Jet Black Witches - 2芽吹 -

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第9話 イルと母親

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「さてと、イルちゃん。私、耳が良いものだから、全部聞こえていたの。話せる範囲でいいから、イルちゃんとご家族、周囲の状況等を教えてもらえると嬉しいな、って思うの。今日の癒やしもそうだけど、何かしらのお役に立てるかもしれないじゃない?」

 ソフィアは事情を引き出すために優しい口調でイルに語りかける。すると、イルには思うところがあったのか、纏まらないながらも、視線を迷わせては、思い付くままに、つらつらと言葉を零し始める。

「……私は……みんなから……しっかりしている……ってよく言われるの……元々そういう資質に……恵まれていたこともあると思うけど……私は……日々を精一杯……生きている。……だから今では……大人の人とも言い負けない……くらいの思考力、判断力、常識や話術……を自己研鑽……してきたつもりなの」

――イル自身の話だけど、やはりすごいなぁ。
 マコトは心内でそう呟きながらゆっくりと頷きを繰り返す。

「私の家族……というか、私の一族は……私とお母さんの2人きりなの……3年前にお婆ちゃんが亡くなって……みんなお婆ちゃんが大好きだったから……一族総出でお葬式に向かったの……2日がかりの遠い所だったから……バスをチャーターしてね……そんなとき……間が悪く……流行病に私がかかっていたから……付き添うお母さんと2人だけ……行けなかった……でも向かったはずのお葬式には誰も現れなかった……なんでも……暴力団だかテロ組織だかの抗争に巻き込まれたとかで……バスの燃料に引火爆発したらしくて……お父さんと弟たち……を含む……一族をいっぺんに失ってしまったの」

 イルの言葉をつぶさに傾聴するマコトは、イルの話す情景や境遇に触れ、どっぷりと心を揺り動かされたようで、唇を震わせ瞼も小刻みに揺れる。
――そんな大変な過去があったなんて。
――これまでイルは全然表に出してないよ。
 などと言葉にならない声が心を駆け巡る。

 イルの瞳も揺れる。必死に堪えながら話してきたものの、気持ちの昂ぶりは抑えきれなかったようで、唇がやや震え始める。軽く唇を引き結び、一呼吸を入れてイルは続ける。

「そこから……一族のさまざまな借金を背負い……私を育てるために……お母さんは寝る間も惜しんで働いた。そこからは想像しやすいと思うけど……身体を酷使するお母さんは……次第に身体を壊しつつあって……今では病み臥せる割合が増えてきているの。私はそんなお母さんの助けになりたいから……自分を高める努力……を重ねて今の私がいるの……今では大人顔負けな能力も備わってきていると自負しているけど……世間から見れば……私はただの子ども……でしかなくて……少しも稼ぐことができないの……ずずっ」

 マコト、ソフィア、ジン。耳を傾ける面々に対して、積み重なる思いは痛切に伝わる。

 イルの瞳は次第に潤みを帯び、瞬きの頻度も徐々に増していく。胸の前で拳を握りしめ瞼を閉じて、心を落ち着けるように一呼吸を入れ、イルは続ける。

「それと、お母さんから見ても大切に思ってくれている実の子どもだからか……うちの負債……のことや、自分の身体の状態……なんかは一切教えてくれないの……だからお母さんの本当の状態を知らないのが実情……でもかなり良くないと思っているの。お母さんを大事にしたいのに……ぅぅ……長生きして欲しいのに。力の無い自分が悔しくてたまらないの」

 心の叫びのありったけを吐露すると、イルは次第に俯きつつ、語りながら噛み締めた悔しさが、そのまま大粒の涙となって溢れ落ちる。ぼとっ。

 ズズッ。
 スンスン。
 ジュルジュル。

「イルぅ、イルぅ、イルイル、イィルゥーっ。やっぱりイルはすごい子だったーっ。イルぅ、頑張ったねーっ。ジュルジュル。ハダビジュー。ティッシュー」

 感極まってマコトは涙と鼻水が大洪水だ。よく大人が子どもに向けて使う『健気』という言葉なんかじゃ収まらない、どこまでも深い思い遣りと頑張り。子どもの抱え込む範囲を何もかも通り越してしまっているイル。

