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第三部 五章「失われた炎」

「怪奇現象」

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 扉の前で、クロトは一度足を止める。
 外装の古びた館ではあるが扉は元から頑丈にできていたらしく、重々しく堂々とある。
 風で揺れるような柔なものなら蹴り開ける予定でいたが撤回。ドアノブを握ると氷のような冷たさに、一瞬だが肝を冷やされる。
 
「……っ」

 こういうものにはゴーストの類いが潜んでいてもおかしくはない。特にそういったものに恐怖など感じるわけもない、と、若干の警戒をしつつ扉を開いた。
 キィ……。と、軋む音が定番の様に鳴る。
 まずエントランスホールが視界に広がり、左右を確認してからクロトは中にへと入る。続いてイロハも眼を丸くさせながら入り込む。
 二人が入りきると、扉は勝手にバタンと閉じた。
 閉まった風圧がじゅうたんのホコリを巻き上げるも、クロトそんな些細なことなど気にも止めない。
 ただ視界は再度館内を凝視し、眉を潜める。

「……思ってたより、中綺麗だね?」

 気になっていたことをイロハは口にした。
 外装は確かに人の住んでいた様子はなかった。しかし、内装は幾度かホコリやクモの巣があるも、予想より整えられている。
 最も違和感を覚えたのは、二階へ続く階段の手すり近くに飾られた花瓶だ。
 花が活けられ、まだ新しくある。
 
「二、三日くらい前にはせめて誰かいやがったな」

「ボクたちみたいに誰か来たのかな?」

「さてな。それならあの樹海に引っ掛かってもおかしくはない。……とりあえず、此処にある結界を作っているのを破壊する。どこで作動してんだか」

 クロトは魔銃を握りいつでも撃てるようにしていた。イロハも同じように魔銃を取り出し、クロトの後を追うように一歩踏み出す。

 ――……

 すると……、イロハは途端に辺りをキョロキョロと見渡して立ち止まった。
 
「……先輩?」

「ん?」

 呼ばれた事にクロトは後を振り向く。
 声をかけたイロハ本人は目を丸くさせ、次に首を傾げた。

「……さっき、何か言った?」

 問いかけにクロトは目を細め、「は?」と不機嫌な顔をする。
 それはクロトにとって意味のわからない質問であったからだ。

「知らねーよ。俺はなんも聞こえてないぞ?」

 あるとすれば歩く度に聞こえる床板の軋む音ほど。しかし、イロハは「言った?」と聞いていた。
 物音ではなく、言葉を聞いた様子でいる。明らかに別物だ。

「あれ~? おかしいなぁ……」

「お前もアイツみたいな事を言い出すな! 厄介な奴がこれ以上増えると面倒だ! クソッ、伝染でもするのかこの現象!!」

 エリーに引き続きイロハまでも幻聴が聞こえるなど、想像しただけで気分が悪くなる。
 周囲に声を当てつけた後、唐突な静寂が訪れた。
 その刹那。微かだが二人の背筋をひんやりとした空気が撫でる。
 同時にゾッとし、クロトとイロハは呼吸をしばし止め、微動だにせず周囲を警戒した。
 静寂だった空間に、何かを擦る音がわずかに耳に入る。
 ずり……。ずり……。
 そこそこ重量のあるモノ。いったい何が音をたてているのか……。
 動かずでは完全に周囲を把握できない。クロトは前に向き直ると――

「――ッ!?」

 ――ガシャン!!!
 
 咄嗟にクロトは魔銃を振るう。
 前を向いた途端に、クロトは突然自身に接近した物体を魔銃で払いのけた。
 割れた音。床に敷かれていた絨緞が水で濡れている。
 自分に向かってモノは、先ほど違和感を覚えた花瓶だ。
 花瓶が元あった場所とクロトの位置は離れている。投げたと思われる存在というものはなく、このことから花瓶が独りでに飛んできたということになる。
 
「先輩、大丈夫!?」

「当たり前だ! ……なんでこんなものが」

 考える間を与えないかのように、次から次へと物音が酷くなる。
 周囲に見える家具や飾られていたモノがガタガタと震えだし、勝手に動き出す。
 アンティークの家具の数々。壁に掛けられていた飾り物の剣など。
 
