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第六部 二章 「今と過去の星」

「あの時の光景」

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 おもむろに、エリーは目の前の人物の名を呼ぶ。
 それは今となっては見慣れた姿だ。
 いつもエリーを守ろうとする、炎の魔銃使い。
 彼は足元に転がる鎧の残骸を雑に蹴りどかしてから、再度こちらにへと振り向く。
 表情がはっきりと確認できると、エリーは過去に感じた寒気を呼び起こされる。
 視線は周囲の炎すら圧倒する冷たさがあった。その目だけでも誰も寄せ付けず、不用意に触れようとすれば、それだけで死にへと誘われる。
 兵士という外見を捨て去れば、魔銃使いは魔銃を取り出し殺気を放つ。
 そして、不敵な笑みを浮かべた。

『ひでぇ国もあったもんだな。……命を捧げて国を守る兵士を、こうもあっさり手にかけるんだ。外っ面は良くても中身真っ黒ってか?』

 相も変わらず、悪態をつく。
 事実と異なるような事が少しでもあれば、それを大きく批難し嘲笑う。
 母親に向けられた言葉は、すべて国の悪評にへとつながる。彼女がとったこの行動は、他国の刺客から我が子を守るための警戒、そして事前防衛だったのだろう。
 それが的中したのは、母親として幸いだろう。
 鎧の中身がクロトだったのなら、この場で近づいた目的はただ一つ。
 当初の目的であった、【厄災の姫】を手にするためである。
 魔銃使いの言葉に母親は唇をきゅっと噛みしめるも、軽いため息をついて静かにその悪態を聞き流す。

『……それで? 貴方はどこの国の回し者かしら?』

 反応が期待はずれだったのか。魔銃使いは笑みを停止させ、不快な眼差しを向けて黙り込む。
 煽る理由など、そこから相手が取り乱すなどする様を望んでいたはずだ。
 それを母親は冷静に応答したのだ。
 だが、当然であろうありきたりな質問には、愚者を見る思いで喉を鳴らしてしまった。

『国とか……。そんなん俺には関係ねーんだよ。国が亡ぼうが、他人が幾ら死のうが、……俺にはどうでもいい』

 すべてにおいて無関心。それは生命すら関心がない。
 他人をモノとしか見れないその目は、会った頃と変わらない。
 再びその目と向き合う事となるなど、想像していなかったエリーにとって困惑を抱いてしまう。
 
『雇われ者……というふうには見えないわね』

『もし本当にそう思われていたのならイラつくな。……要件の前に殺したくなる。…………なあ? 取引をしないか、王妃様』

『……』

『この国は終わる。生きるか死ぬかなら、生きる事を選ぶのが生き物の正当な考えだ。だからこそ、なものは生きるために切り捨てる必要がある』

「…………私に、なにを捨てろ……というのかしら?」

『話が早くて助かるな。こっちも急ぎだ。……だが、それは言わずともわかっている事なっじゃないか?』

 ほんの一瞬。母親の瞳が後ろにへと傾く。 
 そのわずかな動きに、魔銃使いは口角を吊り上げる。

『こんな事態だ。は捨てるべきだろ? 例えるまでもない。正に後ろにいるそのがそうだろう?』

 途端に、母親と少女の心臓が強く跳ねた。
 言うまでもない事だっただろう。
 この事態の元凶である【厄災の姫】。それがどれだけの重荷か。
 十年間抱え続けてきたのだ。その限界もこの時やもしれない。
 国が終わる目前でその決断が下されるのも遅い気はあるが、更に魔銃使いは追いつめてゆく。
 冷たい眼差しが、星の瞳を捉える。

『俺はそこのガキに用がある。アンタが生きるために捨てるのはそのガキだ。おとなしく渡せば、俺は余計な手間を取らなくて済む』

『……っ』

『どうせそんなガキ、捨てたくてしょうがねぇだろ? いったい誰のせいでこうなっている? 何を切り捨てれば済んだ? ……この国の結末は優柔不断でそんなガキを抱え続けたお前らの罪だ。恨むならそのガキと、自分たちの判断を恨むんだな』

 今その事実を突きつけようと、この事態は滅亡という形で終わることだろう。
 その正当な追い打ちに、母親はただ反論もせずに黙るだけだ。
 震える少女の手が母親のドレスを引く。
 
