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第18話 乾杯
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警戒体制の交代シフトについての話が終わるタイミングを見計らって、紗栄子が声を掛ける。
「皆さま。機長から、他のサービス提供も、との指示がありましたので、可能な限りご提供させていただきますね。まずはお飲み物ですが、こちらのメニューからお選びください」
「あぁ、それなら紗栄子さん? 飲み物の一杯目だけは乾杯したい気分だから、紗栄子さんも自分用の飲み物を準備してもらえないかな? できれば、機長さん達ともやれるといいな」
「あ、少々お待ちください。機長に確認してみます…………あ、機長もやりたいそうです。今グラスを準備しますね。お飲み物は……」
「みんなアルコールは差し障りがあるから、ジュースか、烏龍茶でもいいよ?」
「わかりました。では乾杯だけは皆さん烏龍茶で」
飲み物が行きわたるタイミングで紗栄子は機長を呼びに向かう。
「機長、準備できました」
機長は操縦を副操縦士に預けて乾杯の場に向かい、既に準備が完了していることを確かめる。
「おお、ありがとう、片桐くん。スミスくんも準備はいいかな?」
「はい、準備OKです」
機長として、まずは説明義務があるものと、事件の経緯を語り始める……
「ではみなさん。通常は運行中にこのようなことはあり得ないのですが、今日ばかりは、私もルールや規範を超越したいと思います。何が言いたいかというと、いつもと同じようにルールや規範の縛りの中で行動していたら、私達は海の藻屑となり、今ごろは魚の餌になっ……」
……が、早々にパーサーからダメ出しを食らう機長。
「機長! 話が長すぎです! そんな長くコックピットを空けるわけにはいきませんよ?」
「お、そ、そうだな。ではみなさん、心より感謝いたします。祝! 平和奪還! 乾杯!」
「「「「「カンパ~イ!」」」」」
パチパチパチパチ。
「今のこのアクションの原動力たるジンさんが大活躍したのは周知の事実ですが、1人だけの頑張りでは到底成し遂げられない偉業だと思っています。ジェイムズさん達もソフィアさん達も、本当にありがとうございました。特にマコちゃん? 一番の危機を圧巻の力で屈伏させたと聞きました。あなたの活躍なしに今のこの状況は迎えられなかったでしょう。ありがとう」
「んはっ! マ、マコのこと? テヘヘ、あんまり憶えてないんだけどね? でも誉められるのは嬉しいな」
誉められることが苦手な照れ屋のマコト。突然話題に上げられ躱す術もなかったが、自身があまり憶えていないためか、それほど照れることもなく、素直な笑顔が振り撒かれる。
「ふふふ、やっぱり可愛らしいね、マコちゃんは。おじさんと一緒に帰らないか?」
「き、機長! ダメに決まってるでしょう! マコトはうちの大事な娘です!」
「こほん、言ってみたかっただけだよ。本気なはずないでしょう?」
「機長、目が真剣でしたよ? でもわかります。私も本気で連れ帰りたいくらいですもの」
「おぉ、片桐くん。わかってくれるか」
目の前の争奪戦のような状況に、念波でこっそり話を始めるマコト。
『だはっ? これが世に聞くモテ期ってやつなの? パパァ』
『そ、そうなのかもしれないが、ダメだよ。うっかり行くなんて言っちゃあ。みんな愛しい、最愛の家族なんだから』
またもジンの特殊効果付き念波が炸裂する。心の声だからある程度は仕方ないのだろう。
『ひゃぁぁ! パパのが一番響くね。こんなトークが聞けないところになんて行くはずないよ? パパ』
『んはっ、イルの心も震えました。それにしてもマコちゃん人気者だね?』
そう問われれば、マコトは可愛いイルも人気者に仕上げたくなるのが人情と勝手に思った。
『イルはまだ面識無いからだよ。紹介してあげるね?』
『マコちゃん? ちょちょ、ま……』
「機長さんに紗栄子さん? マコを気に入ってくれてすごく嬉しいです。でもマコよりももっと可愛い子がいるから紹介するね?」
『そそそ、そんな、ホントに紹介する気なの? は、はじゅぃょ、マコちゃん』