「わわ!? なにこれなにこれ!」

「うるさい、落ち着け! よく見ろ!!」

 動く家具などにはそれぞれ何やら白く揺らめくモノが張り付いていた。
 子供ほどの大きさ。時折こちらを覗き込み、一瞬それと目が合う。

「な、なに今の!?」

「ゴーストだ。それも低級の。目に見えるほどなら魔物とさほど変わらない」

「……えーっと、おばけみたいなの?」

「もうそれでいい! 攻撃してきたって事は敵で問題ない。……問題ないんだが」

 続いて飛ばされたのは椅子だ。クロトはそれをゴーストと共に撃ち抜くも、銃弾は家具のみに直撃し肝心の標的をすり抜けてしまう。
 ゴーストは霊体であるため物理的な攻撃を受け付けない。魔銃の気弾もすり抜けてしまえば効果がない。

「やっぱりダメか……」

「わーん! どうしよう先輩ぃ!」

「だったら――」

 銃弾が効かなければ他を試せばよい。
 再び銃口を迫り来る物体にへと向け――

「――【爆ぜろ! ニーズヘッグ】」

 炎で霊体を燃やそうとクロトは考えた。
 しかし……

 ――カチン……ッ。

 クロトは、確かに引き金を引いた。
 だが爆炎は起きず、炎は一切姿を現さない。
 
「……なっ」

 呆気に取られるも、それで相手の動きが止まることはない。
 容赦なく衝突する直前。イロハがクロトを掴み翼を広げて上昇する。
 下では一気に攻め寄せた家具たちが激しくぶつかり乱雑した。

「うわぁ……、先輩危なかったね。ぺしゃんこだったよ?」

「うるさいっ。とにかくどっかに隠れるぞ!」

 混乱したゴーストたちは未だに二人を追えずにいる。二階の通路にへと降り、エントランスホールから最も離れた位置にへと向かう。
 突き当たりにあった扉を蹴り開け、急いで入り込むと直ぐに扉を閉め切る。
 息を潜め、音を確認。しばらくはモノを動かす音がしたが、しだいに音は止み落ち着いていく。
 ホッと胸を撫で下ろす二人はその場で力を抜き一息つく。
 入った部屋は書斎だ。壁際に並べられた本棚にはぎっしりと本が詰められ、元の主の人物像が思い浮かぶ。
 学者ではなく、並べられている本はどれも小説など。本を書くような人物だったのだろう。
 不思議なことに、この部屋だけはホコリもなく、しっかりと手入れをされていた。
 
「もぉ~、おばけなんて初めて見たぁ。なんであんなのいるのぉ?」

「ああいうのは廃墟とか人間のいないところを住みかにしやがる。此処もそうだったってだけだろうな。……それよりも」

 問題にクロトは目を向ける。
 自分の使い慣れた魔銃。それは炎を扱うことのできるもの。
 しかし、先ほど魔銃は持ち主の言葉に逆らい、炎は姿を現すことはなかった。
 同じ事がしばらく前にもあった。

「なんでだ……。もうアイツは出てきてない。なんで使えないんだ……っ」

 使えない理由。それは魔銃に宿る力の根源である【炎蛇のニーズヘッグ】がそうさせたからだ。
 ニーズヘッグはいまや魔銃に戻り再び魔銃の核となっている。魔銃の所有者であるクロトに抗うということは考えられず、悩む度に苛つきが増していく。
 
「――【纏え!】、【爆ぜろ!】」

 クロトは危険などお構いなしに、ニーズヘッグの力を使おうとトリガーを何度も引く。
 しかし、どれも発動することなどなかった。何度も空撃ちを繰り返し、間違いではなく現実を受け止める。
 無駄なことなどするだけ無駄でしかない。それを直ぐに理解すれば、使えないというのが答えだ。
 それを理解するも、やはり納得などできるはずもない。

「……なんでだよっ」

「……先輩。ボク何かできることある? 言ってくれれば頑張るよ?」

 何かしようとするイロハ。
 だが、クロトはそんなイロハにそっぽを向ける。

「いらねーよ。お前のでなんとかできるとは思ってねーし」

「んー……」

 イロハは自分で考えることは苦手だ。
 何が正しくて間違いなのかも曖昧であり、下手な行動はクロトの怒りを買う。
 本の多い部屋に入ることがないイロハは、しばらく並べられたそれらを見上げた。
 本に記された文字の羅列は読むと言うよりは見るのみ。

「なんて書いてあるんだろう? ボク文字わかんないからなぁ」

 子供でも知っているような文字もあるが、それをイロハは理解することができない。
 文字を教わっていないからだ。
 
 ――……

「……?」

 イロハは、ふと、本以外を見る。
 自分でも何を見ているのかわからず、ただほんのわずかに上を見上げ目を丸くする。
 その直後、イロハはポツリと何かを呟いた。
 
「…………おい。何してんだよ?」

 行動がついに気がかりになったのか、クロトはイロハに顔を向ける。
 わずかに上を見上げたまま、呆然とする姿は静かすぎた。多少の違和感を覚え、クロトはイロハに近づくと腕を掴む。