『母様……っ』

 少女は母親に縋る。
 捨てられる事を恐れ、少女の星の瞳は離れたくないというものを訴えていた。 
 数少ない少女の支え。今ここで少女を捨てれば、少女の心は跡形もなく壊れてしまうことだろう。
 母親は静かに深呼吸をした後に、膝を折って少女と目を合わせた。
 ……そして、我が子を優しく抱きしめる。
 
『……エリシア。…………愛おしい……子』

「母様?」

 母親は、囁く程度の声で続ける。

『貴方を愛しているわ。綺麗な髪。愛らしい顔。その星の瞳も。貴方の事は、幸せにしてあげたかった。……でも、ね』

 




 別れの言葉に、少女の頭の中は真っ白になってしまう。
 離れない様にと掴んでいた手は力を失い、滑り落ちると同時に母親は少女から離れた。
 母親は決断をしたのだ。
 この取引の答えを。
 母親は、ゆっくりと魔銃使いに向き直る。
 その最中、魔銃使いは警戒のある目を細める。
 金色の光の粒子が視界にはいる。それは燃え盛る炎による火花とは違う。
 母親に纏いつくようなそれらは、次に正体を現し魔銃使いを眺めていた。

『……地精霊ピグノーム。精霊魔道か』

 先ほど魔銃使いを襲った一撃も精霊によるものだ。
 おしゃべりな精霊でも、地精霊ピグノームは寡黙であるため口数は少なく静かに魔銃使いを敵と認識する。
 母親が杖を振るえば精霊たちはそれに応える。
 地より現れた岩。それらは形を人形にへと変え、彼女にとっての信頼ある兵士にへとなる。
 母親は少女を捨てる事などしなかった。その逆を選び、唖然としてしまった少女を抱き上げ一つの岩人形であるゴーレムにへと託す。

『この子をお願い。あの部屋まで連れて行ってあげて……』

 託された後で、少女は我に返る。
 離れそうになった母親の手を掴み、その言葉を拒む。

『や……っ、やだぁっ! 母様と一緒にいる!』

『……エリシア』

『一人にしないでっ。一人は怖い。……怖いよ、母様ぁっ』

 離れたくない。その意思は繋ぐ手と声で母親の心を抉る様だ。
 できる事なら一時も離れず傍にいたい。
 ……その気持ちを母親は振り払う。

『後で行くから泣かないで。……私の愛おしい子。愛しているわ』

 ――ああ。これが……母の愛。

 エリーはその光景を眺めつつ、胸を締め付けられるほどの愛を感じた。
 目元から無意識に雫がこぼれ落ちるほどの、我が子を想う愛。
 少女との繋がりを断ち切り、同時に人形は少女を抱えて奥にへと走り出した。

『――母様ぁ!! やだぁ! やだぁああ!!!』

 少女は叫ぶ。その孤独を恐れる感情のままに。
 
『逃がすかよ! クズ人形が!』

 魔銃使いは銃を背を向ける人形に向け、躊躇いなく発砲。
 一直線に飛ぶ銃弾は獲物を狙うも、その間に割り込んだゴーレムの一体によって防がれる。
 直撃したゴーレムは中心を抉られるも、体勢を崩さず踏みとどまる。
 再度、魔銃使いは忌々しい思いで舌打ちをした。
 
『あの子は渡さない。……私の大切な愛おしい子は、貴方なんかに渡したりするもんですか』

 交渉決裂。これが母親の出した答えである。
 強い母親の愛情。それは魔銃使いの怒りにへと触れた。

『……大切。…………大切……だと?』

 親が子を想う愛。その愛を目の当たりにし、言葉でも思い知らされた。
 その途端。炎上する周囲などかき消すほどの冷たい圧をエリーは全身で感じ取る。
 クロトが毛嫌いしているものを知っている。だからこそ、これはクロトという魔銃使いの怒りを買った。

『……っ。お前みたいな女は反吐が出るほど嫌いなんだよ。必要以上に大事そうに、自分の子供を見ているその目が、ゴミみたいな感情がっ! ――みたいなお前は、確実に殺したくなる!!』

 魔銃使いは、母親を完全な敵と見なした。
 銃口は道を阻む母親にへと向けられ、死の刻印を刻むために火を噴く。 
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