「こちらのストロベリーブロンドの可愛い子がイルちゃんです。マコのお姉ちゃん的存在ですごく聡明な女の子だからよろしくね? こっちにはいなかったけど、後部座席で監視業務をやってくれてたんだよ?」
『ひぇ~、勘弁して~』テレテレ。
「そ、そうなのか? ありがとう、イルちゃん。頑張ってくれてたんだね? それに、ほぅ、とても綺麗な髪色だけど、顔立ちもなんて可愛らしいんだ」
「イ、イルです。初めまして」テレテレ、モジモジ。
「え? その髪色と可愛らしさ。オマケに聡明とくれば、そうか君があのイルちゃんなのか? 初めまして、イルちゃん。私は市長のアーネスト ディランです。甥が君の話ばかりするからいつかお目にかかりたいと……そうですか。あなたもジンさんの関係者だったんですね」
「え? なに? いえ、私はそんな……」
「イル? イルはなんかすごい有名人みたいだよ? さっきも別な人からイルの有名さを聞かされたもん。そりゃそうだよね。イルは学校中で大人気なんだもん」
マコトの言葉にジンとサトルも便乗発言する。
「そうそう、さっきはイルの有名さでうっかり身バレしたくらいだからな」
「ほんとですよね。僕も知っているくらいですから。あ、お話しするのは初めてですね。イルちゃん、初めまして、ジャーナリストのサトルです」
「え? え?」
狼狽えるイル。ジェイムズ達も面白がって、ここぞとばかりに便乗する。
「そうか、君があの有名なイルちゃんだったのか。警察署内では、それでなくても今や伝説となりつつあるギャング掃討事件の被害者として有名なんだが、なんと同一人物だったのか?」
「そうですよぉ。ジェイムズさん。それ小さなお子さんがいる警察官の間では常識ですよ?」
「そうか、オレが知らなかっただけなんだな? アッハッハッハッ」
「え? え? え? なんでそんなに有名なの? みんな注目してて恥ずかしい……」
顔全体が見事に紅潮して、湯気が出そうなくらいのイル。目も潤みを帯びて、なんとも言えない微妙な表情になるが、そんな恥じらう表情がふわふわとした雰囲気を纏い、それに呼応するオーラの片鱗が感情の揺らぎで剥がれ、混ざり、振りまかれる。
免疫のない、ジン達一行以外にとっては、さらさらと微かな光が織り混ざる光景は、その不思議さや驚きとともに各々の心を鷲掴みにするのに充分すぎる破壊力だった。この瞬間、一同は『ぐはぁ』という心の声とともに例外なく打ちのめされる。
「きゃー! キャワイーッ! イルちゃんというのね? 私はサエコカタギリ、日本人よ。あぁ可愛すぎて抱き締めたい衝動が……でも抑えるしかないのよね。それにしても、マコちゃんといい、イルちゃんといい、それに2人のお母さまもそうだけど、なんでジンさんの周りには美形揃いなの? 機長もそう思いません?」
「なぜ私に振るんだ? 可愛すぎる女の子が2人もいるなんて、それだけでも心がホヤホヤして落ち着かないのを必死に抑えているのに、また地が出てしまうじゃないか」
「わかるぅ、いえ、わかります、機長! 可愛すぎて反則ですよね?」
「おぉ、わかるか? 私の孫も生きていればちょうどイルちゃんくらいか? と、ともかく、2人くらいの女の子が可愛くてな。しかも飛びっきりの可愛さだから余計に愛しく思えてな」
そんな事情があるなら、と念波でこっそり指示をするジン。
『そんな事情が……うん。仕方ない。マコトにイル? 今だけおじいちゃんとして、サービスしてあげてくれるか?』
『あ、うん。マコはいいよ?』
『イルもかまいません。でもどうすれば……』
『2人で「おじいちゃん」って抱き付いてあげるだけでいいよ』
『わかった。イル? いくよ?』
『いいよ。じゃあ、ゴー!』
そこから2人は同時に機長に駆け寄り、思いっきり抱き付いた。
「「おじいちゃん!」大好き!」
機長にとっては突然の嬉しいサプライズ。顔がぐしゃっと崩れながら2人を抱き締める。
「うぉぉ! 夢のようだな。うん。うん。2人とも本当に可愛いなぁ」
「えへへ、ありがとう。おじいちゃんもかっこいいね。お仕事姿も素敵!」
「おじいちゃんも頑張ってくれて、元気そうでイルも嬉しい」
「うん。うん。ありがとう2人とも。ジンさんも。もう死んでも悔いはないくらい嬉しいよ」
