言いたいことはひとつだけ

しずよる

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間章

森の中の孤児院 後編

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 数日後、二人は再び子どもたちへ会うために孤児院への道を進んでいた。二人の手にはそれぞれ大きな皮袋が握られている。この日は傭兵としての仕事が早く終わり、空いた時間を子どもたちと過ごそうというヴィクターの提案にルーノが乗った形だった。予定にない訪問に子供たちは喜ぶだろうと、ヴィクターは特に張り切っている。

「音がした。孤児院の方からだ」

 孤児院まであと数分という所で、突然ルーノが足を止めた。その表情はフードに隠れてよく見えない。だが、声の様子からただ事でないことは鈍いヴィクターでもすぐに察することができた。

「急ごう」

 ルーノが言い終わるよりも早く二人は駆け出していた。杞憂であってくれ、そう願いながら残り短い道のりをヴィクターは走る。たった一歩を踏み出すのがこんなにも恐ろしい。短い道のりが果てしないものに感じるのはこの恐怖のせいか。現実を早く確かめたい。だが、もし予感が当たっていたらと思うと心臓が凍りつきそうだ。きっと大丈夫だ、いつも通りの光景が待っているはず。子どもたちは二人の予想外の訪問に驚いて、またいつも通り楽しく遊べるんだ。

「う、そだろ」

 その願いは眼前の真っ赤な光景によって粉々に打ち砕かれた。建物は半壊、至る所から火が出ている。壁は粉々に砕かれ、支えを失った屋根は崩れている。だがそれだけならまだ良かった。視界を占める赤の正体は炎だけではない。逃げ惑っていたのだろう、あちらこちらに散った子どもたちは皆血溜まりに倒れ伏している。全員の損傷が酷い。中には腕がもげている者や、真っ二つにされた者までいた。その顔には例外なく絶望の表情が貼り付いている。

「だ、大丈夫!?」

 意味がないと半ば分かっていたが、それでも声をあげずにはいられなかった。だがもちろんヴィクターの呼びかけに返事はない。返事をできる者はその場にいなかった。子どもたちの元へ駆け寄り様子を見ていたルーノが目を伏せて首を振る。

「……手遅れだ。それと、リリアがいない。隠れてるのかも、探そう」

「分かった」

 悔しそうな顔をしながらもヴィクターはルーノの提案を受け入れた。非情な現実を受け入れ、切り替えるまでの速さは二人が場馴れしていることを示している。
 
「傷口は深く抉られたみたいだった」

「獣が出た?ありえない。ここには僕の結界が張ってある。人間以外が出入りできるわけがない。何が起きたって言うんだ」

 腕利きの魔術師であるヴィクターが自らの推論を否定する。ルーノもその可能性は端から考えていなかったようで、周囲を見渡しながら考えを巡らせているようだ。

「あそこ、見慣れない足跡が残ってる。追おう」

 ルーノが指さした方向には茂みに入っていくかのように足跡が伸びていた。大人複数人分のものに加えて、奇妙な形のものがある。一体ここで何が起きたのか、何が子どもたちの命を奪ったのか。二人は足跡が向かったであろう方向へと歩き出す。ルーノは腰に下げた剣にいつの間にか手をかけていた。

「キシャァァァ!」

 甲高い獣の咆哮のような音が向かう方向から聞こえた。続けてドシン、と何かが倒れる音も。

「ルーノちゃん!」

 ヴィクターが横を向こうとした時、一陣の風が吹いた。それが相棒が巻き起こしたものだと気づく頃にはルーノは既に茂みを抜け、音の正体へと辿り着いている。

「うわあああ!」

 そこには異形の獣と、学者のような格好をした数人の男たちがいた。両者は戦闘に入っているようで、学者たちは逃げ惑っている。加勢に入るかルーノが一瞬悩んだその時、視界が違和感を捉えた。

「ん……?」

 獣の大きな体躯に似合わない細い足、その片方には靴が履かれている。獣が靴を履いているというのも妙だが、ルーノにはその靴に見覚えがあった。それは、ルーノがお土産として渡した、リリアがお気に入りだと言っていた靴。なぜ眼前の獣がそれを?

