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4.廃れた村の妖精は孤独
しおりを挟む「みんな……? どうしちゃったの、元気に……幸せにっ……」
窓枠は全てのガラスを失い、木造の家屋は壁が腐り剥がれ落ちている。一軒一軒見ていくとドアがしっかりと閉まっていない家が殆どで、その中には外れてしまって地面に投げ出され、そのまま朽ちているものもあった。
人影が見えないどころか、生活感を感じないこの集落は廃村という一言で表せてしまうだろう。
「アフロディ、大丈夫?」
蒼空がネックレスにぶら下がる深緑の宝石にそう問いかける。しかし、人器から声が返ってくることはなかった。
平生と比べて、宝石からは輝きが失われているように感じる。そこら辺に転がるただの石ころと遜色なかった。
「……とりあえず、ちょっと見て回ってくから。落ち着いたら教えてね」
蒼空には、声が聞こえるだけでその場にいない彼女の様子を知ることは出来ないため、こう言う他なかった。
そして蒼空は廃れてしまっている村に入っていく。
村の規模はなかなか大きく、数十軒は家が建っているように見えた。彼はその中でも、崩れる心配の無さそうな綺麗めの家を選んで慎重に立ち入った。
「うわ、ギシギシする……。床腐ってて抜けそうだし」
――少しでもまともな家を選んでこの様子なら他はちょっと危なそうだな
蒼空はそう思って、ここから得れるだけの情報を得ようと考えた。ゆっくり室内を探検するが、大抵のものは朽ちて原型を失っていて、特に面白みのあるものは見つからなかった。
台所のような空間で蒼空は、自分の腕一本分ほどの大きさがある美しい羽を一枚見つけた。
本来は対になっていたであろうことが想像できる羽だった。
半透明のそれは、光源などないこのあばら屋の中で淡い光を纏っていて、その美しさを際立たせている。
「すごい綺麗だ……! これ一生自由に暮らせるくらいの金額で売れるんじゃないかな」
大事に持っておこうとその羽に手を伸ばした時、家の外から少年のような少し高い声が聞こえた。
「そこの人間のキミ、その羽を取ってどうする気だい?」
振り返って見ると、ドアの前に立っていたのは背の小さな少年。その背中には、木漏れ日を屈折させキラキラと輝く半透明の羽がついていた。
少年の顔は見れば見るほどあどけなさを感じるが、蒼空は彼を子ども扱いをする気にはなれなかった。
目の奥に、何もかもを悟ったような落ち着きと鋭さが潜んでいたからだ。
少年は、濃い緑色の古ぼけたとんがり帽子のつばをつまみ、その位置を調整しながら蒼空の答えを待っていた。
「綺麗だったから、誰もいない村だろうし持って帰ろうと思ったんだけど、ごめん。君のだった?」
「いいや、ボクのじゃないさ。もう誰のものでもない。そして、誰かのものにしてはいけない。キミがその羽を持ち帰ると言うなら、ボクは止めるよ」
蒼空はその圧力に身震いした。ダメだと言われたことを無理やりする気はさらさらない彼は、潔く羽を諦める。
そして、この村で唯一出会えた少年との会話に意識を集中させた。
「もちろん駄目なら持って行かないよ。それより、君は妖精だよね? 何歳?」
「ああ、そうだ。ただ何年生きてるかなんて分からないな、一つ言えるのはボクは初めっからここに居て、死なずに今まで生き残ってたってだけ」
自分が妖精であると答えた少年は、目線を右下に逸らしてそう言った。少年からは、目の前の現実じゃないどこか遠い過去を見ているような印象を受ける。
「それよりキミ、どうやってユグドレーンに来た? 草の民の隠し子が外で子孫でも繁栄させたのか?」
話を変えられて、蒼空はそう問われた。
「自分が草の民? かはよく分かんないけど、ここに来れたのは妖精王のアフロディさんに案内してもらったからだ」
「はぁ? 彼女はとっくの昔にこの森の自然に還ったんだ。くだらない嘘をつくな、人間。子どもの見た目だから騙せるとでも思ったか?」
それは一瞬、怒気を含んだ声のように聞こえたが、妖精の表情は一切変わっていなかった。
目の前に現れた十数年しか生きていない嘘つきな子どもに、真実を教えただけ。ただそれだけなのだろう。
「いや、本当なんだってば。ほら見て! このネックレス。人器って知らない?
