機内オペレーションシステムのサポートにより、限られたスペースでも病院並みの治療を可能としているが、慎吾の傷は致命的であり、失血も酷い。

加えて、『ヤマタノオロチ』の霊体に晒された傷口から徐々に壊死が見られ、身体に現れる急性PSIシンドロームを併発している。これに対処するには、機内設備だけでは限界があった。

「<イワクラ>まで、あとどのくらい?」機長へと繋いだ機内通話で、貴美子が問う。

「十五分程です!」コンテナ内スピーカーから返答がある。

「十五分……院長……」伊藤が不安を顔に滲ませる。「<イワクラ>の設備なら何とかなるはず。とにかく保たせるのよ!」

医療コンテナとは隔絶された、ヘリの乗員用キャビンは、緊迫に包まれたまま静まりかえっている。

幸乃は、身じろぎ一つなく俯いたままだ。誰も声をかける事はできない。IMSにしても、咲磨を救出できなかった悔しさを皆、表情を殺して押し留めていた。


「何が……た!?……ナーノー……!?」乱れた通信の向こうから東が呼びかけている。

『くぅ……う……』アムネリアの映像も乱れる。

「時空間震動を観測しました!現状確認を急ぎます。サニ!」「は、はい!」

「時空間探索をリアルタイムで『現象境界』まで拡張。現象界の状況がいくらか掴めるはずよ」「了解!ビジュアル構成、サブモニターに出します」

『現象境界』は、現象界側の物質構成PSI情報が刻まれる「現象界この世」の背景世界であり、「インナースペースあの世」との狭間の世界。時間と空間の情報を特定すれば、ほぼ今の現象界の姿を再現できる。

「で、でた!」「『ヤマタノオロチ』!?」

護摩の炎に赤く照らされた大蛇の頭がモニターを覆う。

「違う?サニ、表示空間スケール補正。拡大率下げ」「は、はい」

拡大率を落とすと、それは岩肌に固定された剥製の蛇である事がわかる。視点を変更し、周辺を舐めていくと、そこが祭壇のような場である事が見えてきた。いくつもの小動物の死骸と、自分の死をまだ理解出来ていない、その動物たちの霊魂もチラホラ見える。

「悪趣味な所だな」ティムは身体をゾクっと震わせていた。インナーノーツ、そして<アマテラス>からの映像を見守るスタッフらも身の毛がよだつ感覚を覚えながら、モニターの映像を固唾を飲んで見詰めている。

「見て!」カミラは、通路状の横穴が崩れた大量の岩石で覆い尽くされているのを見つけた。その下敷きとなって、潰された大蛇の身体のようなモノが蠢いている。

「現象化した『ヤマタノオロチ』の体?サニ、咲磨くんは?ここに居るはず!?」

「ま、待ってください」サニは空間構成視点座標を切り替えていく。すると、護摩の上空で、大蛇の身体に半身が取り込まれ、蛇の頭となって漂う咲磨の姿が映し出された。

「……は、は……爬虫類人!?……」

サニの素っ頓狂な声に皆、思わず息を呑む。

「なんてこと……アラン、空間解析で咲磨くんの身体の状態は掴める?」

「最低限のバイタル情報くらいなら何とか」

「それでいい。モニタリングをお願い。それと、この密閉された場所……残された火。まずいわね」「ああ。この場所の酸素濃度と、一酸化炭素濃度も確認する」

アランはさっそく「現象境界」の空間情報解析に取り掛かる。

そうしている間に、心象世界を示すモニターの様相に、次第に変化が現れ始めていた。


「急げ、熾恩!」「あ、ああ」

森ノ部真理教団一ノ宮の拝殿を抜けたところで、熾恩は、立ち止まり振り返っていた。

境内は、烏衆の放った火と、境内中に取り残された蛇体雲が互いを食い合っている。時折り牙を剥いてくる蛇頭を火雀衆らは、彼らの法術と、展開したPSIフィールドで退ける。

「どうした?」焔凱が問う。

「いや、あの巫女さん達、居ねえからよ」「ん?ああ、そういえば……残念だったなぁ、熾恩」からかい混じりで焔凱が返す。

「そうじゃねぇよ!変じゃねぇか?」「大方、催眠が解けたか、この蛇らに喰われちまったか……まあ、気にすることはない」

「そんなもんかねぇ?」どこか釈然としない熾恩は首を傾げる。

「焔凱、熾恩遅れるな!」先を行く煌玲が、声を張り上げている。PSIフィールドもいつまでも使えるわけではない。今は早々に境内を抜ける方が先決だ。

二人は、会話を切り上げると、先行する煌玲と飛煽の後を追う。


————

稲光の閃光がブリッジを白く染め、音声変換された轟きが響き渡った。世界は暗雲に包まれ、大粒の雨が<アマテラス>の船体に叩きつけられているようだ。

前方に広大な湖が広がり、巨大な水流が渦を巻いている。雷鳴に混じって、泣き叫ぶ声も聞こえてくる。

人影のような塊が蠢く。何かを語り合っているようだ。

「サニ、音声変換できる?」心象空間に刻まれた情報が言語化、翻訳されていく。

『……我らが拓き地も……田も稲も……このうみに全て呑まれた……これが……其方らの…………御裂口ミシャクジのやり方か……』

『……このうみにおわす御裂口ミシャクジさまは空と大地、水と風そのもの……ワシらは、ただその声を聞くのみじゃ……お主らはその声に耳を傾けようとせんかった……それだけのことじゃ……』