――イルはもっと報われなきゃだよ。
 目がウルウルで喉と鼻がグジュグジュ、気持ちも昂ぶり言葉にできないマコトがそう思っていると、それを見透かしたかのようにソフィアが代弁する。

「イルちゃん、偉かったねー。あなたはもっと報われるべきだわ。パパ、それでいいわね? ススン」

 ソフィアはもう完全擁護の姿勢のようだ。続くジンも同意の表情を見せる。

 同じ気持ちでいてくれることがちょっと嬉しく誇らしささえ感じるマコトだ。
――うん。そうだよ。うん。
 涙が溢れ喉がぐずつき言葉に出せないマコトは、口元を押さえながら何度も心で呟き頷きを繰り返す。

「あぁ、異論はない。オレは全力で助けたい。イルちゃんはうちの娘にしたいくらいだよ。ズズッ」

 ジンも自身の意見を返すが、至極真面目な話題のはずのところにソフィアはツッコミを入れる。

「マコちゃがいるでしょ? それにイルちゃんのお母さんはどうするのよ?」
「第2夫人とか?」

――なんか違う方向に話が向かっている気がするけど、イルを思ってのことだからまぁいいや。
 そう思いながらマコトはその場を静観する。

「うぐっ、とってもいい案ね。日本もN国も、たぶんこの国も、一夫多妻はやってないわよ。新しく王国でも創るのかしら?」
「あ、あぁ、そうだね。それもいいけどやっぱり柄じゃないな」

――それもいいんだ。王国なんて創れるものなの? ……うーん。
 と思いながら、なぜだか話の違う展開を見せているところにまんまと乗せられたのか、マコトは気持ちのぐずつきもしだいにほぐされていく。

「ソフィアのところは無理だろうけど、うちの実家で養子縁組みとかってできないかな? それができれば義兄弟で、マコトとイルちゃんも義理の従姉妹になるのでは? むぅ」

 話がどんどん進んでいく様子を目の当たりにしながら、マコトの脳裏にも様々な疑問が駆け巡る。

――まさかの親戚化計画?
――突拍子もないアイデアだけど、そんな方法があるんだ。マコはもちろん大賛成。
――目の前がパァーッと明るく開けた感じ。
――嬉しさがこれまでの心の境界線を突き抜けていく感覚だね。
 と、ゆっくりマコトの心の中も明るく転化していく。そうして心内もいつの間にか平常心に近い状況まで戻っていたマコトがようやく言葉を放つ。

「イルと親戚かぁ。わーい。夢広がるねぇ」

――でも、あれ?
 っと引っ掛かりを覚えたマコトは、ジンとソフィアに向けて疑問を投げつける。

「って、2人とも。イルのお母さん救えた気になってない?」

――お母さん本人の意志は何一つわかってないし、
――赤の他人、それも大の大人って、
――家族の垣根をそうそう越えられるものじゃない気がするんだけど……。
 と、尋ねた後にマコトの心内に疑問が連なる。

「あー、そうね。マコちゃにはまだ話してなかったし、やっぱり気付いていないよね?」

「え?」
――何の話? さっぱりわからないけど。
 と首を傾げるマコトの表情を確かめると、直ぐにソフィアは続ける。

「あ、いや、本能的に気付いているとも言えるけど、マコちゃとイルちゃ、あ! そう呼ばせてもらってもいいかしら?」

「いいですよ。好きに呼んでいただいて」
「あー、話口調も崩していいわよ、イルちゃ? マコちゃと同じくらいで」
「いえ、そんなぁ」

――だって、もうイルは家族みたいなもんだって、
――マコの家族全員が公認しているようなものだからね。
 と心で呟き、表情は満面の笑みに包みながら、遠慮がちのイルにマコトが口を挟む。

「ママがいいって言ってんだからいいんだよ、イル。少なくともウチにいるときはママだと思ってもいいんじゃない? あー、それでもママとはさすがに呼べないだろうから、うーんと、ママの名前はソフィアだから、愛着を込めて、たとえばソフィーなんて呼ぶのはどう? ママ」
「あ、それいいね。ひとまずそれで呼んでちょうだい」

