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第七部 三章「信じる者」

「盗み巳」

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「……」

 なにもすることがないエリーは、ソファーのに居座り、浮いた足をぶらつかせていた。
 戻ってきたネアも部屋にいるが、相も変わらず距離をとってたたずんでいる。
 
「……」

 じっと様子をうかがうも、ネアが行動をなかなか示さない。
 きっと何か思い悩んでいるというのは、彼女の表情からなんとなく読み取れる。 
 しかし、詳細は不明だ。
 テーブルに置かれた焼き菓子に視線を切り替えるも、とても手を付ける気にはなれない。
 どうしたものかと思ったエリーは、深く考える事をやめた。

「ネアさん」

 突拍子もなくネアの名を呼ぶ。
 考えに耽っていたせいか、ネアは名を呼ばれた途端驚いた様子で目を丸くし、唖然とする。
 だが、それがなんだと、エリーは自身の隣をポンポンと叩く。

「お隣空いてますので、どうですか?」

「……いや、エリーちゃん……私は」

「いつもならネアさんから来てくださるじゃないですか」

「……それはぁ……」

 戸惑いながら視線を逸らすネア。
 変わってエリーは目を逸らさない。

「せっかくですし、お菓子も一緒に食べませんか? 私一人いただくのも失礼な気がして」

「私、今はそういう気分じゃ……」

「……それともネアさん。……私の事、嫌いになられましたか?」

 演技というわけではないが、エリーはしゅんとして問いかける。
 そっけないネアがついに堪え切れず、エリーとの距離を一気に縮めた。

「そんな事ない! エリーちゃん大好き! もうウチの子にしたいくらい大好きだから!!」

 ギュッとエリーを抱きしめ、これでもかと自分の思いをぶつけてきた。
 いつものネアだと、内心ホッとはする。
 落ち着いた頃には緊迫していた空気が緩み、ようやくまともにネアと会話できるようにもなった。

「ネアさん、どうしてこんな事したんですか?」

 マドレーヌを一つかじり、溜まりに溜まっていた質問を口にする。
 ネアがこの場に連れてきたのは明白。だが、どうしてそのような事をしたのかが引っかかっていた。
 ネアも気を緩めたのか、間を開けつつもエリーの問いには応える。

「……ごめんね。エリーちゃんの事考えずに、勝手な事して」

「いえ。でも、何か理由があるんですよね? でないと、ネアさんはこんな事しないと思いますし。……さっきの人とも仲が良くない気もしました」

 どう思考を巡らせても、ネアが快くこういった行動をとるとは思えない。
 よほどの事情がある。それだけしかエリーには考えられなかった。
 実際そうなのか、ネアは此処でならと頷く。

「お姉さんだってこんな事したくなかったわ。……でも、私には守らないといけない子たちがいるの。エリーちゃんと同じくらい、大事な子たちでね、お姉さんが暮らしている場所の子たちなの」

「……ネアさんの、暮らしている場所。クロトさんが言ってましたけど、確か女の人だけの村でしたっけ?」

「なんだ、アイツそんな話覚えてたのか……。自分以外の事なんてどうでもいいから、てっきり忘れてると思ってたわ」

 呆れた様子でネアは鼻で笑った。期待などしてはいなかったが、覚えていた事には意外だったのか、話した直後、実は目を丸くしてはいた。
 
「アイツとはそこそこで厄介な奴だと思ってたけど、妙なところで覚えは良かったり、ほんとなんでそーなのかな~って、時々思うのよね。……でも、もうあんな奴とは縁を切れてせいせいしてるわ。元々、私とアイツって情報屋と依頼人な関係だったし、ずっと続くなんてないのよ。今回がその時だっただけ。男と長く関わるもんじゃないわね……」

 清々しい様でネアは肩の荷を下ろした気分でいた。
 しかし、ネアにはその様子をそのまま受け入れる事に戸惑いを感じてしまう。
 ネアの衣服を引き、エリーは彼女の視線を自身に向けさせた。