「おいっ。聞いてんのかよ!」

「……っ」

 強く引こうとした時だ。
 イロハは掴むクロトの手を払いのけた。
 突然の態度の変化にクロトは唖然とする。なぜそんな行動を取ったのかと、自分の手とイロハを何度も見比べる。



「――まったく……。気安く触らないでもらおうか」



 急変した様子。イロハは声を低くしてそんなことを言い出した。
 態度だけではない。言葉遣いもまったくの別物。
 そして、……何処かで聞いたような口ぶり。

「……お前、イロハじゃないな?」

 確かめるように、クロトは向き合う人物を威嚇するように睨む。
 打って変わって、相手は涼しげな顔。自分の体を確認する素振りの後に、軽くため息を吐く。

「…………なるほど。これはまた厄介なことになったものだ。ここまでできるとは」

 落ち着いて何かを納得。
 そして、ゆっくりと双眸を開きクロトを捉えた。
 ――その瞳の色は翡翠の様。
 見覚えのある瞳に、クロトはゴクリと息を呑み込む。

「まさか……、――フレズベルグか?」

 目の前にいるのはイロハ。それは間違いないが、それは体のみ。
 イロハの契約悪魔――【極彩巨鳥ごくさいきょちょうのフレズベルグ】。それがイロハの体を使い表に出てきて、今クロトの前にいる。
 その光景は信じられるものではない。
 あくまでこの悪魔は魔銃の一部だ。それがあの【鏡迷樹海きょうめいじゅかい】を出て尚、主の肉体を使い表に出てくるなど予想もできなかった。
 クロトは数年間魔銃を使い続けてきたが、今までこのような現象など経験したことがない。
 魔女も、この様なことを話したことは一度もない。

「そう驚くな……、と、いうのは酷なものか。しかし、お前という呼び方は礼儀知らずだな。ニーズヘッグがアレなら飼い主も愚かか、愚か者め」

 このすぐ「愚か」と罵るのは確かにフレズベルグだ。その言葉をイロハの姿でされればより怒りがわき上がってくる。
 だが今はそれどころではない。この現象は大事だ。

「なんでお前が……っ。あの馬鹿はどうした!?」

「……確かに馬鹿で愚かなのは認めておいてやる。合意ではないが少し交代しただけだ。今は精神の奥……と言った方がまだ簡単か。そこで眠っている」

「寝てるってどういうことだ!? おい、イロハ!」

「無駄だ。人間が熟睡するのと同じで反応がない。目が覚めてもこの状況は覚えていないだろうな」

「……クソッ。なんでお前が出てきた!?」

 入れ替わりの仕組みなどは後にまわす。まずはフレズベルグが表に出てきた理由だ。
 樹海ではこの悪魔は確かに味方としてニーズヘッグを相手にしたが、今出てくる意図がわからない。
 彼もまた悪魔。人間にとっては敵視する存在だ。

「愚かなまでに口の利き方を知らん奴だな。……まあ、いい。お前に話があったのだからな」

 すっ、と。フレズベルグは足を踏み出す。静かに動き出し、クロトは汗混じりの手で魔銃を握り絞め指を引き金に寄せた。
 いつでも反撃する準備を整えようとした時、あったはずの間合いが瞬時に失われ、すぐ目の前までフレズベルグは来ていた。
 気付くと同時にクロトは背を扉にへと強く打ち付けられ首を鷲掴みにされる。
 
「……ッ!? なんの、つもりだっ!」

「そうだな。――。悪く言えば――だ」

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『やくまが 次回予告』

イロハ
「おお、なんかビックリ! フレズベルグと入れ替わっちゃった」

フレズベルグ
「私もここまでできるようになるとは思ってもいなかった」

イロハ
「でもボクはいいかな~。今度からフレズベルグと一緒にいれるんだもん」

フレズベルグ
「……以前から一応一緒にいたのだがな。だが私が表に出ている間は眠っているのだぞ?」

イロハ
「ああ、そうか。でもこうして話せれるならいいよ~。ボク、フレズベルグのこと嫌いじゃないし」

フレズベルグ
「ま、まあ、いい……」

イロハ
「フレズベルグはなにかしたいことある? 好きなこととか」

フレズベルグ
「したいことは……あるな。確かに」

イロハ
「次回、【厄災の姫と魔銃使い】第三部 六章「待ち続ける者」。……で、なにがしたいの?」

フレズベルグ
「……う、うるさいぞ愚か者っ。そう急かすように聞くなっ、潰すぞ!」

イロハ
「なんで怒るの!?」
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