 ソフィアの同意も得られ、状況の変化に一瞬、目を見開くイルだが、息を漏らしながら目を一度ゆっくり閉じて、視線を起こし、マコト、ジン、ソフィアと視線を移すとイルは返事を返す。

「わかりま、ゴホン。わかったわ。ソフィー」
「うんうん。距離が近付いたようで嬉しいわ。それでね、マコちゃ。あなたとイルちゃ、とっくに親戚かもよ? って話よ。ずいぶん遠いかもしれないけどね」

 ようやく話題が戻されたと思うマコト、その意表を再びソフィアは突いてくる。

「・、・、・、・、は?」

「あら? マコちゃ、一瞬見ないうちに、もうお婆ちゃまかしら? 耳遠くなった?」

「いやいや、耳はママにも劣らぬ地獄耳ですけど?」

――これは一体、何の問答?
 マコトは何度か小さく首を傾げては視線を惑わせながら、その脳裏では「はてな」が激しく飛び交っている状態のようだ。

 そんなマコトの様子に笑い出しながら、ソフィアは説明を付け足す。

「アハハハ、だから気付いてない、って言ったのよ。イルちゃのお婆ちゃんは、シャーマンだったって聞いたでしょ? そして、マコちゃにはイルちゃのオーラはどんな風に見える? 紋様は?」

「あ! ……なるほど。主張しない控えめな感じだったから、紋様は意識してなかったなぁ。そうだね。遠いどこかの時点で別れたことは間違いなさそうだけど……」

 やっと気付いて言い放った後に、思うところのあるマコトは心内でポヤキ始める。
――もう! ママはたぶん、というか、絶対に意地が悪いよね。
――最初からそう言えばいいのに。
――『オーラ』と『紋様』と聞けば、他の人にはわからないかもしれないけれど
――マコにはピンとくる話題だ。
――認識を改めて、イルの纏うオーラをマジマジと見れば、確かに頷ける。
 そんなポヤキを心の中で垂れ流すマコトだったが、ふと、以前のシャナの発言にあった一子相伝の系譜が頭をよぎり、そうならそれよりも前かと想像し、そのまま尋ねる。

「……シャナよりも前にってこと?」

「ああ、一子相伝の話ね。その可能性は高いけど、絶対じゃないわよ。それとマコちゃは弟と妹、どっちがいい?」

――ちょっと、ママ! 今の大事な話のつもりでいたけど、
――そんな簡単にぶった切って、今度は何の話? 話の振り幅、大きすぎだよ!
 そんなことをマコトは心の中で大きく叫びつつ、言葉に出しながら、ある気付きが芽生える。

「なんの話よ。。。え? ま、まさか?」

 マコトは、一瞬置いてピンときた。以前からときどき、兄弟が欲しいなぁって言ってたことを思い出したのだ。
――その回答なの? え? えぇぇ!
 と驚き戸惑うが、一瞬遅れて心の認識が整うと、あとは嬉しさが込み上げるばかりだ。マコトの顔はくふふ、と少しニヤけ面だ。

「まぁ、その話はまた今度ね」
「うん、にへへ」
「一体なんの話してるの? さっぱり見えてこないよ」

 疑問を唱えるイル。マコトは突然イルに抱きつく。

 抱きついた理由は、マコトの嬉しい気持ちを実感する意味と、喜ぶ表情を見られる照れくささを隠したかったのだろう。何よりも、同時多発の嬉しさに何もしないでいられないマコトだった。
――イルはお姉ちゃんみたいなものだけど、今のイルにはわからない話だから、
――咄嗟に抱きついたのはたぶん嬉しい気持ちを逃がす捌け口かな?
 そう心で呟きながら、マコトの抱き締める力もキュッと強まる。

 嬉しい気持ちは何故か連鎖するようで、何かをしてみたい衝動に駆られたマコトは抱きついたイルの匂いを大きく吸い込んでみる。いい匂いだからと、余計に幸せ感も増していき、頬も釣り上がる。マコトはニマニマが止まらない状態だ。

「イルとマコはとっくに親戚だったかも? って話。そう考えると嬉しくなってきた。だから自然に惹かれるものを感じたのかな? それとも同じ匂いがしたの?」

 マコトの頬が緩む。
――そんな嬉しさ隠ししようとするのはマコの習性?
 そんな思いを巡らしつつ、マコトは、クンクン、と声に出しながらさらにキュキュッと抱き締める。