「……ネアさん。困ってらっしゃるんですか? ……その大事な人たちを守るために」

「……」

「私、ネアさんみたいにすぐ人の事を知る事はできません。でも、今のネアさんはなんだか無理をされてるようにも見えます」

「……」

「クロトさんたちとなんとかできないんですか? 私は此処にずっとはいれません。クロトさん……約束してますから」

 ――一緒にいる。
 エリーにとって、何よりも優先すべきクロトとの約束だ。
 ネアもその事は理解していた。エリーがクロトのためを想い、そして彼女はそのためにこれまで危険な経験もしてきた。
 少女の約束は、少女の願いでもある。その願いはネアにとっても叶えてやりたいものだ。
 それは少女のこれまでの生い立ちから考えれば、ネアとしては当然でしかない。
 ……だが、それは許されない。
 そう、心の中で自分に言い聞かせるが如く、ネアは首を縦には降らなかった。
 
「ごめん……エリーちゃん。私は、アイツらとは協力できない」

「……」

「あの子たちのためだけじゃない。……エリーちゃんのためにも、私はもう、アイツらと一緒にはいられないの。……だから、アイツらがもし此処に来たとしても、私は戦う。私はアイツらよりも強い。例え不死身でも、中身までは人間と同じだもの」

 不死身なら死なない。
 不死身なら殺しきる事はできない。
 それでもネアには勝算があった。
 
「――どんな生き物でも、心をへし折れば無力だもの。……それが例え、不死身の魔銃使いでもね」

   ◆

 静かな夜風が、魔銃使いの髪を撫でる。
 使い魔の蛇を放ってから十分ほどが経過した。
 それまで静寂を保っていたニーズヘッグが、目を閉じたままようやく口を開く。

「……結構広いもんだな。外壁ぐるっと見渡したが、正門に見張りが二人。裏門もあるが見張りはなしか……」

 ニーズヘッグの瞼の裏では複数の蛇たちの視界が共有されている。
 手薄な裏門に一匹の蛇を忍び込ませ、少し辺りを調査させた。
 案の定、人並の重みが通れば落下するであろう落とし穴が見つかった。手薄なのは罠があるからだ。
 
「古典的だが、なんつーもん仕掛けてんだよ。しかも中は針地獄じゃねーか。殺す気満々か。屋敷の主は悪趣味と見た」

 外壁を超え、建物の周辺にある広間でも手厚い警備の数。まるで侵入者でも待ち構えている様だ。

「……電気女。こっちが来るのわかって教えやがったなぁ」

 続いて蛇たちはあらゆる隙間から屋敷内をくまなく探索し始める。外からでもわかっていたが、内装も広くある。
 ごてごてした金持ちの様をこれでもかとあしらい、目が痛む思いだ。すぐにでも休憩したい気分にもなる。

「うわ、きっしょ。そんで無駄に広いっての。……もうちっと蛇の数増やした方がよかったかぁ?」

『しかし、無駄に出せば見つかる。異端者に気付かれれば消されるからな。そのままでいいはずだ』

「……フレズベルグがそのままでいいってさ」

 そっけなくイロハが代弁する。
 フレズベルグの声はニーズヘッグには聞こえないため、イロハの行動は正しくあった。
 
「あんがとよ。……それにしてもひでーな。外も中も武器を所持した警備がうろついてやがる。どんだけ姫君渡したくねーんだよ? ……わかるけどな」

「どうでもいいけど、姫ちゃんいたの? いたなら早く先輩に代わってよ」

「余計な事言うなよっ、気が散るだろうが! 複数の視界を共有するのは結構疲れんだよっ」

「……言ってる意味よくわかんない」

『とりあえず、あまり話しかけるなという意味だ。しばらくは任せるしかない』

 フレズベルグに言われ、ようやくイロハは理解したのか黙る事にする。
 その手にはまだ弾の入った魔銃が握られており、いつでも打てるようになっている。
 だが、ニーズヘッグはそれに気を向けてなどできず、ただただ己の務めに意識を集中させた。
 壁と壁の間。人が入り込めない隙間にすら蛇は入り込み、姿を潜めて屋敷内部を進み続ける。
 どの階層にも警備はおり、これといって厳重な場所はない。探知も大幅でしかなく細かな場所まで把握できない。部屋の一つ一つを確認しエリーの場所を姿を確認するしかない現状。
 
 ――何処だ姫君。……できれば電気女と一緒にはいてほしくねーがな。

 淡い希望を願いつつ、一階を彷徨っていた蛇が更に下にへと進んだ。
 
 ――地下か? ……んなとこに姫君入れてたら屋敷の奴マジで焼くぞ?