冗談なのは当たり前だが、一万メートル上空で機長が言うと肝が冷える言葉だと感じたジン。
「ちょ、ちょっと機長! ちゃんと日本まで連れて行ってくださいよ? それに死んだらもう会えなくなるけど、それでいいんですか?」
「あ、それは困るなぁ。また会ってくれるかな?」
「もちろんだよ。おじいちゃん?」
「イルもまたお会いしたいです」
「そ、そうか、まだまだ私も死ぬわけにはいかないな。おっと、長居し過ぎたようだし、次の機会を楽しみにしながら、コックピットに戻るとするか。それでは皆さん、拘留監視もありますが、それ以外はゆっくりお寛ぎください」
すっかり満喫できた機長は心置きなく業務復帰していく。
「ありがとうございまーす!」
「片桐くん、本機のスーパーVIPの皆さまだ。最高のおもてなしで、しっかりサービスして差し上げてくれるか?」
「承知しました」
機長は明らかに上機嫌な背中で、コックピットに戻っていった。
「それでは皆さま。機長から最高のおもてなしで、との指示がありましたので、ファーストクラスのお料理をお出ししたいと思っていますが、今日はファーストクラスの利用なしのため、予備の食材を含め7食しかご用意できず、一般向けの食材と……」
サトルが即反応する。
「あ、僕については突然参加のジャーナリストなので要りません。さっきも機内食を食べてきたばかりですし。どうぞお気になさらず。その代わり食事風景を写真に撮らせてください」
「承知いたしました。しかし何もないのもなんですから、せめてデザートは準備しておきますので、あとでお召し上がりくださいね」
「ありがとうございます。でもホントにお気になさらず……」
サトルを抜いても人数分とはならない。そんなパーサーの様子を察したマコトが声をかける。
「あ、紗栄子さん? それならマコとイルが半分こでもいいよ?」
「あ、それなら……でもそれじゃあ……」
マコトの気遣いを受け取るなら数の帳尻が合うことに表情が一瞬緩む紗栄子。しかしなんとかしたいと考えていると、落としどころを提案するマコト。できた幼女に感嘆が止まらない。
「マコ達小さいし、その分、デザートを多めに付けてくれたほうが嬉しいよね? イル」
「うん。イルはそれでいいよ? でもマコちゃんはたくさんエネルギーを消費したはずなのに大丈夫なの? あ! そうか。だから甘いものがたくさん欲しいってことか」
「イル正解! そういうことだから紗栄子さん? 甘いものを多めにできますか?」
こんな可愛らしい幼女の気遣いを受けて、がぜんやる気が漲る紗栄子。
「もう、マコちゃんったら。可愛いだけじゃなく思いやる気持ちも素敵ね。わかったわ。元々デザートは奮発するつもりだったけど、仕方ないわね。紗栄子スペシャル出しちゃうよ?」
「え? すごーい、そんなのがあるんだ」
「うん? ないよ? 今作ったから。でも楽しみにしててね? 私、以前はフレンチレストランの厨房とお洒落なカフェでの経験があるから、一味違うものがお出しできるわよ?」
仕事ではあるが、お姉さん的立ち位置で、可愛らしい仮想妹分たちに凄いところを見せられるシチュエーションに一段上の喜びを感じている紗栄子だった。
「うん! わくわく!」
「イルも!」
甘いものに目がないマコトとイル。色とりどりのスィーツを想像する瞳は、今にも零れ落ちそうなキラキラが渦を巻き、マコトはよだれが止まらないようだ。
「あら? 私も興味あるわ、紗栄子さん」
「もちろん考えてありますわ。大体、ただのファーストクラスでは、王女さまの舌……」
「し!」
紗栄子のうっかり「王女」発言を慌てて制止するソフィア。市長達の視界に入らないよう人差し指を唇に当てて、片目を閉じて、息が漏れるかどうかくらい小さく。続いて軽く笑み。
「こほっ。あ、失礼いたしました。お嬢さまの舌ですね、はははは」
迂闊だったが、間髪入れず、絶妙なフォローで切り抜ける紗栄子。冷や汗がたらりと一滴。
「そ、そうよ? 私は元没落貴族の娘だから、舌は肥えてるの。というか、そういう上品なお味も楽しみなのだけど、今日に限っては、子供向けな甘さも身体が欲しているような気がするの。目一杯力を使ったからかしら? それにしても、そう、ファーストクラステイストに、紗栄子テイストが加わるのね? それはそれですごく楽しみだわ」