「親戚? ? 匂い? 私って匂うの?」

 キョトンとするイルだが、匂いと言われれば、女の子ゆえの羞恥心みたいなものが発動する。途端に自分の肩や手、お腹などに視線を飛ばしながらも、そんな瞬間的にそれぞれの匂いを嗅ぎ分けられるはずはないが、スンスンと吸い込む素振りのイル。そうせずにはいられなかったのだろう。

「違う違う。たとえだよ。でも何? イルってば、なにか匂いがするの? クンクン?」
「いゃー、やめてー、嗅がないでー」

 必死なイルが皆の目に微笑ましく映る。すっかり気持ちの高揚も収まったみたいだからと、
――あとは大丈夫なことを伝えなきゃ
 と、マコトは取りまとめる言葉を発する。

「じゃあ、そういうことで、後はママがいて、最悪パパが控えているから大丈夫ってこと」

 なんとも雑な取りまとめ方のマコト。それを聞かされるイルは困惑を隠せず困り顔で答える。

「何がどう大丈夫なのかわからないよー」

――ああ、そうだね。イルのわからないは当然だ。説明付け足さなきゃね。
 マコトはそう思いながら、少し内容を膨らませて説明していく。

「ママの癒やしは見てなんとなく知ってるでしょ? それでなんとかできなかったときは、パパがなんとかしてくれるってことだよ。パパはすごいらしいよ。どうやるのかは知らないけどね」

 確かに文字数は増えたが、説明の雑さ加減はさほど変わらなかったようだ。聞かされる側のイルは、懸命に教えてくれたマコトにどう突っ込んで良いかもわからず「……ははははっ……」と苦笑いを浮かべる。

 マコトの言葉が、ざっくり曖昧過ぎる説明だったことと、自分が何かをするような内容だったからか、ジンがピクリと反応し、補足説明を加え始める。

「あ、うん、まぁ、そこは最終手段で、それを選択するには、越えなきゃいけない壁もあるし、絶対うまくいく保証はないからね。まぁ、状況にもよるけど、要件的にはおそらくは大丈夫だろうと思ってる」
「まぁ、そういうことで、イル君。あとはママたちに任せておけば大丈夫ってことだよ。でもパパ? 壁ってなぁに?」

 マコトはあまり細かいことは気にしないたちだからか、小さな疑問ならば、これまでもいちいち聞くようなことはなかった。しかし、改めて聞いた『壁』の単語になぜかひっかかりを憶えたようでマコトは尋ねる。

「あぁ、それは、勝手にはできないから許可を得ないといけないものがある、ということだよ」

 ジンは疑問に答えてくれたが、今度は『許可』の単語が気にかかるマコト。

「許可って何の?」

「そ、それは、子どもは気にしなくてもいいんだよ」

――なんか慌てる感じからも濁された気がするけど、説明すると長くなるから略したいのかな?
 そう思ったマコトは、以降はいつも通りに疑問を引っ込める。

「ふーん、うまくいくのならまぁいいや」

 ジンもソフィアも、なぜかホッと胸をなで下ろす。

 マコトは、いつもそのくらいで流してしまうようだが、今回はそこにイルが食いつく。

「あ、あの、それって、もしかして、そのぉ、男女の機微なお話ですか?」

――え? 男女? あれ? イルには話の向こう側が見えてるの?
 これまで似たような状況では、すぐには見えてこない不透明な状態から明瞭化させるために聞き出すことを面倒臭く感じて流してきたマコトだったが、イルには既に見えていることへの驚きの言葉が頭を巡る。

「あ、あのね、イルちゃ。そこはいつかきちんとお話するから、時間もないし今は流してほしいな? えーっとね、決して悪いようにはしないし、ならない。私たちはあなたたち親子の明るい未来を願っているだけなのよ」