『おのれ!我らを愚弄するか!』『待て!』

『"神"の声と申すか……我らとて"神"の声を聞き、この"約束の地"へ辿り着いたのだ。我らにはその"神"の声が聞こえている』

『その、お主らの"神"とやらは……何と申しておるのか?』

『生贄よ』

『生贄?なんじゃ、それは?』

『その方らは、そのような大事も"忘れ去って"いたのか?その怠慢を神はお怒りなのだ』 

その声は続けた。人はかつて、神との約束を反故にして、楽園を追放された。人には、生まれながらにして罪があると言う。

罪を贖い、神の赦しを乞うには犠牲が必要なのだと説く。

『神の御名において、神の民である我らが、其方ら地の民へ命ずる!ムラから稚児を集めよ!このうみに沈め、神への忠節を示せ!』

『……愚かな……』


「『ヤマタノオロチ』の記憶だというの?でも、なぜ……」カミラは、胸元に手をやり、ジャケットの下に隠した大切なモノを握りしめている。幾度も読み返した、彼女の信仰の拠り所となる聖典の故事が脳裏を過ぎっていた。

「カミラ!解析できたぞ」アランの解析が完了していた。メインモニターにウィンドウが立ち上がり、データを表示する。

アランによれば、咲磨の身体に外傷や組織異常のようなものはなく、心拍低下はあるものの瞑想に近い状態らしい。身体の痣の影響は、判別できないが、蛇体とPSIパルス同調で結びついている可能性があり、急性PSIシンドロームの進行も懸念される。だが、それにも増して危険なのは、一酸化炭素中毒だ。咲磨の身体の状態と、空間容積、護摩の燃焼量から、二十分足らずで死亡に至る恐れがある。

「何とかして、この密閉空間をこじ開けないと、咲磨くんの命が危ない。……所長!」

「うむ、レスキュ……連絡をとっ……るが、今は境内に近づ……もできん。何か手立てを……る。君たちは、と……咲磨くんの『セルフ』を見……出せ。『セルフ』が失わ……まえば元も子……ない!」乱れたモニターの先から藤川が答えていた。

「りょ……了解です」とは言え、カミラも、『ヤマタノオロチ』と一体となった咲磨の心象世界の中で、『セルフ』を見つけ出す策を持たない。

「そうだ!誘導パルスは?前に亜夢の『セルフ』を引き揚げたろ?」ティムが、以前のミッションを思い出して提案した。

「そうね……どうかしら、アラン?」

カミラも、それくらいしか手が無さそうに思える。アランは、誘導に用いる咲磨の身体PSIパルス情報のリアルタイム抽出を開始した。

「……こいつは……いや、ダメだな。『ヤマタノオロチ』が、咲磨の身体に取り憑いている以上、咲磨の身体PSI誘導パルスで誘導すれば『ヤマタノオロチ』のPSIパルスも引っ張ってしまう。蛇体化を促進しかねない」

「チッ、ダメか」操縦桿に拳を打ちつけ、ティムは舌打ちする。

「何とか、パルスを掴み取るしかない。アムネリア、どうかしら?貴女の力で……アムネリア!?」

カミラの声に、皆の視線がアムネリアの映像に集まる。ホログラムは、ノイズを伴って乱されていた。よく見ると、ホログラムの内側に、赤々と燃え上がる光の玉が見える。

『ダメ……亜夢……貴女まで来ては……ここは……戻れなくなる……』

その飛び出さんがばかりの赤い光を抱え込み、アムネリアのホログラムは、身を屈めている。

「亜夢!?」直人は咄嗟にPSI-Linkモジュールに手をかけた。

「亜夢のPSIパルス同調率が上がってきている!?」コンソールのモニターを睨め付けたアランは驚きを隠せない。

……亜夢!いるのか、亜夢!……

……答えてくれ、亜夢!……

直人は変性意識状態で、PSI-Linkシステムに入り込んできた亜夢の意識を探した。暖かい、熱を帯びた気配。亜夢の魂の色だと直人にはすぐにわかる。その気配へと意識を集中していく。


「亜夢ちゃん!」「どうした、真世!?」

「脈拍……呼吸回数……急激に低下……体温も下がってきています!」「何!?」

亜夢の肉体の生命活動が、悉く機能低下していく。東は真世の元へと駆け寄り、二人がかりで生体維持作業に取り掛かる。

「亜夢……」藤川は、<アマテラス>と共有されている、卓上パネルに投影された、赤く色づくアムネリアのホログラムを見上げていた。

(※)ヘリとのランデブーに、<イワクラ>が諏訪方面へ飛行移動することは、法的にできなかった。<イワクラ>の飛行高度は通常航空機に比べて低く、居住地域や山間部の上空を飛行できる箇所は限られる。
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