「はい、お楽しみに。あ、というか、過大な期待はしないでくださいね? なんか責任重大な気がしてきたわ。私失敗しちゃったかしら」
子どもに向けてのやっちゃうよトークで軽い気持ちのスペシャル宣言だったが、そのノリをそのまま大人に向けてしまえるほどのクォリティのつもりではなかったため、結果、自らハードルを上げてしまったかもと、少し慌てた紗栄子だった。もちろん、ただ子ども向けの甘味を欲しただけのソフィアだったので、そんな紗栄子のテンションを和らげるよう言葉を足す。
「えぇ、気負わなくても大丈夫よ? ふつうにファーストクラスのお食事と、子供向け甘味を楽しみにしているわ。それだけで嬉しいのですから」
「それならば。はい、ありがとうございます」
そこからコース料理の皿が次々と配られては下げられる。前菜から始まり各々その味わいを満喫し神戸和牛の旨味に舌鼓を打つ。そうしてお腹も満たされた頃合いにデザートの登場だ。
まずは紗栄子スペシャル。元はコースのデザートで3つの中から1つを選ぶメニューだが、女性陣には特別に3つ全部が運ばれる。三種のアイスクリーム、ほうじ茶モンブラン、抹茶のミルクレープ。そんな大判振る舞いがスペシャルなのではなくて、大人向けに甘味抑えめで苦味を効かせた抹茶メニューのお皿に、上質の生クリームとチョコクリームであしらった感謝のメッセージが加えられ、お洒落な雰囲気の特別な一品に仕上げられていた。生クリームの包み込むような上質の甘さは抹茶の苦味を際立たせ、反対に苦味は極上の甘味を数段押し上げる。相互の重なりが醸すハーモニーは、波状攻撃のように得も言えぬ食感と共に舌の上を駆け巡る。
「ふゎぁぁ。なんという甘苦のアンサンブル。素敵ね、紗栄子さん。見事な仕事っぷりよ。まさかこの一皿でこれほど楽しませてもらえるなんて……。ありがとう。紗栄子さん」
「いえ、そんな、滅相もありません……」
紗栄子が一番身構えていたソフィアの反応はこれ以上ないほどの賛辞だった。
「マコもびっくり。抹茶は苦いからこれまであまり得意じゃなかったけど、抹茶ってこんなに美味しかったんだね? たぶん紗栄子さんの思いやってくれる心が注ぎ込まれているみたい」
「イルも同感。というか、こんなに美味しいスウィーツ初めて!」
「私も感激してるわ。抹茶自体も初めてだから、感動しかないわ」
一人一人の嬉しそうな反応が瞳に表れる。子どもたちの場合は頬の丸みからも喜び具合が窺える。本当に幸せそうに食べる姿、そして思いやりの心や感動なんて言葉を賜れれば、給仕する立場としての誉れはもちろん、幸せな気持ちに包まれ、愛おしささえも芽生える紗栄子。
「あら、マコちゃん、イルちゃん、それにケインさんも。ご満足戴けたのなら嬉しいです。でもスウィーツ第2弾が控えてるのね? こちらは甘味尽くしだから、さっきまでの頭の疲れをたっぷり癒やしてくださいね?」
言葉にこそ出さないが、どこまでも奮発したい心境の紗栄子だった。
「え? まだまだスウィーツが続くんだ。やったぁ! ありがとう、紗栄子さん。ママじゃないけど、マコも頭を使ったからかな? 甘いのが欲しくて仕方なかったみたい」
「イルはそこまで疲労はないけど、こんなに美味しい甘味ならいくらでも食べられそうです」
実はジンも甘味が欲しかったようで、話に割り込む。
「あ、紗栄子さん? 女性陣だけじゃなく、オレも甘味提供をお願いしたいなぁ。脳が疲れて糖分が欠乏気味みたいなんだ」
「わかりました。そうですよね? あれほどの偉業を成すには頭を相当使いますものね? 実はそうかもしれないと思って準備もしてました。こちらをどうぞ」
じゃーん! とばかりに間髪入れずに甘味を差し出す紗栄子。一瞬で目が丸く、次の瞬間には目尻と頬が下がる喜びの表情。これが見たかったとばかりに紗栄子の口元は緩む。
「おぉ~! さすが紗栄子さん。しかもボリュームもスゴい! 嬉しいなぁ」
…………
そんな安穏とした空気に包まれて、幾多のトラブルを乗り越えたことを噛みしめ始めた頃のことだった。世界各国の航空管制機関から、日本に向けた旅客機でハイジャックが起こったこと、そして機内にたまたま乗り合わせたS国の警察官の活躍により無事鎮圧し、日本に向けて航行中である旨の通知を受けた報道機関が、一斉に報道を開始した。