「わかりました。いえ、していただけることになにか不安があるわけでも、ましてや不満があるわけでもありません。もう全面的に信頼しています。ただちょっとだけ機微な香りにドキドキしてしまっただけなので。あ、その、悪い見方ではなくて、母の生きるために忙殺されている姿ばかりを見てきました。それにけっこう堅物なんですよ。母も女ですし、たまにはそういうご褒美的な何かがあると生きる喜びを感じてくれるかも? あれ? 私ってば、なんて恥ずかしい。こちらこそ、流していただけたら嬉しいです」

――んーん、複雑ななにかがあるっぽいし、
――イルにはなんとなくな想像がついているみたい。
――その辺りの知識はイルは進んでいるから、今度聞いてみようかな?
 マコトは結論としてそう思い描き、ひとまず先送りにすることにしたようだ。

「まぁ、ありがとう。あなたも、とても子どもとは思えない思考力を持っているのね。いろいろと楽しみだわ」

「あ、ありがとうございます。でも、さっきは自分のことばかり話したけど、マコちゃんに出会って打ちのめされたんです。マコちゃんは2つも年が下のはずなのに、何から何まで凄すぎて、驚かされっぱなしなんです」

――ありゃ? ボケっと聞いてたらマコにお鉢が回ってきた。あやや。
 そんな風に内心あたふたするマコトは、イルのほうが断然凄いと思っていること、またその凄さならいくらでも言えるからと、間髪入れずに切り返しの言葉を放つ。

「ええ? イルのほうがすごいよ? 総合的な判断力や、手際の良さ。マコより遥かにすごい人がいることに、びっくりしてるんだよ。それなのに、物腰も人あたりも良いでしょう? 周りはみんなイルのこと大好きなんだよね。むふふん。すごいでしょ?」
「あらあら、ドヤ顔? なんでマコちゃが自分のことのように自慢するのかしら? マコちゃもイルちゃが大好きなのね?」

――あ! うん、そうだね。
――マコはイルがすごいことがどうしてなのか嬉しいんだよね。
 そう思いながらマコトはソフィアの言に嬉しそうに頷きを繰り返し、大好きを問われたからさらに付け加える。

「え? あ? そ、そうだよ。自慢のおねーちゃんみたいな? そんでもって、この可愛さ! もう反則級だよね。イル、大好き!」

――なんてったって可愛いし、
――あたりが良すぎて吸い寄せられるように思わず抱きしめたくなるもんね。
 そうマコトが思っていると、イルは何か言いたげな表情をしたあと、一息置いてつらつらと語り始めた。

「うふふ。ありがとう。でも、私がすごく見えたとすれば、それは、必死に培った努力の成果だけど、突き詰めれば、培ったからこそ身に付いたルーチンワークでしかないのよ」
「ん? ルーチンワーク?」

――新しい言葉だ。イルの頭の中はどうなっているの? 
――またすごい論理展開が始まりそうだ。ワクワクしてきたぞ。
 マコトは、イルが何かの思考を凝らす状況で放つ言葉が大好きだった。話にはちゃんと骨子があり、キチンと表現してのけ、最後に少しだけ驚かすようなスパイスが含まれていて、最後まで興味が尽きない話をしてくれるからだ。今回もどんな話が出てくるのかと、既にワクワクしている状態だ。

「たとえば、陸上の短距離選手が速くなるために筋力を付けて、研究と実践を日々繰り返して身に付けた無駄のない洗練されたフォームをもってすれば、誰にも負けない速さを手に入れることができるのね」
「うんうん」

「そう、それは力と技を極める努力を重ねた結果の賜物なの。すると何をどう努力すべきかの最小限のエッセンスのようなものもわかるようになって、そんな力や技を維持し、さらに磨きをかけるために、怠らずに繰り返すことがルーチンワークなの。それさえ怠らなければ、誰にも負けるはずはなく、みんながスゴいって誉めてくれる」
「なるほど。スゴいよ、イル」

 マコの反応を見届け、一息ついてイルは話を続ける。

「それなのに、ある日突然現れた天才スプリンターに、ムチャクチャなフォームなのに、バネのような脚力をもつその人に、いとも簡単に置き去りにされてしまうの」

――なぜかイルはマコにチラチラと視線を送っている気がする。気のせいかな?
 イルの表情を気にしつつも、続きが気になり、端から見れば催促するに等しいワクワクの笑みをマコトは放っていた。