これにアフロディが宿ってる。俺は彼女と意思疎通が出来るから、故郷に帰りたいって希望を聞いてここに叶えに来たんだ」
蒼空がここに来た経緯をそう伝えると、何もかもに無関心な様子だった妖精の少年が表情を動かした。
妖精が何を感じているか蒼空には分からないが、先程までの様子と違うことは誰の目にも明らかであった。
「なんだ、そうだったのか~。じゃあ、君を彼女のところへ連れて行くよ。ちゃんと着いてきてね、そのネックレスを持って……」
優しげな笑顔でそう言った妖精は、蒼空に背中を向け進んでいく。街の方向と真逆、つまり森の奥の方へとどんどん飛んでいっていた。
蒼空はそれを急いで追いかける。彼は妖精を追いかけながら、鳥の他にも飛べる種族がいたのかと悔しい思いをしていた。
「この森の奥にはね、『世界樹』っていう大木があるんだよ。キミの何十倍もある大きな木さ。そして、そこもキミには本来辿り着けない場所。今は特別にボクが許可しよう」
「そんな大きな木があるのか……すごいな。全然知らなかった。でも、そこにアフロディが居るってどういうことだ? 死なないと人器にはそもそもならな」
蒼空がそこまで言いかけたところで、妖精は突然振り返り妖精王の宿る人器、つまり彼のネックレスを奪い取った。
そして、周囲の木々の根が妖精の意思に従って動いているかのように蒼空の身体に巻きつき、そのまま動けなくなってしまった。
「……騙したんだし、一応悪いとは言っておくよ。またね、あとでちゃんと迎えにきてあげるさ」
そう言って、蒼空を裏切った妖精は祖父の形見でもあるネックレスを持って森の奥へ進んで行く。
数秒の間、あまりの急展開に呆然としていたが、妖精に騙されたことと、まんまと大切なものを奪われたことを理解し、蒼空は悔しさで唇を強く噛んだ。
すぐに追いかけるため木による拘束から逃れようとするが、両手両足のいずれも全く動かせなかった。
「くっそ……あああぁぁああ! 無理だーこれ!!」
拘束されてからどのくらいの時間が経っただろうか、蒼空は分からなくなってしまったが、もうずいぶんと長い時間木の拘束と格闘していた。
「よかった……見つけた。急に人器の中からいなくなってごめん、今私は世界樹の下にいるんだ。
その拘束は解くから、ちゃんと私に会いに来て……君を拘束した妖精のことは叱っておいたからさ」
突然アフロディの声が森の上から響いてそのような言葉が聞こえたのは、絶望的状況にどうすることも出来ないと蒼空が思った丁度その時だった。
動く気配のなかった木の根は全て身体から離れ、彼は拘束から解放される。
祖父の形見が取られたことに焦る蒼空は、アフロディの話した内容をしっかりと咀嚼しないままで、妖精の飛んでいった方向に走り出した。
蒼空は風のように駆ける。呼吸は嵐のように荒く弾む。
とうとう彼は周りと比べて明らかに神聖な雰囲気を纏った巨大な木を見つけた。声を出してアフロディと妖精の少年を探そうとするが、激しい呼吸が邪魔をしてうまく声が出ない。
「あ、蒼空くーん。こっちだよ」
声の方向には、若葉色の柔らかな髪の毛を結わずに風で靡かせている妖精がいた。彼女は、アフロディだろう。
妖精王と言えど、身長は小さく蒼空の胸部に頭が届かないくらいの高さであった。
彼女の愛嬌を感じさせる甘く小さな顔は、照り輝いているように美しく、蒼空はそれを眩しいと感じる。
蒼空は、なぜかアフロディが彼の居場所をすぐに見つけ、一直線に迎えに来られたことを少し不思議に思い始めた。
――さっき拘束から解いてくれた時も、世界樹の下にいたらしいし、この森の中はどこだって彼女の掌の上なのかも。
これまでのことから蒼空はそう考えた。
そして、アフロディの右手に大事そうに握られているネックレスを見つけ、妖精から取り返してくれたのだと分かる。
「あ、気付いた? はい、これは君のものだもんね」
「ありがとう! じいちゃんの形見でもあるから、大事なものなんだ。それで、あの妖精は今どこに?」
「彼は……集落に帰ったよ。蒼空くんと会うのは気まずいみたい」
アフロディは口に手を当て微笑みながらそう言う。
その微笑みは少女の可憐な顔でありながらも、長寿種族の王としての包容力を感じさせるものであった。
「ほら、今度は大丈夫だから。それを首につけたら着いてきてね」
彼女は蒼空を待つそぶりを見せ、彼の様子を伺いながらゆっくりと飛んで動き出す。彼女もまた、この世のものとは思えないほど美しい半透明の羽を持っているのだ。
準備の出来た蒼空はそれに走って着いていく。
直ぐに少し開けた明るい草原に辿り着き、その中心にたつ大きな木『世界樹』を見つけた。
真上から太陽の光が真っ直ぐ注がれるその空間は、まるで神々の住まう楽園のようだった。
「すごい……こんな綺麗な景色があったなんて……」
「ふふ、そっか。ここだけでも喜んでもらえたなら良かったな。……集落は、私のせいであんな風になっちゃってたからさ」
すっかり気落ちした様子の彼女は、俯き小さな声でそう言った。
「……あのさ、アフロディは死んで人器になったんだよね。妖精なのにそもそも何で死んじゃったかも分からないし、どうやって今ここに居るのかも分からない。……それに自分のせいで集落がああなったってどういうこと?」
蒼空の頭にはいくつもの疑問が同時に浮かび上がり、その全てをアフロディに投げかけた。
「まあまあ、落ち着いて。ちゃんと話すよ、ここであったこと、私に起こったこと。それと……私の過ち、その全部を」
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