「皆さま。機長から、他のサービス提供も、との指示がありましたので、可能な限りご提供させていただきますね。まずはお飲み物ですが、こちらのメニューからお選びください」
「あぁ、それなら紗栄子さん? 飲み物の一杯目だけは乾杯したい気分だから、紗栄子さんも自分用の飲み物を準備してもらえないかな? できれば、機長さん達ともやれるといいな」
「あ、少々お待ちください。機長に確認してみます…………あ、機長もやりたいそうです。今グラスを準備しますね。お飲み物は……」
「みんなアルコールは差し障りがあるから、ジュースか、烏龍茶でもいいよ?」
「わかりました。では乾杯だけは皆さん烏龍茶で」
飲み物が行きわたるタイミングで紗栄子は機長を呼びに向かう。
「機長、準備できました」
機長は操縦を副操縦士に預けて乾杯の場に向かい、既に準備が完了していることを確かめる。
「おお、ありがとう、片桐くん。スミスくんも準備はいいかな?」
「はい、準備OKです」
機長として、まずは説明義務があるものと、事件の経緯を語り始める……
「ではみなさん。通常は運行中にこのようなことはあり得ないのですが、今日ばかりは、私もルールや規範を超越したいと思います。何が言いたいかというと、いつもと同じようにルールや規範の縛りの中で行動していたら、私達は海の藻屑となり、今ごろは魚の餌になっ……」
……が、早々にパーサーからダメ出しを食らう機長。
「機長! 話が長すぎです! そんな長くコックピットを空けるわけにはいきませんよ?」
「お、そ、そうだな。ではみなさん、心より感謝いたします。祝! 平和奪還! 乾杯!」
「「「「「カンパ~イ!」」」」」
パチパチパチパチ。
「今のこのアクションの原動力たるジンさんが大活躍したのは周知の事実ですが、1人だけの頑張りでは到底成し遂げられない偉業だと思っています。ジェイムズさん達もソフィアさん達も、本当にありがとうございました。特にマコちゃん? 一番の危機を圧巻の力で屈伏させたと聞きました。あなたの活躍なしに今のこの状況は迎えられなかったでしょう。ありがとう」
「んはっ! マ、マコのこと? テヘヘ、あんまり憶えてないんだけどね? でも誉められるのは嬉しいな」
誉められることが苦手な照れ屋のマコト。突然話題に上げられ躱す術もなかったが、自身があまり憶えていないためか、それほど照れることもなく、素直な笑顔が振り撒かれる。
「ふふふ、やっぱり可愛らしいね、マコちゃんは。おじさんと一緒に帰らないか?」
「き、機長! ダメに決まってるでしょう! マコトはうちの大事な娘です!」
「こほん、言ってみたかっただけだよ。本気なはずないでしょう?」
「機長、目が真剣でしたよ? でもわかります。私も本気で連れ帰りたいくらいですもの」
「おぉ、片桐くん。わかってくれるか」
目の前の争奪戦のような状況に、念波でこっそり話を始めるマコト。
『だはっ? これが世に聞くモテ期ってやつなの? パパァ』
『そ、そうなのかもしれないが、ダメだよ。うっかり行くなんて言っちゃあ。みんな愛しい、最愛の家族なんだから』
またもジンの特殊効果付き念波が炸裂する。心の声だからある程度は仕方ないのだろう。
『ひゃぁぁ! パパのが一番響くね。こんなトークが聞けないところになんて行くはずないよ? パパ』
『んはっ、イルの心も震えました。それにしてもマコちゃん人気者だね?』
そう問われれば、マコトは可愛いイルも人気者に仕上げたくなるのが人情と勝手に思った。
『イルはまだ面識無いからだよ。紹介してあげるね?』
『マコちゃん? ちょちょ、ま……』
「機長さんに紗栄子さん? マコを気に入ってくれてすごく嬉しいです。でもマコよりももっと可愛い子がいるから紹介するね?」
『そそそ、そんな、ホントに紹介する気なの? は、はじゅぃょ、マコちゃん』
「こちらのストロベリーブロンドの可愛い子がイルちゃんです。マコのお姉ちゃん的存在ですごく聡明な女の子だからよろしくね? こっちにはいなかったけど、後部座席で監視業務をやってくれてたんだよ?」
『ひぇ~、勘弁して~』テレテレ。