 それを見たイルは、わかっていないことに少し困った表情を浮かべつつも、次を促すような視線に絆され零す笑みを抑えられず、フフと漏らしながら続きを話し始める。

「天賦の才。努力できることも含めて、私のためにある言葉だと思ってたわ。現に誰にも負けたことは無かったし、負けるつもりもなかった」

――イル、カッコよい。
――そうそう、話の中にこんな惚れ惚れするような場面があるからかな? 
――すっかり惹き込まれちゃうよね?
 そんな感想を頭に巡らせつつ、マコトはイルの話に聞き入っていた。

 すると、ここでイルはマコトを正面に見据えて話し始める。

「でもあなたに出会って、気付かされたの」
「へ? マコ?」

――え? なになに? マコは何か言ったっけ?
 疑問は湧くが、続きが気になるマコトは再び聞き手に戻る。

「私の中には、自分の能力の段階的なアウトラインというものがあってね。普通ならこれくらい、ちょっと力を出すとこれくらい、本気ならこれくらい、みたいなのがあって、普通レベルでも周りの子には凄すぎるらしくて、少し抑えたレベルで周りと接しているの」
「あ、うん、それわかる」

「するとどう? 私より2つも下の、しゃべり始めてまだ日が浅いはずの幼い、しかも可愛い子が、幼く可愛らしい、それでいてよく通る声で、ことの核心を突く言葉を放ち、何が悪くてどうすべきかを解きほぐし、そこで「こうしなさい」ではなくて、関係する各々が、「じゃあ、こうすればいいよね」っていう解決案を導き出す。この各々は解決案を出した自分はすごいでしょ? 的な態度で、その幼い子はその子をひたすら誉める」
「へー、知らない。そんなすごい子もいるんだ」

――気のせいかな? イルは僅かに眉を顰めた気がしたけど。
 イルの反応に一瞬の違和感を感じたマコトの心にはそんなわだかまりが残るが、引き続きイルの話に耳を傾ける。

「一見、自分たちで悩んで解決したテイなんだけど、状況を聞き取り、理解し、本質を見定め、いくつかの解決案の糸口を提示して、自分たちの考えの中で皆が等しく本質理解と現状打破への脳内シミュレーションができる土壌へと引きずり込んだ上で、解決策を吐き出させ、みんなが納得するシナリオに落ち着く、そんな流れを作り上げて、見事にゴールまで導いてのけたのは、各々ではなく、その幼い子の手腕だとみてるの」
「エー? 誰? マコの知らない子なの?」

――あれ? 今度はちょっと呆れ顔のイル。マコは何か地雷踏んじゃった?
 今度はあからさまに表情に表すイル。マコトの心はやや毛羽立つ様相だ。そしてそれでもイルの表情が示すものがわからずにいた。

「もー、どこまで天然なの? マコちゃん、あなたのことしか言ってないでしょう?」
「え? わたす?」

――きょとん、だよ。イルは何を言ってるの?
 本気で話が結びつかないマコトの脳裏はぐるぐると渦巻く状況だ。
 すると、その場の空気を見かねたソフィアが笑みを浮かべながら介入してきた。

「うふふ。イルちゃ? 不思議に思うかもしれないけどね、これがマコちゃの素なのよ。マコちゃ的には確かに現状や打開策みたいなものを見いだす能力はあるみたいだけど、それをうまく言葉にするには経験不足のせいで、カタコトみたいな説明になるみたいなの。でも周りからすれば、それが超絶ヒントになって、なんかうまい具合に解決に向かうみたいよ」
「え? そうなの?」
「うんうん。そうそう。イルは買い被り過ぎなんだよ」