「リリア……?」

 思わずリリアの名前が口をついて出たが、それは有り得ない。彼女の異能は姿を変えるだけのもので、戦闘力は皆無。それに、心優しい彼女が、見ず知らずの学者たちはともかく孤児院の仲間を傷つけるはずがない。理性を保っていれば。

「まさか」

 ルーノの脳裏にひとつの仮説が浮かぶ。それが真実であればあまりに残酷で、だが眼前の光景に仮説を否定する材料はひとつも無かった。

「たす、け」

 最後の一人になった学者がこちらに気づいたようで助けを求めてくる。だがルーノが動くことは無かった。むしろ獣が動かなければ彼女が斬りかかっていた可能性すらある。

「くたばれ、帝国の犬」

 ルーノが吐き捨てると同時に獣の爪が学者を切り裂いた。断末魔が響き、獣は次の獲物を見つけたと言わんばかりにこちらを覗き込んでくる。

「グル、ル」

 その赤い眼には鋭い敵意の光が見える。だがルーノは剣を抜かなかった。抜けなかったという方が正しいかもしれない。

「大丈夫、ルーノちゃ……。っ」

 背後からヴィクターの声がした。普段は鈍いはずの相棒はこんな時に限って何が起きているかを瞬時に把握したようで、言葉を失ってしまう。帝国の学者、異形の獣、そして獣の足に履かれた靴。それらが示すことはひとつしかない。

「私は大丈夫。だけど」

 その時獣が突然倒れ伏した。ドシン、と地響きがする。見ればその体は煙を上げながら縮み始めていた。苦しそうにうめき声をあげる獣、その声が徐々に聞き覚えのあるものに変化していく。数秒後、目の前に倒れ伏しているのは異形の獣ではなかった。

「リリア!」

 ルーノが獣のいた場所へ駆け寄っていく。そこには少女の姿があった。

「ルー、姉……?」

 リリアが駆け寄ってくるルーノへ目をやる。その赤い眼には確かに理性の光があった。ルーノが彼女の元にたどり着き、抱き上げようとしたその時。

「ゴフッ」

 リリアの口元が錆びた赤に染まった。自分に何が起きたか理解できていない表情のリリアとは対照的に、ルーノとヴィクターの顔には絶望が浮かぶ。彼女の身に何が起き、そしてこれから何が起きるかを悲しいほど正確に理解してしまっているからだ。

「あれ、わたし……ゲホ、ゴホッ!」

 激しく咳き込むリリア。呼吸は荒くなり、咳をする度に大量の血を吐いてしまっている。容態が深刻なのは一目瞭然だった。

「ヴィクター!」

「もうやってる!けど……!」

 悲痛に叫ぶヴィクターの背後には無数の魔法陣が浮かび上がっていた。それらは現れては輝き、輝いては消えを繰り返している。魔術を行使しているらしいヴィクターの額には汗が滲んでいた。

「回復魔術の効果が出るより、体が自壊する方が早い!この症状、あいつらリリアの異能を引き出すために」

「……相変わらず最低なやり口だね」

 二人の脳裏に浮かんだのはこの帝国にまつわる黒い噂。この国ではある組織、一説によると国の上層部のお抱えらしいそれが異能の研究のために人体実験を繰り返していると言われている。研究対象は生きては帰れない、とも。

「思いだした。わたし、みんなを」

「喋らなくていい!」

 リリアの眼から一粒の涙が零れた。自分が暴走させられていた時の記憶が残っているらしい。それはあまりにも残酷な事実で、ルーノはリリアの身を案じながらも半ば怒りの滲む声で叫んでいた。だがリリアの吐血は止まらない。顔色はどんどん悪くなっていく。もう手の施しようがないことは、これまで戦場で何人もの人々を看取ってきた二人にとって火を見るより明らかだった。

「じゃあ、みんなとはもう、会えないな。私は地獄に、ゲホッ!落ちるから」

 死に瀕しているリリア自身も現状を直感的に把握しているようで、口をついて出たのは諦めの言葉。返す言葉など思いつきはしない。ただ腕の中から零れそうな小さな命を抱え、繋ぎ止めることに必死だった。

「ねえ、ルー姉、ヴィク兄。だいすき」

 木々のざわめきに紛れそうなほど小さく呟かれた言葉を二人は聞き逃さなかった。それぞれが顔に怒りを、悔しさを貼り付けながらも言葉を絞り出す。

「私もだ」

「……僕も、だよ」

 からりと晴れた空の下、一陣の風が吹く。夏は終わったばかり、木枯らしにはまだ早い。だが二人の頬を撫でたそれはひどく冷たく感じられた。
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