「そ、そうなのか? ありがとう、イルちゃん。頑張ってくれてたんだね? それに、ほぅ、とても綺麗な髪色だけど、顔立ちもなんて可愛らしいんだ」
「イ、イルです。初めまして」テレテレ、モジモジ。
「え? その髪色と可愛らしさ。オマケに聡明とくれば、そうか君があのイルちゃんなのか? 初めまして、イルちゃん。私は市長のアーネスト ディランです。甥が君の話ばかりするからいつかお目にかかりたいと……そうですか。あなたもジンさんの関係者だったんですね」
「え? なに? いえ、私はそんな……」
「イル? イルはなんかすごい有名人みたいだよ? さっきも別な人からイルの有名さを聞かされたもん。そりゃそうだよね。イルは学校中で大人気なんだもん」
マコトの言葉にジンとサトルも便乗発言する。
「そうそう、さっきはイルの有名さでうっかり身バレしたくらいだからな」
「ほんとですよね。僕も知っているくらいですから。あ、お話しするのは初めてですね。イルちゃん、初めまして、ジャーナリストのサトルです」
「え? え?」
狼狽えるイル。ジェイムズ達も面白がって、ここぞとばかりに便乗する。
「そうか、君があの有名なイルちゃんだったのか。警察署内では、それでなくても今や伝説となりつつあるギャング掃討事件の被害者として有名なんだが、なんと同一人物だったのか?」
「そうですよぉ。ジェイムズさん。それ小さなお子さんがいる警察官の間では常識ですよ?」
「そうか、オレが知らなかっただけなんだな? アッハッハッハッ」
「え? え? え? なんでそんなに有名なの? みんな注目してて恥ずかしい……」
顔全体が見事に紅潮して、湯気が出そうなくらいのイル。目も潤みを帯びて、なんとも言えない微妙な表情になるが、そんな恥じらう表情がふわふわとした雰囲気を纏い、それに呼応するオーラの片鱗が感情の揺らぎで剥がれ、混ざり、振りまかれる。
免疫のない、ジン達一行以外にとっては、さらさらと微かな光が織り混ざる光景は、その不思議さや驚きとともに各々の心を鷲掴みにするのに充分すぎる破壊力だった。この瞬間、一同は『ぐはぁ』という心の声とともに例外なく打ちのめされる。
「きゃー! キャワイーッ! イルちゃんというのね? 私はサエコカタギリ、日本人よ。あぁ可愛すぎて抱き締めたい衝動が……でも抑えるしかないのよね。それにしても、マコちゃんといい、イルちゃんといい、それに2人のお母さまもそうだけど、なんでジンさんの周りには美形揃いなの? 機長もそう思いません?」
「なぜ私に振るんだ? 可愛すぎる女の子が2人もいるなんて、それだけでも心がホヤホヤして落ち着かないのを必死に抑えているのに、また地が出てしまうじゃないか」
「わかるぅ、いえ、わかります、機長! 可愛すぎて反則ですよね?」
「おぉ、わかるか? 私の孫も生きていればちょうどイルちゃんくらいか? と、ともかく、2人くらいの女の子が可愛くてな。しかも飛びっきりの可愛さだから余計に愛しく思えてな」
そんな事情があるなら、と念波でこっそり指示をするジン。
『そんな事情が……うん。仕方ない。マコトにイル? 今だけおじいちゃんとして、サービスしてあげてくれるか?』
『あ、うん。マコはいいよ?』
『イルもかまいません。でもどうすれば……』
『2人で「おじいちゃん」って抱き付いてあげるだけでいいよ』
『わかった。イル? いくよ?』
『いいよ。じゃあ、ゴー!』
そこから2人は同時に機長に駆け寄り、思いっきり抱き付いた。
「「おじいちゃん!」大好き!」
機長にとっては突然の嬉しいサプライズ。顔がぐしゃっと崩れながら2人を抱き締める。
「うぉぉ! 夢のようだな。うん。うん。2人とも本当に可愛いなぁ」
「えへへ、ありがとう。おじいちゃんもかっこいいね。お仕事姿も素敵!」
「おじいちゃんも頑張ってくれて、元気そうでイルも嬉しい」
「うん。うん。ありがとう2人とも。ジンさんも。もう死んでも悔いはないくらい嬉しいよ」
冗談なのは当たり前だが、一万メートル上空で機長が言うと肝が冷える言葉だと感じたジン。
「ちょ、ちょっと機長! ちゃんと日本まで連れて行ってくださいよ? それに死んだらもう会えなくなるけど、それでいいんですか?」