――だってマコはそんな大それたことしてないと思うもん。
 そう心に漏らしながら、何も自慢することがあるわけでもないのに、マコトはフフンとドヤ顔の状態だ。

「それがほんとならもっとすごいことだよ。マコちゃんの天然具合は、今は幼いから誰も思わないけれど、もう少し年を重ねると、それをあざとい、って捉える輩も存在するのよ。でも同じ時間を過ごすことが多くなって、邪心なんてまったくないことが良くてわかって、私も天然であることは確信してはいるの。なら、結論が見えているものなのに、なぜそれを言葉にして伝えないのかな? って。でもそれが幼さゆえの経験不足な会話術なのだ、ってことも理解できた。だから、それが備わっていくこれからがすごいことになる、その予感が怖くなる。あ、悪い意味じゃないよ? もう一つは、結果的に人心掌握と人心誘導というすごいスキルを知らず知らずのうちに身に付けていること。その成り行きを見てきて思うのだけれど、何かを思い、それを他人に伝えることの難しさは嫌というほど知っている。いかに素晴らしい考えをもってしても、みんなが同じ考えに至ることはない、ということも。でも、さっきも言った、皆を同じフィールドに引きずり込んで、問題点を等しく捉えさせ、各々の理解へと導く。それができないから、なかなか世の中は難しい。けれど、マコちゃんの能力ならその根本改善に繋がるわけでしょ? それはすごいことだと思う。ただし、それに気付いた人が、洗脳とか言い出したり、その能力を悪いことに使いたい人も現れるから、また世の中が混沌と化する可能性も否定できないし。まぁ、稀有なすごい能力なのは間違いないね」

「うんうん。そこは別の人の話だね」

――ありゃ? 今度は少し残念そうな顔のイルだ。
 またしくじったのかとマコトの表情はやや冷や汗顔となるが、わからないものはわからないと、やや開き直りの表情に変わる。

「ア・ナ・タ・の・は・な・し」

――そそ、そうなの?
 またしてもそうなのか、と困り顔のマコトだった。
 イルは軽く溜め息を漏らすと、マコトを見て、ソフィアとジンを見やると話を再開する。

「話が脱線しちゃったけど、思考力も問題解決力もスゴいけど、そこに含まれる計算力や暗記力もすごいし、私の能力アウトラインの本気ラインをあっちこっち突き破るくらいのポテンシャルがあることを認識しているの。私も負けたくないから、張り合うつもりはないけど、自分の努力でなんとかできないか考えてみたの」

 イルの語りに少しのタメが入る。これまで少し俯きがちに懸命な素振りで話していたイルだったが、話し口調とその表情に気負いがスッと抜けたような柔らかなトーンに変化したことにマコトは気付く。

「そうするとね、考えれば考えるほど、マコちゃんの凄さが際立つばかりで、もう別格なんだなって。もちろん、他の誰かにまで負けるつもりはないから、努力は怠らないよ。でもね、自分の身の丈を知る良い機会だったし、そんな勝ち負けみたいなことはまるで考えてもいないように、私にこれでもかってくらいの眩しい笑顔を向けてくるマコちゃん」

 微笑み混じりの優しい表情でマコトを直視してくるイル。

――マコを褒めてくれているように受け取れるけど、
――そんなイルの表情はどこまでも眩しい可愛さだよ。
――キラキラが渦巻くイルの表情にウットリしてしまう。
――いやこれ、オーラ放っていない?
 話しかけてくるイルを見ながら、抱く好意の言葉は尽きることなく連なるマコト。

「そんな天真爛漫なマコちゃんを見てると、敵わないや、って思ってしまう。そしてそんな笑顔をずっと見ていたいと思う。守っていきたいって思う。たぶんマコちゃんに恋してしまったのかなぁって思うの」

――やっぱりイルはマコを少し買いかぶっている気がするけど、
――今のスッキリと落ち着いた表情のイルを見れば、
――ツッコミを入れるのは野暮な気がする。
 マコトはそのままイルの話の続きを聞くことにした。

「それに加えて、マコちゃんに出会えたから、ソフィーにも、その、パパさんにも出会えて、まだどうなるかはわからないけど、母にとっての未来が明るく変わるかもしれないこと、それから、その、急に知ることになった不思議な力? まだよくはわからないけど、神秘的すぎる世界を目の当たりにできる幸せ。そして私にも使える可能性が示された。もう普通では味わえないすごい人生になりそうな予感で、心がフルフル震えているのがわかる。もう私にとって、マコちゃんは規格外なのが当たり前なの。私は皆さんとともにある人生を選び取りたいと心から思っています」