 表とはうって変わって、地かはまったくの別空間だ。
 装飾などろくになく、進めば進むほど冷気が漂ってくる。蛇の動きが冷気に当てられ鈍くもなってきた。

 ――が、頑張れっ。確認し終わったらすぐ戻っていいから……っ。

 使い魔といえど、やはり蛇の本能には抗えないところがあるらしく、なんとか身をよじらせて進む。
 ようやく奥までたどり着いた蛇はぐったりとしてしまい、とうとう動きを止めてしまった。
 「よく頑張った」と褒める最中、蛇の視界はある光景を捉えていた。
 たどり着いた先にあったのは牢獄だ。なんのためにそんな場所があるのか疑問すらあり、一か所には人影が映りこんでいた。
 それは、身を寄せ合いながらいる二人の女性だ。
 一人はボーイッシュな短髪をした男勝りな雰囲気。
 もう一人は、正反対な気弱で泣き言を呟いている小柄な女性。

 ――なんで女がこんな所にいやがる?

 この時、ニーズヘッグは一度その場の蛇にのみに共有を切り替え、視界と聴覚を繋げた。
 最初に聞こえたのは、啜り泣く声だ。

『ひっ、うぅ……。どうしよう……、お姉様に私、迷惑かけちゃった……っ』
『泣かないでカーナ。ネア様は私たちのために頑張っているのに、そんな事言っちゃダメよ』

 ――……おいおい。あの電気女の事か? ……様って、何様だよ。

『きっとネア様が此処から出してくれる。私たちはそれを信じて待つの。ネア様だって言ってたでしょ? 必ず助けるって。カーナは悪くない。悪いのは、こんな事する奴らだから』
『……男の人は……嫌。早く帰りたい。……皆のいる村に』

 気付かれずにいた蛇は、この後姿を消し、ニーズヘッグとの共有を絶つ。
 会話から様子は察する事ができた。
 ニーズヘッグも「なるほど」と納得すらできるほどだ。
 ネアの突然の裏切り行動。その理由に、閉じ込められている二人の存在が絡んでいる。

「……急になんのつもりとは思ってたが、そういう事か。それならあの電気女の行動も頷けるな」

「なんの話?」

 やっと言葉を発したかと思えば、イロハにはニーズヘッグの言葉が理解できずにいた。
 詳細は後にし、再びニーズヘッグは他の蛇との視界を繋げ戻す。
 頃合いが良かったのか、一体がエリーの姿を映していた。

「お! 姫君いたいたっ。…………しかも」

 表情を曇らせる。 
 なんせその視界にはエリーだけでなくネアもいたからだ。
 淡い希望は無になり、落胆している時だ。天井の隅に潜んでいた使い魔とネアの目が合う。
 危機を感じるも、刹那視界を紫電が覆い、共有していたニーズヘッグの視界を攻撃した。
 同時に、全ての使い魔とのリンクが途絶え、その場でニーズヘッグは両目を手で覆い悶え始める。

「だっはーーッ!!? 容赦なく攻撃してきやがったあの女!! ふざけんな! 目が潰れるわ!!!」

 閃光弾でも目に浴びた気分だ。
 不死でなければ視覚を失うようなもの。両目を開け、視覚が正常かどうかすら確認するしまつ。

『どうやら異端者に偵察がバレた様だな。だが、姫を見つける事ができたなら問題あるまい』

「……でも、別の場所に行かないかな?」

 居場所がバレたなら、エリーが部屋を変えられてもおかしくないだろう。
 イロハの心配も考えられるが、逆にその可能性がないとも思える。

『いや。異端者がいるなら、相手が我々だと知ったところで動くとは思えん。逆に、下手な行動はバレやすくある』

「逃げるか迎え撃つ。やるなら、迎え撃つだろうな、あの電気女なら。……あの目、いつでも来いって感じだったぜ?」

 役目は終えるも、ニーズヘッグは何処か腑に落ちない表情をとる。
 使い魔もニーズヘッグが意識を乱したせいで全てが消えてしまった。だが、その映し出された幾つもの視界の一つ。エリーの姿に気を取られていたが、その片隅にあった視界には、妙なものを映していた気がする。
 
 ――なんか映していた気がするが……、なんだったんだ? 妙に嫌な気配はあったと思うが……。
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