「あ、それは困るなぁ。また会ってくれるかな?」
「もちろんだよ。おじいちゃん?」
「イルもまたお会いしたいです」
「そ、そうか、まだまだ私も死ぬわけにはいかないな。おっと、長居し過ぎたようだし、次の機会を楽しみにしながら、コックピットに戻るとするか。それでは皆さん、拘留監視もありますが、それ以外はゆっくりお寛ぎください」
すっかり満喫できた機長は心置きなく業務復帰していく。
「ありがとうございまーす!」
「片桐くん、本機のスーパーVIPの皆さまだ。最高のおもてなしで、しっかりサービスして差し上げてくれるか?」
「承知しました」
機長は明らかに上機嫌な背中で、コックピットに戻っていった。
「それでは皆さま。機長から最高のおもてなしで、との指示がありましたので、ファーストクラスのお料理をお出ししたいと思っていますが、今日はファーストクラスの利用なしのため、予備の食材を含め7食しかご用意できず、一般向けの食材と……」
サトルが即反応する。
「あ、僕については突然参加のジャーナリストなので要りません。さっきも機内食を食べてきたばかりですし。どうぞお気になさらず。その代わり食事風景を写真に撮らせてください」
「承知いたしました。しかし何もないのもなんですから、せめてデザートは準備しておきますので、あとでお召し上がりくださいね」
「ありがとうございます。でもホントにお気になさらず……」
サトルを抜いても人数分とはならない。そんなパーサーの様子を察したマコトが声をかける。
「あ、紗栄子さん? それならマコとイルが半分こでもいいよ?」
「あ、それなら……でもそれじゃあ……」
マコトの気遣いを受け取るなら数の帳尻が合うことに表情が一瞬緩む紗栄子。しかしなんとかしたいと考えていると、落としどころを提案するマコト。できた幼女に感嘆が止まらない。
「マコ達小さいし、その分、デザートを多めに付けてくれたほうが嬉しいよね? イル」
「うん。イルはそれでいいよ? でもマコちゃんはたくさんエネルギーを消費したはずなのに大丈夫なの? あ! そうか。だから甘いものがたくさん欲しいってことか」
「イル正解! そういうことだから紗栄子さん? 甘いものを多めにできますか?」
こんな可愛らしい幼女の気遣いを受けて、がぜんやる気が漲る紗栄子。
「もう、マコちゃんったら。可愛いだけじゃなく思いやる気持ちも素敵ね。わかったわ。元々デザートは奮発するつもりだったけど、仕方ないわね。紗栄子スペシャル出しちゃうよ?」
「え? すごーい、そんなのがあるんだ」
「うん? ないよ? 今作ったから。でも楽しみにしててね? 私、以前はフレンチレストランの厨房とお洒落なカフェでの経験があるから、一味違うものがお出しできるわよ?」
仕事ではあるが、お姉さん的立ち位置で、可愛らしい仮想妹分たちに凄いところを見せられるシチュエーションに一段上の喜びを感じている紗栄子だった。
「うん! わくわく!」
「イルも!」
甘いものに目がないマコトとイル。色とりどりのスィーツを想像する瞳は、今にも零れ落ちそうなキラキラが渦を巻き、マコトはよだれが止まらないようだ。
「あら? 私も興味あるわ、紗栄子さん」
「もちろん考えてありますわ。大体、ただのファーストクラスでは、王女さまの舌……」
「し!」
紗栄子のうっかり「王女」発言を慌てて制止するソフィア。市長達の視界に入らないよう人差し指を唇に当てて、片目を閉じて、息が漏れるかどうかくらい小さく。続いて軽く笑み。
「こほっ。あ、失礼いたしました。お嬢さまの舌ですね、はははは」
迂闊だったが、間髪入れず、絶妙なフォローで切り抜ける紗栄子。冷や汗がたらりと一滴。
「そ、そうよ? 私は元没落貴族の娘だから、舌は肥えてるの。というか、そういう上品なお味も楽しみなのだけど、今日に限っては、子供向けな甘さも身体が欲しているような気がするの。目一杯力を使ったからかしら? それにしても、そう、ファーストクラステイストに、紗栄子テイストが加わるのね? それはそれですごく楽しみだわ」
「はい、お楽しみに。あ、というか、過大な期待はしないでくださいね? なんか責任重大な気がしてきたわ。私失敗しちゃったかしら」