 言葉通りにフルフルと震えるような感極まる話しぶりのイル。
――瞳の奥からキラキラが溢れ出しそうな笑顔。
――ここまで話しきれるイルの話術こそ凄すぎると思うけどな。
――これこそが学校の生徒や先生からも信頼を集める会話スキルなんだろうな。
――聞いてて惚れ惚れしちゃうよね。
 マコトはどこまでもイルが大好きだった。

「ありがとう、イルちゃ。アナタの考えがよーくわかったわ。マコちゃをこれからもよろしくお願いするわね。でもね、イルちゃ。まだまだ驚くことはたくさんあるわよ。覚悟しといてね」
「ひゃい、まだまだ、あるのね」

 おそらく、ここまで知り得た状況を言葉にできたことで、脳内で咀嚼できていたような満足感、それを言い放てた充実感の中にいたように思えるイルの満ち足りた笑顔だった。
 しかしまだまだと言われ、達成感の100%が30%くらいに押し戻されたことに慌てふためくイル。

――お互いまだまだ幼いんだし、達観するには早いんだよ? イル。

 これから知っていくはずの驚きを思い浮かべ、びっくりするだろうイルの表情を想像して、マコトも楽しくなってきたようだ。
――ああ、どんな表情でもイル可愛いなぁ。

「そだよ、イル。きっと楽しいと思うよ。わーい。マコもワクワク、ドッキドキーだよ」
「これがマコちゃんの通常運転なのね?」
「? ん?」

――マコはまた話題を外したのかな? 
――でも、今度は優しい笑みに包まれたイル。
――やっぱりイルは可愛い。

 話の区切りと捉えたのか、ソフィアが仕切りの言葉を話し始める。

――ここから行動開始となるはずだから、少しワクワクしてくるね。

「それじゃ、イルちゃのおうちに伺いましょう? 病に臥せているって、言っていたから、伺った方がいいわよね」
「かまわないですけど、その、貧乏長屋みたいに密集しているから、音漏れがすごいですよ。それに光ったりしたら、近所が大騒ぎになりそうな気がします」

――そそ、そうだね。確かに光ったりしたら皆びっくりしちゃうよね。
――そんな冷静な見方はうちの家族に欠けていたかも。
――さすがイルだね。ママも少し驚きの表情だもん。

「あー、そっかぁ。それなら、こっちの方が近所もいないし、こっちがいっかぁ。じゃあ、しばらくここに親子で住んでみる? こっちの方が不便も多いけど、気は楽かもね。それに看病がもし必要になっても、4人いるから負担も減るしね。パパ? お部屋って増やせそう?」
「仕切りを調整して、来客用の空気ベッドを設置すれば、うん。大丈夫かな?」

 状況の異なりに対応すべく、手早くと指示を出すソフィアと受け答えるジン。

「イルちゃ? お母さんは連れ出せそう?」
「たぶん遠慮したり、不安からの抵抗はあるかもしれないけど、皆さんの誠意が伝われば、来客の予定がないなら、たぶん大丈夫かな?」

――最後に超重要なこと、イルのお母さんが連れ出せるか否かのやりとり。
――さあ始まるね。
――次はきっとママが開始するための狼煙を上げるターンかな? 
――なんとなくそんな流れな気がするけど。
 そう心で呟きながらマコトは視線をソフィアに合わせる。するとソフィアは一瞬、うずっ、っとよく見ていなければわからなかった微妙な表情とタメの間隙に続いて言葉を発し始める。

「わかったわ。じゃあ、みんな。イルちゃママの奪還作戦開始だよ?」

――や、やっぱりね。
――今度の作戦名は、それでいいの? 
――まぁ格好良いけどね。
 そんなことを頭に思い浮かべながらも、最近はお約束とも言えるツッコミがマコトの口から無意識に溢れ落ちる。

「奪還? 奪いに行くの? 誰から?」
――あれ? そんな疑問持ってないのに……
――なんかパブロフの犬みたいな条件反射的に口が動いちゃった。
――もしやこれがイルのいう人心誘導? いやただのツッコミどころというやつ?
 などとマコトは少し慌てながらも、
――会話的に整った気がするから、まぁいいか。
 と心に整理を付けていると、ソフィアも予定調和な言葉を返してくる。

「アハハハ、気分で付けた作戦名だから、細かいことは気にしないの」
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