子どもに向けてのやっちゃうよトークで軽い気持ちのスペシャル宣言だったが、そのノリをそのまま大人に向けてしまえるほどのクォリティのつもりではなかったため、結果、自らハードルを上げてしまったかもと、少し慌てた紗栄子だった。もちろん、ただ子ども向けの甘味を欲しただけのソフィアだったので、そんな紗栄子のテンションを和らげるよう言葉を足す。
「えぇ、気負わなくても大丈夫よ? ふつうにファーストクラスのお食事と、子供向け甘味を楽しみにしているわ。それだけで嬉しいのですから」
「それならば。はい、ありがとうございます」
そこからコース料理の皿が次々と配られては下げられる。前菜から始まり各々その味わいを満喫し神戸和牛の旨味に舌鼓を打つ。そうしてお腹も満たされた頃合いにデザートの登場だ。
まずは紗栄子スペシャル。元はコースのデザートで3つの中から1つを選ぶメニューだが、女性陣には特別に3つ全部が運ばれる。三種のアイスクリーム、ほうじ茶モンブラン、抹茶のミルクレープ。そんな大判振る舞いがスペシャルなのではなくて、大人向けに甘味抑えめで苦味を効かせた抹茶メニューのお皿に、上質の生クリームとチョコクリームであしらった感謝のメッセージが加えられ、お洒落な雰囲気の特別な一品に仕上げられていた。生クリームの包み込むような上質の甘さは抹茶の苦味を際立たせ、反対に苦味は極上の甘味を数段押し上げる。相互の重なりが醸すハーモニーは、波状攻撃のように得も言えぬ食感と共に舌の上を駆け巡る。
「ふゎぁぁ。なんという甘苦のアンサンブル。素敵ね、紗栄子さん。見事な仕事っぷりよ。まさかこの一皿でこれほど楽しませてもらえるなんて……。ありがとう。紗栄子さん」
「いえ、そんな、滅相もありません……」
紗栄子が一番身構えていたソフィアの反応はこれ以上ないほどの賛辞だった。
「マコもびっくり。抹茶は苦いからこれまであまり得意じゃなかったけど、抹茶ってこんなに美味しかったんだね? たぶん紗栄子さんの思いやってくれる心が注ぎ込まれているみたい」
「イルも同感。というか、こんなに美味しいスウィーツ初めて!」
「私も感激してるわ。抹茶自体も初めてだから、感動しかないわ」
一人一人の嬉しそうな反応が瞳に表れる。子どもたちの場合は頬の丸みからも喜び具合が窺える。本当に幸せそうに食べる姿、そして思いやりの心や感動なんて言葉を賜れれば、給仕する立場としての誉れはもちろん、幸せな気持ちに包まれ、愛おしささえも芽生える紗栄子。
「あら、マコちゃん、イルちゃん、それにケインさんも。ご満足戴けたのなら嬉しいです。でもスウィーツ第2弾が控えてるのね? こちらは甘味尽くしだから、さっきまでの頭の疲れをたっぷり癒やしてくださいね?」
言葉にこそ出さないが、どこまでも奮発したい心境の紗栄子だった。
「え? まだまだスウィーツが続くんだ。やったぁ! ありがとう、紗栄子さん。ママじゃないけど、マコも頭を使ったからかな? 甘いのが欲しくて仕方なかったみたい」
「イルはそこまで疲労はないけど、こんなに美味しい甘味ならいくらでも食べられそうです」
実はジンも甘味が欲しかったようで、話に割り込む。
「あ、紗栄子さん? 女性陣だけじゃなく、オレも甘味提供をお願いしたいなぁ。脳が疲れて糖分が欠乏気味みたいなんだ」
「わかりました。そうですよね? あれほどの偉業を成すには頭を相当使いますものね? 実はそうかもしれないと思って準備もしてました。こちらをどうぞ」
じゃーん! とばかりに間髪入れずに甘味を差し出す紗栄子。一瞬で目が丸く、次の瞬間には目尻と頬が下がる喜びの表情。これが見たかったとばかりに紗栄子の口元は緩む。
「おぉ~! さすが紗栄子さん。しかもボリュームもスゴい! 嬉しいなぁ」
…………
そんな安穏とした空気に包まれて、幾多のトラブルを乗り越えたことを噛みしめ始めた頃のことだった。世界各国の航空管制機関から、日本に向けた旅客機でハイジャックが起こったこと、そして機内にたまたま乗り合わせたS国の警察官の活躍により無事鎮圧し、日本に向けて航行中である旨の通知を受けた報道機関が、一斉に報道を開始した。
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